PANDORA・柩灯

「汐(うしお)さんおかえりなさーい!」

 ぱんっぱんっぱんっ。
 あちこちで破裂音が響き、色とりどりの紙吹雪が宙を舞った。

 ――汐が幽泉堂(ゆうせんどう)に帰った翌日の、夜。

 咲樂(さくら)から、「さすがに今日はちゃんと休んで」と強く言われ、汐は連日の睡眠不足を取り戻すようにずっと寝ていた。
 そして営業終わりに店に出ると、瑚杜(こもり)と、客として来ていた椿姫(つばき)に背中を押されて食堂に連れていかれて、今に至る。

 降ってきた紙吹雪が頭や顔、服に遠慮なく付く。
 汐はぽかんと呆けながらも、目の前にあるいつもより豪華な料理と、見慣れた面々を見渡した。

 椿姫と瑚杜は「びっくりしてる!」と嬉しそうにはしゃぎ、咲樂は少し恥ずかしそうに両手にホールケーキを持っている。
 他にも、恐らく不本意ながら参加させられた鉄太(てった)や、ただ穏やかに微笑んで手を叩く女性従業員や、笑い声をあげている男性従業員もいる。

「あー……えっと、はは。うん、ありがとう」

 汐は仄かに頬を染め、照れくさそうに頭をかく。
 盛大に祝われたりすることは苦手だったけれど、皆が帰りを待っていてくれていたのだと思うと、胸の奥がじんわりとした。

 果物がたくさん乗った豪華なケーキや、クラッカー、壁を彩る金や銀の装飾は、柩(ひつぎ)地区では見かけないものばかりだ。
 すぐに誰の仕業か分かり、汐は、今日も豪華絢爛に自分を着飾っている椿姫に視線を移す。

「これ、椿姫が用意してくれたの?」

「えっ、ど、どうしてわかったの!?」

「柩にはこんなの売ってないからねぇ」

 椿姫は素直に驚いて、それからすぐに子どものような笑みを浮かべる。

「汐が帰ってきたって聞いたからお祝いしなきゃって思ったの! みんなで準備したのよ!」

「まあ椿姫ちゃんがだいたい全部やってましたけどね」

「えぇっ、そんなことないわよ? 鉄太さんなんて、一番張り切ってたもの」

 それを聞き、「参加は不本意です」と言いたげな顔で腕を組んでいた男に、目を向ける。
 まさかバラされるとは思っていなかったのだろう。
 鉄太は顔を赤くしたあと、眉を吊り上げた。

「ばっ、張り切ってねぇ! 適当言うな!」

「張り切ってましたよ」

「いや張り切ってただろ」

「張り切ってたわ」

 本人の否定も虚しく、次々に証人が出てきてしまう。
 すると楽しそうに見ていた咲樂が、ホールケーキを持ち上げて、誇らしく口を開いた。

「このケーキもね、てっちゃんが盛り付けしたのよ」

 様々な果物が美しく並び、行灯に反射してまるで宝石のようだった。
 孤児院にいた頃から鉄太は手先が器用で、折り紙が上手かったなと、汐はふっと頬を緩めた。

「ありがとう鉄太。寂しい思いさせて、ごめんね?」

 にっこり。
 汐が白々しくとんでもなくいい笑顔を見せると、鉄太が真っ赤な顔で「殺す」と掴みかかろうとした。
 それを瑚杜が片手で彼の服を掴み、やれやれと止める。

 帰ってきた日、睡眠不足と空腹で限界だった汐はすぐに自室に引っ込んでしまい、今日、十日ぶりに食堂に来た。

 見慣れた風景に、安堵で満たされる。

「改めて、急にお店を任せきりにしてごめんね」

 汐が穏やかに切り出すと、そう大きな声ではなかったが皆がぴたりと静かになって、耳を傾けた。

「みんなのお陰でここに帰ってこられたと思うから。本当にありがとうね」

 汐の代わりに店を回した咲樂。
 買い出しに行った瑚杜。
 咲樂と協力して帳場に立った鉄太。
 いつもと違う仕事内容をこなした他の従業員たちも同じだ。
 彼らは汐からの真っ直ぐな礼に、照れ臭そうに、嬉しそうに笑った。

「な、なんか恥ずかしくなってきたな。食べよっか。夜勤の人たちも座って」

 汐は落ち着かない様子で片手で口元を隠し、ぐっと目を閉じた。

 幽泉堂で作られた料理も、椿姫が地上から調達してきた料理もどれも美味しく、特に若い少年少女たちは喜んで食べた。
 夜辺(よるべ)家では生命維持のためだけに食べていた。
 久しぶりの味がする食事に、汐の顔も綻ぶ。

 隣にいる咲樂の皿は、少し食べたあと空っぽのままで、本人は人の話を聞いては相槌を打っていた。

「咲樂、もう食べないの?」

「うん。休憩の時に少し食べたから、大丈夫よ」

 嘘だと、すぐに分かる。
 他の人たちにたくさん食べてもらいたいという、いつもの遠慮だろう。
 汐は「そっか」と言ってから、複数の料理を取り皿に乗せると、わざとらしく困った顔をしてみせた。
 そして咲樂と自分の間にそれを置く。

「取りすぎちゃった」

「えぇ?」

 咲樂は驚きながらも、くすくすと笑う。

「戻すのもお行儀悪いよね? 一緒に食べてよ」

 そう言えば、なだらかな眉が下がって困ってしまうけれど、咲樂が断れないと知っている。
 困って、それから優しく目尻が下がるのだ。

「……うん。ありがとう、汐」

「“てっちゃん”の愛情だからねぇ、ちゃんと味わわないと」

「おいうるせえぞ!」

 どうやら本人に聞こえていたようで、離れた席から低い声が飛んできた。

 依月家の秘伝書を提供してしまっても良かったのかと、後悔することはないだろう。
 汐は血の繋がらない家族や友人たちを眺めて、自分の選択は正しかったのだと、改めて思えた。

 祝いの後、片付けを手伝おうとした汐と咲樂は、瑚杜に「お二人はやらなくていいんです!」と半ば無理やり食堂を追い出された。

 そして部屋に戻る途中に、それを見つけた。

「――え」

 ぴたりと汐が足を止めた。
 咲樂も不思議そうに車椅子を止めて、隣を見上げる。

「あれって……いやまさかな……? でもあの光……」

 汐は回廊のガラス壁から一望できる中庭に釘付けになり、ぶつぶつと独り言を呟く。

「中庭がどうかしたの?」

「よし、咲樂、行こう!」

「えっ!?」

 急に汐は目を輝かせながら振り向いて、車椅子のハンドルを掴んだ。
 咲樂の驚く声も気にせずに、勢いよく車椅子を後ろから押して、中庭に続く引き戸を潜る。
 車輪の音が石畳に響き、汐の地下足袋が駆ける。
 中庭の奥、灯篭が等間隔に並ぶ場所で止まると、汐がひとつの灯篭の下にしゃがんだ。

「やっぱり……」

 灯篭の根元にひっそりと、それはあった。

「綺麗……」

 咲樂からも、思わず感嘆の、吐息混じりの声がこぼれてしまう。

 汐は手を伸ばし、触れようとしたが止める。
 触れた瞬間から砕けて、消えてしまいそうな儚さに、怖くなった。

 限りなく無色に近い、硝子細工のような小さな花が、一輪だけ咲いていた。
 仄かな輝きを放つ様は、まるでからくりで発光する骨董品にも見えた。

「これ……花? なの? 夜辺家にも、こんな花はなかったわ」

「当たり前だよ……こんな珍しい花が、どうしてここに……」

 不思議と、どうしても目が逸らせない。
 汐の瞳は釘付けになり、まじまじと観察を続ける。

 硝子のように透明な部分は花弁のみで、茎と葉は不純物が入り交じった硝子と同じく、白く濁っている。
 発光しているのは、恐らく根の部分だろう。
 手持ち提灯がなくとも、花自体の光のおかげでよく見えた。

「……どうしよう、引っこ抜いたら駄目だよね」

「そうなの?」

 咲樂がよく分からずに問うと、汐はくわっと目を見開き大きな声を出した。

「そうだよ……! もし引き抜いて枯れでもすれば、これは世界的損失だよ!? 硝子月花(がらすげっか)を生きてるうちに見られるなんて、あぁ駄目だ父さん僕どうしよう、でも他の誰かに持って行かれでもすれば……!」

 汐の頭の中で混乱と、喜びと、悔しさがぐるぐると回る。
 客が中庭に出て、これを見つけて、引き抜いてしまう可能性も十分に有り得る。

「お、落ち着いて汐」

「落ち着いてる。落ち着いてるようん。とりあえずしばらく中庭は立ち入り禁止にしようかな」

「え、ええ!? そ、そこまでするの?」

「するよ。他の人に盗られたくないもん」

「ないもんって……」

 汐が突然子どものような我が儘を言い始めたせいで、咲樂は狼狽して困り果てる。
 しかし、ここまで我を通すということは、原因はひとつしかないと、理由も明白になった。
 桃色の双眸がふっと穏やかに細まり、汐の隣に車椅子で移動する。

「……お薬でもつくれる花なの?」

 咲樂が質問すると、ぱあっと汐の目が煌めく。

「そう! そうなんだよ、聞いて!」

 汐は興奮を隠しきれない様子で立ち上がる。

「これは硝子月花(がらすげっか)って言って、太陽光に当たると枯れてしまう、かなり貴重な花なんだ! 日が当たらない樹海や山に生息するんだけどね」

「うん」

「僕の家にあった秘伝書にも、硝子月花が必要な調合がいくつかあって、どれも奇跡みたいな、とんでもない効能を発揮するらしいんだ。祖父も父も見たことがない特別な花なんだよ!」

 口が止まらない。
 この凄さ、奇跡をどうにか伝えたくて、身振り手振りで咲樂に説明を並べ立てた。
 そんな風に、凄いでしょ! と尻尾を全力で振り続ける犬のような笑顔に、咲樂は終ぞ微笑んで黙って聞いていたが、「ふふ」と声を漏らした。

「汐って、本当に可愛い」

 くすくす。
 彼女の目は、孤児院の幼子に向けるものと同じだった。
 度々見るそれに、汐は我に返り、途端に恥ずかしそうに顔を覆った。ほんのりと耳に熱を持つ。

「またやった……ごめん興奮してつい……」

「相当嬉しかったのね。前に、新薬ができたって教えてくれた時くらい、目がきらきらしてる」

「いや……うん……そうだね」

 昔から、両親や祖父母にはいい格好をしたくてどんな時でも理性的な子どもを演じていたけれど、姉には何でも話した。
 何でもありのままを受け入れてくれるから、心地が良かった。
 汐は恥ずかしそうに咳払いをする。

「咲樂って姉さんと似てるから、つい話しすぎちゃうんだよね」

「え、わたしが?」

「うん。見た目じゃなくて、なんとなく、雰囲気がね」

 これまではなるべく避けてきた家族の話が、するりと喉から出た。
 あまりに自然だったからか、咲樂もほんの少しだけ意外そうな表情をして、すぐに頬を緩める。

「好きなことを話してる汐を見てるの、楽しいもの。きっとお姉さんもそうだったんじゃないかしら」

 灯篭や硝子月花よりも、余程美しく温かな微笑に、汐の胸が僅かに締め付けられた。
 ここでないと、きっと見ることの出来ない灯火だ。

「……そうかもね。姉さんには随分甘やかされた記憶があるよ」

 硝子の花弁が、橙色や藍色、白色と、周りの色や環境に簡単に染まって輝く。
 汐はそんな不安定な花を見て、言い表せられない恐れを思い出した。
 人は、人が思うよりも呆気なく散ってしまう。
 絶えず、静かに咲いている花みたいな彼女に視線を移すと、彼女は首を傾げた。

 あの時、咲樂が夜辺家によって地上に移されて、この花のように枯れてしまったら、汐は全部を壊してしまいたくなっただろう。

 ――『帰って。二度と来ないで』

 だからこそ、突き放した。
 他のことが頭から消えるほど、焦燥感に駆られた。

「……迎えに来てくれた時は、ごめんね。酷いこと言って」

 汐の切実な謝罪が夜にぽつりと落ちる。
 改めて、何度でも、ちゃんと伝えたい。
 余計な誤解をさせて、傷つけたくなかった。
 咲樂の表情は大して動かず、首を横に振る。

「心配してくれたのよね。わかってるわ、ちゃんと」

 そう。咲樂なら正しく受け取ってくれると、どこかで信じて甘えていた。

「でも」

 すると、咲樂はこれまでの柔らかな雰囲気から一転、眉尻を上げて、汐を指さした。
 怒ってます! と、わざとらしい演出だ。

「わたし、ちょっぴり傷ついたわ」

「え」

 思わぬ一言に、汐の目が点になる。
 への字に結ばれた口は、怒りよりも拗ねた態度に近い。

「そ、そっか。そうだよね、本当に、あの、ごめんね? もう言わない」

 かつてない直球な感情表現だ。
 しかし汐があからさまに狼狽えると、咲樂は鈴のような笑声をあげた。

「ええ。そうしてちょうだい」

 言葉とは裏腹なからかいを含んだ様子に、肩から力が抜けて胸を撫で下ろす。

 また明日から、幽泉堂の日常が始まる。
 あの九日間は決して無駄ではない。無駄にはしない。
 汐は硝子月花へ、もう一度静かに目を向けた。