腹黒な後輩に秘密を握られました~姫化するしか、なさそうです

 数日後の金曜日の放課後。
 東京は梅雨入りし、朝からどんよりとした空模様だったが、昼過ぎからますます黒々とした雲が覆い始め、今にも雨が降りそうな気配。

「お待たせ」

 昇降口で待ち合わせをしている入江に、俺は声をかけた。
 あれから入江とは連絡先を交換し、週に二日、バイトが休みの火曜日と金曜日に、勉強を教えることになった。
 だからこれから、入江の家に向かう予定。

「そう言えば、姉貴がめっちゃ喜んでました」
「……それはよかった」

 前回の入江宅訪問の際に、ラフ画にサインを入れてプレゼントした。
 入江のお姉さんは大学四年で、就活真っただ中らしいが、希望している会社が、倍率が高いとかで、かなり気が滅入っていたそうだ。
 そんなある日、バイトをしているカフェで、いつも姉の部屋に飾ってあるポスターと瓜二つのイラスを描く人物が目の前に現れた。
 それも、編集者と思われる人物に『泉先生』と呼ばれていたら、確信するだろう。
 姉が推している絵師の〝泉紫雨〟が、バイト先に現れたのだと。
 しかもそれが、……自分が通う高校の生徒会長だとわかったら……。

 入江が俺に近づいてくる目的が、好奇心なのか、揶揄いなのかはわからない。
 けれど、優等生で通っている俺が、まさかBLを主としたイラストを描いているなんて、誰が思うだろう。
 だから、絶対にばらさないという約束で、週に二回、勉強を見ることになったのだ。

 高校がある最寄駅から四駅。駅前には入江がバイトしているカフェがあり、その前を通りすぎて、大通りから一本裏手に入った路地を進んでいると、突然、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。

「先輩っ! 走りますよっ」
「お、おう」

 俺は入江の後を追うように走り出した。



「ハァ……ハァ……ッ……」
「大丈夫ですか……?」
「……ん」

 こいつ、足が長いのは伊達じゃない。
 運動も得意な俺が、息切れするほど、入江の走るスピードに追いつかなかった。
 なっ、なんなんだ、こいつは……。

「どうぞ、上がってください」

 玄関のドアロックが解除され、入江が玄関内へと促す。

「お、お邪魔します」
「今、タオル持ってきますね」

 入江はすぐさまタオルを取りに行った。
 前回来た時も思ったが、本当にハイセンスなマンションだな。
 玄関に靴を脱ぐのも忍びないと思うほど、ピカピカに磨かれた玄関ポーチ。
 脇に置かれた観葉植物ですら、高級ホテルに飾られていそうな大ぶりの鉢植え。
 はぁ……、マジで別世界だな。

「はい、先輩。着替えは俺の服を貸しますね」
「……悪いな」

 上階にある入江の自室に向かうために螺旋階段を上がり始めた、その時。

「やっぱり、シャワーを浴びた方が」
「ッ……‼」
 
 突然入江が振り返ったため、驚いて体が仰け反ってしまい、見事に体勢を崩した俺は、そのまま階段の下へと……。
 ……ん? あれ? どこも痛くないぞ?
 
「あっっっぶね……! どこも怪我ないっすか?」
「へ? ……あ、……うん」
「よかった~~」

 濡れたワイシャツ越しに伝わる入江の体温。驚いた真剣な眼差し。
 怪我がないとわかり、ホッと胸を撫で下ろした表情。
 俺はそのどれもに、ドキドキしてしまった。

 階段から落ちそうになった俺の体を、入江が間一髪のところで抱き留めてくれたらしい。
 腰に伝わる腕の強さに、思わず顔に熱が集中する。

 いや、これは不可抗力だ!
 危険回避で助けてもらっただけ‼

「な、……何?」

 じーっと見つめられすぎて、緊張してどもってしまう。
 ってか、男に抱き留められて、動揺するって……なんでだよっ!

「先輩って、耳にほくろがあるんですね」
「……っ!」

 いつもは少し長めの髪で辛うじて隠れている耳上部のほくろが、入江にバレたようだ。

 小さい頃に、顔立ちがかわいいと周りに言われ、女の子みたいに少し髪を伸ばしていた時期があり、いつも髪を耳にかけていた。
 成長するにつれて、周りから大人っぽいだの色っぽいだの言われて、恥ずかしくて隠すようになったのだけれど。
 だから、耳のほくろを見られるのは、本当に嫌なのに……。

「もっ、もういいだろ。お、お前、い、いつも……きょ、距離感おかしいんだって……!」

 無理やり引きはがすみたいに腕を突っ張って距離を取る。

「ああ、はいはい、すいませんね~」

 腕がゆっくりと解かれ、手すりを摑もうとした瞬間、入江からふわっとシトラスの香りが鼻腔を掠めた。
 
 勉強だって、俺が教えなくてもいいくらい、結構スイスイ解いてしまうし。
 顔だって、男の俺が見てもイケメンだと思うし。
 身長だって、俺より高くて。
 その上、運動もできるって……。

 え……、完璧な王子として優等生で頑張ってきた俺が、霞んで見えないか……?
 それだけじゃない。
 人には言えない秘密を握られ、俺がこいつに勝てる部分が何一つない。

「じゃんけん、しようぜ」
「は?」
「じゃんけん、ポン!」

 いきなり〝じゃんけん〟だと言い出した俺に戸惑いつつも、俺の掛け声に条件反射で手を出した。

「なっ、なんでだぁ~!」
「意味わかんないっすよ」
「もう一回だ! じゃんけん、ポン!」

 ……負けた。
 俺はじゃんけんですら、こいつに勝てないのか。

「お前、俺に恨みでもあんのか?」
「はぁ~? なんすか、それ。ってか、超めんどくさい人っすね」
「なっ……! おまっ……、また『めんどくさい』って言ったな!」
「マジで、めんどくさっ」

 入江は「あほらし」と言いながらも、なぜが楽しそうに笑った。
 
「今、着替えを持ってくるんで、ここで待っててください」

 螺旋階段の途中に置き去りにされ、軽快に駆け上がっていく入江を眺める。
 ……俺、何をこんなにムキになってんだか。

「ホントに、あほらし」