腹黒な後輩に秘密を握られました~姫化するしか、なさそうです

 十七時を回る頃、自宅から数駅離れた駅前のカフェに到着した。
 すると、店内奥の壁際のテーブル席で手を振る人物を発見。

(べん)さん、遅くなって、すみません」
「いえ、時間ぴったりですよ」

 打ち合わせ相手は俺の担当編集者――(やま)()()(つとむ)、通称『勉さん』。
 三十代半ばで、売れっ子作家を何人も抱えているらしく、いつも打ち合わせのスケジュールを組むのも至難の業。
 今日も時間があまり取れないというので、利便性のいい駅近のカフェで打ち合わせすることになった。
 今どきはオンラインで打ち合わせすることも多いが、その場でラフ画を描いたり、修正することもあるため、俺はできるだけ直接会って打ち合わせするようにしている。
 雪村紫門は表の顔。
 裏の顔は――売れっ子絵師の〝(いずみ)()(ぐれ)
 それも、美男子専門のイラストレーターとして活動していて、主にBL小説の表紙絵や挿絵、イケメン男子のキャラプロフ画などの依頼が多い。
 席に着くと、店員がオーダーを取りにやってきた。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「アイスティーをお願いします」
「アイスティーですね。少々お待ちください」

 すらりとした男性スタッフが会釈し、踵を返した。

「泉先生、先週提出していただいた装画なんですが、主人公のヘアスタイルと服装に修正箇所がありまして、イメージ的にはこんな感じに仕上げていただきたくて……」

 勉さんが一枚の紙を差し出してきた。
【修正依頼箇所】と書かれた用紙には、俺が先週提出したイラストが印刷されており、修正箇所に赤丸が幾つかついていた。
 その赤丸の横にペン書きで、細かく指示が出されている。

「なるほど……。黒髪やや長髪から、ダークブラウンのアップバングにですか」

 BL小説の電子書籍の表紙絵。
 攻めの男子が、王道のサラふわストレートなイメージで描いたのだけれど、もう少しモテオーラを醸し出しているような、遊び人風の雰囲気に仕上げて欲しいらしい。
 鞄からペンダブレットを取り出し電源を入れ、他にも紙に書かれている修正依頼箇所を一通り確認する。
 服装は、TシャツからYシャツに変更になり、スニーカーから編み上げのショートブーツに変更されていた。
 俺は保存しておいたデータを立ち上げると、心配そうな顔つきで勉さんが声をかけてくる。

「泉先生、何か気になる点がありますか?」
「あ、いえ、大丈夫です」

 別に修正したくないわけでもないし、できないわけでもない。
 ただ、最初にイメージしたキャラ像とはだいぶ異なるなと思って、脳内のイメージを変換中とでも言えばいいのか。
 脳内バグを起こさぬようにと、若干集中モードになっていた、その時。
 注文したアイスティーを持ってきた店員が一瞬驚いたような表情を見せた。

「……お待たせいたしました。アイスティーになります。ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
「……はい」
「では、ごゆっくりどうぞ」

 軽く会釈した店員は、踵を返しながら俺を一瞥した。

「勉さん、今の店員、見ました?」
「え?」

 俺の言葉に反応するように顔を上げた勉さんは、カウンターの奥へと消えていく店員を眺め、大きく頷いた。

「まさに、今の彼みたいな感じがいいですね!」
「だと思いました」

 長身でほどよく肩幅があり、鼻筋が通った端整な顔つきで、ダークブラウンのアップバングヘア。
 白いYシャツ姿に、編み上げのショートブーツを履きこなすイケメン。

 タブレットにペンを走らせながら、カウンターからイケメン店員が姿を現すたびに、勉さんとじーっと見据えてしまう。
 変装中というのもあるが、目深にキャップを被ってマスク姿で怪しい動きをする男……どう考えても通報案件そのものだ。

 店内ということもありキャップだけ取って、十分ほど夢中で描いて、ふと気がついた。
 さっきの店員がハッとしたような表情を浮かべたのは、BLのイラストだからだ!
 テーブルの上に置かれている修正依頼の用紙も、タブレットの画面も、イケメン男子二人がイチャイチャしている表紙絵だから、世間一般の男子からしたら、到底ドン引きの対象だな。
 思わず笑ってしまった。
 昼間は生徒会長の男子高生。校門を一歩外に出ると、BLの表紙絵を描くような絵師だもんな。

「そうだ! 泉先生、BLの漫画を描いてみませんか?」
「漫画ですか?」
「はい。先月発売した書籍の装画がかなり好評で、コミカライズの作画か、一巻読み切りみたいな感じで、試しに描いてみませんか? 先生なら絶対売れる本が作れると思うんです!」

 勉さんは敏腕編集者だ。
 何人もの売れっ子作家を担当しているだけあって、企画もお手の物。
 先々月も、化粧品メーカーの宣伝用パンフのイラストを描く仕事を提案してくれた。
 表紙絵や挿絵だけでなく、俺の描くイラストのテイストに合った仕事を常に探して提案してくれる。
 きっと、勉さんに任せていたら、もっともっと名の通る作家になれるかもしれないけれど……。

「すみません。一応これでも受験生なんで、お断りします」
「えええぇ~っ……」
「それに、一瞬を切り取ることはできても、それが連続的になるものとなると、やっぱり自信がないので」

 何度か漫画を描こうとしたことはある。中学生の時に、漫画の通信講座を受けたこともあるし、漫画の描き方の本を何冊も読んだ。
 恋愛のイラストによくある見つめ合う二人やハグしている二人だとかなら描けるけれど、キャラが動いているイメージができないのが致命的だ。
 だって俺は……未だかつて、恋愛の経験がないからだ。


 打ち合わせを終え、店を出ると、小雨が降っていた。
 傘を持ってきていない俺は、仕方なく駅まで走っていこうと駆け出すと、慌てた様子で店員に呼び止められた。
 
「あの、お客様っ、スマホをお忘れですよ‼」
「え? ……あ、すみません!」

 店員の手に握られているスマホを見て、ハッとする。
 男性にしては珍しいオレンジ色のスマホケースだからだ。
 しかも、さっきまで何度も熟視していたイケメン店員が、俺のスマホを手にして駆け寄ってくる。

「よかった、間に合って」
「すみません、わざわざ」
「いえ」

 店員からスマホを受け取り、鞄に入れると、なぜか店員はぐいっと顔を近づけてきた。

「気をつけて帰って下さいね。……()()()()
「…………へ?」

 耳元にそっと呟かれ、「じゃあ」と口にした店員は颯爽とカフェへと戻っていく。
 その時、ふわっと微かにシトラスのような爽やかな香りがした。