私たちは黙りこくって駅に向かった。その道すがら、私はカフェでの一件を思い返していた。
カラオケボックスには、行かなくて正解だったと思う。カフェで手を握られただけでああなんだ。もしそれ以上のことになったら、どうにかなっていたかもしれない。
さっき私の手を握った赤池の手が、すぐそこにある。また握ってくれないかなあ、なんて。
……いや、違うか。
きっと、もう私たちは大丈夫なんだ。
私はゴムボールみたいに跳ねまわりそうになる心臓を抑え込みながら、赤池の手の甲に自分の手の甲を当てた。赤池はちらりとこちらを見ただけで、何も言わなかった。
そして、そのまま赤池の手を掴んだ。やっぱり彼は何も言わなかった。
彼の手の温もりを、手のひら全体でしっかりと感じる。もう二度目だし、今回は私からなので、さっきよりも落ち着いていられた。それでも、私の胸の高鳴りは耳にまで届いた。
好きだよ、赤池。
好き好き。大好き。
私は口には出さずに、手のひらの熱で赤池に愛を伝えた。私が手をキュッと握ると、赤池も軽く力を込めてそれに応えてくれる。
私は幸せすぎて、今にも天に昇ってしまいそうな気持ちだった。
ところが、駅の構内に入ると、赤池の手はふっと離れた。えっ、と思ったけど、きっと人が多すぎるから、邪魔にならないように控えたんだろう。私は赤池から受け取った熱を逃がさないように、固く握りこぶしを作った。
改札に近づくと、赤池は立ち止まって言った。
「寒川もJRだよね」
でも、私は無言で俯いていた。だって、この改札を通り抜けたら、後は家に帰るだけだ。
「……寒川?」
赤池が心配そうに声をかけてきた。
ああ……。
やだなあ、帰るの……。
私は一歩前に進み、赤池のすぐそばに立った。そして、俯いたまま赤池の服の裾をぎゅっと掴み、二度ほど引っ張った。
気が付くと、口から言葉が出ていた。
「もうちょっとだけ、一緒にいたいなあ……」
その冷静さのかけらもない行動には我ながら驚いた。
数秒の沈黙が訪れる。ここまでやってしまって、赤池が私の気持ちに気付いていないわけがない。
でも、赤池はきっと応えてくれるはず。私の中には確信めいた気持ちがあった。
すると、赤池の両手が私の肩に添えられた。突然の肉体的接触に、私の体はびくんと小さく跳ねた。私の顔の真横には赤池の腕があり、どこか刺激的な香りを漂わせているような気がした。
恐る恐る顔を上げると、紅潮した赤池の顔が目の前にあった。曖昧な視線を私に向けている。
赤池の喉仏が、ごくり、と動いた。
え、まさか。
駅の喧騒が遠ざかり、そこは二人だけの世界に生まれ変わった。
私は目からビームでも出そうなほどに熱い視線を返した。そして次の展開を予期して、唇にキュッと力を込めた。
ところが、赤池はふいと顔を逸らした。
「ごめん」
赤池の言った言葉に対して、私の脳は一瞬反応できなかった。
……ごめん?
「もう帰らなきゃだから」
赤池はそう言って、私の肩に添えた手を離した。
「あの、俺、もう行くね」
赤池はくるりと向きを変え、改札の方を向いた。私は掴んでいた裾を離した。
そして、赤池はそのまま自動改札を通り、駅のホームへと吸い込まれて消えていった。
本当は私も同じ方向だと思うんだけど。私はただただ立ち尽くすことしかできなかった。
私は自分の肩に手を当てた。そこには、まだ赤池の香りが残っている気がした。
*
『まじでむり』
その日の夜、自室のベッドに腰掛けながら、私はスマホの画面に表示された芽論からのメッセージを見つめた。
トーク画面の履歴は、今日の一連の出来事を綴った私からのメッセージで埋め尽くされていた。
『何が無理なの』
芽論の考えていることは想像がつくけど、一応聞いておいた。だって、そっちが『どうだった?』って聞いてきたから答えたのに、そんな態度はないだろう。
返信はすぐに来た。
『赤池と書いて浮気男と読むことを初めて知ったよ』
『つまんな』
まったく、芽論はユーモアのセンスがないな。
それにしても、芽論の苛立ちの矛先が赤池に向くのは想定外だった。これまでは私を標的にしていたのに。
まあいい、と私はスマホを閉じた。
今日のデート、じゃなくて……いや、もうデートでいいよね。私は今日のデートのことを思い返した。
改札の前で肩に手を置かれたとき、来るかも! と唇を構えた。
でも冷静になってみると、そんなわけはなかった。ターミナル駅の改札前だぞ。人通り、半端なかったぞ。
赤池がどういうつもりだったのか、もうわからない。来週、学校で聞いてみようかな。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
私……赤池とチューしたい。
そう思ったら、ぼっ、と顔が燃えた。
最後に誰かとチューをした記憶は、もう十年以上前にさかのぼる。幼稚園の友だちのほっぺにチューをしたはずだ。
でも、ほっぺはノーカウントだよね。だから、次の赤池とのチューが、私のファーストキス。
私はベッドに仰向けになって目を閉じた。赤池の唇を思い浮かべると、自然に唇を突き出した。チュッ、チュッ、と唇を鳴らしてみる。
決して他人には見せられない姿で、私は幸せな想像に包まれながら夜を明かした。
カラオケボックスには、行かなくて正解だったと思う。カフェで手を握られただけでああなんだ。もしそれ以上のことになったら、どうにかなっていたかもしれない。
さっき私の手を握った赤池の手が、すぐそこにある。また握ってくれないかなあ、なんて。
……いや、違うか。
きっと、もう私たちは大丈夫なんだ。
私はゴムボールみたいに跳ねまわりそうになる心臓を抑え込みながら、赤池の手の甲に自分の手の甲を当てた。赤池はちらりとこちらを見ただけで、何も言わなかった。
そして、そのまま赤池の手を掴んだ。やっぱり彼は何も言わなかった。
彼の手の温もりを、手のひら全体でしっかりと感じる。もう二度目だし、今回は私からなので、さっきよりも落ち着いていられた。それでも、私の胸の高鳴りは耳にまで届いた。
好きだよ、赤池。
好き好き。大好き。
私は口には出さずに、手のひらの熱で赤池に愛を伝えた。私が手をキュッと握ると、赤池も軽く力を込めてそれに応えてくれる。
私は幸せすぎて、今にも天に昇ってしまいそうな気持ちだった。
ところが、駅の構内に入ると、赤池の手はふっと離れた。えっ、と思ったけど、きっと人が多すぎるから、邪魔にならないように控えたんだろう。私は赤池から受け取った熱を逃がさないように、固く握りこぶしを作った。
改札に近づくと、赤池は立ち止まって言った。
「寒川もJRだよね」
でも、私は無言で俯いていた。だって、この改札を通り抜けたら、後は家に帰るだけだ。
「……寒川?」
赤池が心配そうに声をかけてきた。
ああ……。
やだなあ、帰るの……。
私は一歩前に進み、赤池のすぐそばに立った。そして、俯いたまま赤池の服の裾をぎゅっと掴み、二度ほど引っ張った。
気が付くと、口から言葉が出ていた。
「もうちょっとだけ、一緒にいたいなあ……」
その冷静さのかけらもない行動には我ながら驚いた。
数秒の沈黙が訪れる。ここまでやってしまって、赤池が私の気持ちに気付いていないわけがない。
でも、赤池はきっと応えてくれるはず。私の中には確信めいた気持ちがあった。
すると、赤池の両手が私の肩に添えられた。突然の肉体的接触に、私の体はびくんと小さく跳ねた。私の顔の真横には赤池の腕があり、どこか刺激的な香りを漂わせているような気がした。
恐る恐る顔を上げると、紅潮した赤池の顔が目の前にあった。曖昧な視線を私に向けている。
赤池の喉仏が、ごくり、と動いた。
え、まさか。
駅の喧騒が遠ざかり、そこは二人だけの世界に生まれ変わった。
私は目からビームでも出そうなほどに熱い視線を返した。そして次の展開を予期して、唇にキュッと力を込めた。
ところが、赤池はふいと顔を逸らした。
「ごめん」
赤池の言った言葉に対して、私の脳は一瞬反応できなかった。
……ごめん?
「もう帰らなきゃだから」
赤池はそう言って、私の肩に添えた手を離した。
「あの、俺、もう行くね」
赤池はくるりと向きを変え、改札の方を向いた。私は掴んでいた裾を離した。
そして、赤池はそのまま自動改札を通り、駅のホームへと吸い込まれて消えていった。
本当は私も同じ方向だと思うんだけど。私はただただ立ち尽くすことしかできなかった。
私は自分の肩に手を当てた。そこには、まだ赤池の香りが残っている気がした。
*
『まじでむり』
その日の夜、自室のベッドに腰掛けながら、私はスマホの画面に表示された芽論からのメッセージを見つめた。
トーク画面の履歴は、今日の一連の出来事を綴った私からのメッセージで埋め尽くされていた。
『何が無理なの』
芽論の考えていることは想像がつくけど、一応聞いておいた。だって、そっちが『どうだった?』って聞いてきたから答えたのに、そんな態度はないだろう。
返信はすぐに来た。
『赤池と書いて浮気男と読むことを初めて知ったよ』
『つまんな』
まったく、芽論はユーモアのセンスがないな。
それにしても、芽論の苛立ちの矛先が赤池に向くのは想定外だった。これまでは私を標的にしていたのに。
まあいい、と私はスマホを閉じた。
今日のデート、じゃなくて……いや、もうデートでいいよね。私は今日のデートのことを思い返した。
改札の前で肩に手を置かれたとき、来るかも! と唇を構えた。
でも冷静になってみると、そんなわけはなかった。ターミナル駅の改札前だぞ。人通り、半端なかったぞ。
赤池がどういうつもりだったのか、もうわからない。来週、学校で聞いてみようかな。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
私……赤池とチューしたい。
そう思ったら、ぼっ、と顔が燃えた。
最後に誰かとチューをした記憶は、もう十年以上前にさかのぼる。幼稚園の友だちのほっぺにチューをしたはずだ。
でも、ほっぺはノーカウントだよね。だから、次の赤池とのチューが、私のファーストキス。
私はベッドに仰向けになって目を閉じた。赤池の唇を思い浮かべると、自然に唇を突き出した。チュッ、チュッ、と唇を鳴らしてみる。
決して他人には見せられない姿で、私は幸せな想像に包まれながら夜を明かした。



