授業中、私は赤池の背中を見つめた。器楽練習室で見慣れたその背中は、教室の照明の下ではより眩しく見えた。
教室での赤池は、大人しそうな男子のグループで集まっていることが多かった。同じクラスになったとはいえ、部活とは雰囲気が違ってなんとなく話しかけづらい。
それにしても。こいつ、学年一の美少女から告られるほどの男だったのか。
一年生のとき、美羽は赤池と同じクラスだった。二人がどういう関係性だったのか知らないけど、きっと美羽は私みたいに赤池の一挙手一投足に心を躍らせていたんだろう。
私と美羽はこれまで接点もなく、特に親しくはない。でも、赤池が好きだという点は共通しているから、赤池の話で夜通し語り合えるかもしれないな。
私は、そんな妄想を妄想のままでとどめた。いくらなんでも、彼氏に対して熱い視線を注ぐ女がいい顔をされるわけがない。そのくらいはわかる。
次に私は美羽の背中を見つめた。美羽はすごい。私が手をこまねいている間に、赤池にアプローチして付き合うところまで進んでいたなんて。同じ女子高生として尊敬に値する。
……そうか。
私ももっといろいろと動けばよかったんだ。迷うようなことじゃなかったかもしれない。
ありがとう、美羽。私もなんとなくわかった気がする。
美羽は帰宅部だったけど、吹奏楽部は週四回活動がある。週に一度、部活がない日は、赤池と美羽は一緒に帰っているみたいだ。でも、本当はもっと一緒にいたいんじゃないかな。いやまあ、私が知らないだけで、週末とかに会ってるかもしれないけど。
一方の私は、相変わらず部活終わりは赤池と帰った。つまり、週四で。チャンスはいくらでもある。
*
「ちょっと待ってよ」
芽論は私の話を遮った。フライドポテトはもう空になっていた。
私は口を尖らせて言った。
「何? 赤池の話が聞きたいって言ったのは芽論でしょ」
「いやそうなんだけどさ。チャンスって何? 相手は彼女持ちでしょ?」
「私と赤池の仲を進展させるチャンス」
「いやいや、だからそれがノーチャンスなんだってば。春休みにモテ女と付き合いたてだよ? 奪うには無理があるでしょ」
私はきょとんとした。
「奪うなんて言ってないよ」
「ええ?」
「これは私と赤池の話だから。美羽は関係ない」
「いや、どう考えても大アリでしょ……」
芽論は納得していない顔をしたが、私は気にせずに話を進めた。
私は赤池と美羽の二人の時間を奪おうなんて思ってない。私は、私の時間の中でできることをするんだ。
*
ある部活終わりのときに、赤池は大きなため息をついた。
「どうしたの?」
私は首を傾げて、赤池の顔を覗き込んだ。
「いやあ、カレンダーを見たらさ、ゴールデンウィークが明けたら割とすぐに五月考査があるなって思って……」
五月考査とは、中間試験のことだ。うちの学校では試験のことを考査と呼ぶ。
ため息の理由がわからなかった私は質問を続けた。
「そんなに嫌なの?」
「ああ。また赤点を取ったら母さんにどやされる……」
「赤点⁉」
私は目を丸くした。違うクラスだから全然知らなかったけど、赤池ってそんなに成績が悪いんだ。
「寒川はこういうので悩んだことないだろ」
「ないね」
私はきっぱりと言い切った。私の成績はいつもトップクラスで、成績ランキング上位の常連なのだ。一年生の学年末試験では学年二位だった。ちなみに一位は芽論。
小さなため息をついてから赤池は言った。
「いいなあ」
「勉強すればいいんだよ。やればやるだけ成績が上がると思うよ。たとえ赤池でもね」
私はにやりと笑ってそう言った。
「簡単に言うなよ……」
赤池は肩を落とした。いつか赤池に言われた発破をかける言葉を真似したつもりだったけれど、赤池には通じなかったみたいだ。
そこで私はアプローチをかけた。
「じゃあさ、よかったら私が教えてあげようか」
「ええ?」
「私が教えたら、赤点回避なんて余裕だと思うよ」
「ああ、確かにそうかもな……」
赤池は腕を組んで考え込んだ。
成績が悪いってことは、きっと勉強をしていないか、勉強のやり方がわからないんだ。だったら、私がそれを導いてあげよう。こんなチャンスを逃さない手はない。
私は人差し指を口の前に立て、微笑みながら誘った。
「ちょっと寄り道しない? こういうのは日々の積み重ねが大切なんだよ」
「今から?」
部活終わりなので、今はもう十八時だ。赤池がそう言うのも無理はない。
「うん。二十分だけでいいよ」
私はそう言って、赤池をやや強引にファストフード店に連れ込んだ。
飲み物だけを注文して席に着き、私は教科書とノートを広げて言った。
「とりあえず数学か英語を中心にやろう。あとはまあ、私が試験前に暗記ノートとかを作っておいてあげるよ」
「暗記ノート?」
「うん。テストで出そうなところを穴埋めとかにしておくの」
「すげえ……なんか、悪いな」
「全然。赤池の成績が上がったら、私も嬉しいよ」
私はそう言い、にっと笑った。赤池も釣られたように笑顔になった。
こうして、私と赤池の小さな勉強会の日々が始まった。
主に授業の復習をした。しかし赤池は基礎がなっていなかったので、少し昔の内容を振り返りながら徐々に授業の内容に追いついていった。
私は思った。ああ、これって、最高かも。
ただ並んで帰るだけじゃない。同じ目的に向かって、二人きりでの活動。今、私は赤池といろんなものを共有している。時間、空間、そして気持ち。
私はいつも、教科書やノートに視線を落とした赤池のまつ毛や鼻筋をうっとりと眺めた。
あるとき、紙コップのストローを吸ったら、もう中身が残っていなかった。
「ありゃ、空っぽだ」
私が思わずつぶやくと、赤池は鼻で笑った。
「Sサイズにするから」
ふと、赤池のMサイズの紙コップが目に留まった。当たり前だけど、そこにはストローが刺さっている。
欲しいな。それ。
「じゃあ一口ちょうだい」
私は赤池の紙コップを手に取り、ストローを咥えてコーラを一口奪った。炭酸が舌の上で跳ね、甘い液体が喉を通り抜けて内臓へ染み渡るのを感じた。
そして紙コップを赤池のところに戻した。赤池は目を丸くし、口を開けたまま私の一連の動作を見ていた。
私は視線だけを動かして赤池を見て言った。
「何?」
「いや……何でもない」
赤池はそう言ってノートに視線を落とした。
その様子があまりにも可愛くて、私の胸の中でまた高い音色が響いた。
そんな私の教えの甲斐があって、五月考査では赤池は無事に赤点を回避することができた。
ちなみに私はまた学年二位だった。一位は相変わらず芽論だ。
でも、ちっとも悔しくない。そんなことより、私は赤池の成績が上がったことを自分のことのように喜んだ。
赤池は美羽に成績を見せていた。美羽もそれに安心したのか、明るい顔でキャッキャとはしゃいでいた。
その後、赤池は私の席にも来た。
「いやあ、寒川のおかげだよ。ありがとな」
「当然」
私はその一言だけを返して、にやりと笑いながら親指をグッと立てた。
教室での赤池は、大人しそうな男子のグループで集まっていることが多かった。同じクラスになったとはいえ、部活とは雰囲気が違ってなんとなく話しかけづらい。
それにしても。こいつ、学年一の美少女から告られるほどの男だったのか。
一年生のとき、美羽は赤池と同じクラスだった。二人がどういう関係性だったのか知らないけど、きっと美羽は私みたいに赤池の一挙手一投足に心を躍らせていたんだろう。
私と美羽はこれまで接点もなく、特に親しくはない。でも、赤池が好きだという点は共通しているから、赤池の話で夜通し語り合えるかもしれないな。
私は、そんな妄想を妄想のままでとどめた。いくらなんでも、彼氏に対して熱い視線を注ぐ女がいい顔をされるわけがない。そのくらいはわかる。
次に私は美羽の背中を見つめた。美羽はすごい。私が手をこまねいている間に、赤池にアプローチして付き合うところまで進んでいたなんて。同じ女子高生として尊敬に値する。
……そうか。
私ももっといろいろと動けばよかったんだ。迷うようなことじゃなかったかもしれない。
ありがとう、美羽。私もなんとなくわかった気がする。
美羽は帰宅部だったけど、吹奏楽部は週四回活動がある。週に一度、部活がない日は、赤池と美羽は一緒に帰っているみたいだ。でも、本当はもっと一緒にいたいんじゃないかな。いやまあ、私が知らないだけで、週末とかに会ってるかもしれないけど。
一方の私は、相変わらず部活終わりは赤池と帰った。つまり、週四で。チャンスはいくらでもある。
*
「ちょっと待ってよ」
芽論は私の話を遮った。フライドポテトはもう空になっていた。
私は口を尖らせて言った。
「何? 赤池の話が聞きたいって言ったのは芽論でしょ」
「いやそうなんだけどさ。チャンスって何? 相手は彼女持ちでしょ?」
「私と赤池の仲を進展させるチャンス」
「いやいや、だからそれがノーチャンスなんだってば。春休みにモテ女と付き合いたてだよ? 奪うには無理があるでしょ」
私はきょとんとした。
「奪うなんて言ってないよ」
「ええ?」
「これは私と赤池の話だから。美羽は関係ない」
「いや、どう考えても大アリでしょ……」
芽論は納得していない顔をしたが、私は気にせずに話を進めた。
私は赤池と美羽の二人の時間を奪おうなんて思ってない。私は、私の時間の中でできることをするんだ。
*
ある部活終わりのときに、赤池は大きなため息をついた。
「どうしたの?」
私は首を傾げて、赤池の顔を覗き込んだ。
「いやあ、カレンダーを見たらさ、ゴールデンウィークが明けたら割とすぐに五月考査があるなって思って……」
五月考査とは、中間試験のことだ。うちの学校では試験のことを考査と呼ぶ。
ため息の理由がわからなかった私は質問を続けた。
「そんなに嫌なの?」
「ああ。また赤点を取ったら母さんにどやされる……」
「赤点⁉」
私は目を丸くした。違うクラスだから全然知らなかったけど、赤池ってそんなに成績が悪いんだ。
「寒川はこういうので悩んだことないだろ」
「ないね」
私はきっぱりと言い切った。私の成績はいつもトップクラスで、成績ランキング上位の常連なのだ。一年生の学年末試験では学年二位だった。ちなみに一位は芽論。
小さなため息をついてから赤池は言った。
「いいなあ」
「勉強すればいいんだよ。やればやるだけ成績が上がると思うよ。たとえ赤池でもね」
私はにやりと笑ってそう言った。
「簡単に言うなよ……」
赤池は肩を落とした。いつか赤池に言われた発破をかける言葉を真似したつもりだったけれど、赤池には通じなかったみたいだ。
そこで私はアプローチをかけた。
「じゃあさ、よかったら私が教えてあげようか」
「ええ?」
「私が教えたら、赤点回避なんて余裕だと思うよ」
「ああ、確かにそうかもな……」
赤池は腕を組んで考え込んだ。
成績が悪いってことは、きっと勉強をしていないか、勉強のやり方がわからないんだ。だったら、私がそれを導いてあげよう。こんなチャンスを逃さない手はない。
私は人差し指を口の前に立て、微笑みながら誘った。
「ちょっと寄り道しない? こういうのは日々の積み重ねが大切なんだよ」
「今から?」
部活終わりなので、今はもう十八時だ。赤池がそう言うのも無理はない。
「うん。二十分だけでいいよ」
私はそう言って、赤池をやや強引にファストフード店に連れ込んだ。
飲み物だけを注文して席に着き、私は教科書とノートを広げて言った。
「とりあえず数学か英語を中心にやろう。あとはまあ、私が試験前に暗記ノートとかを作っておいてあげるよ」
「暗記ノート?」
「うん。テストで出そうなところを穴埋めとかにしておくの」
「すげえ……なんか、悪いな」
「全然。赤池の成績が上がったら、私も嬉しいよ」
私はそう言い、にっと笑った。赤池も釣られたように笑顔になった。
こうして、私と赤池の小さな勉強会の日々が始まった。
主に授業の復習をした。しかし赤池は基礎がなっていなかったので、少し昔の内容を振り返りながら徐々に授業の内容に追いついていった。
私は思った。ああ、これって、最高かも。
ただ並んで帰るだけじゃない。同じ目的に向かって、二人きりでの活動。今、私は赤池といろんなものを共有している。時間、空間、そして気持ち。
私はいつも、教科書やノートに視線を落とした赤池のまつ毛や鼻筋をうっとりと眺めた。
あるとき、紙コップのストローを吸ったら、もう中身が残っていなかった。
「ありゃ、空っぽだ」
私が思わずつぶやくと、赤池は鼻で笑った。
「Sサイズにするから」
ふと、赤池のMサイズの紙コップが目に留まった。当たり前だけど、そこにはストローが刺さっている。
欲しいな。それ。
「じゃあ一口ちょうだい」
私は赤池の紙コップを手に取り、ストローを咥えてコーラを一口奪った。炭酸が舌の上で跳ね、甘い液体が喉を通り抜けて内臓へ染み渡るのを感じた。
そして紙コップを赤池のところに戻した。赤池は目を丸くし、口を開けたまま私の一連の動作を見ていた。
私は視線だけを動かして赤池を見て言った。
「何?」
「いや……何でもない」
赤池はそう言ってノートに視線を落とした。
その様子があまりにも可愛くて、私の胸の中でまた高い音色が響いた。
そんな私の教えの甲斐があって、五月考査では赤池は無事に赤点を回避することができた。
ちなみに私はまた学年二位だった。一位は相変わらず芽論だ。
でも、ちっとも悔しくない。そんなことより、私は赤池の成績が上がったことを自分のことのように喜んだ。
赤池は美羽に成績を見せていた。美羽もそれに安心したのか、明るい顔でキャッキャとはしゃいでいた。
その後、赤池は私の席にも来た。
「いやあ、寒川のおかげだよ。ありがとな」
「当然」
私はその一言だけを返して、にやりと笑いながら親指をグッと立てた。



