社会人には春休みがない。徐々に暖かくなる空気を感じつつ、三月から四月にかけてシームレスに出社し続ける自分を新鮮に感じた。
秋に配属されてから半年ほど経ったころだった。青野さんは不思議なことを言った。
「次の出張はツアーだから」
私は理解できずに首を傾げた。
「コンサートですか?」
「違う違う。客先巡りツアー。ほら、こないだ大規模案件を受注したでしょ。管内の八か所が対象に含まれるやつ。それで、一週間かけて全部のところに行くから」
近畿地方に散らばる八か所の管理事務所を全部巡る。一日に二か所回ったとしても四日はかかる計算だ。これはすごい。
「で、さっき送ったメールの順番で行くから。各所でホテルを予約しておいて。俺と同じとこだと話が早いけど、好きなホテルでいいよ」
人によって、泊まるホテルの好みは分かれる。設備だとか、貯められるポイントだとか。でも、私はチェーンのビジネスホテルならどこでも問題ない。
「同じとこにします」
「オッケー。じゃあ後でまとめて送っておくよ。まあ全部、東横インなんだけど」
青野さんはそう言って笑った。この人は必ず東横インに泊まる。
私は送られてきたメールに従って、淡々と宿泊予約を入れ続けた。一週間も出張とは恐れ入った。客先とレンタカー移動の繰り返しなんだろうなあ。まあ私は助手席だし、朝の通勤電車に乗らなくて済むなんて、はっきり言ってめっちゃ楽だ。
すると、私は突然ハッとした。一週間も、青野さんと一緒。青野さんのそばでずっと仕事ができるなんて、幸せこの上ないじゃないか……!
しかも移動が多いので、青野さんの運転する車に乗りっぱなし。そして昼や夜は一緒に食事をするだろう。
男女がそんなに一緒にいたらさあ……。間違いなく進展しちゃうよね。
へら、と自分の顔がにやけるのを感じて、慌てて顔を振った。職場でその顔はマズい。
私はパソコンの画面に向かい、予約したホテルの一覧を眺めた。関西の東横インがずらりと並んでいるのを見たら、やっぱり顔がにやけた。
客先巡りツアー当日。リュックに一週間分の着替えを詰めて、私は新幹線に乗り込んだ。
一週間も、青野さんと一緒。考えただけでにやにやが止まらない。でも、これは仕事だ。まずは、やるべきことをきっちりやらないと。
今やすっかり慣れた新幹線の通路側の席で、私は期待に胸を膨らませながら目を閉じて休んだ。
目的地の駅に着くと、青野さんと落ち合った。
「おはようございますぅ」
「おはよ」
二人での出張自体は既に何度もこなしている。挨拶もそこそこに軽くランチを済ませた。そしてレンタカーに乗り込むと、青野さんは軽快にハンドルを回して車を発進させた。
最初の客先は近かった。あっさりと書類説明と提出を終え、さっさと次の目的地へ向かった。
次の目的地までは二時間以上かかる。しかもアポの都合で、実際に客先を訪れることができるのは明日だ。今日は移動だけ。
車の中で、私たちは雑談に花を咲かせた。最近見たニュース、映画、動画などの話題。それが尽きてくると身近な話題に移った。私と同居する親のこと、青野さんの家の住宅ローンのこと。
「もっといい家を買いたかったんだけど、うちの妻が現実主義でさ」
その言葉を聞いて、やっぱりこの人には奥さんがいるんだ、と改めて思った。青野さんのシャツからは、いつも華やいだ柔軟剤の香りがした。これはきっと、奥さんが洗濯した服なんだろうな。
そう思うと、優越感がムクムクと湧き上がってきた。私の大好きな青野さんの隣にいるのは、奥さんじゃなくて、今は私。今週はずっと、青野さんを独り占め!
しばらくして、宿泊先のホテルにたどり着いた。しかし、まだずいぶんと早い時間だ。
「俺はチェックインして部屋で仕事するよ」
「私もそうします」
社畜精神の染みついた私たちには、勤務時間中に油を売るなどという選択肢はなかった。
「夜はどこかに飲みに……と言いたいところなんだけど。実はさあ、最近金欠で。節約したいんだよね。今回はパスでいいかな」
「え、そうなんですか……それは残念です」
私はあからさまにがっかりした。青野さんとサシ飲みができると思ったのに。
「コンビニとかで適当に買って部屋で済ますわ。せっかくだから寒川さんは好きなところに行くといいよ」
青野さんはそう言ってくれたものの、私の行きたいところなんて一つしかない。
私は、青野さんと一緒のところがいい。安いファミレスとかでもいいから。ホテルの部屋なんかにこもらないでよ。
ふと、私は一つのアイデアを思い付いた。少しだけ逡巡したものの、最終的にそれは素晴らしいアイデアのように思えた。
そう。青野さんと、一緒のところ。
「あ、それじゃあ、部屋飲みなんてどうですか?」
「えええ⁉」
「せっかく出張に来てるのに、部屋で一人なんてもったいないですよ。どうですか?」
ここに配属されてから半年。私たちは新人と教育係として関係を築いてきた。同僚として、このくらいはアリだろう。
「いやあ、でも……」
「青野さん、私、一人だと寂しいですよう。青野さんと飲みたいです」
私の甘えた声を受けた青野さんは手で頭を押さえた。
「んー……まあ、そうね。そこまで言うなら、せっかくだし飲もうか」
「やったあ!」
こうして、私たちは夕方まで仕事をしてから、青野さんの部屋でお酒を飲むことになったのだ。うふふ。
秋に配属されてから半年ほど経ったころだった。青野さんは不思議なことを言った。
「次の出張はツアーだから」
私は理解できずに首を傾げた。
「コンサートですか?」
「違う違う。客先巡りツアー。ほら、こないだ大規模案件を受注したでしょ。管内の八か所が対象に含まれるやつ。それで、一週間かけて全部のところに行くから」
近畿地方に散らばる八か所の管理事務所を全部巡る。一日に二か所回ったとしても四日はかかる計算だ。これはすごい。
「で、さっき送ったメールの順番で行くから。各所でホテルを予約しておいて。俺と同じとこだと話が早いけど、好きなホテルでいいよ」
人によって、泊まるホテルの好みは分かれる。設備だとか、貯められるポイントだとか。でも、私はチェーンのビジネスホテルならどこでも問題ない。
「同じとこにします」
「オッケー。じゃあ後でまとめて送っておくよ。まあ全部、東横インなんだけど」
青野さんはそう言って笑った。この人は必ず東横インに泊まる。
私は送られてきたメールに従って、淡々と宿泊予約を入れ続けた。一週間も出張とは恐れ入った。客先とレンタカー移動の繰り返しなんだろうなあ。まあ私は助手席だし、朝の通勤電車に乗らなくて済むなんて、はっきり言ってめっちゃ楽だ。
すると、私は突然ハッとした。一週間も、青野さんと一緒。青野さんのそばでずっと仕事ができるなんて、幸せこの上ないじゃないか……!
しかも移動が多いので、青野さんの運転する車に乗りっぱなし。そして昼や夜は一緒に食事をするだろう。
男女がそんなに一緒にいたらさあ……。間違いなく進展しちゃうよね。
へら、と自分の顔がにやけるのを感じて、慌てて顔を振った。職場でその顔はマズい。
私はパソコンの画面に向かい、予約したホテルの一覧を眺めた。関西の東横インがずらりと並んでいるのを見たら、やっぱり顔がにやけた。
客先巡りツアー当日。リュックに一週間分の着替えを詰めて、私は新幹線に乗り込んだ。
一週間も、青野さんと一緒。考えただけでにやにやが止まらない。でも、これは仕事だ。まずは、やるべきことをきっちりやらないと。
今やすっかり慣れた新幹線の通路側の席で、私は期待に胸を膨らませながら目を閉じて休んだ。
目的地の駅に着くと、青野さんと落ち合った。
「おはようございますぅ」
「おはよ」
二人での出張自体は既に何度もこなしている。挨拶もそこそこに軽くランチを済ませた。そしてレンタカーに乗り込むと、青野さんは軽快にハンドルを回して車を発進させた。
最初の客先は近かった。あっさりと書類説明と提出を終え、さっさと次の目的地へ向かった。
次の目的地までは二時間以上かかる。しかもアポの都合で、実際に客先を訪れることができるのは明日だ。今日は移動だけ。
車の中で、私たちは雑談に花を咲かせた。最近見たニュース、映画、動画などの話題。それが尽きてくると身近な話題に移った。私と同居する親のこと、青野さんの家の住宅ローンのこと。
「もっといい家を買いたかったんだけど、うちの妻が現実主義でさ」
その言葉を聞いて、やっぱりこの人には奥さんがいるんだ、と改めて思った。青野さんのシャツからは、いつも華やいだ柔軟剤の香りがした。これはきっと、奥さんが洗濯した服なんだろうな。
そう思うと、優越感がムクムクと湧き上がってきた。私の大好きな青野さんの隣にいるのは、奥さんじゃなくて、今は私。今週はずっと、青野さんを独り占め!
しばらくして、宿泊先のホテルにたどり着いた。しかし、まだずいぶんと早い時間だ。
「俺はチェックインして部屋で仕事するよ」
「私もそうします」
社畜精神の染みついた私たちには、勤務時間中に油を売るなどという選択肢はなかった。
「夜はどこかに飲みに……と言いたいところなんだけど。実はさあ、最近金欠で。節約したいんだよね。今回はパスでいいかな」
「え、そうなんですか……それは残念です」
私はあからさまにがっかりした。青野さんとサシ飲みができると思ったのに。
「コンビニとかで適当に買って部屋で済ますわ。せっかくだから寒川さんは好きなところに行くといいよ」
青野さんはそう言ってくれたものの、私の行きたいところなんて一つしかない。
私は、青野さんと一緒のところがいい。安いファミレスとかでもいいから。ホテルの部屋なんかにこもらないでよ。
ふと、私は一つのアイデアを思い付いた。少しだけ逡巡したものの、最終的にそれは素晴らしいアイデアのように思えた。
そう。青野さんと、一緒のところ。
「あ、それじゃあ、部屋飲みなんてどうですか?」
「えええ⁉」
「せっかく出張に来てるのに、部屋で一人なんてもったいないですよ。どうですか?」
ここに配属されてから半年。私たちは新人と教育係として関係を築いてきた。同僚として、このくらいはアリだろう。
「いやあ、でも……」
「青野さん、私、一人だと寂しいですよう。青野さんと飲みたいです」
私の甘えた声を受けた青野さんは手で頭を押さえた。
「んー……まあ、そうね。そこまで言うなら、せっかくだし飲もうか」
「やったあ!」
こうして、私たちは夕方まで仕事をしてから、青野さんの部屋でお酒を飲むことになったのだ。うふふ。



