彼にはカノジョがいるけれど

 師走の居酒屋は賑わっていた。忘年会だろうか、時折拍手が聞こえてきたりする。うちの会社でもこないだやったな。それにしても、どうして派遣社員の女性が幹事だったんだろう。絶対に派遣契約の業務内容に含まれていないと思うけど……。
「音々(ねね)、おまたせ」
 クリスマス休暇で帰国していた芽論(めろん)がテーブルにやって来た。
「芽論! 会いたかったよう」
 私は満面の笑みを浮かべ、両手を振って芽論を迎え入れた。こうして会うのは夏以来。今の芽論はフランス在住だから、なかなか会えなくて寂しい。
 大学の在学中に、芽論は美術史に目覚めた。そして本格的な芸術の空気に触れたいという意志から、卒業後にフランスの大学院へ留学したのだ。
「はいこれお土産」
 芽論は何かのチューブを取り出した。パッケージにはフランス語しか書かれていない。
「えっと、クレーム・デ・パルファム・プール……ル・マン?」
「さて何でしょう」
「パルファムだから、香水クリーム?」
「いい線いってる。香り付きハンドクリームだよ」
「めっちゃいいね。ありがとう」
 私は嬉しくて、本心からそう言った。芽論は帰国するときに、いつもおしゃれなお土産をくれる。以前の私はフランスに興味の欠片もなかったけど、芽論のお土産はいつも素敵で、ちょっとだけ憧れる。
 芽論が留学を決めたとき、その大胆な進路選択を私は心から応援した。でも、誰もがそれを歓迎したわけではなかった。お互いの近況などをしばらく伝え合った後に、私はそのことを聞いた。
「あのさ、ちょっと聞きたいことがあって。話すのが嫌なら嫌って言ってほしいんだけど……」
 すると芽論は鼻で笑った。
「それって夏樹(なつき)のことでしょ。別れてから一度も連絡取ってないよ」
「そっか……そうだよね」
 夏樹さん。芽論の三歳年上の元カレ。そして芽論のいとこでもある。
 芽論の高校時代から交際を続けていた二人だったが、芽論のフランス留学をきっかけに破局した。いつも冷静な芽論が「私は夏樹のお人形じゃねーんだよ‼」と激昂していたのを見るに、恐らく夏樹さんから心ない言葉をかけられたのだろう。
 でも、二人の交際のことを長年聞いてきた身としては、関係が終わってしまったことが悲しい。本人にしてみれば余計なお世話なんだろうけど。
 芽論は苦虫を嚙み潰したような顔をして言った。
「でもさあ、いつかはまた会わないといけないんだよ」
「それって冠婚葬祭とか?」
「そうそう」
 夏樹さんは芽論のいとこだ。恋愛関係が切れようとも、親族であるという事実は一生変わらない。一種の呪いだ。
「でもね、もし私の結婚式をやるなら、あいつは絶対に呼ばないけどね」
「うん、それがいいね」
 私がうんうんと頷くと、芽論は深いため息をついた。あーあ、聞くんじゃなかった。毎回後悔してるのに。いとこ同士は結婚できるんだよ、なんて嬉々として語っていた芽論のイメージが、私の中にはまだ残っているのだ。
 それはそれとして。
「結婚、ねえ……」
 私はねっとりとした声を出し、恍惚の表情で斜め上を見た。芽論の目が丸く開いて輝いた。
「お? お? まさかそういう感じの相手が?」
 芽論とは付き合いが長いうえ、頭の回転が速いから、これだけで察してくれる。私の匂わせに食いついてきてくれて、本当にありがたい。器の小さい友人なら、察したうえでスルーしようとしてくる。持つべきものは心の友だね。
「いや、まだね、そこまでじゃないんだけど。でも、もうそろそろかな? なんてね……」
「マジかー。早いなあ」
 芽論は嬉しそうにビールに口を付けた。芽論はフランスに移住したけど、ワインよりもビールが好みなのは今も変わらない。
「でも、今日はよかったの? クリスマス・イヴだけど」
 そう聞かれるのも無理はない。この国では、クリスマスといえば恋人と過ごす日なのだ。アーメン。
 ここで私は口ごもった。
「まあね、あのね……その人は、その……家族サービスがあるから」
「え」
 芽論の目が見開かれた。でも今度は口角が上がっておらず、大きな口をあんぐりと開けていた。
「家族って何」
「まあ、その……今の奥さん」
 芽論は頭を抱えた。
「……不倫じゃん」
「まあ、そう呼称するケースもあるよね」
「ケースも何も、それは紛うことなき不倫だから」
 呆れ果てた顔の芽論。でも私は真剣な顔で言った。
「今はそうかもしれないけど、いずれ別れるって言ってたから」
「いやいやいや。そういう問題じゃない……けど、どうせ何を言っても聞かないんでしょ」
 やれやれ、と芽論は欧米人のようなポーズで肩をすくめた。
 私はこくりと頷いた。
「うん、聞かない」
「開き直るな馬鹿野郎」
 もうどうでもいいというように、芽論は食事を口に運んだ。
 私は両手を頬に添え、彼との甘い甘い日々を思い返して言った。
「だってさあ。こんなに素敵な人に、これまでに出会ったことがなかったんだもん……!」