彼にはカノジョがいるけれど

 私は辛抱強くミドとのやり取りを重ねた。周囲の目を気にして、サークルでは当たり障りのない会話しかできないので、スマホでのメッセージが勝負どころだ。
 ミドの機嫌を取るために、送るメッセージには自撮り写真を添えた。顔出しせずに首から下のみ。肌の露出も少ない健全なやつ。するとミドから『いいじゃん』などの前向きな感想が来るので、私の承認欲求は完璧に満たされた。おかしいなあ、ミドのために送ったはずなのに。ちょっとだけ、芽論がSNSを積極的にやる理由がわかった気がした。
 ただ、あんまりしつこいのも嫌がられるだろうから、一日か二日に一度くらいの頻度だ。メッセージでは、自然な会話の流れから最終的に『会いたい』と送る。すると『ごめんね、また今度時間作るから』といった返信が来る。また今度って、いつだよ。でも、もう無理です、とは言われていないから、まだチャンスはあると思う。

 ある日、大学で芽論と一緒に講義を受けているときに、スマホが鳴った。ちらりと画面を見ると、ミドからのメッセージだった。慌ててこっそりと画面を開くと、私は心の中だけで黄色い歓声を上げた。
『今日の夜って暇?』
 おうマジか! ミドからのお誘いだ! 返事はもちろん、
『暇だよ!』
 そう送ってから、念のためにスケジュールアプリを確認した。うん、何もない。
 でも私が即レスしたにもかかわらず、ミドからの返信はちっとも来なかった。いや待て待て、と私は冷静になる。そもそも、夜が暇なのかどうかを聞かれただけだ。どんな用事なのか、まだわからない。私はペンを置き、スマホを握りしめて返信を待った。結局、返信が来たのは講義が終わった後だった。ノートは後で芽論のを写させてもらおう。
 ミドからの返信はこうだ。
『よかったら、うち来ない?』
 私はスマホを胸に抱いた。
「ねえ芽論」
「何?」
「春が来たよ」
「……まあ、四月だからね」
 怪訝な顔をする芽論を無視して、私はミドに返信を送った。
『行く行く!』

 講義が一通り終わった私は、大学の校門前でミドと落ち合った。
 ミドはおなじみの笑顔で手をひらひらさせて私を迎えた。
「お疲れ様です」
「うふん、お疲れ」
 ちょっと吐息が混じりすぎた。「うん」と言うつもりだったのに。
 駅に向かって並んで歩く間、私は今日の夜のことを想像した。
 夜にミドの家に行く。これは……間違いなく「何か」があるよね。
 私の体調は万全。下着はちょっとスポーティなやつだけど、まあいいだろう。男子は結局中身にしか興味がないって、どこかで読んだ気がする。
 電車に乗り込んだ私は、わざとミドにぴったりとくっついた。久々にミドの体温を感じて、思わずとろけそうになる。でも、二人ともそれなりに服を着ているから、本当は体温なんてほとんど感じないはずだ。ただの錯覚かも。それにしても、ミドの体温が再現できるなんて、私の脳は優秀だな。
 ミドの家の最寄り駅までたどり着くと、私たちはまた二人で並んで歩いた。
 気持ちの高まりが抑えられずに、私は口を開いた。
「あのさあ、ミド」
「何?」
「ミドの家に行くの、久しぶりだねえ」
「そうだっけ?」
「うん、もう二週間は行ってないと思うよ」
「そっかあ」
「ねえ、また手をつないでもいい?」
 すると、ふふっ、とミドが笑った。何か変なことを言っただろうか、と私は顔を覗き込んだ。
「ああ、ごめんごめん。音々さんが相変わらず可愛すぎて、思わずね」
 そう言うや否や、ミドは私の手を握った。心臓がぎゅんと跳ね上がり、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 ミドの家に着くと、握っていた手を離された。ちょっとだけ寂しいけど、この次にもっと重大なイベントがあるかもしれないと思い直した。手つなぎなんて、目じゃないぜ。
 中に通されると、春休み以来となるミドの部屋の匂いを感じてくらくらしそうになった。よくわからないけど、これはきっと男の生活の匂いなんだろうな。
「あ」
 ドアを閉めたミドが突然声を上げたので、私はびっくりして振り返った。
「夕飯買い忘れた。今から買いに行くのはめんどくさいし、デリバリーでいいか」
「うん、全然いいよ」
 なあんだ、そんなことか。私はほっと胸をなでおろした。
 しかし、それも束の間、
「音々さん」
 玄関でミドは私のことを抱きしめた。彼の細い腕が私の体にぎゅっと食い込んだ。
「は、はい⁉ ミド⁉」
 私は立ったまま硬直した。そんな私の耳元でミドは囁いた。
「いい匂いする」
「のああ……」
 私の口から掠れた声が漏れた。
 ていうか、いい匂いなんてしないよ! それは多分、私の汗とかだよ!
「最近さあ、めっちゃ誘惑してくるよね」
「え、して、ないと思う」
「してるんだよ」
 私の耳に、狼の吐息がかかった。まさか、あの自撮り写真が本当に効いた?
「ベッド行こう」
 狼はそう言い放ち、私を引きずってベッドに放り投げた。
 え、マジで? よくわかんないけど、シャワーとか浴びないの?

 そして、私はキスの次の初めてをミドに捧げた。
 今日は私にとって、ミドをいつまでも独り占めできた初めての日でもあった。