ミドの家に向かう電車の中で、私は棋士のごとくあらゆるパターンを想定した。
いったいミドはどういうつもりなのか。与那嶺さんという彼女持ちなのに、異性の先輩を家に上げるとは。
まず、私が女として見られていない可能性。これは充分にあり得る。私たちはサークル活動で相棒のように過ごしていた。もしそうなら、ここは慎重に行かないと。とにかく女として意識してもらえるようにアピールしよう。
次に、異性として意識されている場合。これはさらにパターン分けされる。まず、与那嶺さんとの関係がうまくいっていない可能性。もしそうなら、きっと私に乗り換えようとしているんだ。これがベスト。でも現実はそんなに甘くないだろう。
一方で、与那嶺さんとの関係が良好なままで、かつ私を異性として意識しているパターンは? これはミドにしてみれば浮気だ。まあ私としては、私とミドがいい関係になれるならなんだって構わないけど。ここでさらに細分化される。ミドが罪悪感を持っている場合とそうでない場合があって……。
あれこれと考えを巡らせるうちに、目的地の駅にたどり着いた。数名の乗客とともに車両からホームに吐き出されると、途端に空腹を覚えた。今はちょうど正午だ。
「今日は時間ぴったりでしたね」
改札の外で、ミドはにこやかに迎えてくれた。私のために待っててくれたんだなって思ったら、胸の中が温かくなった。っていうか私、遅刻しないことの方が多いんですけど。
私たちは並んで歩いた。これから彼の家に行くのだと改めて思ったら、緊張して脇に汗をかいた。
かつて、異性の家に上がるのはOKのサイン、などとうそぶく雑誌があったらしい。私はそこまでガードが甘くないものの、ミドの方がどうなのかはわからない。念のために、下着は子どもっぽくないのにしてきたけど。
ミドのマンションにはあっという間に着いた。101号室の郵便受けに「緑山」と書かれていた。つまり一階に住んでいる。男の子ってこういうの気にしないんだな。
ミドが101号室のドアを開けてくれたので、私はゆっくりと足を踏み入れた。
「おじゃましまーす……」
そこは六畳のワンルームだった。狭いキッチンを抜けた先に居室。ソファ、ローテーブル、テレビ、そしてベッド。全体的にグレーを基調としたシックな色合いだ。絵に描いたようなワンルームのレイアウトは、生まれてこのかた実家暮らしの私にとっては新鮮に映った。
お手洗いを借りた私は、バスルームの洗面台の前に立った。私はおしゃれに興味がなく、顔はいつもほぼ初期状態だ。鏡の中の自分を見て、本当にこれでよかったのだろうかと少しだけ不安になる。
ふと、鏡の裏が収納になっていることに気が付いた。嫌な予感がして、私はそこをそうっと開けた。
そこには歯ブラシが二本並んでいた。
*
「うわあ、間違いなく女いるでしょ。ベタだねえ」
芽論が口を挟んだ。彼女の目の前のうどんの器は、つゆまでしっかり飲み尽くされていた。
「多分そう。与那嶺さんだと思う」
「ミドに聞いてみたの?」
「いや、なんか、聞かない方がいいかなって」
「なんで」
芽論は眉をひそめた。私も同じように眉をひそめた。
「私はさあ、今のミドとの関係に満足してるんだよね。そこで余計なことを聞いたりして、関係が悪くなるのは避けたいんだ」
はああ、と深いため息が芽論の口から漏れる。うどんの香りが漂ってきて、私は顔をしかめた。
「あんたらヤバいね。まあ、音々がいいならいいけど。で、ミドの家でキスまで行ったってことかな」
「ちょっと! 先に言わないでよ。ここからなんだから」
私は頬を膨らせて不満をアピールした。
*
その日のお昼ごはんは、ミドが作ってくれた炒飯だった。それは普通においしかった。多分、私よりも料理ができそう。ミドの新たな一面を知ったことで、私はまたときめいた。
お腹がいっぱいになった私はソファに腰掛けた。二人掛けのソファは、なんだか心許ない小ささだ。私は空いている座面を見やった。ここにミドが座るのか。めっちゃ近いな……。
そわそわしながらスマホをいじっていると、片付けを終えたミドがやってきた。よいしょ、と言いながらミドがソファに腰掛けると、座面が沈み込んだ。私の体のバランスが崩れ、肩がミドの肩に触れた。
あっ、と思ったときにはもう遅かった。私はタガが外れた。暴れ回る心臓の鼓動を感じながら、私はそのままミドに肩を預けた。
肩にミドの体温を感じる。事前に検討したパターンなんて、もうどうでもいいや。
ふふっ、というミドの小さな笑い声のあとに、優しい声が聞こえた。
「前から思ってましたけど……音々さんってホント可愛いとこありますよね」
そしてミドの体がもぞりと動いたと思ったら、私は肩を抱かれていた。私の胸はバクバクと鳴って止まらない。
「私なんて別に、可愛くないよ……」
私は俯いて言った。今は人に見せられる顔をしていない。
でも、ミドは私の顎に手を添えて顔を上げさせた。
笑顔のミドと目が合う。その熱い視線の奥にあるものが、今ははっきりとわかった。
狼だ。
獲物を狩らんとする狼の目。気さくでお調子者の後輩は、ここにはいない。撒かれた餌に誘われた私は、その餌食となるのを待つばかり。
私の顎に手を添えたまま、ミドは口を開いた。鋭い牙がちらりと見えた気がした。
「音々さん……いいですよね?」
ここまで来ておいて、なんて野暮なことを聞くんだ、と一瞬だけ思った。でも、たとえ狼になったとしても、ミドは根が紳士なんだろうと思い直した。
「うん、いいよ……」
そう言って目を閉じると、あっという間に私の唇は狼に食べられた。
それはとても野性的なファーストキスだった。
その後、二人で映画を見た。とても面白い映画だった。
そして夕方になる前に、用事があるからなどと言われて、ミドに家を追い出された。
ついでに、恥ずかしいから私たちの関係は周囲に漏らさないでほしい、とお願いされたのだった。
*
私はうっとりとしながらコップの水を飲んだ。
芽論は目を閉じてこめかみを揉んでいた。
「口止めまでされてるじゃん。ミドってそんなやつだったのか……」
私はちょっとだけ舌なめずりをして、ミドの唇の感触を思い出した。
「うん。意外に激しかった……」
「馬鹿野郎。そういう話じゃなくて……まあいいや」
芽論は肩をすくめた。
「むしろさあ、その感じでよくキスまでで済んだよね」
「えっとね、なんだかんだミドは紳士なんだよ」
とりあえず芽論にはそう言っておいた。でも、私は本当の理由を察していた。
大学生は春休みだけど、社会人にとっては平日で、いつも通り仕事のはずだ。
きっと、夜には仕事を終えた与那嶺さんが来るんだろう。だから私は夕方に帰らされたんだ。そして恐らく、ミドは与那嶺さんのために体力を温存しているから、私にはキス止まりだったに違いない。
でも、まあいい。
私とミドの甘い関係は始まったばかり。これから徐々に親密さを増していけばいいのだ。
いったいミドはどういうつもりなのか。与那嶺さんという彼女持ちなのに、異性の先輩を家に上げるとは。
まず、私が女として見られていない可能性。これは充分にあり得る。私たちはサークル活動で相棒のように過ごしていた。もしそうなら、ここは慎重に行かないと。とにかく女として意識してもらえるようにアピールしよう。
次に、異性として意識されている場合。これはさらにパターン分けされる。まず、与那嶺さんとの関係がうまくいっていない可能性。もしそうなら、きっと私に乗り換えようとしているんだ。これがベスト。でも現実はそんなに甘くないだろう。
一方で、与那嶺さんとの関係が良好なままで、かつ私を異性として意識しているパターンは? これはミドにしてみれば浮気だ。まあ私としては、私とミドがいい関係になれるならなんだって構わないけど。ここでさらに細分化される。ミドが罪悪感を持っている場合とそうでない場合があって……。
あれこれと考えを巡らせるうちに、目的地の駅にたどり着いた。数名の乗客とともに車両からホームに吐き出されると、途端に空腹を覚えた。今はちょうど正午だ。
「今日は時間ぴったりでしたね」
改札の外で、ミドはにこやかに迎えてくれた。私のために待っててくれたんだなって思ったら、胸の中が温かくなった。っていうか私、遅刻しないことの方が多いんですけど。
私たちは並んで歩いた。これから彼の家に行くのだと改めて思ったら、緊張して脇に汗をかいた。
かつて、異性の家に上がるのはOKのサイン、などとうそぶく雑誌があったらしい。私はそこまでガードが甘くないものの、ミドの方がどうなのかはわからない。念のために、下着は子どもっぽくないのにしてきたけど。
ミドのマンションにはあっという間に着いた。101号室の郵便受けに「緑山」と書かれていた。つまり一階に住んでいる。男の子ってこういうの気にしないんだな。
ミドが101号室のドアを開けてくれたので、私はゆっくりと足を踏み入れた。
「おじゃましまーす……」
そこは六畳のワンルームだった。狭いキッチンを抜けた先に居室。ソファ、ローテーブル、テレビ、そしてベッド。全体的にグレーを基調としたシックな色合いだ。絵に描いたようなワンルームのレイアウトは、生まれてこのかた実家暮らしの私にとっては新鮮に映った。
お手洗いを借りた私は、バスルームの洗面台の前に立った。私はおしゃれに興味がなく、顔はいつもほぼ初期状態だ。鏡の中の自分を見て、本当にこれでよかったのだろうかと少しだけ不安になる。
ふと、鏡の裏が収納になっていることに気が付いた。嫌な予感がして、私はそこをそうっと開けた。
そこには歯ブラシが二本並んでいた。
*
「うわあ、間違いなく女いるでしょ。ベタだねえ」
芽論が口を挟んだ。彼女の目の前のうどんの器は、つゆまでしっかり飲み尽くされていた。
「多分そう。与那嶺さんだと思う」
「ミドに聞いてみたの?」
「いや、なんか、聞かない方がいいかなって」
「なんで」
芽論は眉をひそめた。私も同じように眉をひそめた。
「私はさあ、今のミドとの関係に満足してるんだよね。そこで余計なことを聞いたりして、関係が悪くなるのは避けたいんだ」
はああ、と深いため息が芽論の口から漏れる。うどんの香りが漂ってきて、私は顔をしかめた。
「あんたらヤバいね。まあ、音々がいいならいいけど。で、ミドの家でキスまで行ったってことかな」
「ちょっと! 先に言わないでよ。ここからなんだから」
私は頬を膨らせて不満をアピールした。
*
その日のお昼ごはんは、ミドが作ってくれた炒飯だった。それは普通においしかった。多分、私よりも料理ができそう。ミドの新たな一面を知ったことで、私はまたときめいた。
お腹がいっぱいになった私はソファに腰掛けた。二人掛けのソファは、なんだか心許ない小ささだ。私は空いている座面を見やった。ここにミドが座るのか。めっちゃ近いな……。
そわそわしながらスマホをいじっていると、片付けを終えたミドがやってきた。よいしょ、と言いながらミドがソファに腰掛けると、座面が沈み込んだ。私の体のバランスが崩れ、肩がミドの肩に触れた。
あっ、と思ったときにはもう遅かった。私はタガが外れた。暴れ回る心臓の鼓動を感じながら、私はそのままミドに肩を預けた。
肩にミドの体温を感じる。事前に検討したパターンなんて、もうどうでもいいや。
ふふっ、というミドの小さな笑い声のあとに、優しい声が聞こえた。
「前から思ってましたけど……音々さんってホント可愛いとこありますよね」
そしてミドの体がもぞりと動いたと思ったら、私は肩を抱かれていた。私の胸はバクバクと鳴って止まらない。
「私なんて別に、可愛くないよ……」
私は俯いて言った。今は人に見せられる顔をしていない。
でも、ミドは私の顎に手を添えて顔を上げさせた。
笑顔のミドと目が合う。その熱い視線の奥にあるものが、今ははっきりとわかった。
狼だ。
獲物を狩らんとする狼の目。気さくでお調子者の後輩は、ここにはいない。撒かれた餌に誘われた私は、その餌食となるのを待つばかり。
私の顎に手を添えたまま、ミドは口を開いた。鋭い牙がちらりと見えた気がした。
「音々さん……いいですよね?」
ここまで来ておいて、なんて野暮なことを聞くんだ、と一瞬だけ思った。でも、たとえ狼になったとしても、ミドは根が紳士なんだろうと思い直した。
「うん、いいよ……」
そう言って目を閉じると、あっという間に私の唇は狼に食べられた。
それはとても野性的なファーストキスだった。
その後、二人で映画を見た。とても面白い映画だった。
そして夕方になる前に、用事があるからなどと言われて、ミドに家を追い出された。
ついでに、恥ずかしいから私たちの関係は周囲に漏らさないでほしい、とお願いされたのだった。
*
私はうっとりとしながらコップの水を飲んだ。
芽論は目を閉じてこめかみを揉んでいた。
「口止めまでされてるじゃん。ミドってそんなやつだったのか……」
私はちょっとだけ舌なめずりをして、ミドの唇の感触を思い出した。
「うん。意外に激しかった……」
「馬鹿野郎。そういう話じゃなくて……まあいいや」
芽論は肩をすくめた。
「むしろさあ、その感じでよくキスまでで済んだよね」
「えっとね、なんだかんだミドは紳士なんだよ」
とりあえず芽論にはそう言っておいた。でも、私は本当の理由を察していた。
大学生は春休みだけど、社会人にとっては平日で、いつも通り仕事のはずだ。
きっと、夜には仕事を終えた与那嶺さんが来るんだろう。だから私は夕方に帰らされたんだ。そして恐らく、ミドは与那嶺さんのために体力を温存しているから、私にはキス止まりだったに違いない。
でも、まあいい。
私とミドの甘い関係は始まったばかり。これから徐々に親密さを増していけばいいのだ。



