これにて専属契約は

「でも、私は敬斗くんを、見てた、から」

 言った。言ってしまった。私――鴨重紗良は、辿々しかったけれどついに言ってしまった。いや、言わずにはいられなかったの。だって、さっきの敬斗くんの三点奪取(スリーポイント)シュートが見事すぎたから。
 かたや本人は「はぇ?」と目を点にしている。あれ? 自覚なし? 仕方がないなぁ、和泉敬斗推しの一人として僭越ながらご説明させていただきますか。本人相手だけど。

「だ、だってね、あのときバスケ部二人にマークされてたでしょ? しかもスリーポイントのラインからも少しだけ遠くて。そんなところからゴール決められちゃうなんて、敬斗くんてほんとに凄いんだなーって思ったんだもん! 私、パスするのかドリブルで抜くのかどっちかなって思ってたからね、ゴールに転向するなんて予想外すぎて、ほんとびっくりしたの! 紅夏もえみりも凄いねーって言ってたしね、そしたら後ろからボール飛んできて、振り返った、私の顔に……あわわ」

 尻すぼみに言葉が小さくなっていったのは、ようやく冷静に俯瞰できるようになったから。
 今の私、あまりにも不格好じゃない? だって止血のためとはいえ、鼻にティッシュを詰め込んだままなんでしょう? そんな状態で敬斗くんをじっと見たりして、恥ずかしいったらない! あ、もしかしてさっき敬斗くんが必死に背中を向けていたのは私に気を遣ってくれたからでは? ヒギイイ、私察し悪すぎィ!
 羞恥心で全身を掻きむしりたくなる衝動を、敬斗くんへ背を向けて俯くことで抑えつつやり過ごす。
 はたしてこのティッシュはいつまで詰めておけばいいのかな。取り替えるタイミングは? そもそも私にできるの? またさっきみたいにパニックになるかもしれないし、敬斗くんがせっかく上手に詰めてくれたのに……ううん何言っているの私。鼻血を止めるために詰められているんだよ? ていうか何回鼻血って言うの? いい加減もういいでしょ!

「あの」

 ボソ、と切り出す敬斗くん。びくりとして、耳だけはしっかり敬斗くんの声を拾おうと必死に集中する。

「俺見てたのって、その、『俺のプレイを』ってハナシ?」
「そっ、そ、そう、だけど」

 本当は違います。ただ和泉敬斗が私の心の栄養になるので眺めていたのです。

「な、なんだぁ、なるほどなぁ。あっ、べ、別にあんなの、ダイキが目の前にいたから当てつけでやっただけっつーか」
「ダイキって、一組の伊達(だて)くん?」
「そー。ダイキいっつも俺にガチで向かってくんだよ。で、なんやかんやでお互いにガチ対決すんの楽しみにしててさぁ。でも1on1(タイマン)でやるのはなんか違くて、五対五(フルメン)で全力でやんのが楽しいっていうか」

 私には、彼らがこだわっている部分の何がオモシロイのかさっぱりわからない。けれど、敬斗くんが楽しそうに話す姿や試合に勤しむ姿はいつだってキラキラと輝いて見えるから、ただそれを眺めるだけで『いい』と思えてしまう。
 楽しそうに話している敬斗くんをそっと振り返る。やっぱり太陽直視と変わらないくらい眩しい。些細なこだわりや熱意の方向性が他者と重なると、それだけでこんなにも盛り上がれてしまうなんて素敵。
 いいなぁ、たくさんある自分の好きなものをそれぞれ違う人たちと共有できて。そして、そのおもしろさを存分に楽しめて。
 なのに私がそれに水を注してしまう。いつも、いつも、私の失態で彼のひとときを潰してしまう。

「ごめんね、敬斗くん」

 水を打ったように、敬斗くんの話がピタリと中断する。

「私、昔から敬斗くんの邪魔ばかりするのまだ治らないね。今日も試合中断させちゃったし……邪魔するつもり、全然なかったのに」
「はぁ? え、またそんなことでグジグジするワケ?」
「そんなことって、私はっ」
「別にいいって、かしこまるよーなことじゃねーでしょ。たかがゲームだし、それも授業中の。なんならリトライし放題だしさぁ。だから何でもかんでも深刻そーにすんのやめろって」

 敬斗くんは本心を隠すから、そうと言いつつもきっと――何とも返せずシュンと俯けば、敬斗くんはハァと短く溜息をついた。

「んなこと言うなら、俺、社長と奥さまにこのことどう言えばいいんだよ」

 俯いた先が陰って、ハテナで顔を上げる。二歩三歩と近付いてきていてドキリ。

「同じ体育館にいたのにさぁ、目の前の試合に夢中になって鴨重のこと全然見てなかっただろ? あのくらいのボールからお嬢さまをお護りするのなんかマジで簡単にできんのに。けど実際は間に合ってなくて、結局こんなとこにいるわけで」

 彼の左手がそっと優しく私の頬に触れた。えっ、なに?! と思う間もなく、鼻からティッシュ栓が抜き取られる。な、なんだ。ただ変えてくれるだけか。

「あのとき俺がちゃんとアンタを見てれば、こんなもん詰めなくたって済んだんだ。この綺麗な顔に痣でもできたらって考えたら、俺が一番自分を許せない」

 この、綺麗な、顔……『この』って、私(コレ)?! 綺麗? 私の顔が?! え、和泉敬斗って私に対してそういう認識なの?! 私のビジュアルをそんなふうに思ってくれているのーッ?!

「大人から任されたことちゃんとこなせてねぇのに、自分のことばっか熱中して視野狭くして。そんな意識じゃダメだって、思い直したばっかだったんだよ」

 哀愁漂うこのまなざし。スリ、と彼の左手に柔く撫でられる私の頬。

「だからごめんな。痛いし、恥ずかしかったろ」
「あのっ、いやその」
「そういうのから護ってやらなきゃなんねーのにな。マジで情ねぇよね」

 ちょっと、和泉敬斗くん? なにこれ。どうしてこんな……あなたこんな感じの性格(キャラクター)でしたっけ?! なんだか、胸の奥がドキドキうずうずする。上手く呼吸ができない。どんな顔をしていたらいい? ていうか彼、上裸なのでね、シチュエーション的にギリギリなんだけどっ!

「――って毎度ジトジトネチネチ詰められたらどう思うよ」
「……は、はひ?」

 スンと切り替わる敬斗くんの表情。まるで昨日の朝のような、あの意地悪な顔になっている。ウソ、まさか、謀(はか)られた?!

「いっつもこんな感じなんだよな、鴨重って。すーぐジメジメと悪かったとこ並べて、ごめんごめんて重ね続けんの。ぶっちゃけされてどう思った? なんて返そうとした? もしかして全然困んなかった?」

 パッと離される左手。そして腕組みをしてフンと横を向いた。まばたきを多めに、私は彼のムスくれたその横顔へ言い放つ。

「だっ、騙した!」
「はあ? いや騙してはねーでしょ」
「ヒドい! 思わせぶりなこと言ったり、ほっぺ触ってきたりしたくせにっ」
「そっ、それ鼻のやつ取るためだったじゃん。なんも深い意味ねーのっ」
「じゃあ私のこと美人だって言ったのは? 嬉しかったのにっ!」
「び、美人とまでは、言ってねーもん」
「じゃあどう思ってんの?」
「どう、って……ていうか違う、論点ズレてるっ!」

 惜しい。正気に戻られてしまった。

「い、いいか。ともかくっ。俺が一旦『もういい』って言ったらマジで『もういい』の。マジで気にしてねぇってことっ。何かあればすぐ気にかけてくれんのはありがたいけど、いつまでぇーも『でもでもだって』繰り返す必要はガチでありませんっ」

 反射的に「でも」「だって」が出そうになるも、ぐっと呑み込む。

「てかお嬢さまは俺を責めていい立場なんだからさぁ、『どうして私を護らないの!』くらい言ってくればいいじゃん。『ボディガード』に対して優しすぎ。むしろ顎で使うくらいしていいって。こっちだってそういう対応を想定して引き受けてんだから」
「そ、そんな横柄にしていいなんて、躾けられてないもん」
「じゃあ『ボディガード』にくらい、『ごめん』以外の別の言葉に変えろよ」
「……『変えろ』ォ?」
「あっ、いやだから、か、『変えてみてはいかがでしょうか』?」

 もうっ、と頬を膨らます私。公私関係なく粗暴な命令言葉を向けられるのだけはイヤ。睨んでいた視線を切り、深呼吸で全身の空気を入れ換える。
 よく考えてみればそうだ。私だって、申し訳なさを向けられ続けたら落としどころがわからなくて、きっと困ってしまうだろう。敬斗くんのことを羨んでばかりでなく、敬斗くんのにようにたくさんの感謝で返さなくちゃ。きっとそのほうが、もっとずっと円滑に進むに決まっている。
 私の憧れている和泉敬斗が、実際にそうであるように。

「じゃあ――」

 好きなもの、熱中すること、自分の大事にしているもの――それらをなげうってまで私のもとへ駆けつけてくれたことが、もったいないくらい嬉しかった。そのことだけを、私は素直に伝えたらいい。

「――『ありがとう、敬斗』」
「お……おぉ。あ、いや『はい』」

 かち合った視線の湿度は低い。しかし私だけは、いっそう熱を帯びてしまったみたい。

「いち早く私のもとに駆けつけてくれたこと。ここまで運んで処置をしてくれたこと。『本当に感謝しています』」

 敬斗くんのあの眩しい笑顔を思い出しながら、あの笑顔のイメージに近付けたらと願いながら、私も優しく笑ってみる。きっとこうしたほうが、もっとずっとポジティブな会話が続くに違いないから。

「そっ、そーだよ。『そういう雰囲気がとてもお似合いですよ。お嬢さま』。あ、けどあんま他のヤツにヘラヘラしすぎんな? 隙をついてつけ込まれて都合よく使われるかもしんねぇからな」

 なぜかどぎまぎし始めた。しかも『敬斗』としての顔とぐちゃぐちゃになったりして、切り替えが甘い。ふふ、仕方がないなぁ。この私がお手本を見せてあげましょう。

「『そういうのからも、敬斗ならきちんと護ってくださるのでしょう?』」

 手を腰に当てて、顎を引いて、挑戦的な笑みで『敬斗』を見つめる。こんなの、普段の私では絶対にしない仕草。だから彼はまたびくりとして、咳払いを重ねた。

「し、しょーがねーからな。契約時間外だけど、『わたくしがしっかりとお嬢さまをお護りいたします』。あ、けど引き続き大っぴらに傅いたりはしねぇからね」
「そんなのはじめから気にしてないもーん。まぁ、いざ学校内でそんなふうにされちゃったら絶対に周りの目とか陰口でいたたまれないだろうから、強めに遠慮するとは思う」
「て、ていうか。全部普段の鴨重がどんくさくてボーッとしてるのが原因だかんな? 『お嬢さまはご自身でも注意深く過ごす努力をなさってくださいませ』」
「えー、全部私のせい?! 『もう少し周りに甘えろと私に助言したのは敬斗ではなくて?』」
「あーもうっ、わかったわかった、『かしこまりました』っ。『わたくしが常々目を光らせておりますのでご安心くださいませ』!」

 言い合っている声色はお互いに柔らかい。そして、私よりも敬斗くんのほうが照れているような気がする。だって耳が赤いんだもの。
 授業終了のチャイムが鳴る。しかし、それがもとで周囲の景色に無機質な色が戻って見えて、強制的に現実へ引き戻された。「さて……」と敬斗くんが口を開く。

「問題はまだまだ残りまくってんだよなぁ……」
「教室の空気と、私たちの関係について、どう収拾をつけるか……だよね」

 現実的課題を口に出し合って、硬直。柔らかく笑っていたはずの口角もぎこちなくなり、遂には溜息とともに目を逸らし合う。

「『お願い敬斗、なんとかして』」
「『精一杯尽力いたしますが、あまり期待はなさらないでください』……」