これにて専属契約は

 バカみたいに真面目に構えていたのに、蓋を開けてみたら気の抜けた事情ばかりが飛び出してきたから苦笑しか出ない。こんなマヌケな会合でも、紗良お嬢さまは始終不安そうに眉間にシワを寄せて、全員の顔を順番に眺めながらソワソワしていた。

「いいのかなホントに。こんなに恵まれちゃってて」
「なー。都合よすぎてちょっと怖ぇーよな」

 レストランの個室扉を閉めて、二人で並んで通路を行く。

「すんごく濃い私利私欲を見てしまったよね……というか私たちもほぼほぼ私利私欲みたいなもんだけど」
「まぁ、たしかに。外から癒着疑われたら素直にそうですとしか言えねーもんな」
「はぁ。いいことばっかりなのに、なんだかずっと不安……」

 うーん、やはりあのマヌケな会合で感じたことのすり合わせが必要だな。
 紗良が何を不安に思っているか手に取るようにわかる。だからこそ早く安心させたくて、席を立ったお嬢さまに俺――和泉敬斗は『ボディガードとしてついていくフリ』をした。鴨重社長の護衛役が俺にまで付き添おうとしていたが、申し出られるよりも先にご遠慮願って、そうしてようやく二人きりになれた。

「『ところでお嬢さま。お花摘みのためにお出になりましたか?』」
「え? あー実は、『敬斗と少しお話がしたくて、出てきただけなのです』」
「『やはりさようでしたか』」

 だったら、と紗良の右手をするりと取ってレストランの外へ早足。

「じゃ、しっかりすり合わせしとこ」

 エレベーターホールを背に、三七階からの景色が望めるパノラマ様のガラス窓の前まで来て、紗良の背を壁につけさせて向かい合わせになる。壁に押し付けていないのでギリギリ壁ドンではない、と思う。

「いつもみたいに不安に思ってること言ってみ? ちゃんと全部打ち返してやるから。そしたらまたすぐクリアになるだろ?」

 下の方で片方ずつその手を握り、じっと目を見る。すると紗良は顔を真っ赤にして、肩を縮めながら顎を引いていく。

「でででも、『もう何回目だよ』ってこと訊いちゃうかもしんないよ?」
「黙ってたり教えてもらえないよりはいいよ」

 その眉間のシワはまだ取れない。じゃあこっちから投石してやるか。

「紗良はやっぱ、傍にいるのイズミさんのがよかった?」
「そ、そうじゃないっ。正直比べられないけど、そうじゃないよ」
「俺はフツーに嬉しいし、結構満足だなーって思ってるけど?」

 言葉に詰まったまま俯いてしまった。照れ方すら上品だよなぁ、といつも思う。

「えと。私はいつだって敬斗くんの意思を尊重したいんだけど、それは大丈夫だった? お父さまの願望を押し付けられたわけだし、敬斗くんはアレで本当に納得できた?」

 視線が返ってくる。食い気味に「うん」と軽く返す。

「両立、してけると思う?」
「最初はオヤジたちが管理してくだろ。始めからガラッと一転するなんつーことにはなんねーようにするだろーし、実際変わんなそーだし。どうにでもなるよ」
「私のボディガード続けるの、本当にイヤじゃない?」
「むしろ望んで従事してますよ。言ったじゃん、朝もさっきも。ずっと俺に護らしてほしーの」

 細くて白くて小さな手。身綺麗な女の子の手。安心してほしくて、ずっと柔く握っている。

「俺さぁ、どっちも同じ熱量でやってけるって決まってホッとしたんだよね。これでいつでも紗良のこと護れるよーになったし、むしろ疲れ飛んだっつーか」
「ホント?」
「だって、まさか自分のやり徹したいことがどっちも叶うと思ってなかったもん。『こんな方法あったんだ』ってわりとマジでびっくりしてる。あのくらいアホみたいに力抜けてるから思い付けたことだなって、ちょっと大人たち見直した」

 返事がないと思ったら、本音を捻り出そうとしているときの口の開き方をしてる。あわあわと曖昧に動き続けて、生唾を呑んでから「あのね」と言うそれ。

「あのね。私のあれそれのためにいいように使われてた、ってわかって、ホントにイヤにならなかった?」
「はー、それが一番の棘だったか。なってねーよ、大丈夫。そーゆー親だってイヤほどわかってるし、そもそもあの大人たち、いろんなとこがズレてるじゃん」

 やっとシワが取れてきた。片手を離して頭頂をなでこなでこする。

「今は全部『お言葉に甘えて』でいいよ。だいたいさ、今日の朝やっと、りょ、両想いってなったのに、早々に手放すとかありえなくね? 俺そこまでちゃらんぽらんじゃないんですけど」
「うー。そ、それは、そう」
「婚約者の話も『一旦無し』ってさっき社長言ってたしさぁ。つまり遠慮なく紗良を独占できるワケ、で……うん」
「待ってホント照れる……」

 手をするりと引き抜いて顔を覆ってしまった。だが俺も自滅。こっそりと左拳で自分のひたいを叩いておく。

「ご、ご納得いだけました?」
「ひとまずは、まぁ。あの、ありがとね。安心させることいっぱい、言ってくれて」
「いえ、本心でございますから」

 指の隙間から目元が見えて、ガラス越しに視線がかち合う。にこ、とするとまた指が閉じて目元が隠れてしまった。……ヤバい。紗良さんが純真すぎて俺の内面がぐいぐい浄化される。

「そ、そーいえば。いつからオヤジたちがあんなに仲いいって知ってた?」
「えと、イズミさんがウチでぎっくり腰やっちゃって、そのお迎えに北斗おじさまがおみえになったときに、おじさまご本人から聞いたの。あのときお父さまはいなかったから、二人が会話してるの見るのは今日が初めてだけどね」
「じゃあ『イズミさんの旦那』って認識だったワケね。『俺の父親』でなく」
「うん。船上パーティのときに話しててやっと繋がった感じ」

 船上パーティ、ね。あの頃はまだ全然このお嬢さまのことをわかっていなかった。
 でも、あのときに二人で腹を割っていなければ、確実に今はなかった。脱アマチュアの試合に出ることも、それで優勝することも、彼女を好きだと想うことすらも。

「夜景、ここもなかなかすげーね」
「うん。上の階にバーがあってね、そこは展望デッキもあるんだって。さすがに行ったことないけど」
「も少し大人だったら行けるのにな」
「ふふ。まぁ、しょうがないね」
「もうすぐ夏休みだしさぁ、そしたら二人でどっか遊び行かね? フツーに昼間から。その、時間許すまで」
「う、うんっ。絶対行くっ!」
「……今まで、誰かとそーゆーふうに出かけたことある?」
「な、ないよないよ。なんかこう、全部初めてだよ」
「ようそんな簡単に男を殺すワードを……や、違くて。尾藤と遠藤と出かけたりしてねーのかなって」
「あ、そういう。紅夏とえみりとだったら、ファミレスなら行ったことあるよ。他はお買い物かな」
「そか。……ねー、今度学校帰りに俺とも行こ?」
「うんっ、もちろん! でも学校からそのままって、ちょっと悪いことしてるみたい」
「いやハードル低っ。あー、じゃあその、そうじゃない意味だと、どういうのが『初めて』?」
「ええっ? そん、いや、誰か好きになったのからそもそもその、初めてで……」

 今度は俺が両手で顔を覆う番だった。
 わかった、これは『ムリ』だ。好きが爆速で感情を支配していく感覚が『ムリ』のひと言でしか片付けられない。

「正面きって好きって言うのも、言われるのも、手ェ繋ぐのも『ぎゅー』も初めてっ」
「わーかったわかったっ! あーもー……マジで照れんね」
「でも敬斗くんは、別に初めてじゃないでしょ?」
「いや初めてですよ。一生懸命誰か好きになんのは」
「でも一年生のとき、彼女いたよね?」
「なんで知ってんだよ……や、アレは向こうから言われて付き合ってみたものの、ってやつ。三週間でサヨナラした」
「けど付き合うくらいだから、好きだったんじゃないの?」

 ピュアかっ! ピュアっピュアかよ! というかなんでこっちの遍歴までお教えせにゃならんの?! と思いつつも勘違いをされたくないので口が勝手に話してしまう。

「ち、違うんスよ、お試しで付き合うってノリがありましてね。だからあんときは、付き合ってたら好きになるかなーと思ったんだよ。でもならんかったので、サヨナラしました。だからなんもしてない。名前ですら呼ばなかった」
「ひ、ヒド……可哀想」
「でも紗良とは違うじゃん」

 視線を、窓越しから直接へ。今度はきちんと壁ドンの姿勢。
 腕で囲って、逃げ道を塞いで、強制的に互いしか見られない距離に縮んで――ヤバい、さすがにやってる方もドキ、とする……が、もう引かない。

「俺、結構マジメに気持ち持ってかれちゃってっから。そろそろわかって?」
「ぐっ……そ、そだね。ごめんなさい」

 こうしていれば、彼女だけに聞かせておきたい本音を簡単に言えてしまえそうだ。ウズつく胸の内をどうしても聞かせたい。照れても真っ赤でも今更どうでもいいくらい。

「そーゆーさぁ、他人(ひと)に気ィまわしすぎるとこは俺にできないことで、尊敬してるとこだよ。だからその、紗良が考えすぎてズーンてなってるときに傍にいられたらなって思ったのが、きっかけかな、と」

 頬を赤くしているクセにポカンとしやがって。どーして肝心なときにこうも察しが悪いかなッ!

「あーもー、朝答え損ねたやつッ。火傷ついでに開示しろって言ってきたやつ!」
「あっ、ええ?! ど、そんなとこで?!」
「なんならよかったワケ?」
「や、だからほら、たとえばタイプがどうとか、あるかなと。私、当てはまってるのかなとか」
「俺特にそういうのないし」
「でも前に、美人だって言ってくれたもん」
「言ってないって。傷もなんもねー顔に痣残ったらどーしよーとは言ったけど!」
「……ちぇ、覚えてたんだ」
「ほおー? 『改ざんはよろしくありませんね、お嬢さま』」
「『では改ざんしなくて済むよう、たまには私の気持ちへ栄養剤入りの水やりを所望いたしますわ』」
「……私服の紗良ちゃんマジでちょーかわいい」
「ふぇっ?! ……ハッ。な、なんか、言わされてるみたいっ」
「んなことねーもん。ホントにそー思ったもん」
「わた、私のメンタルケアまでしてくれて、カッコよくて優しいとか、完璧すぎ!」
「だから軽率に褒めすぎ! でもありがと! ……いや、なんだコレ。会話内容のIQ低すぎる。というかもうこの辺にしとかねーと心臓も理性ももたん」
「そ、そだね。いくらなんでも、浮かれすぎ」

 いつの間にか解いていた壁ドン。逸らし合っていた視線がゆっくりと戻り、互いの赤さを認識して思わず噴き出す。彼女と笑う空気が、今となってはもっとも心地いい。
 夜景を背にレストラン入口へと戻っていく。なんの気なしに繋いだ手がどちらも熱い。できるだけ永く繋いでいたい。

「ね。フレンチのお味、いかがですか?」
「大変美味しゅうございますよ。食い慣れてねーから作法むちゃくちゃだけど」
「いいよそんなの。み、身内みたいなものだし、もはや。でもよかったぁ、敬斗くんのお口に合って」
「あんがとね。雑談のひと言だったのに覚えててくれて」
「あたりまえだよ。だって――」

 護り護られ二転三転。裏と表も行ったり来たり。これにて専属契約は、公私の両立を図りながら晴れて継続となる。

「――だって敬斗くんのこと、私が一番大事にしたいもん」

 数年後に永続契約にするかどうかは、改めて二人で決めていく。






               〈了〉