これにて専属契約は

 激闘のあの試合の翌日、月曜日。朝七時四〇分。

「お嬢さま。敬斗くんがおみえですよ」
「はーい」

 敬斗くんは護衛として、学校があるときは毎日この時間に来てくれるようになった。
 私――鴨重紗良がメイドさん二人に見送られて玄関を出ると、数十メートル先の門扉のところで、迎えに来てくれた敬斗くんがウチの黒服さんたち数人に囲われていた。もう! これ放課後に教室でよく見る光景!

「あらら。さっそく大人気ですわねぇ」
「新聞とかネットニュースにも載っておられましたもの。一躍有名人ですわね、お嬢さま」

 メイドさん二人がクスクスとしている。しかもよく見たら昨日一緒に応援に行った運転手さんたちじゃない! たしか彼らはこの時間、お父さまの車の洗車と点検をするお時間じゃなかった?!

「散らしてから学校行くっ。行ってきますっ」
「お気を付けくださいませ、お嬢さま」

 門扉まで小走りで進む。
 今日の敬斗くんは、当然ながら傷だらけ。大小さまざまな防水性真空絆創膏が肌の色に溶け込んでいるからわかりにくいけれど、いくつも貼ってあればさすがに痛々しい。それに、その下がわずかに透けて蒼くなっている箇所もある。内出血まで起こして……本当に大変。
 近付くごとに「おめでとう、おめでとう」と敬斗くんに声かけをしているのが聴こえて、「たしかにそうなんだけど」と歯噛み。からの、大きく咳払い。

「皆さまおはようございますっ」

 一斉に私を見やる運転手さんたち。相当ビクッとしたみたいで、左右に分かれて道を開けてくれた。

「本日もお車の点検作業ご苦労さまです、晴れ間のあるうちにどーぞ気持ちよく乾きますように」

 どうにか令嬢スマイルを向けたものの、敬斗くんを囲っていることに妬いた気持ちが出ていたみたい。相当ぎこちなくなってしまって、運転手さんたちは「大変失礼をいたしました、お嬢さま」と口々に述べながら揃って頭を下げてきた。わちゃあ、想定外。

「あ、あの、怒ったわけじゃないの。邸宅の中ならまだしも門扉だったからね、ちょっと注意……みたいな? それにほら、今だと学校遅れちゃうかもだし」

 チラリと敬斗くんを視界に入れると、フッとこっそり噴き出して笑っている。あーもう、嫌味全開な高飛車オンナみたいにするつもりなんかなかったのに!

「皆さん昨日は俺のために応援ありがとうございました。すんげー頑張れました。また後日改めてお話さしてください」

 敬斗くんが爽やかにまとめてくれちゃった。運転手さんたちもどこか満足そう。
 敬斗くんに促され、運転手さんたちににこやかに見送られて、学校へと脚を進める。私が右側、敬斗くんは左側。

「あの、ゴメンね朝から。運転手さんたちが囲っちゃって」
「別にいーよ。むしろ嬉しかったし」
「そっ、そっか」

 ど、どうしよう。なんだかとっても気まずい。というかぎこちなくなってしまってツラい!
 だってどんな顔で、どんな態度で接したらいいのかまったくわからないんだもの! 離れているときは早く会いたいだの二人になったらこうしようだのと妄想が捗っていたのに!
 本当に今日からお互いに『保留』は解除なのかな。でもそれを私から切り出すのは違うよね、敬斗くんが「自分から言う」って言ってたし。……いや『言う』って何を? そんなの決まっている、『気持ちの答え合わせ』しかない!
 ひええ、口を開けばその話なんじゃないかとビクビクするのが嫌すぎる! まだサプライズで告白するほうが緊張しなかったんじゃあないだろうか。
 昨日までの二週間はどうにか令嬢の仮面を被り続けて流してきたけれども、さすがにもう限界だよ、敬斗くんにツンケンしている自分がイヤなヤツすぎるんだもの。それをやりすぎたせいで嫌われちゃったかもしれないし。まぁ、敬斗くんも敬斗くんで我慢しているんだかできていないんだか曖昧だったから、嫌われたわけではないはず……と思いたい。
 でもね、さすがに好意に気付いてしまう距離の詰め方をされちゃうと、こっちだって「もー、大好きー!」ってしたくなっちゃうじゃない? 試合までは我慢しなければならなかったから踏みとどまり続けたけれども。
 はたしてどのくらいの距離感でくるのだろう。敬斗くんの出方次第で私も――

「――昨日、準決勝終わったときさぁ」

 ビクゥッ! と肩が跳ねてしまった。裏返った声で「はひっ?!」だのと返事をしてしまう。わーん最低だよう、かわいさもお淑やかさもゼロ!

「お、横断幕広げてたじゃん。どーしたの、アレ」
「え、なに、広げ? ……ああ、あのド派手なやつね?!」
「自覚あったんですか……」

 もう、何の話かと思えば。頭の切り替えがかなり遅れてしまった。

「あったよ、私だってびっくりしたもん。アレね、昨日私の護衛も兼ねて一緒に来てくれたスタッフさんたちがこっそり用意してたんだって。応援席にいた皆さんが格闘技マニアばっかりだったみたいで、昨日の大会が見れるならってことで相当盛り上がっちゃったみたい。おカネ出し合って作ったって言ってた」
「てことは、お嬢さまは関与してねーのね?」
「してないよ! あの、ゴメンね、結構恥ずかしかったでしょ。あんなデカデカと名前書かれて」
「ま、まぁ思うところはあったけど……悪いばっかじゃなかったから結果オーライ、みたいな?」
「そ、そう」

 昨日の試合は、私にとって初めて観覧したボクシングだった。だからこの二週間、自分なりにざっくりと予習をして、知識準備を整えてから見に行った。
 しかし想像以上の激闘だったのもあって、結局何がどうなっていたのかはわからなかった。細かいルールやら技の是非についても把握できずじまい。
 ただ、私に着いてきてくれた両親のボディガードさんたちや運転手さんたち総勢三二人が、ハテナを浮かべて戸惑う私を逐一助けてくれた。知らなかったよ、鴨重グループ(ウチ)のスタッフさんたちの多くがコアな格闘技マニアばかりだったなんて。私がぽつりとひとつ疑問を呟くと、十倍の情報量になって何人もから同時に返ってくるほどだったんだもの。かといって、理解と知識がなかなか結びつかなくて「難しいな」が感想だった。ゴメンね、敬斗くん。でも感動したのは本当。
 逐一怪我が心配でたまらなかったけれど、いつの間にか私も一緒になって、敬斗くんの拳ひとつひとつに熱くなっていた。敬斗くんの優勝した決勝戦が私の『初めて見た試合』で、本当に嬉しい。

「呼び方っ」
「へ?」

 ピタと止まった敬斗くんを振り返る。しかしすぐに二歩で詰められて縮まる。

「から、始めよーと、思ってて」

 至極真剣なまなざし。これに見つめられると途端に心臓が速くなるから困る。
 あぁ、目を逸らしてしまいたい。理想的なかわいらしい表情なんかできる自信がないもの。でも逃れられない。好きで好きでたまらないひとに見つめられたら、どうしょうもなく赤くなってしまう。
 一度、喉仏がゴリッと下がった。思わずドキリと心臓が跳ねる。

「――紗良っ」
「は、はひっ!」
「ぐっ……ごめんちょっとタイム」

 たまらず背を向け合う。
 どうしよう、にやにやが止まらない。キュンときたよ……もんのすごくキュンときた! 破壊力すごい。予測はしていたけれども、ああー赤面が止まらない!

「好き――」

 不意打ちのひと言に真顔でぐるんと振り返ると、敬斗くんは鼻から下を掌で覆っていた。うっ、お互いに真っ赤なのも恥ずかしい。そして私たち、逐一忙しない。

「――なの、青? ずっと訊こうと思ってたんだけど」
「あーっと、な、なんの話、でしたかね?」
「髪っ、髪のやつ! いっつもハーフアップにしてこの青いキューブの飾りついた髪ゴム着けてるけど、なんで青かなって」

 もーう! どうして今そんな話?! あぁ今後ろを向いていたからね、目についたのね! ハイハイ理解しましたっ!

「かっ……いや、さ、紗良が好きなの、ハッキリしたピンクだろ?」

 んぬぬぬ、この話題もしや名呼びの練習にされていやしないかな? わーん、かわいいよう、和泉敬斗! 仕方ないから知らないフリをしておいてあげる!

「そ、そう、だけど。よくわかったね? 普段の持ち物はピンクのもの避けてたのに」
「いつもドレス、ピンク多いし。そうじゃないときも、小物で絶対ピンク入ってるから、なんとなく」

 思いのほかよく見ていてくれたんだ、と目を丸くした。そういうところから、私のことを少しずつ知ろうとしてくれていたのね、と胸の内の温まりをおぼえる。
 そっと一歩ずつ、歩みを再開。

「学校のときは制服に合わせて青にしてるだけだよ。青には規律の意味があるからね、だから尚更いいかなって」
「へ、へぇ、そーなんだ? あ、俺さぁ、その青好きなんだよ。目に入るたびになんかいいなって。昨日もリングの上でちょっと思い出したくらい……あの、色がね。俺も着けたいとかじゃねーからね?」
「ふははっ! わかってるよ、どこに着けるの、そんなに短いのに」
「や、あるじゃん。シュシュ腕にするとかのノリで」
「敬斗くんが着けてたら女児感あるよ」
「あー、そしたらかわいさマシマシになっちゃうもんな。どーしよ、誘拐されちゃうかもっ」
「ふふっ! 昨日優勝したのに拐われちゃうの?」
「じゃあ、かわいく返り討ちにしてやりますわ」
「あはは、もー、どういうことっ」

 左手で口元を覆ってクスクス笑っていると、それをそっと取られて包まれた。
 また立ち止まる。向かい合わせ。そろりそろりと顔を覗くと、さっきよりも赤くなっているような――

「紗良、好きだよ」

 包まれた手、なんだか熱い。触れられたことのない温度。

「ずっと俺が、紗良を護りたい」
「は……はわ」
「家だのなんだの的にどうなのかわかんねーけど、付き合う……ていうか、単純に好きだなーと思ったときに、ぎゅってしたり、手ェ繋いだりを、紗良としたい。フツーな感じで」
「フツーな、感じ……」

 膝が震える。頬もピリピリする。それと敬斗くんの掌、マメが多い。こんなになるまで拳を握り続けてきたことへ、感情が込み上げてくる。
 このひとは、私をひとりの人間として見てくれている。令嬢でも護衛相手だからでもない、ただの一七歳の女の子として見てくれている。私がもっともしてほしい接し方を、敬斗くんも同じように望み、求めてくれている。

「わた、私も……」
「……うんっ」
「私も敬斗くんに、いっぱい大好きだよって言いたい。フツーな感じでっ」

 包まれていた手を離されて、まばたきをしたら通学用鞄ごと抱きしめられてしまっていた。
 後頭部に添えられた手が案外大きい。本当は痛いであろう胸板に私のおでこが押し付けられているけれど、それが今はくすぐったくて心地いい。
 背負っている鞄があるから、私からは背中に手をまわしきれていない。けれど、触れた先の肩甲骨がゴツゴツと厚くて、本当に身体を極限まで絞ってきたその努力の痕跡がたまらなく愛おしくなる。

「よかったぁ。俺がずーっと情けねーから、ちょっと嫌われたかもと思ってた」
「待たされた挙げ句また振られちゃったら、って、私は思った」
「それさすがに不誠実すぎるじゃん」
「わかんないもん、私ネガティブだから」
「そ、うん、ゴメン」
「こっ、この際だから言う、けど。私は去年からずっと、好き、だったもん」
「は? 逆になんで?」

 バリ、と剥がされる。本気でわからないと言わんばかりの顔をしている。え、酷くない?

「えと、眩しくて、あまりにも」
「はあ?」
「だって! 誰とでも仲良くできるの、凄いなって。私にはできないから、羨ましくて」
「あー……」
「誰も敬斗くんのこと悪く言うひといないし、人望もあって素敵だなって。そしたらその、目で追う回数、増えてまして」

 ぎゃああ、こんなタネ明かしキツいよう! 耐えきれずに両掌で顔面を覆う。

「ボディガードしてもらうようになったら、今までよりすんごい近いし、スーツ似合ってるし、優しいし、なんかどう切り取ってもかっこよすぎてムリだった……」
「ごめん聞き出すんじゃなかった俺も大火傷してる」

 道の真ん中で私たちは何をしているのだろう。二人揃って両手で顔面を覆って赤面のまま悶絶しているだなんて。

「け、敬斗くんも言ってっ」
「えっ?! や、またちょっと冷静になったら、その」
「火傷ついでに開示しちゃえばいいじゃない! 敬斗くん後手ばっかりでいっつも私からだもん、ズルい!」
「た、たしかにそーだけ……あーもー、わかったわかった、わかりましたッ! えーと、俺はねぇ――」
「っあー、やっぱいい! 怖い! て、ていうか学校!」
「うわ、ヤベ、時間」

 パシと掴まれる左手。駆け出す敬斗くんにつられて私も走りだす。

「ねえ、そういえば今夜」
「え、今夜? て、今日の夜?」
「うん。敬斗くんもホテル、行くよね?」

 ズベシャア、と敬斗くんがまさかのすっ転び。私の手をすり抜けて一人で転んでしまっている。

「だっ、ちょ、大丈夫?!」
「な、今なんつった?!」

 のそりと起き上がりながら私を振り返る敬斗くん。

「え? だから、ホテル行くよね? って」
「ホテ……いやいやいや絶対違う。んなわけない。落ち着け俺。スゥー、ハァ、よし。なぁ紗良お嬢さまよぉ、主語ね、主語。まず主語ちゃんとしよう? そんでもっかい言ってみ?」
「だからぁ、今夜慰労会やるの。聞いてない?」
「んー、その単語もまだ妖しさが残ってんだよなァ。具体的に、誰のどんな慰労会だって?」
「もちろん敬斗くんの。優勝祝賀慰労会。あと、イズミさんの回復祝いとかも兼ねた会」
「ほ、ほお。そんで? どこでやるんです?」
「鴨重グループ(ウチ)が所有してる、枝依ターミナル駅すぐ傍の『ホテル・ブルーダッキー』三七階のレストランの個室。前に敬斗くん食べたいって言ってたから、昨日家に帰ってから『明日はフレンチにして』って言っておいたの」
「よ、よかった、フツーのやつだった……いやフツーではないんだけどね。鴨重グループクオリティではフツーってだけで、一般庶民はたとえ『おめでとう』でも高級ホテルの高層階にある星付きレストランの個室を前日に押さえてお食事会なんかしねーからね?」
「それはそう、かもしんないけど……」
「それをひと括りにして『ホテル』と言うのはやめなさいっ、酷い誤解招くから!」
「イヤだった? 祝賀慰労会」
「全っっっ然イヤじゃありませんッ! すんげー楽しみ! 早く夜になんねーかなってくらい楽しみ! 健全な意味で!」

 ガバッと立ち上がる敬斗くん。優しい笑みが私を向いている。

「やっと紗良と食事できるね、同じテーブルで」
「ほ、ほんとだね!」

 どちらからともなく手を繋ぐ。照れ混じりににこー、と頬が緩む。小さく「イテテ」と敬斗くんが頬をさする。

「……で、誤解ってどんなふうに?」
「それはもう掘り返さんでよろしいんですよ、お嬢さま」