えみりと別々に帰ることになった私――鴨重紗良は、そそくさと教室へ戻って荷物を持ち直し、教室の外で待たせたままの敬斗くんに声をかけた。
「お、お待たせ、しましたっ」
「お。『とんでもございません』」
壁にもたれかかっていた敬斗くん。そっと背を離し、なぜか辺りをキョロキョロとする。
「ダイキまだ教室にいた?」
「伊達くん? いなかったよ。あのまま部活行ったんじゃないの?」
「そうだろうけど、今ダイキにも何か言いに行ったんだと思ってた」
「ううん、別に特には……あ、お礼のこと? 部活行っちゃったかなと思ったし、明日でもいいかなって。わざわざ部活中に話しかけたら邪魔になるし……でももしすぐ行ったほうがいいなら、今から体育館寄っ――」
「いや明日でいいだろ。ダイキ絶対気にしてねーよ、お嬢さまが規格外に律儀だってことすら知らねーと思うし。いーよいーよ、また明日にしよ」
「規格外って、あのねぇ」
ふわ、と柔らかな笑みを向けてくる。いくつかのまばたきで公私を切り替える。
「『では参りましょうか、お嬢さま』」
「う……あ、『はい』」
実は、先日の『お姫さま抱っこ連れ去り事件』から少し落ち着かない日々が続いている。敬斗くんが私に対して、なんだかずっと優しいから。
それまでの『敬斗』は、無表情で無機質で常に義務的だった。まるで個を殺しているというか、意に反しているのに無理しているというか。そもそも彼は私を苦手と想っていたわけだから、きっと仕方なく勤めていたことだろう。それに学校では、こっちから近付くだなんてもってのほかだった。だから私はずっと彼を遠くから眺めて、ひっそりと憧れを抱いていたわけだし。
ところがあれ以来、私に接するときの敬斗くんから公私の垣根がほぼ見られない。プライベートで距離が縮まったことも、こうして隣を歩くことさえ夢のようなのに、オンオフ関係なく今のように柔らかくフッと微笑みを向けてくれる瞬間が格段に増えている。しかも、却って私が困惑するほど自然に『鴨重』と『お嬢さま』を使い分けてくる。もう! その切り替え技術、私の方が上手かったのに!
もしかしたら、クラス内外になんとなく『令嬢とボディガード』という関係がバレてしまったことで、逆に肩の荷が下りたのだろうか。それについて事あるごとにわたわたしているだけの私に代わって、『敬斗』がいつも収拾をつけてくれているから慣れたとか? これがコミュ強のチカラ? だとしても悔しい! どうしてなんでもあっという間にこなせてしまうのよ!
「遠藤と約束してたの、断って大丈夫だったかよ?」
「う、うん。えみりこれからバイトで、だからもともと途中までって話だったから」
「ほー」
というかえみりには、敬斗くんの名前を出しただけでたくさんニヤニヤされてしまった。「紅夏の代わりに後ろから見てようかなーっ」だのとわくわくされたのは、さすがに恥ずかしかったけれど。ちなみに、紅夏とは吹奏楽部に行ってしまったあとだったので会えずじまい。
「け、敬斗くんこそ大丈夫なの? 勧誘のアレ」
チラと右隣を横目で窺う私。かたや、何でもないような雰囲気で返してくる敬斗くん。
「だってしゃーねーじゃん? 今日の夜と土曜は『社長のお付き添いでご参加なさる会食がございますし、どちらも先月から予定が固まっておりました』から、断るだろフツー」
「でも、本当に自分のやりたいことは優先してね? 私のボディガードより、敬斗くんだって自分のプライベートを大事にしないと――」
「うん。だから優先してんの、今」
言い切られて、思わず黙ってしまった。その真意を高速で考えつつ、しかし歩みは止められない。ど、どうしよう、私だけがドキドキしてしまって敬斗くんの顔が見られない。ただ前髪を簡単に直したり、横毛を耳にかけたりして続きに耳を傾ける。
「普段から自主トレ優先でやりたいし、もともと断ること多かったんだよ。あーいうのは今回が初めてってわけじゃねーの。むしろボディガードがいい理由付けになってラッキー、みたいな?」
「『理由付けになってラッキー』……?」
「あーいや、だからそれはその。ボディガードのが楽そうとかそんなふうに思ってるわけじゃなくてだな」
「てことは、ボディガード頼んでること自体は別に、敬斗くんの邪魔になってるわけじゃない……で合ってる?」
今度はぴたりと歩みを止めた。階段を二段降りたところで振り返った敬斗くんが、頭にたくさんハテナを付けて首を傾げる。
「あの、邪魔とは」
「だって、この護衛業務はイズミさんから頼まれたて始めたわけじゃない? だからもしかしたら、ボクシングの邪魔になってることもあるんじゃないかなって、ちょっと気がかりで」
「いや全然。むしろ『緊張感と集中力向上の訓練と思え』ってオヤジから言われて、なるほどって納得してるっつーか……あっでもマジメにきちんとボディガードとして『お仕えしておりますし、これからもお仕えいたします。至らぬ点がいまだ多いわたくしではございますがこれまで一度もおざなりでなど』――」
「じゃあ、よかった。『安心しました』」
ふふっ、とつい笑みがこぼれた。敬斗くんはキョトンとして目を丸くする。
突然ソワソワし始めたのはきっと、敬斗くんの勤務態度情報が、社長である私の父へ筒抜けることを懸念しているからだろう。それでどうにか取り繕おうとして慌てているんだ。とんだ解釈違いだなぁ、そんなことしないのに。
でも、だんだん敬斗くんもイズミさんと似たような心持ちで務めてくれるようになってきているのだろうか。そうだったなら嬉しい。同級生という垣根を越えて、もっとずっと寄りかかれてしまいそう。
二段降りて、敬斗くんを追い越す。小さな踊り場を転回して更に階下へ向かう。棒立ちになっていた敬斗くんが大股で私を追ってくる。まもなく右隣に並ばれて、そのまま生徒玄関へ。
「『お待たせいたしました、お嬢さま』」
「あり、『ありがとう』。けど、いくらなんでもここまでしなくていいと思うの」
「え、そーお?」
苦笑混じりに断ったのは、私の靴箱から外靴を出して私が履きやすきようにキチンと並べること。こんなところには気を遣ってもらわなくたって大丈夫なのに。いや嬉しいけれども! 無自覚なファンサービスが過ぎるのよ!
でもコレ、敬斗くんが自分で言っていた「学校内で大っぴらに傅くことはしない」という項目に該当していない? それに見映えというか、通りすがりの人に目撃されたときの印象がよくないと思うの。……ほらね、こういうのが逐一嬉しいけれども落ち着かないのよ。
「あのさ、一個訊いときたいんだけど」
お互いに靴を履き替えて、数テンポ早かった敬斗くんに右隣から顔を覗き込まれた。うぅ、顔面がいい。そして近い。
「さっき怒ってたのは、もーいいの?」
ん、何の話? 眉をひそめて訊ね返す。
「怒ってた? 誰が?」
「だから、鴨重が」
「え? 別に怒ってないけど……」
「はあ? ほんじゃさっき水泳部とテニス部にすんげー冷たい睨み効かせてたのは?」
「冷たい睨み?! えっ、いつ?! ホントに何の話?!」
「マジかよ無意識でやったの、アレ? すんげー怒ってると思ってメタクソに緊張したのに」
「だからっ、それいつ?」
「いろんな部活のヤツらに囲まれたとき。鴨重さぁ、机バーン叩いて立ち上がったじゃん? そしたら周りシーンてなっただろ」
あっ、あれかぁ……と苦笑い。あのとき、私が怒ってると思われてシーンとなったのね。ていうか敬斗くんにまで怖いと思われていたの? ちょっと以上にショックかも……。
「違うよ、みんなに怒ったわけじゃなくて、私がひと言言わなくちゃって思って、それでつい立ち上がっただけで……でも結局喉の奥で詰まっちゃって、何も言えなくなっちゃって」
情けないことに、あのとき実は膝が震えていた。予告なくあんなに大勢に囲まれて、しかもそれが筋骨隆々な男の子たちばかりだったから、自分の主張が跳ね返されてしまう想像しかできなかった。
普段は完全に令嬢モードに切り替えて、心をきちんと切り替えたりしっかりと調えてから、様々に確立した大人たちと『落ち着いて対話をする』。だから平気。しかし先程はそうではなかった。完全に予想外だった。
「何て言おうとしたの」
「い、いや、別に大したことじゃ」
「んなわけ」
顔を背ける私を追ってくる敬斗くん。うぅ、案外粘着質。
「鴨重てさぁ、男女関係なく他人が苦手だろ。俺も含めて」
黙って生徒玄関へ向かおうと進みはじめると、図星を突かれてまた脚を止められた。
「別、に敬斗くんのことは、苦手とかじゃ」
「けど特にグイグイ押してくる男は嫌いだろ? みんなで楽しく的なノリも苦手だし、自分の輪の中に入ってんのはガチでひと握り」
「わ、悪かっ――『申し訳ございません』ね社交性ゼロでっ」
「なのに、注目浴びても構わないって思えるほどの言いたいことがあったんだろ? あのとき」
目を上げて、敬斗くんを振り返る。
真顔――それもかなり真剣な表情で私を見ている。何をそんなに気にしてくれているのだろう。私のご機嫌取りならもう不要だとわかったはずなのに。
いつから私の本質に気が付いていたのだろう、よくわかったなぁ。しみじみと感心したら、なんだか脱力してしまった。こういうところはイズミさんと同じだ、敬斗くんも洞察能力が高い。だからこそ、先回りをして誰かを護ろうと思うのだろうか。
かち合わせていた視線を切って、ひとつ深呼吸。
「どうして敬斗くんの意見ちゃんと聞かないの? って、言おうと思ってたの」
吐き出すと同時に、私があのとき思っていたとこを正直に吐露していく。
「みんながね、全然敬斗くんの意見を聞かないのが許せなかった。敬斗くんには敬斗くんの意志があるのにね。ボクシングとか、他のご予定とか、もしかしたらダラダラしたい日とかあるじゃない、誰にだって。なのに一方的に貸すとか貸さないとか……ずっとまるでモノみたいに言って」
「俺のためにガツッと言ってくれようとしたんだ?」
わざわざ明言されると、途端に恥ずかしくなってしまうもので。否定も肯定もできずに、敬斗くんの脚先に目を向けたままやり過ごす。
「でもなかなか声に乗らなくて、結局黙っちゃってた。言わなきゃ言わなきゃ、って必死だったその顔が、もしかしたら怒ってるみたいに見えたのかな」
だとしたら私、どれだけ恐怖心を与えるような形相をしていたのだろう。うう、恥ずかしすぎる。周りに『和泉敬斗のことでむちゃくちゃ怒ってくる女』だと思われたかもしれない。
「なるほどね。そーゆーこと」
ふふっ、と笑う敬斗くん。
「他人苦手だしめちゃくちゃ怖かっただろーに、あの場面で矢面に立とうとできるその気概。『お嬢さまの素晴らしいところだとわたくしは思っておりますよ』」
俯いていた頭頂部に、ぽんと温かくて優しい何かが触れた。バッと顔を上げると、それは敬斗くんの左掌。
「あんがとね。鴨重ってむちゃくちゃ勇気あんね」
「…………」
えっ、もしかしてコレ、頭ポンポンてやつでは……? しかもしかも、目が潰れるくらい眩しい微笑みが向けられていますが?
ポカンとなったまま、おいてけぼりの私。その右手首をガッと捕まえた敬斗くんは、そのテンションのままに進んでいく。
「『さぁ参りましょう、お嬢さま。今度こそ、わたくしがきちんと身を挺してお護り申し上げます』」
いやいやいやいや、ちょっと待って。頭ポンポンからの右腕を引いたりしないで。ていうか、これ以上私のことを恋愛感情面で刺激しないで! 抑えられないくらいもっと大好きになっちゃうじゃない!
「『まずはご自宅までお送りするところからでございますね』」
小走りになって、敬斗くんと正門までを駆け抜ける。触れている右手首が熱い。駆けている脚が今にももつれてしまいそう。
でも、なんかもう、見映えとか体裁とかどうでもいいや。たとえ周りから何か言われても、そのときにまた敬斗くんと立ち向かえばいいよね。
「ちょ、ねえ! 歩いたらダメ?! さすがに、どっかで転びそうなんだけど!」
「ブフッ、たしかに! お嬢さまどんくさいからなー」
「違うもん! 運動能力の差がありすぎるからだもん!」
こんな夢みたいなひとときがこのまま続いてくれたらいいのになぁ――そんなことすら考えてしまって、ドキドキがぐんぐん加速する。
護り護られのこの生活を、本当に一秒でも長く平和に過ごせますように。
「お、お待たせ、しましたっ」
「お。『とんでもございません』」
壁にもたれかかっていた敬斗くん。そっと背を離し、なぜか辺りをキョロキョロとする。
「ダイキまだ教室にいた?」
「伊達くん? いなかったよ。あのまま部活行ったんじゃないの?」
「そうだろうけど、今ダイキにも何か言いに行ったんだと思ってた」
「ううん、別に特には……あ、お礼のこと? 部活行っちゃったかなと思ったし、明日でもいいかなって。わざわざ部活中に話しかけたら邪魔になるし……でももしすぐ行ったほうがいいなら、今から体育館寄っ――」
「いや明日でいいだろ。ダイキ絶対気にしてねーよ、お嬢さまが規格外に律儀だってことすら知らねーと思うし。いーよいーよ、また明日にしよ」
「規格外って、あのねぇ」
ふわ、と柔らかな笑みを向けてくる。いくつかのまばたきで公私を切り替える。
「『では参りましょうか、お嬢さま』」
「う……あ、『はい』」
実は、先日の『お姫さま抱っこ連れ去り事件』から少し落ち着かない日々が続いている。敬斗くんが私に対して、なんだかずっと優しいから。
それまでの『敬斗』は、無表情で無機質で常に義務的だった。まるで個を殺しているというか、意に反しているのに無理しているというか。そもそも彼は私を苦手と想っていたわけだから、きっと仕方なく勤めていたことだろう。それに学校では、こっちから近付くだなんてもってのほかだった。だから私はずっと彼を遠くから眺めて、ひっそりと憧れを抱いていたわけだし。
ところがあれ以来、私に接するときの敬斗くんから公私の垣根がほぼ見られない。プライベートで距離が縮まったことも、こうして隣を歩くことさえ夢のようなのに、オンオフ関係なく今のように柔らかくフッと微笑みを向けてくれる瞬間が格段に増えている。しかも、却って私が困惑するほど自然に『鴨重』と『お嬢さま』を使い分けてくる。もう! その切り替え技術、私の方が上手かったのに!
もしかしたら、クラス内外になんとなく『令嬢とボディガード』という関係がバレてしまったことで、逆に肩の荷が下りたのだろうか。それについて事あるごとにわたわたしているだけの私に代わって、『敬斗』がいつも収拾をつけてくれているから慣れたとか? これがコミュ強のチカラ? だとしても悔しい! どうしてなんでもあっという間にこなせてしまうのよ!
「遠藤と約束してたの、断って大丈夫だったかよ?」
「う、うん。えみりこれからバイトで、だからもともと途中までって話だったから」
「ほー」
というかえみりには、敬斗くんの名前を出しただけでたくさんニヤニヤされてしまった。「紅夏の代わりに後ろから見てようかなーっ」だのとわくわくされたのは、さすがに恥ずかしかったけれど。ちなみに、紅夏とは吹奏楽部に行ってしまったあとだったので会えずじまい。
「け、敬斗くんこそ大丈夫なの? 勧誘のアレ」
チラと右隣を横目で窺う私。かたや、何でもないような雰囲気で返してくる敬斗くん。
「だってしゃーねーじゃん? 今日の夜と土曜は『社長のお付き添いでご参加なさる会食がございますし、どちらも先月から予定が固まっておりました』から、断るだろフツー」
「でも、本当に自分のやりたいことは優先してね? 私のボディガードより、敬斗くんだって自分のプライベートを大事にしないと――」
「うん。だから優先してんの、今」
言い切られて、思わず黙ってしまった。その真意を高速で考えつつ、しかし歩みは止められない。ど、どうしよう、私だけがドキドキしてしまって敬斗くんの顔が見られない。ただ前髪を簡単に直したり、横毛を耳にかけたりして続きに耳を傾ける。
「普段から自主トレ優先でやりたいし、もともと断ること多かったんだよ。あーいうのは今回が初めてってわけじゃねーの。むしろボディガードがいい理由付けになってラッキー、みたいな?」
「『理由付けになってラッキー』……?」
「あーいや、だからそれはその。ボディガードのが楽そうとかそんなふうに思ってるわけじゃなくてだな」
「てことは、ボディガード頼んでること自体は別に、敬斗くんの邪魔になってるわけじゃない……で合ってる?」
今度はぴたりと歩みを止めた。階段を二段降りたところで振り返った敬斗くんが、頭にたくさんハテナを付けて首を傾げる。
「あの、邪魔とは」
「だって、この護衛業務はイズミさんから頼まれたて始めたわけじゃない? だからもしかしたら、ボクシングの邪魔になってることもあるんじゃないかなって、ちょっと気がかりで」
「いや全然。むしろ『緊張感と集中力向上の訓練と思え』ってオヤジから言われて、なるほどって納得してるっつーか……あっでもマジメにきちんとボディガードとして『お仕えしておりますし、これからもお仕えいたします。至らぬ点がいまだ多いわたくしではございますがこれまで一度もおざなりでなど』――」
「じゃあ、よかった。『安心しました』」
ふふっ、とつい笑みがこぼれた。敬斗くんはキョトンとして目を丸くする。
突然ソワソワし始めたのはきっと、敬斗くんの勤務態度情報が、社長である私の父へ筒抜けることを懸念しているからだろう。それでどうにか取り繕おうとして慌てているんだ。とんだ解釈違いだなぁ、そんなことしないのに。
でも、だんだん敬斗くんもイズミさんと似たような心持ちで務めてくれるようになってきているのだろうか。そうだったなら嬉しい。同級生という垣根を越えて、もっとずっと寄りかかれてしまいそう。
二段降りて、敬斗くんを追い越す。小さな踊り場を転回して更に階下へ向かう。棒立ちになっていた敬斗くんが大股で私を追ってくる。まもなく右隣に並ばれて、そのまま生徒玄関へ。
「『お待たせいたしました、お嬢さま』」
「あり、『ありがとう』。けど、いくらなんでもここまでしなくていいと思うの」
「え、そーお?」
苦笑混じりに断ったのは、私の靴箱から外靴を出して私が履きやすきようにキチンと並べること。こんなところには気を遣ってもらわなくたって大丈夫なのに。いや嬉しいけれども! 無自覚なファンサービスが過ぎるのよ!
でもコレ、敬斗くんが自分で言っていた「学校内で大っぴらに傅くことはしない」という項目に該当していない? それに見映えというか、通りすがりの人に目撃されたときの印象がよくないと思うの。……ほらね、こういうのが逐一嬉しいけれども落ち着かないのよ。
「あのさ、一個訊いときたいんだけど」
お互いに靴を履き替えて、数テンポ早かった敬斗くんに右隣から顔を覗き込まれた。うぅ、顔面がいい。そして近い。
「さっき怒ってたのは、もーいいの?」
ん、何の話? 眉をひそめて訊ね返す。
「怒ってた? 誰が?」
「だから、鴨重が」
「え? 別に怒ってないけど……」
「はあ? ほんじゃさっき水泳部とテニス部にすんげー冷たい睨み効かせてたのは?」
「冷たい睨み?! えっ、いつ?! ホントに何の話?!」
「マジかよ無意識でやったの、アレ? すんげー怒ってると思ってメタクソに緊張したのに」
「だからっ、それいつ?」
「いろんな部活のヤツらに囲まれたとき。鴨重さぁ、机バーン叩いて立ち上がったじゃん? そしたら周りシーンてなっただろ」
あっ、あれかぁ……と苦笑い。あのとき、私が怒ってると思われてシーンとなったのね。ていうか敬斗くんにまで怖いと思われていたの? ちょっと以上にショックかも……。
「違うよ、みんなに怒ったわけじゃなくて、私がひと言言わなくちゃって思って、それでつい立ち上がっただけで……でも結局喉の奥で詰まっちゃって、何も言えなくなっちゃって」
情けないことに、あのとき実は膝が震えていた。予告なくあんなに大勢に囲まれて、しかもそれが筋骨隆々な男の子たちばかりだったから、自分の主張が跳ね返されてしまう想像しかできなかった。
普段は完全に令嬢モードに切り替えて、心をきちんと切り替えたりしっかりと調えてから、様々に確立した大人たちと『落ち着いて対話をする』。だから平気。しかし先程はそうではなかった。完全に予想外だった。
「何て言おうとしたの」
「い、いや、別に大したことじゃ」
「んなわけ」
顔を背ける私を追ってくる敬斗くん。うぅ、案外粘着質。
「鴨重てさぁ、男女関係なく他人が苦手だろ。俺も含めて」
黙って生徒玄関へ向かおうと進みはじめると、図星を突かれてまた脚を止められた。
「別、に敬斗くんのことは、苦手とかじゃ」
「けど特にグイグイ押してくる男は嫌いだろ? みんなで楽しく的なノリも苦手だし、自分の輪の中に入ってんのはガチでひと握り」
「わ、悪かっ――『申し訳ございません』ね社交性ゼロでっ」
「なのに、注目浴びても構わないって思えるほどの言いたいことがあったんだろ? あのとき」
目を上げて、敬斗くんを振り返る。
真顔――それもかなり真剣な表情で私を見ている。何をそんなに気にしてくれているのだろう。私のご機嫌取りならもう不要だとわかったはずなのに。
いつから私の本質に気が付いていたのだろう、よくわかったなぁ。しみじみと感心したら、なんだか脱力してしまった。こういうところはイズミさんと同じだ、敬斗くんも洞察能力が高い。だからこそ、先回りをして誰かを護ろうと思うのだろうか。
かち合わせていた視線を切って、ひとつ深呼吸。
「どうして敬斗くんの意見ちゃんと聞かないの? って、言おうと思ってたの」
吐き出すと同時に、私があのとき思っていたとこを正直に吐露していく。
「みんながね、全然敬斗くんの意見を聞かないのが許せなかった。敬斗くんには敬斗くんの意志があるのにね。ボクシングとか、他のご予定とか、もしかしたらダラダラしたい日とかあるじゃない、誰にだって。なのに一方的に貸すとか貸さないとか……ずっとまるでモノみたいに言って」
「俺のためにガツッと言ってくれようとしたんだ?」
わざわざ明言されると、途端に恥ずかしくなってしまうもので。否定も肯定もできずに、敬斗くんの脚先に目を向けたままやり過ごす。
「でもなかなか声に乗らなくて、結局黙っちゃってた。言わなきゃ言わなきゃ、って必死だったその顔が、もしかしたら怒ってるみたいに見えたのかな」
だとしたら私、どれだけ恐怖心を与えるような形相をしていたのだろう。うう、恥ずかしすぎる。周りに『和泉敬斗のことでむちゃくちゃ怒ってくる女』だと思われたかもしれない。
「なるほどね。そーゆーこと」
ふふっ、と笑う敬斗くん。
「他人苦手だしめちゃくちゃ怖かっただろーに、あの場面で矢面に立とうとできるその気概。『お嬢さまの素晴らしいところだとわたくしは思っておりますよ』」
俯いていた頭頂部に、ぽんと温かくて優しい何かが触れた。バッと顔を上げると、それは敬斗くんの左掌。
「あんがとね。鴨重ってむちゃくちゃ勇気あんね」
「…………」
えっ、もしかしてコレ、頭ポンポンてやつでは……? しかもしかも、目が潰れるくらい眩しい微笑みが向けられていますが?
ポカンとなったまま、おいてけぼりの私。その右手首をガッと捕まえた敬斗くんは、そのテンションのままに進んでいく。
「『さぁ参りましょう、お嬢さま。今度こそ、わたくしがきちんと身を挺してお護り申し上げます』」
いやいやいやいや、ちょっと待って。頭ポンポンからの右腕を引いたりしないで。ていうか、これ以上私のことを恋愛感情面で刺激しないで! 抑えられないくらいもっと大好きになっちゃうじゃない!
「『まずはご自宅までお送りするところからでございますね』」
小走りになって、敬斗くんと正門までを駆け抜ける。触れている右手首が熱い。駆けている脚が今にももつれてしまいそう。
でも、なんかもう、見映えとか体裁とかどうでもいいや。たとえ周りから何か言われても、そのときにまた敬斗くんと立ち向かえばいいよね。
「ちょ、ねえ! 歩いたらダメ?! さすがに、どっかで転びそうなんだけど!」
「ブフッ、たしかに! お嬢さまどんくさいからなー」
「違うもん! 運動能力の差がありすぎるからだもん!」
こんな夢みたいなひとときがこのまま続いてくれたらいいのになぁ――そんなことすら考えてしまって、ドキドキがぐんぐん加速する。
護り護られのこの生活を、本当に一秒でも長く平和に過ごせますように。

