これにて専属契約は

 例の『お姫さま抱っこ連れ去り事件』から約一週間が経った。
 下校前ホームルームが終わり、終業のチャイムが校内に響く。それと同時に、クラスメイトたちはどやどやと席を立つ。各々帰り支度をしたり、部活動の準備をしたり。教卓で簡単な身支度を済ませた担任の先生が、教室から退出しようと前扉を開けた瞬間――

「和泉敬斗っ! 練習試合の助っ人の件なんだけどっ!」
「今度こそウチに協力してくださいよう、和泉先輩ーっ」

 そんな声を皮切りに、まるで雪崩か津波のごとくクラス内外から十数人規模で、俺――和泉敬斗の周りへ筋肉質の男どもが押し寄せてきた。おかげで担任の先生はなかなか教室から出られない。毎度毎度申し訳ない……。

「だぁかぁらぁ! 悪いけど俺忙しーのっ。どれもこれも引き受けられません!」
「んなこと言わねーでさぁ、和泉ぃ!」
「この前もそーやってかわしたよな? 今週末のサッカー部の試合には出てもらうからなっ!」
「いやいや、ぜひとも我ら柔道部の次鋒の代役を」
「いい加減テニス部に入ってくれよう、敬斗ぉー!」

 期せずして、あっという間に輪の中心になってしまう。自分の瞬発力には自信があるはずなのに、どうしていつもコレからは逃れられないかな。

「すっ、水泳部は来週日曜の一〇時から! リレー選手が必要なんです!」
「柔道部は今週土曜、一二時から、城修(じょうしゅう)高で練習試合で」
「サッカー部も今週土曜! 朝八時に錦北(にしききた)高で試合なんだよ」
「テニス部は日曜に朝からウチで宝院(ほういん)とやるんだよーう!」
「ゴメン、マジで予定詰まってっから無理なんだって。ほれ、帰って帰って!」

 俺をいち戦力としてみなしてもらえているのは嬉しいしありがたいし、できることなら俺だってすべてに応えてやりたい。が、しかし、俺の事情が変わったんだ。ボクシングの他に、絶対的優先事項が増えた。
 いまだ何も成せていないだけでなく、この前は怪我から護ってやれなかった。それについて誰からも責められることはなかったものの、悔しさや歯痒さがずっと澱(おり)のように重く残っていて消えてくれない。
 何もないことが一番なのに『今度こそ』と気を張っている矛盾。そのせいで常に何かに抑圧されているようだ。正直、なんとなく動きづらい。

「チクショウ、敬斗本人がダメならこっちにだって考えがあるんだかんな。鴨重さぁーん!」

 ブルブルそうして震えていたテニス部のヤツが、いち早く輪を抜けて教室内を駆けていく。加えて、俺の周りにいたヤツらも一斉にそちらへ顔を向け、ハッと何かに気が付いてしまった。いやいや「鴨重さん」て! やめろやめろ!

「そうか、和泉敬斗本人じゃなくて雇い主に交渉すればワンチャン……!」
「鴨重さん! ぜひとも柔道部の話を聞いてください!」
「いやいやここは水泳部が」
「バスケ部だっつってんだろ、どけ!」

 一気に周りに誰もいなくなる、寂しい俺……いや、そんなことはどうだっていい。今度こそマジでお嬢さまが危ない!
 恐らくだが、鴨重は他人が苦手だ。だから、仲良くもない男どもがこんなにわんさかと詰めかけて囲んできたなら、ビビリちらかして泣いてしまうのではないだろうか。……さすがにそれは子どもすぎる?
 だいたい、鴨重はその性格的に強く頼まれたら断れない。だから相手を少しでもわかろうと歩み寄る努力を全力でする。結果的に、他人に対して相当な深読みをして空回ってしまうんだ。そんな気遣いをここに詰めかけた全員にしていたら、またいっぱいいっぱいになって『怒り』というかたちで爆発してしまうかもしれない。なんとかしてそれだけは阻止しなければ。今後の鴨重の高校生活すらも危ぶまれてしまう!

「鴨重さん鴨重さんっ。どうか一日……いや半日だけでもテニス部に敬斗を貸してください!」
「えっ、あの……きゃあ!」
「あー、ズリーぞテニス部! ねー鴨重さん、ウチらサッカー部は半日とは言わないです、三時間だけ貸してくれればそれでいいんだけどどーかなっ?」

 移動した人だかりを追う。その外側から中央のお嬢さまへ向かおうと試みるも、今度は直接交渉をコソコソと持ちかけてきたヤツらにあえなく捕まってしまった。「ガチでスマン」と断ってかわし続けるも、更に「マジで鴨重さんと主従関係なん?」だの「付き合ってんの?」だので引き留めてくるヤツが加わってきてまったく進めない。あーもうッ!

「鴨重さんはバレー好きじゃないかもしれんけど、敬斗がバレーしてっとこ見たら鴨重さんも顔にボール当たらんくなるかもよ?」
「いやいや、そもそもとしてエモノ使う競技は操作ムズいもんね? その点水泳部なら水着のみですし! 和泉敬斗の筋肉質な上裸は大層目の保養になりやすぜ、へへへ」
「おい、ゲスいぞ水泳部! テニス部は爽やかですよぉ? ねっ、ぜひテニス部にお貸しくださいよぅ鴨重さぁん」
「オーマーエーらーなぁっ!」

 お嬢さまへ迫る水泳部とテニス部の肩に手をかけ引き剥がそうとした、そのとき。ガタンッと椅子の鳴る音がして、ワイワイガヤガヤが一斉にそちらを見た。
 鴨重が席から立ち上がっている。机に手を付き、視線を俯けて、何を言うでもなく静かに立っている。特段音が大きかったわけではないが、それがきっかけでピキンと空気が凍っていくのを肌で感じる。

「えっあの、鴨し――」

 声をかけようとしたものの、鴨重はフッと頭を上げて、真正面に対峙した水泳部とテニス部のヤツらに視線を向けた。

「…………」

 呼吸すらはばかられる冷たい視線。その場の誰もが凍りつく無言の圧。この表情を見た近くの誰かが思わず「ヒッ」と短く声を上げた。
 ヤバい。絶対に怒っている。二人の隙間から見てもわかるのは、「自分まで巻き込んで迷惑なんだよ」という圧だ。こんな状態で、先日科学のプリントを集めたときのように一方的な爆発をされては敵わない。なのに、ボディガードである俺ですらも動けずにいる。圧をかけられている水泳部とテニス部のヤツらが顔をひきつらせているのが、横目で見てもしっかりとわかる。どうしよう、どう動くべきだ?!

「――何、この人だかり?」

 凍っていた空気をそうして壊したのは、先日の体育で俺と1on1をした相手――バスケ部のダイキだった。いつの間に一組から来ていたのやら。既に練習着に着替え済みで、自前のバスケットボールまで持ってきている。

「へー、二組席替えしたん? あれ、真ん中にいんの敬斗じゃねーじゃん。てか、鴨重さん? えーなに、ここの全員、部活前によってたかってわざわざ鴨重さんと喋りにきたワケ?」

 ダイキはキョトンとした顔で、人だかりの中にしれっと混ざっていた一年生バスケ部員の首根っこを捕まえてしまった。わたわたと慌てて説明を図る一年生部員。

「けっ、敬斗先輩が、鴨重先輩に雇われてるから、鴨重先輩からハナシ通してもらえたら、すんなり代役引き受けてもらえるかも? と思ったんで、雇い主にその、直接交渉を……」

 尻すぼみになっていく一年生部員の話に「へーえ?」とまるで悪役みたいな笑みをしたダイキは、がっちり捕んでいたその手を放した。

「なに。お前は自分のバスケ部が、部員でもねぇ敬斗に頼んねーとどこにも勝てねーって思ってんだ? えー、ウケる」
「やっ、そ、そんなことは、全然……」
「んじゃこんなダセェことしてんじゃねーよ、アホタレ」

 パチコーンと、ダイキは一年生バスケ部員の背中を叩いた。途端に「すんませんしたッ!」と彼のデカい声が上がる。

「つかお前らも、部員じゃねーヤツに毎度頼んなきゃなんねー時点で自分らが弱小チームだってこともっと自覚しな? 敬斗に協力してほしーとかで詰めかける前に、他(ヒト)の倍練習して自分らが上手くなれば?」

 ダイキ、それはさすがに言い過ぎ。しかもヘラッと笑いながら言われるとダメージがデカいんだぞ。
 改めて一年生バスケ部員の首根っこを引っ掴むダイキ。俺とわずかに目を合わせたあと、しかしあっさり「じゃーね、敬斗」と一年生部員を引き摺って出て行った。

「はーいはいはい! 和泉敬斗の部活協力の合否は、こちらから追って連絡いたしまーす!」

 ダイキの背中をボーッと見ていた一同に声をかけたのは、まさかのチッヒーだった。

「ブハッ! やだぁチッヒー、それじゃ企業面接官みてぇでしてよ?」
「いいだろー? 一回言ってみたかったんだよ、コレ」

 反対側にはエーシンもいた。二人は人だかりの外側から一人ずつ笑顔で何かしらの対応をし、順番にお帰りいただいていく。まるでアイドルの握手会にいる『剥がし』さながらだ。

「エーシン、チッヒー。なんで」
「なんでも何もねーでしょ。収拾つかなくなって困ってたのは敬斗じゃなくて、鴨重ちゃんだし」
「てかねえ、あーいうのをいち早く解決したいなら、相手に言いたいこと言わせておいて帰ってもらうのが一番いいんだよ」
「そーそー。否定したら余計にガツガツくんの。だから、冷静になってから断ればオケー」
「ダイキに助けられちゃったねぇ、鴨重さん」

 そうしてエーシンに優しく微笑まれ、鴨重は脱力したようにトスンと椅子へ腰を落とした。

「栄村くん、近井くん。集まった人バラけさせてくれて、どうもありがとう」
「なんのなんの。ほらほら、帰り支度してたっしょ? もう安全だからねー」
「つか本来『これ』が敬斗の役割なんだろ? なんでオメーが一番ボーッとしてんだよ。オレらにやらすな。敬斗に代わってこっちが時給発生すんだろ」

 チッヒーにポカと脇腹を小突かれ、ようやく鴨重の隣へ辿り着く。「発生しねーよ」とチッヒーにやり返すも攻撃力はほぼゼロだ。

「ゴメン、また間に合わなかった」

 エーシンとチッヒーもその場を離れ、ようやく鴨重へ声をかけられた俺。しかし怒らせてしまったか、鴨重は顔を上げない。しかも、机の中のものを鞄へ詰めながらブンブンと首を振るだけに留まった。

「『ご自宅までお送りいたします、お嬢さま』」

 小声で伝えたものの、反応なし。
 絶対に聞こえていないわけではない。だって「間に合わなかった」も同じ声量だったから。
 まあ? たしかに俺は『イズミさん』より頼りねーかもしんねーけどさぁ。無視はねーよね、無視は! ……と逆ギレしつつある自分を胃酸の中へと押し込める。いかんいかん、こんなことだから『沈着冷静なボディガード』を遂行できないんだ。

「えみりと――」

 貧乏ゆすりを始めかけたとき、不機嫌そうではない声で鴨重がそう返してきた。

「――えみりと帰るつもりだったから、ちょっとだけ待っててくれる? 一組行って話してくる」

 くるりと見上げてきた顔が、全然怒っていない。さっきの氷の怒気は何だったんだと思うほど、いつもどおりの鴨重だ。
 肩すかしをくらった気分の俺は、曖昧な相槌をしながらすごすごと自席へ戻った。教室からそそくさと出ていく鴨重の背中を見て、「全然わからん」と首を捻った。