これにて専属契約は

 私――鴨重(かもしげ)紗良(さら)にはボディガードが就いている。
 パーティや講演会に参加するときはもちろん、登下校のときもボディガードを帯同して永い。さすがに校内へは連れ歩かないけれど。

「本日は、一九時から枝依(えだより)港にて、鴨重グループ傘下の造船会社と旅行会社の共同プロジェクトによる豪華客船の進水式典がございます。『お嬢さまのみご出席なさる』とうかがっておりますが、お間違いありませんか」
「ええ。社長は急遽予定が入ってしまわれたので、私一人で出席いたします」
「かしこまりました。奥さまも別のご予定があり、ご出席なされないとうかがいました。お間違いありませんか」
「そうなの。お母さまは自身の事業のレセプションの日だったからはじめから都合がつかなくて、それで私が代役に」
「把握いたしました。ご説明ありがとうございます」

 私の専属ボディガードは、私にとても従順。
 いつも私を立ててくれるし、私に寄り添ってくれるし、身を挺して私の安全を確保してくれる。まぁ、そう命じたのは、社長である私のお父さまなのだけれど。

「続きまして、式典時の天候をお伝えいたします。予報では晴れ。気温は二一度。風速は二から五メートルですので薄手のショールなどを一枚お持ちいただくとよろしいでしょう。また、船内は揺れる恐れもございます。ヒールをご着用予定でしたら、あまり高すぎるものはお控えいただいたほうがよろしいでしょう」
「わかりました。あとでメイドさんに伝えておきます。あなたは何時からお屋敷入りなさるの?」
「はい、わたくしは一七時までにお屋敷へ参ります。ご準備が整い次第、いつでもお呼び立てください」
「そう、わかりました。本日もお願いいたしますね」
「かしこまりました」

 ただ。この春から専属ボディガードになったこの彼は、神経質なほどに公私を分けているみたいでちょっと厄介。

「それではお嬢さま。学校へ到着いたしましたのでここで失礼させていただきます」
「え、ええ。今朝もありがとう、敬斗(けいと)」

 校門前で立ち止まり、向き合う私へ深々と頭を下げる。サッと身を起こし、右脚で高校の敷地内の土を踏む。それと同時に、きっちり締めていた制服のネクタイを『いつもの位置』まで緩め、ワイシャツの一番上のボタンを外した。

「んじゃ、俺先に教室行くから。いつもどーりちょっと遅れて上がって来るんだな」
「う、うん……」
「前みたいに額面どおりに受け取って、いつまでもボーッと突っ立ってたらまた嗤ってやるよ。オジョーサマ」
「なっ」

 んべ、と短く舌を見せて意地の悪い発言をする『こっちの彼』。数秒前とはまるで逆。イヤなヤツ全開すぎて、私までつられて『令嬢モード』がオフに。

「も、もうっ! どうしてそーやっていつもいつも憎たらしいことばっかり言うのっ!」
「アンタがどんくせーからだよ、アホー」

 ピューッという効果音がよく似合うほどの瞬足で生徒玄関まで駆けて行ってしまった。
 悔しい、悔しい! 一方的にバカにされて本当に腹が立つ!

「もーっ! 和泉(いずみ)くんのバカーッ!」

 私と和泉敬斗くんは、高校からの同級生。二年生でクラスが一緒になるまで一度も話したことはなかった。それでも私が彼を知っていたのは、頻繁に話題に挙がる人だから。
 俗な言い方をすると、彼は『陽キャさわやかイケメン』。立っているだけでとても眩しい。それに、見かけるたびに誰か彼かに囲まれている。男の子がちょっと苦手な私ですら目で追ってしまうくらい、和泉敬斗くんは好印象で有名だった。
 そんな和泉くんが私の新しいボディガードとして自宅にやって来たのは、高校一年生の年度末のこと。

「敬斗くんはボクシングに長けているんだ。先任のボディガードさんからも太鼓判を押されている。安心しなさい」

 そうやってお父さまから紹介されたときは危うく卒倒してしまうかと思った。だって『みんなの和泉くん』が、まさか私のためだけに、それも脅威から護るために尽くしてくれるだなんて!
 役得がすぎる。こんなにもご令嬢に生まれてこられてよかったと思ったこともない。神采配。パパ、ご先祖さま、本当にありがとう!

「まあ、それは素晴らしい。期待しておりますね、敬斗さん」

 でも、私は大っぴらに喜んだりしなかった。だって、『鴨重グループのご令嬢』はクールで慎ましやかでお淑やかでなくてはならないから。誰にそう言われたわけでもないけれど、『令嬢』のときの私はずっとそういうイメージでやってきている。それ壊してはいけないし、和泉くんは私のことなんて知らないだろうから変な印象を与えたくなかった。

「敬称など不要でございます。どうぞ『敬斗』とお呼びくださいませ、お嬢さま」

 そうして深々と頭を下げられてドキリ。こっそりと深呼吸をして調子を取り戻して『令嬢』の顔を続ける。

「わかりました。以後お願いいたしますわね、敬斗」

 そう、あくまでも『敬斗』とはビジネスパートナー。プライベートな情報や感情とは切り離して接したほうがいいに決まっている。彼も絶対にそれを望んでいる。
 彼を名前で呼ぶのは令嬢の私のときだけ。
 私をお嬢さま扱いするのも、彼がボディガードのときだけ。

「――和泉くん」
 だから、学校では同級生として接しなくてはいけない。まさかうっかり「敬斗」などと高飛車に呼びつけてはいけないの。

「プリント……科学のプリント集めてるんだけど、出してくれる?」

 和泉くんへ「バカーッ!」と叫んでから二時間。私は教室の中をドキドキしながら歩き回っていた。
 自分の席に座っていた和泉くんの周りには、クラス内外の男の子たちが五、六人集まっている。どうして群れるのよ、と思う反面、人気者なのでこれは日常のことであって。
 私が声をかけた途端、和泉くんの周りにいる全員が一斉にこちらを向いた。男の子の視線が怖いため、誰とも目を合わせないように視線を俯けている。

「あぁ、先週のやつか。ハイハイ」

 机の中をガサガサとする和泉くん。周りの同じクラスの男の子たちは「なんだっけ、それ」と笑っている。

「一昨日の実験のプリントだろ。なぁ、二組全員の集めてんの?」
「あっ、う、うん」
「じゃオメーらも出せよ。どーせ一気に持ってかなきゃなんねーんだから」
「えー、マジかよ。つか失くしたかもしんねー!」
「鴨重さァん、オレの分忘れたって言っといてぇ」
「アホたれ、いーからとりあえず探してこい。ちなみに俺はありましたァ、しかもやってある」
「げぇ、マジ?! 敬斗いいコすぎだろ!」

 私の代わりに声をかけてくれた。しかも私じゃ行き届かない声のかけ方をして、動かしてくれた。それまで留まっていた半分が散って、それぞれ机の中や鞄の中を探し始める。

「つか、なんでアンタが集めてんの? 今日日直じゃねーだろ?」
「おと、一昨日、私が日直、だったの。そのとき頼まれたことなんだけど、だからそのまま私の係になってて……」
「ふーん、バカ律儀だなぁ。今日の日直のヤツにぶん投げときゃいーのに」
「そんなこと、できないもん」
「あーそ。で? どんだけ集まってんの」

 ほい、と差し向けられる和泉くんの科学のプリント。短く小さくお礼を言って、私は持参していたクリアファイルへ丁寧にしまう。

「えと、まだ女の子の分、だけ。あとは敬――和泉くんの分」
「っか! まだ半分かよ、仕事遅っ」

 ボディガードのときと全然違う冷淡な返事に、急に悲しくなる。こころなしか少しだけ気が楽になったと思ったところだったのに。
 たまらず私はクリアファイルをぎゅっと抱いた。肩も縮んで、下唇を噛む。こんなに冷たい言い方をされるくらいなら、男の子の分なんか集めないで、さっさと先生のところへ持っていってしまえばよかっ――

「おい、二組全員、一昨日の科学のプリント出せー! 鴨重が集めてっからここ持って来い! ハイ、三〇秒以内!」

 教室の外まで響くような和泉くんの一声。ハッと顔を上げた私は、その横顔を見つめてしまう。
 そう、はじめから声を張って持ってこさせてしまえば簡単で効率的なの。労力は最小限で済むし、時間だってかからない。現に、これから声をかけようと考えていた二組の男の子たちが続々とプリントを持ってきてくれている。さっきまで「無いかも」とヘラヘラしていた彼らも、なんだかんだきちんと持ってきてくれた。
 これは、人気者で信頼の厚い和泉敬斗くんだからできたこと。座ったままで、緊張もオドオドもせずに、いとも簡単にやってのけてしまえるのは『和泉くんだから』。
 すごい。素敵。カッコいい。憧れる。羨ましい。そして、猛烈に悔しい。
 朝からどうにかこうにか声をかけて、授業を跨ぎながら一枚一枚地道に集めていた。それが私の功績。令嬢ではない『鴨重紗良』の精一杯。これだから「どんくさオジョーサマ」なんて和泉くんからからかわれてしまうの。

「ほら、全部集まったぞ」

 モサ、と突き出されるプリントの山。簡単に確認すると、集め洩らしていた女の子たちの分まであった。薄っぺらだったクリアファイルにもっさりと厚みが出る。

「よかったな、俺のおかげで一気に終わって」

 不敵な笑い方をする和泉くん。でも、顔面の良さのほうが勝って私の片想いのハートにクリーンヒット。キュンの一撃で倒れてしまいそうなところだけれど、私はワナワナと肩を震わせていた。
 収まらない。悔しい気持ちが収まらない。キュンよりも、どストライクの笑顔よりも、彼に恋している気持ちよりも、どうやら私はそれらを凌駕するほど和泉敬斗の『手際のよさ』に嫉妬してやまないみたい!

「……やってやったとか、思わないで」

 ボソと出てしまったひと言に、残ったままの笑顔で「は?」と返す和泉くん。たまらずキッと睨み返す。周りの全員に見られているけれど、どうでもいい。今はただこの収まらない嫉妬心を本人にぶつける以外に思いつかない。

「私だって、ホントはなんでもちゃんと独りでできるんだから!」

 ダッと駆け出す不格好な私。今の和泉くんが追いかけてこないことをわかったうえで、一気に教室から飛び出した。
 どうしてもっと自然に、和泉くんが周りと和気あいあいとしている中に入っていけないのだろう。
 どうしてもっと素直に「集めてくれてありがとう」「助かったよ」と言えないのだろう。
 どうして素の私は、凛としていられないのだろう。

「はあ……」

 誰もいない階段の踊り場で、私は目尻に残った涙を拭った。