神滅の魔剣士は英雄になれない

「その話、ワタクシにも詳しく聞かせてください」

 英雄を説得している最中、あと一押しというところで見知った顔の女が割り込んでくる。
 リボンで一つに纏められた紫の髪を揺らし、ライムグリーンの突き刺すような視線がこちらに向けられた。
 その女は一つ空いていた椅子に腰掛け、自分用の飲み物を注文し始める。
 図々しいにも程がある。そんなことを思いながら声をかけた。

「これはこれは……お久しぶりですね、カリスタ。英雄のお供として、名を馳せているそうじゃありませんか」

 カリスタ・グレイシア。
 代々騎士団にて様々な功績を残している名家であるグレイシア家の長女。
 昔から凄い人だと思ってたんです。なんて笑顔で伝えるが、カリスタは眉をひそめる。

「気持ちの悪い話し方をやめてくださいませんか? ワタクシ、貴方のその話し方嫌いなんです」

 約一年ぶりの感動の再会というわけにもいかず、英雄のために作っていた外面を真っ向から否定された。
 現英雄様の前で礼儀正しく接するのなんて、当たり前の事だろう。勿論、カイトを説得するために演じている部分はあるが、初対面の相手に対して無礼な態度をとる事はない。
 だが、その礼儀をカリスタは"気持ちが悪い"と言う。
 仮面のように貼り付けた笑顔が少し崩れ、言葉に詰まった。

「え、ヘクトルさんっていつもこんな感じなんじゃねえの?? いいよ別に、いつも通り話してくんね? それに、英雄様とか言う呼び方照れくさいからやめてくれ。カイトでいいよ」

 その称号に対して、どれだけの価値観を持っているのかは分からない。だが、そのような扱いをするなど……
 自分の瞼がピクリと動いたのがわかった。
 こんなことで怒りを覚えていたら、この先やっていけない。少し呼吸を落ち着かせてから、また口を開く。

「じゃあ、お言葉に甘えて、いつも通りの感じで話すことにする。カイト、俺のこともヘクトルでいい。改めてよろし」
「で? カイトを元の世界へと帰すとは、一体どういうことなんですか?」

 言葉を言い切る前に、カリスタが話を遮った。
 英雄を元の世界に帰す。やはりそんな大事件、お供としては聞き捨てならないのだろう。
 とはいえ、人の話を遮るなんてどんな教育を受けてきたんだか。

「カイト様は今まで様々な事柄を解決してきました。英雄としてはもう充分な程に活躍されています。これ以上頼るのではなく、彼の居場所に帰すのが私たちのできる最善の恩返しなのではと、そう考えているんです」

 もう一度説明するか、と口を開こうとするが、代わりにヴェルナスが颯爽と説明をしてくれた。

「まあ、一理ありますね。カイトはどう思っているのですか?」

 ライムグリーンの瞳を揺らしながら、カリスタは真っすぐとカイトを見つめている。
 その視線は熱を帯びているようにも感じた。
 
 ……なるほど、惚れているのか。
 帰らないでくれ、そう目が訴えているのがわかった。
 昔からカリスタは色恋沙汰に興味が無さそうだったが、まさか英雄に惚れるとは。

「俺は、俺は……正直に言えば帰りたいよ。なんでこんなことしなきゃいけないんだって、そう思ったことは一度だけじゃない」

 ——いける。

「……でも、今はまだ帰れない」
「なっ、何故?? 今すぐにでも帰りたいんじゃないのか??」

 思っていた通りに物事が進んでいる。そう油断していた矢先に、思いがけない言葉が耳につんざく。

「俺、やらなきゃいけないことがあるんだよ。どうしても、やらなくちゃいけない。それが終わってからでも良ければ、帰るのを手伝ってくれないか?」

 これだけ英雄として称えられてきたのに。伝説の勇者だとまで言われているのに。まだなにかやることがあるのか??
 ……いや、でもそれでいい。

 今すぐに帰りたいと言われても、その方法がまだ分かっていない。それなら、そのやりたい事とやらを手伝うついでに調べていけばいいじゃないか。

「分かった。なら、こういうのはどうだ? そのやりたい事とやらを俺が手伝う。カイトの故郷への帰り方も、まだ調べ始めた段階なんだ。だから、そのやりたい事を手伝いながら一緒に調べて回る。戻り方を調べるにも、多分俺だけじゃ厳しいからさ……お互いの目的のためにも協力をし合わないか?」
「いいのか??! あの“神滅の魔剣士”ヘクトル・エルカディオンが手伝ってくれるのなら、心強い!」

 ——神滅の魔剣士。
 久しぶりに呼ばれたその名に、心臓が締め付けられる。もう、剣は握れない。騎士として呼ぶにも不相応な人間になってしまったのに、まだその名で呼ばれることがあるとは。

「あぁ、勿論。剣はもう握れないが、魔法はまだ使える。きっと役に立って見せるさ。それでは、交渉成立ということでいいか?」

 左手を差し出しながら、最後の確認を取る。これで了承されれば、コイツを英雄じゃない、ただの人間に戻すことができる。俺が、ただの人間から英雄に戻ることができる。

「剣が握れない……? いや、魔法使いとしてもとても優秀だと聞いてる。改めて、これからよろしくな、ヘクトル!」

 満面の笑みで、警戒心というものを知らなそうな顔で手を握り返してくる。

 勝った。これで、これで俺は——

「よろしく、カイト」

◇◇◇

 一度家に帰り、旅へと出かける準備を始める。日用品、金、そして剣。もう使えないことなんて充分理解しているはずなのに、やはり騎士として備えておかないと気がすまない。

「ヘクトル。申請が通れば、すぐにでも追いつく。無理だけはしないでくれ」

 準備の手伝いをしてくれたヴェルナスが、心配そうに声をかけてきた。引きこもりだった俺と違い、毎日騎士としての務めを果たしているヴェルナスは急な思いつきで旅に出ることは出来ない。

「心配するな、大丈夫だから……どうしてもヤバくなったら、最終手段を取るだけだ」

「それがダメだと言ってるんだ!」

 急に大声で怒鳴られ、全身の毛が逆立つのがわかった。荷物を詰めていた左手から物が落ち、手が震え始める。

「ぁ……すまない、違うんだよヘクトル。キミが心配で仕方ないんだ」
「分かってるよ。ありがと」

 誰よりも心配してくれているのがわかる。わかっている。

「俺の方こそ、ごめんな」

 心の底からの本音を零し、力いっぱい抱きしめた。

 コンコンコン。

「おーい! 準備できてるかー?」

 3回のノック音と共に、元気な憎き男の声が聞こえてきた。
 もう少しヴェルナスとの時間を過ごしたかったが、これ以上遅くなると日が落ちてきてしまう。
 旅に出る準備は全て終え、荷物を持ち、剣を腰に備え立ち上がる。

「終わってる。思ってたより早かったな」

 ガチャリと扉を開き、黒髪の男と目が合った。
 微笑んでから目を逸らし、外に視線を移す。

 ——今日は風が強そうだ。

「それじゃあ、行ってくる。待ってるからな、ヴェルナス」

 約十八年間、殆ど毎日顔を合わせていた男と離れることになるなんて。最近は食事の際も、風呂の際も、いつも手助けをしてもらっていた。また会える。たった数日離れるだけだ。それなのに、何故か足が進まない。
 家を、出たくない。

 離れたくない。

「ヘクトル。左手を出してくれないか?」

 ヴェルナスから差し出された手に、言われた通り左手を重ねた。

 薬指に冷たい感覚が伝わる。

「……行ってらっしゃい」


 家を出て、王都を出て、ただまっすぐ、道を歩いていく。

「ちなみに、聞くのを忘れてたんだが……カイトのやらなきゃいけないことって、一体何なんだ?」

 この協力関係において一番重要な所を聞き忘れ、自分の策略が成功したことに喜び、簡単に承諾してしまった。もしこれで世界を滅ぼす、なんて言われたらどうしてしまおうか。
 そんなことを考えながら返答を待つ。

「黎明の神子って知ってる? いや、知らないわけねえわな。俺は、そこの神子アリステラって人を救いたい。その為に、黎明の神子を壊滅させたいんだよ」

 ——黎明の神子。
 非道な連中だというのはこの世界の人間なら皆知っている。知らないはずがない。
 神への異様な執着があり、目的のためなら村を焼き、人を攫う。
 手段を選ばず、殺人すら厭わない。
 いつからか、世界中から恐れられる連中になった。

 俺自身も、奴らとは何度も対峙してきた。
 何故よりにもよって、奴らなんだよ。
 右手が震える感覚がある。
 焼けるような熱を感じ、あの時の恐怖が頭を駆け巡る。

「ヘクトルと俺ならやれるよ。心配すんなって!」

 肩を叩きながら軽くそう言うカイトに対し、怒りを覚えた。
 いや、常に怒ってはいる。
 だが、いつも以上に舐めた態度なのが許せなかった。

「……いや、二人だけじゃ流石に無理だ。まずは一緒に戦ってくれる仲間を見つけないと」

 本当なら絶対に手伝いたくなんかない。
 あの日の痛みも、血の匂いも、あの声も、全てが頭にこびりついて離れてはくれない。

 ……だが、もし倒せたら?

 黎明の神子を壊滅させれば、また俺を【英雄】と呼んでくれるかもしれない。どうせ戦うのは俺なんだ。手柄も俺のものになる。

 痛みは嫌いだ。
 今まで、無傷で敵を倒してきた。あの時、初めて痛みを知った。
 奴らを倒すには、またこの苦しみを味わうかもしれない。今度は左目も失うかもしれない。
 それでも、

 ——また英雄になれるなら。

「絶対に壊滅させるぞ、カイト」
「あったりまえよ!」

 ここで覚悟を決めないと、きっと何も変わらないままだ。