隣の席のキミとひみつの合図 ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~

夕方五時半。

すべての競技と閉会式が終わり、生徒たちの下校が始まった校舎裏。

初夏の西日が、グラウンドをオレンジ色に染めている。

校舎の裏手、茶トラのいる隠れ家へと続くフェンスのそばには、颯人と結衣、ひまりの三人が並んでいた。

「あーあ、結局最後まで高城くんにからかわれっぱなしじゃん、私!」

結衣が頬を膨らませる。

「ふふ。でも結衣、高城くんに『格好よかった』って言ってるとき、顔真っ赤だったよ?」

「ひ、ひまり! あれは体育祭の熱気ですーっ!」

「お前、本当に声だけは一丁前だよな」

フェンスに寄りかかっていた颯人が、ニヤリと笑う。

「なっ、高城くん! 誰のために私が救護テントで嘘ついたと思ってんのよ!」

「はいはい。ありがとな」

「なによ、その言い方!」

言い合う二人を見ながら、ひまりが小さく笑った。

颯人も結衣から視線を逸らしながら、口元だけを緩める。

リレーで呼ばれた「颯人」という声が、まだ妙に耳の奥に残っていた。

(……調子狂うわ、ほんと)

そのとき――。

校舎の角から、二つの人影が並んで姿を見せた。

「――おーい! 待たせた!」

聞き慣れた声に、三人が振り返る。

制服に着替えた琉生が、いつもの明るい笑顔でこちらへ歩いてくる。

その隣には、乃愛。

琉生の左手と乃愛の右手は、指を絡めるようにしっかりと繋がれていた。

乃愛の右手首では、図書室で結び直してもらった赤いハチマキが夕風に揺れている。

「乃愛――っ!」

結衣とひまりが嬉しそうに駆け寄った。

乃愛は頬を赤くしながらも、琉生と繋いだ手を離さない。

「結衣、ひまり……本当に、ありがとう……っ」

「もう、乃愛ぁ……!」

結衣が今にも抱きつきそうになった、その横で。

ふと二人の繋いだ手に気づき、途端にニヤニヤと口元を緩めた。

「ちょっと羽瀬くん! 乃愛の手、離す気一ミリもないでしょ!? どんだけ乃愛にベタ惚れなのよ〜!」

「うるせぇな、橘」

琉生は耳まで赤くしながらも、繋いだ手はそのまま。

むしろ、乃愛の指を握り直した。

「もうみんなの前では関係ねぇだろ。……校門から一歩外に出たら、この特等席は俺のだからな。譲らねー」

「ひゃー! 言うねぇ、完全優勝のMVP男!」

「……琉生、お前まじで格好よくなって戻ってきたな」

颯人が呆れたように笑う。

「本当に。二人とも、おめでとう」

ひまりも優しく微笑んだ。

「今日の夜のLINEは、いつも以上に忙しくなりそうだね」

「ひ、ひまりまで……っ」

乃愛が真っ赤になり、琉生の背中へ隠れる。

「もー、乃愛は相変わらず可愛いなぁ!」

結衣が笑いながら乃愛へ一歩踏み出した。

その瞬間――。

「あっ……!」

ローファーが足元の砂に滑り、結衣の身体が前へ傾く。

「っと、危ねぇ」

すぐ後ろにいた颯人が、とっさに結衣の右腕を掴んだ。

ぐっと引き戻された身体が、颯人の胸元へ触れるように止まる。

「――っ!?」

「大丈夫か、橘」

耳の近くから聞こえた声に、結衣の顔が一気に赤くなる。

「う、うん……」

「危ねぇな。足元ちゃんと見ろよ」

颯人はそう言いながら――ふと、口元を緩めた。

「……っていうか、橘。近すぎてお前の心臓の音、まじで響いてんだけど。……これ、わざとやってねぇ?」

「わ、わざとなんてしてないし……っ!」

「あはは、嘘。ごめん」

颯人が笑いながら手を離す。

そのやり取りを見ていた琉生と乃愛は、思わず顔を見合わせた。

そして、ほとんど同時に笑う。

「なぁ、颯人。今の台詞、俺どっかで聞いたことあるんだけど?」

「ふふっ……私も、聞いたことあります」

「は?」

琉生と乃愛の楽しそうな顔を見比べ、颯人の耳がみるみる赤くなる。

「おい、琉生、白石! お前ら付き合った瞬間、二人して調子乗んじゃねぇよ!」

「あはは! だって颯人、完全に俺と同じじゃん!」

「知らねぇよ! お前ら二人のことなんか覗いてねぇんだから!」

「ふふっ……」

五人の笑い声が、夕暮れの校舎裏に響いた。

救護テントで生まれた、まだ名前のない小さな熱。

その正体に、結衣も颯人もまだ気づいていない。

――そのとき。

「にゃあ」

足元から、小さな鳴き声がした。

「……あっ」

フェンスの隙間から、茶トラが顔を出している。

尻尾をゆらりと揺らしながら、乃愛たちを見上げていた。

乃愛は琉生の手をそっと離すと、その場にしゃがみ込む。

「茶トラも……ありがとね」

女子たちに囲まれたとき、自分の前へ出てくれた小さな存在。

茶トラは乃愛を見上げ、

「にゃあ」

もう一度、小さく鳴いた。

「……相変わらず、乃愛には懐いてんな」

琉生が苦笑する。

「ふふっ。茶トラ、可愛いです」

立ち上がった乃愛へ、琉生がもう一度左手を差し出した。

乃愛は少しだけ頬を赤くしながら、その手に自分の右手を重ねる。

今度は、自分から指を絡めた。

琉生が嬉しそうに笑い、繋いだ手にほんの少し力を込める。

「……帰るか、乃愛」

「……うん、琉生くん」

二人が並んで歩き出す。

結衣とひまりも、そのあとへ続いた。

颯人は四人の背中を見つめ、ふっと息を吐く。

琉生が乃愛のもとへ走っている間、自分たちはその時間を繋いだ。

そして今、相棒は大切な人と笑っている。

「……ったく。世話の焼ける相棒だぜ」

そう呟いたとき。

前を歩いていた結衣が、くるりと振り返った。

「高城くん! 早く来ないと置いてくよー!」

「……っ」

夕日に照らされた結衣の笑顔を見て、颯人は一瞬だけ視線を逸らした。

リレーで聞いた声が、また耳の奥に蘇る。

――颯人、いけぇぇぇーーーっ!!

(……また、呼んでくんねぇかな)

そこまで考えて、颯人は眉をひそめた。

(……は? 俺、今なに考えた?)

「高城くーん!」

「はいはい。今行くっての」

颯人も四人のあとを追いかける。

オレンジ色の夕日が、五人の影を長く伸ばしていた。

琉生と乃愛の繋いだ手。

結衣と颯人の、まだ名前のない小さな気持ち。

そして、それを優しく見守るひまり。

体育祭という一日を越えて、五人の関係はほんの少しずつ形を変えていた。

初夏の風に背中を押されながら、五人は並んで校門へと歩いていく。

それぞれの胸に芽生えた想いを、次の季節へ繋いで――。