琉生が校舎へ走っていってから、リレーの招集時間は刻一刻と迫っていた。
グラウンドのスピーカーから、男子リレーの選手を急かすアナウンスが何度も響いている。
「二年二組の羽瀬はどうした! アンカーがいなきゃ失格になるぞ!」
審判の先生たちまで、ざわつき始めていた。
その喧騒の中――。
「高城くん、どうしよう……」
隣にいた結衣が、不安そうに颯人の体操服の裾をぎゅっと握った。
「リレー始まっちゃう……羽瀬くんが戻ってこなかったら、失格になっちゃうよ……っ」
「――っ」
颯人の胸が、ドクンと跳ねた。
いつもなら明るく笑って、自分たちをからかってくる結衣。
そんな彼女が今は涙を堪えながら、すがるような瞳で自分を見上げている。
しかも、裾を掴んだ指先は小さく震えていた。
その健気な横顔を至近距離で捉えた瞬間。
颯人の胸の真ん中が、いつもとは違う奇妙な音を立てた。
――なんだよ、その顔。
そんなふうに頼られたら、放っておけるわけがない。
それにしても――。
(……なんで俺まで、こんな心臓うるせぇんだよ)
颯人は戸惑いを隠すように息を吐くと、自分の裾を掴んでいる結衣の手に、そっと手を重ねた。
「――っ、高城くん……?」
驚いて見上げた結衣に、颯人はふっといつもの意地悪なノリを少しだけ混ぜて優しく微笑んだ。
「しょうがねぇな……。大丈夫、白石さんのことは琉生に任せろ」
「でも、リレーが……」
「だから、ここは俺に任せとけ」
低く、迷いのない声だった。
颯人は結衣の手を一度だけ軽く握ると、そっと離した。
「俺が時間、作ってやるから」
「……高城くん」
離れたあとも、右手には颯人の手の温かさがじんわり残っている。
ただのクラスメイト。
琉生の親友。
ずっと、そう思っていたはずなのに。
真っ直ぐな瞳で「任せろ」と言われた瞬間、結衣の胸の奥で、まだ名前のない小さな熱がトクンと跳ねた。
一方の颯人も、結衣から視線を逸らす。
(……あー、まじで調子狂う)
そして、その気恥ずかしさごと振り払うように――。
突然、右足を大げさに引きずり始めた。
「先生ーーっ! すんません!」
「えっ、高城くん!?」
結衣が目を丸くする。
颯人は救護係の先生たちの前まで行くと、痛そうに右足首を押さえた。
「さっきの競技の着地で、ちょっと右足首グキッといっちゃって! 走れます! 走れますけど、テーピングでガチガチに固定してもらわないと無理っす!」
「何!? 高城、大丈夫か!」
「救護班、テーピング持ってきて!」
先生たちが慌ただしく動き始める。
その様子を見ながら、結衣はようやく颯人の狙いに気づいた。
――羽瀬くんが戻ってくるまで、時間を稼ぐつもりなんだ。
「高城、リレーの招集もう始まってるぞ!」
「すんません、先生! すぐ行くんで!」
颯人は痛そうに顔を歪めながら、ちらりと校舎へ目を向けた。
(琉生。こっちは何とかする)
だから――。
白石さんのところへ、ちゃんと行ってこい。
そのとき。
「結衣……っ! 高城くん……!」
聞き慣れた声に二人が振り返る。
校舎の方から、息を切らしたひまりが走ってきた。
「ひまり!」
結衣が立ち上がる。
「乃愛は!? 大丈夫だった!?」
ひまりは呼吸を整えながら、しっかりと頷いた。
「うん。羽瀬くんが図書室まで来てくれたから、乃愛のことお願いしてきた」
「そっか……」
結衣の肩から、ようやく力が抜ける。
「よかった……っ」
安心した途端、また涙が零れた。
ひまりはそんな結衣のそばへ寄ると、背中をそっと撫でた。
「二人なら、大丈夫だよ」
その言葉に結衣が頷いた――その横で。
「お前ら、感動してるところ悪いけど」
颯人が小声で二人を呼ぶ。
右足首には、救護係の先生がテーピングを巻いている最中だった。
「俺、そろそろネタ切れ。これ以上は引っ張れねぇぞ」
「えっ?」
颯人は先生たちから見えないように、二人へ片目を瞑ってみせる。
「琉生が戻るまで、もうちょい時間稼ぐ。……手伝え」
その瞬間、結衣の目が輝いた。
「分かった!」
ひまりも状況を察したのか、救護係の先生のそばへしゃがみ込む。
結衣は颯人の足首を覗き込み、心配そうな声を上げた。
「先生! 高城くん、すっごく痛そうです! もっとガチガチに巻いてあげてください!」
「橘、お前……」
続いて、ひまりまで真剣な表情で先生を見る。
「先生、まだ固定が緩い気がします。高城くん、これからの陸上の将来もある大事な選手なので……もう少し丁寧にお願いします」
「そうか。分かった!」
先生がさらにテーピングを手に取る。
颯人は必死で笑いを堪えた。
(……松永。俺、サッカー部なんだけど)
それでも、この真面目な顔で大嘘をつくひまりの援護はありがたい。
「高城! まだか!?」
離れたところから、審判の先生の声が飛んでくる。
「もうちょいです! すんません!」
答えながら、颯人はもう一度校舎へ目を向けた。
琉生が戻るまで。
あと少し。
乃愛を一人にしないために走っていった親友が、ちゃんと戻ってこられるように。
そして隣では、結衣とひまりも必死になって時間を繋いでくれている。
颯人はテーピングを巻かれる右足を見つめながら、小さく笑った。
(ったく……世話の焼ける相棒だな)
だけど――悪くない。
琉生から託された数分間を、三人は救護テントの片隅で、必死に繋ぎ止めていた――。
グラウンドのスピーカーから、男子リレーの選手を急かすアナウンスが何度も響いている。
「二年二組の羽瀬はどうした! アンカーがいなきゃ失格になるぞ!」
審判の先生たちまで、ざわつき始めていた。
その喧騒の中――。
「高城くん、どうしよう……」
隣にいた結衣が、不安そうに颯人の体操服の裾をぎゅっと握った。
「リレー始まっちゃう……羽瀬くんが戻ってこなかったら、失格になっちゃうよ……っ」
「――っ」
颯人の胸が、ドクンと跳ねた。
いつもなら明るく笑って、自分たちをからかってくる結衣。
そんな彼女が今は涙を堪えながら、すがるような瞳で自分を見上げている。
しかも、裾を掴んだ指先は小さく震えていた。
その健気な横顔を至近距離で捉えた瞬間。
颯人の胸の真ん中が、いつもとは違う奇妙な音を立てた。
――なんだよ、その顔。
そんなふうに頼られたら、放っておけるわけがない。
それにしても――。
(……なんで俺まで、こんな心臓うるせぇんだよ)
颯人は戸惑いを隠すように息を吐くと、自分の裾を掴んでいる結衣の手に、そっと手を重ねた。
「――っ、高城くん……?」
驚いて見上げた結衣に、颯人はふっといつもの意地悪なノリを少しだけ混ぜて優しく微笑んだ。
「しょうがねぇな……。大丈夫、白石さんのことは琉生に任せろ」
「でも、リレーが……」
「だから、ここは俺に任せとけ」
低く、迷いのない声だった。
颯人は結衣の手を一度だけ軽く握ると、そっと離した。
「俺が時間、作ってやるから」
「……高城くん」
離れたあとも、右手には颯人の手の温かさがじんわり残っている。
ただのクラスメイト。
琉生の親友。
ずっと、そう思っていたはずなのに。
真っ直ぐな瞳で「任せろ」と言われた瞬間、結衣の胸の奥で、まだ名前のない小さな熱がトクンと跳ねた。
一方の颯人も、結衣から視線を逸らす。
(……あー、まじで調子狂う)
そして、その気恥ずかしさごと振り払うように――。
突然、右足を大げさに引きずり始めた。
「先生ーーっ! すんません!」
「えっ、高城くん!?」
結衣が目を丸くする。
颯人は救護係の先生たちの前まで行くと、痛そうに右足首を押さえた。
「さっきの競技の着地で、ちょっと右足首グキッといっちゃって! 走れます! 走れますけど、テーピングでガチガチに固定してもらわないと無理っす!」
「何!? 高城、大丈夫か!」
「救護班、テーピング持ってきて!」
先生たちが慌ただしく動き始める。
その様子を見ながら、結衣はようやく颯人の狙いに気づいた。
――羽瀬くんが戻ってくるまで、時間を稼ぐつもりなんだ。
「高城、リレーの招集もう始まってるぞ!」
「すんません、先生! すぐ行くんで!」
颯人は痛そうに顔を歪めながら、ちらりと校舎へ目を向けた。
(琉生。こっちは何とかする)
だから――。
白石さんのところへ、ちゃんと行ってこい。
そのとき。
「結衣……っ! 高城くん……!」
聞き慣れた声に二人が振り返る。
校舎の方から、息を切らしたひまりが走ってきた。
「ひまり!」
結衣が立ち上がる。
「乃愛は!? 大丈夫だった!?」
ひまりは呼吸を整えながら、しっかりと頷いた。
「うん。羽瀬くんが図書室まで来てくれたから、乃愛のことお願いしてきた」
「そっか……」
結衣の肩から、ようやく力が抜ける。
「よかった……っ」
安心した途端、また涙が零れた。
ひまりはそんな結衣のそばへ寄ると、背中をそっと撫でた。
「二人なら、大丈夫だよ」
その言葉に結衣が頷いた――その横で。
「お前ら、感動してるところ悪いけど」
颯人が小声で二人を呼ぶ。
右足首には、救護係の先生がテーピングを巻いている最中だった。
「俺、そろそろネタ切れ。これ以上は引っ張れねぇぞ」
「えっ?」
颯人は先生たちから見えないように、二人へ片目を瞑ってみせる。
「琉生が戻るまで、もうちょい時間稼ぐ。……手伝え」
その瞬間、結衣の目が輝いた。
「分かった!」
ひまりも状況を察したのか、救護係の先生のそばへしゃがみ込む。
結衣は颯人の足首を覗き込み、心配そうな声を上げた。
「先生! 高城くん、すっごく痛そうです! もっとガチガチに巻いてあげてください!」
「橘、お前……」
続いて、ひまりまで真剣な表情で先生を見る。
「先生、まだ固定が緩い気がします。高城くん、これからの陸上の将来もある大事な選手なので……もう少し丁寧にお願いします」
「そうか。分かった!」
先生がさらにテーピングを手に取る。
颯人は必死で笑いを堪えた。
(……松永。俺、サッカー部なんだけど)
それでも、この真面目な顔で大嘘をつくひまりの援護はありがたい。
「高城! まだか!?」
離れたところから、審判の先生の声が飛んでくる。
「もうちょいです! すんません!」
答えながら、颯人はもう一度校舎へ目を向けた。
琉生が戻るまで。
あと少し。
乃愛を一人にしないために走っていった親友が、ちゃんと戻ってこられるように。
そして隣では、結衣とひまりも必死になって時間を繋いでくれている。
颯人はテーピングを巻かれる右足を見つめながら、小さく笑った。
(ったく……世話の焼ける相棒だな)
だけど――悪くない。
琉生から託された数分間を、三人は救護テントの片隅で、必死に繋ぎ止めていた――。


