隣の席のキミとひみつの合図 ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~

男子の赤組テント裏。

二年男子リレーの招集を告げるアナウンスが流れ、琉生と颯人が立ち上がった、そのときだった。

「――羽瀬くん! 高城くん!」

聞き慣れた声に、二人が同時に振り返る。

髪を振り乱し、肩で大きく息をしながら、結衣が駆け込んできた。

いつもの明るい表情はどこにもない。

その瞳には、今にも零れそうな大粒の涙が浮かんでいた。

「橘? どうしたんだよ」

颯人が驚いて一歩前へ出る。

けれど結衣は、その横を抜けるようにして琉生の前まで来ると、体操服の胸元をぎゅっと掴んだ。

「羽瀬くん、今すぐ校舎に行って!」

「……え?」

「乃愛が……クラスの女子たちに呼び出されて、泣いてどこかに行っちゃったの!」

「――っ」

琉生の表情が変わった。

「どういうことだよ」

「二人の合図もバレてた。羽瀬くんのサッカーの邪魔してるって……乃愛、あの子たちに言われたの」

「……白石さんが、俺の邪魔?」

違う。

そんなわけがない。

乃愛は一度だって、琉生の邪魔なんかしていない。

むしろ、何度も背中を押してくれた。

今日だってそうだ。

朝、赤いハチマキに書いてくれた言葉。

自分が頑張ってきたことを、乃愛はちゃんと見ていてくれた。

「……それ、白石さんが悪いわけねぇだろ」

隣から聞こえた颯人の声も、いつになく低かった。

「分かってるよ! そんなの……私だって分かってる!」

結衣の声が震える。

悔しそうに唇を噛むと、琉生の胸元を掴んだまま俯いた。

「私……もっと早く気づけばよかった。乃愛があんなに傷つく前に、止められたかもしれないのに……」

「橘……」

「それに、羽瀬くんは何にも知らないでしょ」

「……何を?」

結衣が顔を上げる。

涙に濡れた瞳が、まっすぐ琉生を見た。

「乃愛には怒られるかもしれないけど……今は言うから」

その声に、琉生は息を呑んだ。

「乃愛ね、羽瀬くんからもらったブルーの付箋、一枚も捨ててないんだよ」

「……え?」

「自分の部屋のコルクボードに、全部大切に並べてるの。宝物みたいに」

言葉が出なかった。

――白石さんも?

琉生の脳裏に浮かんだのは、自分の部屋にしまってある桜色の付箋だった。

捨てることなんてできなくて、大切に残してある乃愛からの言葉。

それと同じように。

乃愛も、自分が渡した言葉をずっと大切にしてくれていた。

「今日のハチマキだって、すっごく嬉しそうにしてたのに……」

結衣の声が涙で掠れる。

「それなのに、羽瀬くんの邪魔になりたくないって……」

その瞬間。

結衣のポケットの中で、スマホが震えた。

「……ひまり!」

慌てて画面を確認し、そのまま電話に出る。

「もしもし、ひまり!? 乃愛、見つかった!?」

『うん。図書室にいる。……一番奥の席。ハチマキを握りしめて、ずっと泣いてる』

「図書室……!? 乃愛、図書室にいるの!?」

結衣が思わず声を上げた瞬間、そばにいた琉生と颯人の表情が変わった。

「ひまり、乃愛のそばにいてあげて! お願い!」

そう言って通話を切ると、結衣はすぐに琉生を振り返った。

「羽瀬くん、聞いたよね!? 乃愛、図書室にいるって!」

結衣は涙を拭う間もなく、琉生の胸元をぐっと押した。

「一番奥の席で、ハチマキ握りしめて、ずっと泣いてるって……!」

「――っ」

図書室。

二人で何度も過ごした、あの場所。

その言葉を聞いた瞬間、琉生の中から迷いが消えた。

「だから羽瀬くん、今すぐ行って」

結衣は涙を滲ませたまま、まっすぐ琉生を見た。

「乃愛の涙、全部止めてきなさいよ!」

リレーの招集を急かすアナウンスが、グラウンドに響く。

リレーも大事だ。

サッカーだって、絶対に諦めたくない夢だ。

それでも今、泣いている乃愛を一人にはできない。

琉生は隣にいる親友へ振り返った。

「……颯人。リレー、頼む」

颯人が一瞬だけ目を見開く。

けれど、すぐに琉生の目をまっすぐ見返した。

「……行けよ」

「颯人……」

「白石さん、一人にすんな」

その一言に、琉生は強く頷いた。

「……頼む!」

琉生は地面を力強く蹴り、振り返ることなく校舎へ走った。

頭に浮かぶのは、乃愛のことだけだった。

朝、自分のためにハチマキへ言葉を書いてくれた乃愛。

借り物競争で、勇気を出して一緒に走ってくれた乃愛。

そして今――。

自分の邪魔になりたくないと、一人で泣いている乃愛。

違う。

邪魔なんかじゃない。

そんなこと、一度だって思ったことない。

今はただ、一人で泣いている乃愛のそばへ――。