隣の席のキミとひみつの合図 ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~

クラス対抗ダンスが終わっても、グラウンドの熱気は冷める気配がなかった。

『ただいまより、二年男子による借り物競争を行います――』

アナウンスが響き、乃愛は一般生徒席の最前列からスタートラインを見つめる。

赤いハチマキを頭に巻いた琉生が、他の男子生徒たちと並んでいた。

周囲からは、

「羽瀬くん、頑張ってー!」

と、女子たちの声援がいくつも飛んでいる。

けれど乃愛の胸に残っているのは、さっきのダンスのあとに言われた言葉だった。

『……つーか、普通に見惚れそうだった』

思い出すだけで頬が熱くなる。

乃愛は誤魔化すように、右手首の赤いハチマキへそっと触れた。

「――位置について、よーい……ドン!」

乾いたピストルの音と同時に、男子たちが一斉に走り出す。

その中から、琉生があっという間に先頭へ出た。

サッカー部らしい軽い足取りでトラックを駆け、真っ先に中央のお題箱へたどり着く。

箱から一枚の紙を引き抜き、その場で開いた。

その瞬間――。

琉生の足が、ぴたりと止まった。

「……は?」

遠くからでも分かるほど、完全に固まっている。

(……どうしたんだろう?)

乃愛が首を傾げている間にも、他の生徒たちは次々とお題に合うものを探し始めた。

「羽瀬くん、こっち!」

「何探してるのー?」

トラックの周囲にいた女子たちが一斉に声を上げる。

けれど琉生は、そちらには向かわなかった。

紙を握ったまま顔を上げ、観客席を見渡す。

そして――乃愛と目が合った。

ドクン、と心臓が跳ねる。

(……え?)

次の瞬間。

琉生は真っ直ぐ、乃愛のいる場所へ向かって走り出した。

「えっ……わ、私……?」

思わず一歩後ろへ下がりそうになった乃愛の背中を、結衣が支える。

「乃愛、逃げちゃダメ! 行ってきなさいっ!」

「うん。乃愛、行っておいで」

ひまりも優しく背中を押した。

二人に送り出されるように、乃愛が一歩前へ出る。

ちょうどそこへ、琉生が駆け込んできた。

「はぁ、はぁ……白石さん!」

「羽瀬くん……っ」

周囲がざわめく。

「え、羽瀬が白石さんのところ行った?」

「お題、何なんだろ?」

その声が聞こえて、乃愛はますます混乱した。

「でも私、お題が何か分からないよ……?」

琉生は一瞬だけ手元の紙を見てから、乃愛へ左手を伸ばした。

その手が、朝に自分で結んでくれた赤いハチマキの上から、乃愛の右手首をそっと掴む。

「いいから! 俺の隣は、白石さんじゃなきゃだめなんだ」

「――っ」

「……頼む。一緒に来て!」

胸の奥が、一気に熱くなる。

大勢の生徒が見ている。

少し前の乃愛なら、それだけで足が動かなくなっていたかもしれない。

それでも今は。

自分を真っ直ぐ見つめる琉生から、目を逸らしたくなかった。

「……っ、うん。行く……!」

「よし、走るぞ!」

琉生に右手首を引かれ、乃愛も走り出す。

「乃愛ー! 頑張れーっ!」

後ろから結衣の声が飛んできた。

青空の下を、琉生と並んで駆けていく。

たくさんの視線が集まっていることは分かっていた。

それでも、もう立ち止まりたいとは思わなかった。

やがて二人は、ゴール手前にいる検印係の先生のところへたどり着く。

「羽瀬、お題」

「はい!」

乃愛が覗き込むより先に、琉生は紙の文字を隠すようにして先生へ差し出した。

「えっ……」

先生はそこに書かれた文字を確認すると、琉生を見て、それから隣にいる乃愛へ視線を移す。

「……なるほどな」

なぜか少しだけ楽しそうに口元を緩めた。

「ちゃんと自分で見つけてきたなら、文句なしだ。合格!」

「っしゃ! 白石さん、行くぞ!」

再び琉生に引かれ、乃愛も最後の数メートルを走る。

二人で並んでゴールテープを駆け抜けた瞬間、大きな歓声と拍手が響いた。

「はぁ……一位、だね……っ」

息を整えながら乃愛が見上げると、琉生は嬉しそうに笑った。

「おう。白石さんのおかげ。ありがとな」

「私は一緒に走っただけだよ……」

そう答えたところで、乃愛は琉生が手にしている紙を思い出した。

「……あの、羽瀬くん」

「ん?」

「お題、何だったの?」

「――っ」

琉生の動きが止まった。

さっきまであれほど堂々と走っていたのに、今度はみるみる耳まで赤くなっていく。

「……内緒。今は言えねぇ」

「ええっ……」

「今日の夜、LINEでちゃんと教えるから」

琉生は照れくさそうに目を逸らした。

「だから、それまで待ってて」

「……うん」

夜になれば、学校では言えない答えを教えてもらえる。

そう思っただけで、また頬が熱くなった。

「じゃ、俺戻るわ。白石さんも、ちゃんと水分補給しろよ?」

「うん。羽瀬くんも、午後頑張ってね」

「おう!」

琉生は片手を上げ、自分のクラスの列へ走っていった。

その後ろ姿を見送っていると――。

「乃愛ーーーっ!」

「ひゃあっ、結衣!?」

戻ってきた結衣が勢いよく乃愛に抱きつく。

「何あれ! 『白石さんじゃなきゃだめ』って! こっちまで心臓止まるかと思ったんだけど!」

「ゆ、結衣、声大きい……っ!」

「結衣、みんな見てるよ」

ひまりが笑いながら、乃愛へスポーツドリンクを差し出した。

「はい。羽瀬くんに言われた通り、ちゃんと水分補給」

「あ、ありがとう……」

冷たいボトルを受け取りながら、乃愛はまだ熱い頬を押さえる。

「……でも、お題は教えてくれなかったの。夜まで内緒だって」

「ふふっ」

ひまりが小さく笑った。

「じゃあ、答え合わせは二人だけだね」

「――っ」

その一言だけで、また胸がいっぱいになる。

少し前の乃愛なら、大勢の視線が集まる場所で、琉生のところへ走っていくなんてできなかった。

結衣とひまりが背中を押してくれた。

琉生が手を伸ばしてくれた――。

それでも最後に、一緒に行くと決めて一歩を踏み出したのは、乃愛自身だった。

右手首には、琉生が結んでくれた赤いハチマキ。

そして琉生のポケットには、まだ答えを知らない一枚のお題。

その答えを知るのは、今日の夜。

二人だけの答え合わせの時間だった。