体育祭当日の朝。
二年二組の教室は、いつも以上の熱気に包まれていた。
窓の外からは入場行進の音楽が聞こえ、真っ白な体操服に赤いハチマキをつけたクラスメイトたちが、準備をしながら賑やかに声を上げている。
「よし、乃愛! これでバッチリ!」
窓際の席で、結衣が乃愛の黒髪を高い位置できゅっと結び上げた。
「うん。いつもと雰囲気違って、すごく似合ってる」
ひまりが手鏡を差し出しながら、穏やかに微笑む。
「……ありがとう。ちょっと恥ずかしいかも」
いつもは髪に隠れている首元が涼しくて、なんだか落ち着かない。
乃愛が照れながらポニーテールに触れていると、教室のドアが勢いよく開いた。
「ういーっす! おはよ!」
琉生が男子たちと笑いながら教室へ入ってくる。
そのままいつものように乃愛たちの席へ近づいて――ふいに足を止めた。
「白石さん、おはよう! ……って、うわ」
「……羽瀬くん、おはよう」
琉生は、乃愛の顔を見たまま一瞬言葉を失った。
「なんか、いつもと違うな。……すげー似合ってる」
「……ありがとう」
乃愛が照れて俯くと、琉生まで少し耳を赤くする。
そんな二人を見て、結衣とひまりが顔を見合わせた。
「あ、そうだひまり! うちら先に入場門確認してこ!」
「え? ……あ、うん。そうだね」
ひまりもすぐに察したらしい。
「じゃ、乃愛。またあとでね」
「えっ、ちょっと結衣――」
呼び止める間もなく、二人は教室を出ていった。
賑やかな教室の中なのに、急に琉生との距離だけが近くなったような気がする。
「……あの、羽瀬くん?」
「ん? ああ、そうだ」
琉生は前の席に反対向きに腰掛けると、二本の赤いハチマキを取り出した。
「なぁ、白石さん。これ、お互いのハチマキにメッセージ書かねぇ?」
「えっ、メッセージ……?」
「そ。内側なら結んだら見えないし」
琉生は体操服のポケットから黒い油性マジックを取り出して、悪戯っぽく笑った。
「これあったら、俺、今日マジで負ける気しねぇわ」
「でも、みんなに見つかったら……」
乃愛は思わず周囲を見回す。
昨日の放課後、廊下で感じた誰かの視線がふと頭をよぎった。
「大丈夫。ここなら見えないって」
琉生は大きな背中で手元を隠しながら、一本のハチマキにさらさらとペンを走らせる。
「よし。できた」
差し出された赤い布を、乃愛はそっと受け取った。
内側に書かれていたのは、力強い文字。
『一番カッコいいところ、見てて。琉生』
「――っ」
胸が大きく跳ねた。
「はい、次は白石さんの番」
琉生がもう一本を机の上に広げ、マジックを差し出す。
乃愛は少し迷ってから、震える指でそれを受け取った。
何を書けばいいのだろう。
頑張って。
勝ってね。
いくつかの言葉が浮かんでは消える。
けれど、乃愛が本当に伝えたいのは、それではなかった。
サッカーのことを楽しそうに話す姿も。
放課後のグラウンドを走る姿も。
乃愛はずっと、近くで見てきた。
だから――。
ゆっくりと、ハチマキに文字を綴る。
『がんばってきた羽瀬くんなら、
絶対大丈夫って、信じてます。乃愛』
「……できたよ」
「どれどれ」
琉生が机に身を寄せ、書かれた文字を読む。
「……『絶対大丈夫』、か」
「あ……ご、ごめんね。私、スポーツのことよく分からないのに、勝手なこと書いちゃって……」
慌てて俯いた乃愛に、琉生は首を横に振った。
「違う。すげー嬉しい」
「……え?」
「俺、エースだから勝てって言われること多いからさ」
琉生はもう一度、乃愛の文字を見る。
「でも、白石さんは俺が頑張ってきたところ見ててくれて、その上で『大丈夫』って言ってくれたんだろ?」
少し照れくさそうに笑った。
「……最高のハチマキだわ」
その笑顔に、乃愛の胸がじんわりと温かくなる。
「じゃあ白石さん、これ結んでくんね? 自分でやると曲がりそうだから」
「わ、私が?」
「うん。お願い」
琉生が頭を少し下げる。
「……うん」
乃愛は椅子から立ち上がり、琉生の後ろへ回った。
赤いハチマキを額に沿わせ、後頭部でそっと結ぶ。
指先が髪に触れそうになるたび、心臓が落ち着かない。
「……きつくない?」
「全然。ちょうどいい」
結び目を整えると、琉生が嬉しそうに振り返った。
「ありがとな」
そのとき、教室の後ろから男子の声が飛んでくる。
「おーい羽瀬! そろそろ行くぞー!」
「今行く!」
返事をした琉生は、もう一本のハチマキを手に取った。
「白石さん、手」
「え?」
差し出した乃愛の右手を、琉生がそっと取る。
そして、自分がメッセージを書いた赤いハチマキを、その手首へ丁寧に巻きつけた。
「――っ」
近い距離で結び目を作る琉生の指先を見つめながら、乃愛は息を止める。
結び終えると、内側の文字は見えなくなった。
けれど、そこに何が書かれているのかは、乃愛だけが知っている。
「これ、今日はお守り代わりにつけようぜ」
琉生が顔を上げて笑う。
「これつけて、お互い頑張ろうな」
「……うん!」
乃愛は赤いハチマキにそっと触れた。
そのとき、ふと教室のドアへ目を向ける。
小さなガラス窓の向こうから、結衣とひまりがこちらを覗いていた。
結衣は口元を押さえながら目を輝かせ、その隣ではひまりが「静かに」とでも言うように結衣の肩を押さえている。
「……っ!」
乃愛の顔が一気に熱くなった。
直後、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴る。
「よし、全員グラウンドへ移動しろー!」
教室へ入ってきた担任の声に、クラスメイトたちが一斉に動き始めた。
「じゃ、白石さん。行こうぜ」
「うん」
頭に赤いハチマキを結んだ琉生。
右手首に同じ色のハチマキを結んだ乃愛。
そこに書かれた言葉は、結んでしまえば誰にも見えない。
けれど二人にとっては、それで十分だった。
それぞれの想いを結んだ、小さなお守りと一緒に。
二人の体育祭が、始まろうとしていた――。
二年二組の教室は、いつも以上の熱気に包まれていた。
窓の外からは入場行進の音楽が聞こえ、真っ白な体操服に赤いハチマキをつけたクラスメイトたちが、準備をしながら賑やかに声を上げている。
「よし、乃愛! これでバッチリ!」
窓際の席で、結衣が乃愛の黒髪を高い位置できゅっと結び上げた。
「うん。いつもと雰囲気違って、すごく似合ってる」
ひまりが手鏡を差し出しながら、穏やかに微笑む。
「……ありがとう。ちょっと恥ずかしいかも」
いつもは髪に隠れている首元が涼しくて、なんだか落ち着かない。
乃愛が照れながらポニーテールに触れていると、教室のドアが勢いよく開いた。
「ういーっす! おはよ!」
琉生が男子たちと笑いながら教室へ入ってくる。
そのままいつものように乃愛たちの席へ近づいて――ふいに足を止めた。
「白石さん、おはよう! ……って、うわ」
「……羽瀬くん、おはよう」
琉生は、乃愛の顔を見たまま一瞬言葉を失った。
「なんか、いつもと違うな。……すげー似合ってる」
「……ありがとう」
乃愛が照れて俯くと、琉生まで少し耳を赤くする。
そんな二人を見て、結衣とひまりが顔を見合わせた。
「あ、そうだひまり! うちら先に入場門確認してこ!」
「え? ……あ、うん。そうだね」
ひまりもすぐに察したらしい。
「じゃ、乃愛。またあとでね」
「えっ、ちょっと結衣――」
呼び止める間もなく、二人は教室を出ていった。
賑やかな教室の中なのに、急に琉生との距離だけが近くなったような気がする。
「……あの、羽瀬くん?」
「ん? ああ、そうだ」
琉生は前の席に反対向きに腰掛けると、二本の赤いハチマキを取り出した。
「なぁ、白石さん。これ、お互いのハチマキにメッセージ書かねぇ?」
「えっ、メッセージ……?」
「そ。内側なら結んだら見えないし」
琉生は体操服のポケットから黒い油性マジックを取り出して、悪戯っぽく笑った。
「これあったら、俺、今日マジで負ける気しねぇわ」
「でも、みんなに見つかったら……」
乃愛は思わず周囲を見回す。
昨日の放課後、廊下で感じた誰かの視線がふと頭をよぎった。
「大丈夫。ここなら見えないって」
琉生は大きな背中で手元を隠しながら、一本のハチマキにさらさらとペンを走らせる。
「よし。できた」
差し出された赤い布を、乃愛はそっと受け取った。
内側に書かれていたのは、力強い文字。
『一番カッコいいところ、見てて。琉生』
「――っ」
胸が大きく跳ねた。
「はい、次は白石さんの番」
琉生がもう一本を机の上に広げ、マジックを差し出す。
乃愛は少し迷ってから、震える指でそれを受け取った。
何を書けばいいのだろう。
頑張って。
勝ってね。
いくつかの言葉が浮かんでは消える。
けれど、乃愛が本当に伝えたいのは、それではなかった。
サッカーのことを楽しそうに話す姿も。
放課後のグラウンドを走る姿も。
乃愛はずっと、近くで見てきた。
だから――。
ゆっくりと、ハチマキに文字を綴る。
『がんばってきた羽瀬くんなら、
絶対大丈夫って、信じてます。乃愛』
「……できたよ」
「どれどれ」
琉生が机に身を寄せ、書かれた文字を読む。
「……『絶対大丈夫』、か」
「あ……ご、ごめんね。私、スポーツのことよく分からないのに、勝手なこと書いちゃって……」
慌てて俯いた乃愛に、琉生は首を横に振った。
「違う。すげー嬉しい」
「……え?」
「俺、エースだから勝てって言われること多いからさ」
琉生はもう一度、乃愛の文字を見る。
「でも、白石さんは俺が頑張ってきたところ見ててくれて、その上で『大丈夫』って言ってくれたんだろ?」
少し照れくさそうに笑った。
「……最高のハチマキだわ」
その笑顔に、乃愛の胸がじんわりと温かくなる。
「じゃあ白石さん、これ結んでくんね? 自分でやると曲がりそうだから」
「わ、私が?」
「うん。お願い」
琉生が頭を少し下げる。
「……うん」
乃愛は椅子から立ち上がり、琉生の後ろへ回った。
赤いハチマキを額に沿わせ、後頭部でそっと結ぶ。
指先が髪に触れそうになるたび、心臓が落ち着かない。
「……きつくない?」
「全然。ちょうどいい」
結び目を整えると、琉生が嬉しそうに振り返った。
「ありがとな」
そのとき、教室の後ろから男子の声が飛んでくる。
「おーい羽瀬! そろそろ行くぞー!」
「今行く!」
返事をした琉生は、もう一本のハチマキを手に取った。
「白石さん、手」
「え?」
差し出した乃愛の右手を、琉生がそっと取る。
そして、自分がメッセージを書いた赤いハチマキを、その手首へ丁寧に巻きつけた。
「――っ」
近い距離で結び目を作る琉生の指先を見つめながら、乃愛は息を止める。
結び終えると、内側の文字は見えなくなった。
けれど、そこに何が書かれているのかは、乃愛だけが知っている。
「これ、今日はお守り代わりにつけようぜ」
琉生が顔を上げて笑う。
「これつけて、お互い頑張ろうな」
「……うん!」
乃愛は赤いハチマキにそっと触れた。
そのとき、ふと教室のドアへ目を向ける。
小さなガラス窓の向こうから、結衣とひまりがこちらを覗いていた。
結衣は口元を押さえながら目を輝かせ、その隣ではひまりが「静かに」とでも言うように結衣の肩を押さえている。
「……っ!」
乃愛の顔が一気に熱くなった。
直後、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴る。
「よし、全員グラウンドへ移動しろー!」
教室へ入ってきた担任の声に、クラスメイトたちが一斉に動き始めた。
「じゃ、白石さん。行こうぜ」
「うん」
頭に赤いハチマキを結んだ琉生。
右手首に同じ色のハチマキを結んだ乃愛。
そこに書かれた言葉は、結んでしまえば誰にも見えない。
けれど二人にとっては、それで十分だった。
それぞれの想いを結んだ、小さなお守りと一緒に。
二人の体育祭が、始まろうとしていた――。


