足元では、茶トラが退屈そうにあくびをしている。
外から聞こえてくる運動部の掛け声に、羽瀬くんは名残惜しそうに茶トラの頭を撫で、ゆっくり立ち上がった。
「……そろそろ戻るか。あんまり遅くなると、他の奴らに見つかっちゃうしな」
「うん、そうだね」
私も立ち上がろうとした、その瞬間。
「っ……わ!」
ずっと座っていたせいか、痺れた足に力が入らない。
ぐらりと身体が傾き、地面が迫る。
「っと、危ね!」
とっさに羽瀬くんが私の手首を掴んだ。
ぐいっと引き寄せられ、そのまま彼の胸に受け止められる。
「……っ」
あまりの近さに、息が止まった。
耳元に、トクン、トクン、と速い鼓動が響いている。
自分のものだと思った。
けれど――違う。
(羽瀬くんの、心臓……?)
私と同じくらい、速い。
「……焦った。ケガ、ねーか?」
耳元で聞こえた声に、今度こそ私の心臓が大きく跳ねた。
「だ、大丈夫です……! ごめんなさい……っ」
慌てて一歩離れ、熱くなった顔を両手で隠す。
そんな私を見て、羽瀬くんがふっと笑った。
「……顔、真っ赤」
「……っ!」
ますます顔を上げられなくなると、頭に何かが優しく触れた。
ぽん、ぽん。
「大丈夫だから、気にすんな。……行こっか」
羽瀬くんはそれ以上からかうことなく、先に歩き出した。
けれど、その歩幅はさっきより少しだけ小さい。
私が遅れないようにしてくれているのだと気づいて、胸の奥がまた温かくなった。
(……このまま、もう少しだけ一緒にいたい)
校舎へ戻れば、またいつもの教室に戻る。
そう思うと、ほんの少しだけ寂しかった。
*―*―*
「乃愛、お帰りー! どこ行って……って、え?」
教室へ戻ると、荷物をまとめていた結衣が私を見るなり目を丸くした。
隣にいたひまりも、私の顔をじっと見つめる。
「乃愛、顔真っ赤だよ。……羽瀬くんのところ?」
「……うん。内緒で、茶トラ見に行ってて……」
自分の席に腰を下ろすと、結衣が声を潜めながら顔を覗き込んできた。
「男子と二人きりなんて、すっごく緊張したでしょ。大丈夫だった?」
「……心臓、止まるかと思った」
さっきの出来事を思い出しただけで、また頬が熱くなる。
「足が痺れて転びそうになって……羽瀬くんが支えてくれて……」
「えっ」
「それに……」
私は制服の裾を握りながら、小さな声で続けた。
「私が窓の外を見てるところ、羽瀬くんも前から見てたんだって。猫を見てるとき、優しい顔してるからって……」
一瞬の沈黙のあと、結衣が嬉しそうに笑った。
「……すごいいいじゃん、それ。羽瀬くん、誰にでも優しいけど、そういうこと適当に言う人じゃないよ。ね、ひまり?」
「うん。乃愛のそういうところを、ちゃんと見てくれてたんだね。よかったね、乃愛」
ひまりが私の背中を優しくさすってくれる。
二人になら、もう少しだけ話してもいい気がした。
「それでね……羽瀬くんが、二人で静かに過ごす時間、すごく落ち着くって。『誰にも邪魔されたくない』って言ってくれて……」
「……乃愛、それは顔赤くなるわ」
結衣の言葉に、私はますます俯いた。
「私も……もっと一緒にいたいって、思っちゃった」
口にしてみると、胸の奥にしまっていた気持ちが少しだけ形になったような気がした。
結衣は私の隣へ座ると、肩をぽんと叩く。
「いいんだよ、そう思って。自分からぐいぐい行けなくたっていいじゃん」
そして、いつもの明るい笑顔を向けてくれた。
「乃愛は乃愛のままでさ。少しずつ、羽瀬くんとの『内緒』を増やしていけばいいんじゃない?」
「うん。焦らなくて大丈夫だからね」
ひまりも穏やかに笑う。
「私たちは、いつでも乃愛の味方だから」
「……ありがとう」
一人で抱えていたら、不安ばかりが大きくなっていたかもしれない。
でも、こうして二人が私の小さな一歩を喜んでくれる。それだけで、もう少しだけ前へ進めそうな気がした。
(私……羽瀬くんの、特別な人になれるのかな……)
まだ、分からない。
それでも。
この恋を、もう少しだけ信じてみたいと思った――。
外から聞こえてくる運動部の掛け声に、羽瀬くんは名残惜しそうに茶トラの頭を撫で、ゆっくり立ち上がった。
「……そろそろ戻るか。あんまり遅くなると、他の奴らに見つかっちゃうしな」
「うん、そうだね」
私も立ち上がろうとした、その瞬間。
「っ……わ!」
ずっと座っていたせいか、痺れた足に力が入らない。
ぐらりと身体が傾き、地面が迫る。
「っと、危ね!」
とっさに羽瀬くんが私の手首を掴んだ。
ぐいっと引き寄せられ、そのまま彼の胸に受け止められる。
「……っ」
あまりの近さに、息が止まった。
耳元に、トクン、トクン、と速い鼓動が響いている。
自分のものだと思った。
けれど――違う。
(羽瀬くんの、心臓……?)
私と同じくらい、速い。
「……焦った。ケガ、ねーか?」
耳元で聞こえた声に、今度こそ私の心臓が大きく跳ねた。
「だ、大丈夫です……! ごめんなさい……っ」
慌てて一歩離れ、熱くなった顔を両手で隠す。
そんな私を見て、羽瀬くんがふっと笑った。
「……顔、真っ赤」
「……っ!」
ますます顔を上げられなくなると、頭に何かが優しく触れた。
ぽん、ぽん。
「大丈夫だから、気にすんな。……行こっか」
羽瀬くんはそれ以上からかうことなく、先に歩き出した。
けれど、その歩幅はさっきより少しだけ小さい。
私が遅れないようにしてくれているのだと気づいて、胸の奥がまた温かくなった。
(……このまま、もう少しだけ一緒にいたい)
校舎へ戻れば、またいつもの教室に戻る。
そう思うと、ほんの少しだけ寂しかった。
*―*―*
「乃愛、お帰りー! どこ行って……って、え?」
教室へ戻ると、荷物をまとめていた結衣が私を見るなり目を丸くした。
隣にいたひまりも、私の顔をじっと見つめる。
「乃愛、顔真っ赤だよ。……羽瀬くんのところ?」
「……うん。内緒で、茶トラ見に行ってて……」
自分の席に腰を下ろすと、結衣が声を潜めながら顔を覗き込んできた。
「男子と二人きりなんて、すっごく緊張したでしょ。大丈夫だった?」
「……心臓、止まるかと思った」
さっきの出来事を思い出しただけで、また頬が熱くなる。
「足が痺れて転びそうになって……羽瀬くんが支えてくれて……」
「えっ」
「それに……」
私は制服の裾を握りながら、小さな声で続けた。
「私が窓の外を見てるところ、羽瀬くんも前から見てたんだって。猫を見てるとき、優しい顔してるからって……」
一瞬の沈黙のあと、結衣が嬉しそうに笑った。
「……すごいいいじゃん、それ。羽瀬くん、誰にでも優しいけど、そういうこと適当に言う人じゃないよ。ね、ひまり?」
「うん。乃愛のそういうところを、ちゃんと見てくれてたんだね。よかったね、乃愛」
ひまりが私の背中を優しくさすってくれる。
二人になら、もう少しだけ話してもいい気がした。
「それでね……羽瀬くんが、二人で静かに過ごす時間、すごく落ち着くって。『誰にも邪魔されたくない』って言ってくれて……」
「……乃愛、それは顔赤くなるわ」
結衣の言葉に、私はますます俯いた。
「私も……もっと一緒にいたいって、思っちゃった」
口にしてみると、胸の奥にしまっていた気持ちが少しだけ形になったような気がした。
結衣は私の隣へ座ると、肩をぽんと叩く。
「いいんだよ、そう思って。自分からぐいぐい行けなくたっていいじゃん」
そして、いつもの明るい笑顔を向けてくれた。
「乃愛は乃愛のままでさ。少しずつ、羽瀬くんとの『内緒』を増やしていけばいいんじゃない?」
「うん。焦らなくて大丈夫だからね」
ひまりも穏やかに笑う。
「私たちは、いつでも乃愛の味方だから」
「……ありがとう」
一人で抱えていたら、不安ばかりが大きくなっていたかもしれない。
でも、こうして二人が私の小さな一歩を喜んでくれる。それだけで、もう少しだけ前へ進めそうな気がした。
(私……羽瀬くんの、特別な人になれるのかな……)
まだ、分からない。
それでも。
この恋を、もう少しだけ信じてみたいと思った――。


