ときめきの向こう側


「じゃあまた。来週」
 カウンターの前でそれだけ言って先輩は帰って行った。


 あの次の日。
 先輩は本当に図書室に来た。

 静かな図書室の中で、時計の針とぼくの心臓だけがずっと音を鳴らしてた。


(本当に来るの?もし、きたらりつどう来たらいいの?)


 挨拶する?
 無視していいの?

 無視はまずいよね。

 でも……声出して挨拶するの?
 正解がわからない。


 それに。

 (社交辞令で言っただけだし……)

 そう言い聞かせて、胸をトントンとして落ち着かせてみる。

 でも結局、同じことを何回も繰り返してる。

 ちらっと、壁の時計に目をやる。
 図書室を閉めるまであと30分。


 (やっぱり)

 ほんのすこぉしだけ、胸がちくっとするような残念な気持ちになった。

 そろそろ記録ノートを書こう。
 そう思い、記録ノートを広げて書き始めた。


 ガチャ。パタン。


 その時入り口から音が聞こえた。


 (これは顔を上げるべき?)

 ペンを書く指が止まった。

 ぱたぱた。

 少しずつ近づいてくる足音。

 (ここで、顔を上げないのも変だよね)

 先輩とは限らないし。
 そう言い聞かせて顔をあげた。


「あっ」
 目の前には先輩の顔。

「こんにちは」
 先輩は、ぼくの顔を見てそれだけ言った。

「こんにちは」
 ぼくも頭を下げる。

「それ何してたの?」
 ぼくが書いてたノートを指差す先輩。

「あっ、記録ノートなんです」
「記録ノート?」

 首を傾げる先輩。

「今日の利用者が何人いて、貸出と返却があったかを書くんです」

 ノートをじっとみて黙る先輩。

「そっか」
 それだけ言って。

(りつ何かまずいこと言った?先輩を怒らせた?)

 どうしよう。1人で慌てる。
 ぼくが謝ろうかと口を開こうとしたら、先輩が口を開いた。


「それって、昨日ぼくがきてることもカウントされてる?」
 先輩は感情がこもってない声で聞いてきた。

 少しだけビクッとなる体。

「書いてないです。あの……」

 どう伝えていいかわからなくて口籠る。

「ん?なに?」
 首を傾げる先輩。

「先輩、座って本読んでないので……。カウントしなくていいかなって」


 もしかしたらダメだった?

 話しながら怖くなりどんどん小さくなる声。

 先輩の顔が見られなくて視線をノートに落とす。

 (りつのばか。副会長なんだから!きっときちんと記録してないって怒られる)

 どうしよう。

 頭の中では謝る?どうする?がぐるぐると回ってる。

 沈黙が怖い。


(これは謝らなきゃ)

 そう思ってる顔をあげた。

 そしたら。

「そっか。うん。ありがとう」
 それだけ先輩は言った。

 (えっ?怒らないの?)

「あの、先輩。記録きちんとしてないって怒るんじゃ……」

 恐る恐る聞いてみる。

 目を丸くしてびっくりした顔してる先輩。

「怒る?ぼくが?なんで?」
 心底不思議そうな顔をしてる。

「副会長として見過ごせないとか言われるかと……」

 ぽつぽつと先輩に伝える。
 先輩はぼくの顔を見ながら笑いました。


 図書室に響く先輩の笑い声。

「言わないよ。図書委員がみんな当番してないのは知ってるから」
 笑いながらそう言う。

 その後に、少しだけ真面目な顔になった。

「きみは真面目な子なんだね」
 ポツリとそれだけ言った。

 ぼくはなんと答えていいのかわからなくて口を開けなかった。

 (真面目ではない。りつは好きな本が読みたくてここにいるから)

 心の中に少しだけシミができた気がした。

「そんなきみにちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」

 先輩はカウンターに肘をついて身を乗り出して、少しだけぼくに近づいてきた。

 (わっ。先輩の顔綺麗。まつ毛が長い)

「ぼくは、これからも座らないし本を読まない。いいかな?」

 イタズラっぽい目をしてぼくをみる先輩。

 (あっ。言いたいことわかった)

「はい。先輩は、座って本読んでないのでカウントはできないです」
 ぼくもそう伝えた。

 満足そうに頷く先輩。

 そして時計に視線を向けた。

「あっ、今日はここまでか。きみ来週はいつ?」
「来週は、水木金です」
「わかった。じゃあ、また」

 そう言って先輩はそのまま帰って行った。

(今のって?)

 多分。

 先輩は、ぼくがいる日に来るってことだよね?
 そういえば昨日。

 先輩は、『休憩場所』ここをそんな風に言ってた。

 (ぼくと同じ空間にいるの、嫌じゃないのかな?)

 なんでか頭の中にその言葉が浮かんできた。


 次の週、ほんとに先輩はやってきた。

「こんにちは」
 それだけ挨拶したら先輩は奥の見えない場所に行く。

 そして30分ぐらいしたら、また姿を現す。

「じゃあまた」
 そう言って帰っていく。

 それだけの日々。

 週に1回だけカウンターまでくる。

「来週も同じ、水木金?」
 それだけを聞く。

「記録ノートは今日はゼロ?」
 たまに笑いながらそうぼくに聞いてくる。

「はい。今日もゼロです。昨日もゼロでした」
 ぼくも笑いながらそう答える。

 それだけの関係。

 (関係っていうほどでもないか)

 でもなぜか不思議と図書室に行くのが前よりも楽しくなった。

 本をめくりながら、少しだけ図書室の扉を意識してる。

 ガチャ。パタン。

 その音が聞こえるとぼくの胸も少しだけ跳ねる。