百瀬のほくろを俺だけに見せて


『待って、久我――!』
 
 高二になる直前の、春休みのことだ。
 俺は、妙にリアルな百瀬の夢を見た。

 喫茶店には、俺と百瀬の二人きり。静かな時間が流れていて、俺は本に夢中になっている。そのはずなのに、なぜか次の瞬間には、ソファーに百瀬を押し倒していた。
 百瀬の華奢な鎖骨には、チョコチップのような一粒のほくろ。 俺はそれに衝動的に噛みつこうとして――そこで目が覚めた。

「………え、最っ悪……」

 ベッドの上で、呆然と呟く。
 疼く下半身に消えたい気持ちと、頭の中で流れ続ける、恥じらう百瀬の表情。

「………~っ」

 葛藤の末に選んだ行為によって、ますます俺はおかしくなった。

 百瀬の鎖骨が、気になって仕方ない。

 本当にあの場所に、ほくろがあるんだろうか。
 いつも無邪気に笑う百瀬が、照れたらあんな表情を浮かべるのだろうか。
 俺の下にいる百瀬を想像してはデリートして、それでもやっぱり気になって。

 そしたらまさか、クラス替えで同じクラスになってしまったんだから、神様ってやつがいるなら、結構いじわるだなって思う。

 気づけば百瀬を探してる。ふとした瞬間、百瀬の姿を確認してしまう。
 そうやって、じっと観察していたら、ある日とうとう見つけたんだ。

 ――マジでほくろあるのかよ……。

 潜在記憶、っていうんだっけ。
 きっと俺は、あのほくろを無意識に知っていたんだと思う。もしかしたらそれを知ったのは、あのカレー事件のときだったかもしれないけど、俺の記憶には残っていない。

 ただ、きっとどこかで見てたんだ、百瀬の鎖骨のほくろを。
 あんな夢に見てしまうくらい、邪な目で……。


『やるなら図書委員かなぁ、座り仕事がいいし』

 委員会決めの日、まるでお告げのように、俺の耳に百瀬の声が届いた。

 図書委員か……なるほど。
 俺はトイレの個室から出ると、覚悟を決めた。

 百瀬と同じ委員会になれたら、もしかしたら今より、仲良くなれるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませていたのに――。
 百瀬ってやつは、なんていうか、ゆるい。

『図書委員やりたい人、名前書いてくださーい』

 クラス委員が声を張り上げているのに、百瀬は窓の外を眺めて上の空。全然動く気配がない。
 俺はすっと立ち上がると、自分の名前と、その隣に勝手に、百瀬の名前を書いた。

 ――まあ、拒否られても笑い話で終わるし。

 いつ見ても百瀬って笑顔だ。怒らないし、嫌な顔もしない。だけど周りに合わせてるって感じもしない。本当に情緒が安定した、おおらかなやつ。
 だから、どう転ぶかわからない。

 やっぱり、さすがに嫌だって言うかな。べつに俺と仲良くないもんな。気まずいよな。
 百瀬が顔を上げたとき、俺は不安でいっぱいだった。

『あれ……? あ、久我? え……あ、ありがとぉ?』

 なのに百瀬ってやつは。

 なんでお礼言ってんだ。勝手に名前書かれてんだぞ? もうちょっと戸惑いとかないのか?
 あまりにもすんなりと受け入れてくれたものだから、自分がやったくせに、なんだか百瀬のことが、いっそう心配になった。


『だからもう、一日中視線送るのはやめれる……⁉』

 気づけば俺は、一日に百回も百瀬のことを見ていたらしい。無自覚って怖い。
 テンパってほくろのことを正直に話してしまったのに、百瀬はこれも受け入れてくれるんだ。もう危なっかしくてしょうがないと思った。俺が変態だったら、取って食われてるぞ。

 けど――あのとき、ほくろを見せてくれた百瀬の顔は、夢で見た百瀬よりもずっといじらしくて、なんだか喉の奥が焼けるように熱くなった。

 ……あ、これ、俺、変態なのかもしれない。

 そう思うと同時に、だからっていまさら、百瀬のことを手放すのは嫌だなって。
 せっかく手に入れた仲良くなるチャンスを自ら手放すのは、絶対に無理だって思ったんだ。