『おまえ、本なんか読んでんの?』
『かっこつけ~!』
『いいじゃん、べつに! 本当に伊織くんかっこいいもん!』
『男子の僻みじゃん、僻み!』
ぴーちくぱーちく、俺の周りはいつだってうるさかった。
こんな見た目のせいで俺はなかなか一人になれないけど、性格はかなりのインドア寄りだ。
できることなら一人きりで、浴びるように本を読みたい。純喫茶の常連になって『マスター』とか呼んでみたいし、どうせ話すなら、好きな本の感想を伝え合いたい。そういうタイプだ。
けれど俺の周りは、あまりにやかすぎる。
『頼むよ、伊織~っ! 起死回生の一手はおまえしかいないんだって!』
美容師の兄貴は、独立して自分の店を持つのが夢らしい。そのためには指名を増やさなきゃで、知名度を上げるために、SNS用のカットモデルを引き受けてくれって話だった。
昔から本当にしつこいところがあるから、もう面倒になってしまって。一度だけって条件で、カットモデルを引き受けることにした。
……それが間違いだった。
マスクでほとんど顔は見えないはずなのに、イケメンだともてはやされ。次には、マスク取ったらどうせ普通、なんて心外なコメントが並んだ。
それには俺も正直むかついたけど、どうやら兄貴のほうが怒っていたらしい。
これ見よがしに俺の隠し撮りを、『無加工』の三文字とともにSNSに載せやがったんだ。
そのせいで身バレし、俺の周りはますますうるさくなった。
一人でいると誰かに捕まり、気づけば包囲され、軽くあしらうと、愛想がないだの、調子に乗ってるだのって陰口を叩かれて。
まったく全然、納得がいかない。
俺からしたら、どいつもこいつも知らない人だ。丁寧に対応してやる義理なんてないだろ。
だけど兄貴に迷惑がかかるのは本意ではないし、なによりトラブルは避けたい。俺は平和主義者だ。
だから、とりあえず今は群れの中にいる。
ここにいれば、中はうるさいけど、知らない人間に話しかけられることは滅多にないから。
俺はとにかく、静かに暮らしたい。
そればかり考えて、どうにか日々をやり過ごしていた。
高校一年の終わり頃。
俺たちはあの日、めずらしく学食にいた。
あまり良心的な価格設定ではないから、気軽には来られない。けどその日は、朝から降っていた雨が雪に変わって、購買の入荷がなくなってしまって。そんな天気だから、わざわざコンビニに行くのも億劫だったのだ。
「あ、やっべ‼」
阿久津のバカでかい声と、ガシャーンというけたたましい音が、生徒で賑わう学食に響いた。
また阿久津がなにかしでかしたな、と、あんかけ定食から顔を上げたら。
想像を超えたとんでもない光景が、目に飛び込んでくる。
「ご、ごごごごめん、百瀬っ……‼」
長机の斜め向かいには、焦って青い顔した阿久津と、シャツをカレー色に染められた百瀬。
「うわ……」
さすがの俺でも、反応してた。
だってカレーって。ていうか火傷とかしてねえかな。
みんな同じことを考えていて、雑巾を借りに走るやつとか、なけなしのポケットティッシュを差し出してる女子とか。俺もさりげなくトレーをずらして、これ以上被害が広がらないようにしたりしていた。
「マジでおまえ! 百瀬に土下座しろよ‼」
キレ散らかす和田に言われるまま、阿久津は机に額を擦りつけて、何度も百瀬に謝っていた。
「つうか、なにしたらこんなことになるんだよ……」
子供だって、こんなに豪快にひっくり返さないんじゃないか?
「もう全部俺が悪いの! はしゃいじゃったの! ほんとにごめん百瀬ぇぇ‼」
平謝りの阿久津を、百瀬は「平気だって」なんてなぐさめている。
百瀬とは何度か、阿久津と和田を交えて遊んだことがある。
特に二人で話したことはないけど、なんていうか、いつも楽しそうなやつだ。
怒ったり、不機嫌になったり、ぶつぶつ文句を言ったり、そういう負の感情を、一度も見たことがない。ものすごく情緒が安定している印象があった。
にしても、さすがにこれは内心メラメラしてるだろうな、と思ったのに。
「あは、やっば! タイダイ柄じゃん~」
脱いだシャツを広げて、百瀬はいつもとまったく同じように笑っていたんだ。
あの一瞬、目が点になったのは、きっと俺だけじゃなかった。
――あいつ、アレでも怒んないの……?
シャツを脱いで、大きなカレーのシミを見て、百瀬は『タイダイ柄』って笑った。
いつもと同じ、屈託のない笑顔で。
のちにこの話は、俺たちの間で、百瀬の伝説として度々話題に上がるようになるわけだけど。
なんていうか、素直にすげえなって、そのときはただ、そう思っていた。



