百瀬のほくろを俺だけに見せて


 賑わう校内を練り歩くとき、久我はやっぱり、ぴたっと俺の隣にくっついてくる。

「おまえさぁ、それじゃ百瀬歩きにくいって」

 和田は呆れたように久我に声を掛けるけど、聞いちゃいない。
 なんならもっと肩を寄せられて、俺は廊下の壁際まで押し込まれていた。

「ちょっと久我ぁ、歩けない~~」

 抗議すると、久我はふにゃん、とやわらかく微笑んだ。

「……ん、ごめんごめん」

 そんなに嬉しそうな顔で謝られても、絶対反省してないだろ?

「おい、そこのかまってちゃんよぉ」
「あ?」
「焼きそば並んどいてくんない? 俺らタピってくるからさ」

 急に足を止めた阿久津は、久我にまるでパシリみたいな使いを言い渡す。

「え、じゃあ一緒に――」
「久我、タピオカ苦手だもんな?」

 和田が加勢しても、めずらしく久我は文句を言わない。いつもなら『ふざけんな』とか『知るか』と一蹴しそうなものなのに。そんなにタピオカが苦手とは知らなかったな。

「じゃ、よろしくな?」

 阿久津が言うと、久我は素直に頷く。

「え……えぇ……?」

 本当に久我一人で並ばせてしまっていいんだろうか。
 戸惑いながら久我の顔を見上げると、ぱちっと目が合う。

「百瀬も、一緒に並ぼ」
「は⁉ 百瀬は俺らとタピるんですけど!」
「百瀬を巻き込むなよなぁ~」

 阿久津と和田は肩を組もうとしてきたけど、俺はひょいと久我の隣に並んだ。

「……ん、並ぶ」

 あまりに自然に答えが出てきて、自分でもびっくりした。

「あ……いや! ほら、一人で何個も焼きそば持つの大変かなって! な?」
「大変なわけねーだろ、百瀬ぇ……!」
「うん、たいへん、もてない」
「なーに急に幼児化してんだよ」

 結局俺たち二人は焼きそばの出店に並び、阿久津たちはタピりに行って、そのうち集合という曖昧な約束で別れた。

「アイツらも、たまには役に立つな」
「え? 阿久津たちのこと?」

 役に立つ、ってなんの役に立ったんだろう、阿久津たち。
 わからないけど、俺は予想以上に回転の速い焼きそばの列を、少しだけ恨めしく思っていた。もう少しゆっくりでいいのに。

「……百瀬?」
「ん~?」
「ごめんな、一緒に並ばせちゃって。あとでタピりに行こうな」
「えぇ? 久我、タピオカ苦手なんでしょ? 俺はべつになんでもいいし」

 ふと顔を上げると、また目が合う。それから久我のその視線は、あっけなく首元まで落ちていった。

 ――……あぁ、そういうこと?

「百瀬が残ってくれてよかった」

 そうじゃないくせに。俺が、じゃないだろ、それ。
 久我が俺と二人になりたがる理由なんて、ひとつしかないじゃん。

「……すーぐ、そうやってさぁ……」

 そうやって、なんだか妙な言い方して。勘違いするんだよ、こっちは。
 
 久我の特別は俺じゃない、俺のほくろだ。

 なのにまるで俺自身を特別みたいに扱うから、すごく困る。

「なに、なんか拗ねてる?」
「拗ねてませーん」

 拗ねるわけないじゃん。なんでもいいよ、べつに。
 久我が大事にしているのが、俺のほくろだけでもべつにいいじゃん。
 そんなの初めからそうだし、気にすることじゃない。

 だけど……なんか今は、久我に鎖骨を差し出すのは嫌だった。

「あ! 百瀬ぇ⁉ いいところに!」
「え?」

 順番が回ってきて、焼きそばを四つ買ったそのときだった。
 出店の奥から顔を覗かせたのは、中学からの友人だ。異様に目を輝かせながら、俺の元へと向かってきた。

「なぁ! 百瀬のクラスって、もう出番終わったよな⁉」
「あぁ、うん、終わったけど?」
「ちょっとだけ、ほんとにいてくれるだけでいいんだけど! 美術部の展示のシフト、三十分だけ代わってもらえない⁉」

 頭に巻いたタオルで、ごし、と汗を拭った友人は、想定以上に焼きそばが売れていて、人手が足りないのだと続けた。

「あぁー……たしかに並んでるもんなぁ」

 自分たちの後ろにも、まだまだ人が並んでいる。がっつり食事系の出店はたぶんこのクラスの焼きそばしかないから、それもあるのかもしれないけど。

「えーと……」

 たった三十分。しかも美術部の展示なんて、本当に座っているだけでよさそうだし。阿久津たちとはあとで合流するはずだから、ここで久我と別れたって、べつに困ることはなにもないのにな。

「ごめん。今、久我と回ってるから……」

 久我が隣に置いておきたいのは、俺のほくろ。そうわかっていても、俺は久我と、この焼きそばを一緒に食べたい。タピオカはどっちでもいいけど、久我とお化け屋敷に入ったらどんな反応をするのか見てみたいし、そんなことじゃなくても……うん。

 俺はまだ、久我といたい。

「だよなぁ……そりゃそうだよなぁ……! ごめんな百瀬、無理言って」
「いや、こっちこそ、力になれなくてごめん……」

 やっぱり俺って、結構自分勝手なところがあると思う。
 困っている人を助けたいなんて崇高な精神は持ち合わせていないし、結局自分が一番大事だ。

 久我とまだ一緒にいたい。そういう自分の気持ちが最優先の、ごく普通の……いや普通よりちょっと自分勝手な人間。

「……焼きそば、大繁盛だなぁ」

 近くのベンチに並んで座って、焼きそばのパックを開ける。ソースのいい香りと、手に持つのも大変なくらいの熱々さに、友人の額に滲んだ汗を思い出した。

 十月とはいえ、日差しはまだ強いし、火を使っていたらそりゃ暑いよなぁ、大変そうだなぁ、なんて。
 青のりのかかっていない部分を箸でつまみ上げた、そのときだった。

「百瀬、気になってんだろ」
「え」
「さっきの。美術部の展示だっけ」

 久我はパックを開けることもなく、じっと俺を見つめている。

「そりゃ……ちょっとは気になるけど。でも前も言ったじゃん、俺そんなに優しくないんだってば」

 このあとアイツはどうするんだろう、シフト代わってくれる人見つかったかな、とか、そういう心配はしてる。だけど、だからって自分が犠牲になるつもりはない。できれば力になってやりたいけど、無理なものは無理って割り切ってる。

「百瀬は優しいって。だからたまに心配になんの」

 そんな自分勝手な俺の心配をしてくれるなら、優しいのはやっぱり俺じゃなくて久我のほうだろ。

「あのさ……ずっと言いたかったんだけど。前、昇降口で久我に逆ギレしたじゃん、俺」
「あぁ……逆ギレっつうか、あれは俺が悪い」
「違うよ、俺が悪い。あんときなんかイライラしてて……久我は心配してくれたのに、八つ当たりしてごめんな」

 あのときも、きっと今も、久我の気持ちは同じだ。
 俺のことを、純粋に心配してくれてたんだ。

 久我はいつも俺を優しいって言うけど、俺はいつもそうじゃないって返す。それでも久我は、結局俺に神のような懐の深さがあると誤解してて、ああやって心配してくれるんだ。

 それはもちろん、俺にほくろがあるからに他ならないんだろうけど。

「いつも気に掛けてくれて、ありがと」

 やっと、伝えられた。
 まっすぐに久我の目を見て、そう伝えられた。

 なんだか胸が満たされて、にやけそうになるのを誤魔化すために、俺は口いっぱいに焼きそばを頬張る。

 ちょうどそのとき、焼きそばのテントから飛び出していく友人が目に入った。
 右往左往して、たぶんまた誰かに頼んだけど断られて。スマホをぽちぽちしながら、汗を拭ってまたテントの裏に戻っていく。
 
なんだかちょっとだけ、胸が痛む。久我に言いたかったことも言えたし、焼きそばを食べ終えたら、やっぱり三十分だけ――。

「……行くか、美術室」
「え⁉」
「百瀬が気にしてるかもって思うと、俺も楽しめないし」

 そう言いながら、久我はすっと立ち上がった。

「一緒にやればいいじゃん、シフト」

 当然だろ、って顔で、久我は俺に手を差し出す。俺は慌てて首を左右に振った。

「い、いいよ! 俺一人でできるし!」
「一緒にやる。じゃなきゃ行かせない」

 揺るがない口調に、心臓がひゅんっとする。

 いいのかな、文化祭だぞ? 俺と美術部のシフトをやるよりも楽しいことが、きっとたくさんある。なのに――。

「……お化け屋敷とかのほうが絶対楽しいよ……? ほんとにいいの?」
「俺は百瀬と一緒ならなんでもいいって、さっきも言ったじゃん」

 いつまでも座っている俺の手を取ると、久我はそれをぐいっと引っ張り上げた。

「わっ」
「……俺のこと、選んでくれてありがとな」

 熱っぽい瞳が、じっくりと俺を映す。
 ドキドキ、ドキドキ、触れ合った手が、たぶん鼓動で震えている。

 そっか。俺、さっきからずっと、無意識に久我のこと選んでたんだ。

 俺、全然久我のこと譲れないんじゃん。
 絶対久我がいいんじゃん。

「……俺も、久我とならなんでも楽しいから……」


 ――あ……ダメだこれ。

 俺、久我のこと好きじゃん……。