百瀬のほくろを俺だけに見せて

【久我side】


 どうしよう……完全に百瀬に嫌われた。

「おれ百瀬に嫌われたら生きていけない」
「メンヘラすぎて滅」
「マジで百瀬に狂いすぎ」

 和田にも阿久津にも、言い返す気力すらない。
 あの百瀬が、怒った。
 阿久津にカレーをぶちまけられても笑っていた、あの百瀬が。
 百瀬に嫌われた理由なんて、そんなのひとつしか思い当たらない。

「やっぱ手出したのがまずかったよなぁ……」
「は? ガチ?」
「久我のそれ、ガチのやつなんだ?」
「当たり前だろ」

 きっと始まりから、そういう類の好意だった。俺はあのほくろを下心でしか見ていなかったし、思い返せばカラオケで、好きなタイプは?と聞かれて、頭に思い浮かんだのは、目の前の百瀬だったし。

「え、いつから? やたら百瀬にかまってんなぁとは思ってたけど」
「……いつからかはわかんねーけど、自覚したのは校外学習んとき」
「あーー⁉ おまえ、えっちじゃん! あんとき百瀬と一緒のベッドで寝てたよな⁉」
「うるせえな、静かにしろって! 聞こえんだろ」

 やらしい!と連呼する阿久津を足蹴にすると、和田は「俺のファインプレーじゃん」と謎に誇らしげだ。

 俺はあのときたしかに、百瀬をどうにかしたいと思ってしまった。このまま食べちゃいたいとか、危険思考にもほどがある。だからもう、認めるしかなくなった。

 それでも大人しくしてたのは、叶わないってわかってるし、百瀬を困らせたくなかったからだ。

 百瀬は普通に女子が好き。元カノとのことに今でも胸を痛めているくらい、普通に恋愛をしてきた奴だったから。
 頭ではわかっていても、離れるって選択肢が、どうしても持てない。そしたらもう、しょうがないだろ。同性って立場を最大限に活かして、友達として、百瀬が一番信頼できる相手として、隣に居続けるしか道はない。

 なのに――。

『答え合わせ、する?』

 今思い出しても、あざとすぎて舌打ちしたくなるくらいだ。
 あれに耐えられる男って、逆に男じゃないだろと思う。あそこまでされて手を出さないでいられるか? 無理だろ。

 記憶が曖昧になるくらい頭の中はぐるぐるしていて、気づけば俺の目の前には百瀬のほくろが差し出されていた。
 戸惑いは……あったのかな、どうだっただろう。

 ただ、あのとき百瀬が、自分の手を俺の手に重ねてきて、その瞬間、昼間の光景が脳裏を過った。

 春馬、だっけ。やたら馴れ馴れしいあの男。

 百瀬がアイツに目隠ししたあの光景が、俺の理性を奪い去って、気づけば俺は百瀬のほくろに、唇で触れていた。
 あの一瞬、気を失いかけて、はっと目が覚めて。
 しまった、と後悔しても、どうやらもう手遅れだったらしい。

 二学期になってからの百瀬は、あの夜のことなんてなかったみたいに普通の顔をしている。だけど、言葉の端々から感じるんだ。……これ以上距離を縮めてくるなよ、って圧を。

「百瀬のいない人生なんて考えらんねーよ……どうしよ……」
「どうしようもなにも、おまえ彼女いんだろ? 浮気じゃね?」
「……は?」

 なに寝ぼけたこと言ってんだ、阿久津は。

「いるわけないだろ、彼女なんて」
「はぁ? 彼女いるって自分で言ってたじゃん、夏休み明けに」
「え、阿久津アレ信じてんの?」

 俺が言うより先に、和田が口を挟んだ。

「どう見てもあれ、百瀬だよな?」

 俺は深く頷いた。

 百瀬が映画に誘ってくれたあの日。俺は浮かれていた。
 浮かれ過ぎて――普段滅多に更新しないSNSのストーリーに、映画のチケットを二枚並べた写真を載せてしまったんだ。

 DMが殺到してだるいことになってしまったので、すぐに投稿は消したけど。
フォローしてくれている女子たちは、しっかりスクリーンショットで保存しているらしく、登校日に『見間違いだろ』の逃げ道が通用しなかった。

 彼女たちは勝手に相手を女子に変換してくれていたから、俺はそれに乗っかって、彼女ができたと嘘をついて逃げ切ったわけだ。

 ……もちろん、本当に百瀬が恋人だったらいいのに、という願望を投影している自覚は、ちゃんとある。

「さすがに友達にまで通用するとは思ってなかったんだけど」

 自分で言うことでもないけど、容姿はともかく、俺の人間性ってカスだ。
 人が嫌いだし、休みの日に出掛けたいなんて滅多に思わない。できることなら一人静かに、本の世界に潜っていたい。
 たぶん俺といても、大抵の人間は退屈だと思う。

 けど、百瀬は違った。

 いつ会っても楽しそうに笑っていて。いつ話しかけても機嫌がよくて。だけどたまにものすごく頑固で聞き分けが悪い。
 そういうところも含めて、好きだな、と思う。毎日毎日、思わされる。

 誰かといたいわけじゃない。俺はただ、百瀬といたい。それだけだ。

「なんだ~、じゃあ浮気じゃないわけね?」
「当たり前だろ。俺は百瀬だけだから」

 百瀬しかいらない。他の誰かなんていらないんだ。

「ひゅ~~~っ‼」
「おまえ、それは俺らじゃなくて、百瀬に直接言えな?」

 ふざけんな。言えたら苦労しないっつうの。

「百瀬のこと困らせたくない。嫌われたくない。だから言わない」
「でも、すでに嫌われたんだろ? なら一緒じゃね?」

 ぐさっと胸に突き刺さる、阿久津にしては的を射た発言。睨み返すことしかできなかった。

「けど、逆にレアかもなぁ。あの百瀬に嫌われるって」

 和田はしみじみと、窓の外を目で指す。

 百瀬はジャージ姿で、一生懸命に台車を押している。あんなに華奢なくせに、どうして力仕事を引き受けるんだろう。俺が代わりに――って、ダメなのか。
 昨日、なんで優しくするんだと怒られたばかりだ。

「……おまえら、百瀬が怒った顔見たことある?」
「ない」
「ないね」
「だろうな」

 いや、どこでマウント取ってんだ俺は。怒った顔なんて知らなくてよかっただろ。

「あの百瀬を怒らすんだから、おまえはやっぱすごいよ」
「全然名誉的じゃないんだけど」
「そりゃディスってるから! 俺らの癒しを傷つけやがって!」

 ……そうだよな。百瀬は、俺たちみんなの百瀬だ。
 空気清浄機のような清らかさに癒されるのは、なにも俺だけじゃない。
 
 だけど、百瀬が怒ると眉毛が情けなく引き下がるのは――きっと、俺しか知らないことだ。
 
 傷つけたから謝りたい。これからもずっと隣に置いて欲しい。頼むから嫌いにならないで欲しい。
 そういう気持ちとはまったくべつのところで、俺は百瀬の特別になれたことが、少しだけ嬉しかった。

 本当に恋って、どこまでいっても愚かで醜い、どうしようもない感情だ。



 その夜、眠りにつく前に、百瀬に一通のメッセージを送った。

 なにを送ったらいいかわからなくて、だけど、どうにか繋がっていたくて。この本おもしろかった、と百瀬にとっては心底どうでもいい報告をした。

 なのに百瀬は、いいね、と一言返事をくれる。リアクションやスタンプじゃなく、文字でくれる。

 百瀬のこういうところが、たまらなく好きだ。
 あの夜のことも、昇降口での出来事も、百瀬はすべて水に流して、俺の友達でいてくれようとしてる。
 勝手に好きになったのは俺で、我慢できなくなったのも俺。そんな身勝手な俺を、百瀬はなかったことにしてくれるんだ。

 百瀬がくれる世界一残酷な優しさを、俺はちゃんと受け取りたいと思う。

 ――……ださいな。

 心の内で自分を毒づいたら、この件は一旦忘れよう。
 いくらださくて、かっこ悪くて、どうしようもなくたって、俺は百瀬の隣にいられる道を選ぶ。隣にいられるなら、もうなんでもいいんだ。

 誰にでも向けるあの優しさも、誰にも言わない心の奥底にある呪いも、俺にしか向けない怒りだって、なんだっていい。
 誰よりも多く、ひとつでも多く、百瀬の心や感情を俺のものにしたい。
 そうやって少しずつ集めて。そしたらきっと、いつか百瀬に特別な人ができたって俺は生きていける。百瀬の隣で、笑えると思う。
 
 だって負けないから。百瀬の特別な誰かよりも俺のほうが、きっと百瀬のことをわかってやれるから。

「……深夜メンタルやっば」

 ひとり言を呟いて、俺は枕に顔を伏せた。