二学期は行事が目白押しだ。
十月には文化祭、その一ヶ月後には修学旅行も控えている。
文化祭については春から少しずつ話し合いを重ねてきて、俺たちのクラスは演劇をやることに決まっていた。
案としていろいろな童話や映画のパロディが挙がったので、どうせならいいとこどりしちゃおう!と誰かが言って、ストーリーは完全オリジナルである。
「わたしは久我くんの旅人以外書けないです」
「センセーがそう言ってんだぞー、やれよ久我ぁ!」
つぎはぎのストーリーをまとめてくれるのは、趣味で小説を書いていると噂の女子だった。その彼女が、主役の旅人について、久我の当て書き以外では書けない、と言っているのだ。
「俺は照明係がいい」
「なんでそんなに照明がいいんだよ、おまえはどう見ても主役顔だろ!」
阿久津の発言はギリアウトな気がするけど、気持ちはわかる。久我がいるというのに、わざわざ主役に名乗りを上げる猛者は、そういないだろうな。
「……」
そのとき、久我はひたと俺を見据えて、動かなくなった。
―――な、なんだ……?
「あ!おまえまさか、百瀬がいるから⁉」
「え、俺?」
意志の強い瞳は、当たり前だ、とでもいうように平然と頷く。
「百瀬と一緒がいいし」
「いいし、じゃねーわ、このわがままキングがよぉ。おい百瀬ぇ! もうおまえが変えるしかない!」
「えぇ~……」
照明係に名前を書いたのは、枠が空いていたから、ただそれだけだ。緊張とかするタイプじゃないから、演者でも裏方でもこだわりはないんだけど。
「じゃあ、リス役にしよっかな」
俺がそう言うと、久我は焦ったように席を立ち、「なんでだよ!」と声を飛ばしてくる。まったくそっくりそのままお返ししたい気持ちだ。
なんで俺? なんで俺と一緒がいいとか言うんだ。
「ほら、久我、旅人に名前書けよ~」
俺はなるべく感情を込めないようにして、久我に声を掛けた。
気をつけておかないと俺はきっと――なんだかぷいっと顔を背けたくなるような気持ちだったから。
「百瀬マジですげーな、あの久我が主役引き受けるなんて、大功労賞もんだぜ」
和田は、心底楽しそうに声を掛けてくれたけど。
「うーん……そうかなぁ」
俺は曖昧に頷くことしかできなかった。
久我は、俺に特別親切にしてくれていると思っていた。ネクタイを結んでくれたり、なにかと世話を焼いてくれる。感謝もしてる。
だけど、久我の一番特別は、他にいるんだって。
――結局久我の興味は、俺のほくろなんだよな。
当たり前のことを心の内で吐き捨てて、俺は主役を引き受けた久我に拍手を 送った。
「百瀬、段ボール足らないかもー!」
「おー、じゃあもらってくるなぁ」
「ごめん、よろしくー!」
「百瀬~! 採寸手伝ってくれない?」
「ん、いいよ~」
「助かる~」
「百瀬」
「百瀬~」
「百瀬ぇ」
あっちでもこっちでも、自分の名前が呼ばれている。
「い……今行きまぁす……!」
俺は校内を駆けずり回っていた。
ひとつひとつは大した仕事じゃない。借り物とか資材調達とか、ちょっとしたお手伝いとか。実行委員やクラス委員に比べたら、全然大したことない仕事なんだけど。
それらが重なると結局、大したことしてないのになぜか居残り――という不可解な状況に陥る。
「じゃあ俺、これ捨ててきちゃうわ」
「わりぃ~ありがと~」
「ん~」
ようやく背景が完成して、俺はその段ボールや木板の資材ゴミを台車に載せて、ゴミ置き場まで運んだ。ここまでやっておけば、明日もすぐ作業に入れてラクだし。
空の台車を用務室の前に戻して、ふと空を見上げる。すっかり夕焼け色に染まった空には、ひつじ雲がたくさん浮かんでいた。
最近の昼休みは久我に呼び出されることはなくなって、こうして空を眺めることもなかった。
一学期は、昼に格技棟に呼び出されて、久我が本を読む傍ら、ぼけーっと空を眺めるのが日課になりつつあったのにな。
もちろん今は、文化祭準備が忙しいこともあるけれど。なんとなく最近の俺は、久我とうまく話せないままでいる。
また、前のように仲良くしたい。その思いとは裏腹に、言葉はうまく出てきてくれない。そういう自分が嫌でもあった。
「まー、百瀬に頼めばいんじゃね?」
教室の前に差し掛かったところで、自分の名前が聞こえてきたので俺は足を止めた。なんとなく、いい話ではなさそうな雰囲気。
「阿久津たちにバレないように頼めば余裕っしょ」
「たしかに。あいつ、マジでなんでもやってくれるよな」
「昨日もおとといも居残りしてんだもん、さすがにかわいそうで今日は残ったわ」
「イエスマンってやつなのかね、俺絶対ムリ~」
――はぁ……またこれかぁ……。
こういうのは慣れっこだ。いや、本音では慣れたくはないけど。だけど俺がなんでも引き受けてしまうのは本当のことだし、それでいっぱいいっぱいになってしまうのも本当のこと。
自分のキャパをわかってないくせに気安く引き受けてしまうんだから、イエスマンと言われてもしかたないけど。
ふう、と息を吐いて気合いを入れたら、俺は足を踏み出した。
「なー、用務員のおじちゃんもう帰ってたんだけどぉ~」
はっとした顔で、一斉にクラスメイトが俺を見やる。
「明日、台車返すの遅いって怒られっかな?」
「あー……あは、マジ? それだる~……」
俺はさっさと荷物をまとめて、出口まで急ぐ。
「怒られないように祈っとこ! じゃお疲れ!」
「あ、うん、お疲れ~……!」
返ってきた声に応じるように、俺はドアの前で振り返ると、彼らの顔をしっかり見据えて言葉を吐いた。
「明日もよろしくなぁ」
みんなの気まずそうな笑顔に、ほんの少し胸がすっきりしたりして。俺ってやっぱり、そんなに性格よくないと思うんだよな。
やられっぱなしはむかつくけど、やり返す度胸はない。だから、ああいう感じの悪い一言を言うのが精いっぱいで、それくらいで心が晴れる単純さもあって。
どこまでも平民。一般人。リスっていうか、モブって感じ?
たとえば久我なら、ああいう場面でも怯まずに、相手を論破するのかな。いや、その前にあの無言の圧で、みんな勝手にひれ伏すかも。
久我って、やっぱり俺なんかとは住んでる世界が違う。
本当なら、俺と久我の世界は一ミリも交わらなかったはずなのに、そこに夢っていうバグがあったから、こうして仲良くなれたってだけで。そもそも俺たちは、ありえない組み合わせだよな。
なんだか無性にイライラしながら、階段の最後の一段を、ぴょん、と跳んだときだった。
「百瀬」
「………へ、久我?」
目の前の下駄箱にもたれかかって立っていたのは、帰ったはずの久我だった。
「あ、れ?今日買い出し組は直帰って書いてなかった?」
「あー、うん。まあ、俺は戻ってきた……百瀬、なにしてるかなって思って」
なんで俺がなにしてるかって気にするんだろう。どうせ俺のほくろにしか興味ないくせに――。なんだか俺の心は、どうしてもいじけたがっていた。
「片付け、今終わったの?」
久我はゆっくり俺へと近づきながら、そう問いかける。
「ん、まあ……ちょっと時間かかっちゃって」
「百瀬、昨日も残ってたよな? 仕事抱えすぎてない?」
「そうでもないよ。今日で背景も終わったし」
「いや、絶対抱えすぎだって。もうちょっと周りに――」
「……なんで?」
「え?」
どうして久我まで、それを言おうとするんだよ。
嫌だったら嫌って言う。無理なときは無理って言える。断れないから引き受けてるわけじゃない。そういうこと、久我だけはわかってくれてると思ってたのに。
「俺のしてることって、そんなに変?」
人に頼られたら、なるべく応えたいと思う。誰かがやらなきゃいけないことなら、べつに俺がやればいいと思うし、居残りだって、それがこの先もずっと続くなら嫌だけど、文化祭が終わるまでなら、べつに苦に思わない。だから引き受けてる。
……それって、そんなにおかしいことなのか?
「え、なに、どうしたの百瀬――」
「どうもしてないっ‼」
伸びてきた久我の手を、気づけば思い切り振り払っていた。
なんだかもう、我慢できなかった。
「……どうもしてないよ、俺は。いつもとなんにも変わらない」
なんでもいいよって雑用を引き受けることも。気づいたらそれで手一杯になってることも。ああやってクラスメイトに便利屋扱いされることだって、いつものことだ。なのに俺、なんでこんなイライラしてるんだろ。
「百瀬……」
心配そうに俺を見やる久我に、素直にありがとうって思えない。
どうして優しくするんだよ。特別みたいに扱うんだよ。こっちは勘違いするだろ。
ヘドロのような気持ちが、次から次へと俺の思考を埋め尽くしていく。
「……ごめん、やっぱ疲れてんのかも」
「百瀬、待てって」
「八つ当たりしてごめん。また明日な」
「百瀬!」
急いで久我の横を通り過ぎようとしたけれど、強い力で腕を掴まれてしまった。
「こっち見てよ、百瀬」
どうしてそんなふうに引き留めるんだよ。いらないよ、そんな優しさ。
お願いだから、もうかき乱さないで欲しい。特別な人がいるなら、もう俺のことなんて放っておいて欲しい。心配なんかしてくれなくていい。
久我の優しさは、俺が特別だからじゃないんだろ? だったら……だったら、そんな簡単に手を伸ばしてくるなよ。
「……なんで俺に優しくすんの?」
縋るような気持ちで問いかけたけど、一瞬で後悔した。
久我は困ったように眉を寄せて――それから、俺の首元を見たから。
「ははっ……ごめん、なんでもない、おつかれ」
俺はそっとその腕を解くと、久我を置いて、一人逃げるように昇降口を飛び出した。



