新学期。
若干の気まずさと、それよりも大きななにかを抱えたまま、俺は通学路を弾むように歩いていた。
「あっ、百瀬~。体調もういいの?」
「阿久津、おはよー。もう全然元気!」
「よかったよかった!」
俺は久我が泊まった翌日の夜から高熱にうなされ、そのままずるずる体調不良を引きずって、登校日は休むことになってしまった。
滅多に風邪なんて引かないのに、あれはたぶん、知恵熱ってやつだ。
あのとき久我は、俺のほくろにたぶん、キスをした。
本当に優しく、触れたか触れてないかわからないくらい、ふんわりと。
もしあのとき、俺が久我を引き留めていたら。久我の首に腕を回していたら、俺たちってどうなったんだろう――なんてバカなことを考えて浮かれていたから、いつまでも熱が下がらなかったような気がしてる。
今日、久我と俺は、どんな顔で話をするのかな。阿久津や和田の前で、どんなふうに笑うのかな。少し心配で、少しわくわく。そんな二学期の始まり。
「てか、おまえのセコムさぁ、登校日、超絶機嫌悪かったんだけど」
「え? 久我が?」
いつだって俺の隣で危険を察知しては、すぐさま対処してくれるから、久我は阿久津たちにそんなふうに呼ばれてたりする。けど、機嫌が悪かったってなんだ。
あの夜のことは二人とも触れずに解散して、久我は俺が休んだ登校日には普通に心配の連絡をくれたんだけど。もしかして……怒ってるのか? 俺が簡単にほくろを見せたから?
「……なんか言ってた?」
「あれ、百瀬は聞いてねーの? アイツ、彼女できたって」
――……は?
「え、噂でしょ?」
「いやいや、本人が言ってたんだよ。なんかストーリーに写真が上がってた?とか? それで女子に囲まれて、しつこいってキレてさぁ」
「……久我がキレたの?」
「そ! アイツ愛想ないけど、キレたりしねーじゃん。だから百瀬いないから情緒不安定なのかなって、和田と話してたわけ」
自分が久我の精神安定剤とは思わないけど、たしかに久我は、どれだけしつこくされても、キレたりしない。ただただそこで、時が過ぎ去るのをじっと待っているはずなのに。
「……彼女、か」
きっと久我、面倒になったんじゃないのかな。女の子たちの対応をするのに、限界がきたとか。
だって校外学習の夜は、彼女も、好きな人もいないって、人嫌いなんだって言ってた。
あれからまだ、三か月しか経ってないし。
それに……俺のほくろに、キス、してきたし。
「あ、ほら、まさに」
そう言って阿久津は、昇降口の前で二、三人の女子に詰め寄られている久我を目で指した。
「久我先輩、ほんとに彼女ですか? だって前、好きな人いないって――」
「それ、俺って全部本当のこと答えなきゃいけないの?」
「そ、そうじゃないですけど……!」
「ほんとに……ほんとに彼女できたんですかぁ……⁉」
一段と大きい声で一人の女の子が聞いたときだった。
「うん」
久我はたしかに、頷いていた。
「はい、ごめんなさいねぇ~阿久津パイセンが通りますよっと」
阿久津は久我と女の子たちの間に割り込んで、わざとバカを演じていた。久我がああして人に囲まれて困ることを、きっと阿久津も、それから和田だって、気づいているから。
だから俺も、助け船を出したいと思うのに。
足がすくんで、全然動いてくれないんだ。
「あ……百瀬」
そのとき、久我の冷えた目は、俺を捉えて一瞬、大きく見開かれた。
「お、っはよぉ~、久我」
よ、っと手を上げて、いつも通りの挨拶。いつもと同じ、いつもと同じ。
「百瀬……今の話、聞こえてた?」
「え? いやぁ? 阿久津と話してて聞こえなかったけど?」
どうして嘘ついちゃったんだろう。普通に言えばいいだろ、聞こえたよ、おめでとうって。
背が低くて、肌が白くて、空気清浄機みたいな子だっけ。久我のタイプの子。
きっとそういう子と出会って、両想いになったんだ。おめでとうでしかないっていうのに。
「二学期長いよなぁ~頑張ろうな~」
俺は、そうやって笑いかけるのが精いっぱいだった。
久我の目は――見れなかった。



