久我と俺は、友達の友達の、友達。お互いにそんな認識だと思う。
クラスが別々だった一年の頃、阿久津が紹介してくれた奴の隣にいたのが、久我だった。
それから何度か大人数で遊んだことがあるけど、特別仲がいいってわけではなくて。
たとえば、トイレで出くわしたら『おー』と声を掛け合うけど、廊下ですれ違うくらいなら、素通りする。なんか、それくらいの関係だ。
「やばい、やばい~……!」
ひとり言を呟きながら、大急ぎで放課後の廊下を駆ける。
今日は図書委員になって初めての当番の日。
なのに、担任に頼まれた用事が思いのほか長引いてしまい、俺は焦っていた。
「ごめん!遅くなっ――」
ガラッと勢いよく、図書室の戸を開けた瞬間。
「お疲れ」
「……あっ……おっ、お疲れ、久我ぁ」
目に飛び込んできたのは、さらりと髪をかき上げながら振り向く、久我の姿だった。
あまりにもその仕草が絵になっていて……なんか一瞬、時間が止まってしまったけど。俺は慌てて、久我の元へと駆け寄る。
「一人でやらせちゃって、ほんとごめん! 大丈夫だった?」
「ん。誰も来なかったし、全然」
そう言いながら、久我は俺に背を向ける。
委員会決めの日、どういうわけか久我は、黒板に自分の名前と、俺の名前を書いてくれていた。
ぼけーっと窓の外を眺めていて、危うく希望していた図書委員に名前を書きそびれるところだったから、久我にはとても感謝している。
……なんで知っていたんだろう、という疑問はいまだに解決していないけど、まぁそれはそれだ。
「……って、あれ⁉ 返却やってくれてるじゃん! ごめんごめん! やるやる!」
よく見ると、久我は返却ワゴンを転がしながら、棚に本を戻してくれていた。
「もう終わるし、いいよ」
「だめだめ! 俺こっちやるから」
「……ん」
どうしよう、やっぱり怒ってるかも。普段はあんなに目が合うのに、図書室に来てから、まだ一度しか目が合っていない。
まずいなぁ、と久我への謝り方を考えつつ、俺は本の背表紙に貼られた分類番号を頼りに、図書室を右往左往する。
「……おお、すごい場所に……」
一番大きな本棚の、最上段。ぐーっと手を伸ばしてみるけど……うん、ギリ無理。諦めて踏み台持ってこよう。
一七〇センチにあともうちょっと、という自分の身長を恨みつつ、二段ステップに足を掛けたときだった。
「百瀬」
「ひえっ」
突然背後から名前を呼ばれて、心臓がひゅっとする。
「びっくりしたぁ。久我、終わったの?」
「いや、高いとこ俺がやるよって言いに来たら、すでに手遅れだった」
「手遅れって!」
「……ふっ」
なんだよ、鼻で笑うなんて、案外ひどいじゃん。
かと思えば、俺が踏み台から落っこちても受け止められるように、両手を広げて待ち構えてくれているんだから、まったく立場がないっていうか。
「あはは、なんだよ、やさし~」
ちょっとひどくして、そのあと優しくして。俺が女子だったら、うっかり恋に落ちるところだぞ。
「…………まあね」
伏し目がちにそう呟いた久我を、まじまじと見つめる。
わかっていたことだけど、見れば見るほど、とんでもないイケメンだ。
くっきりとした目鼻立ちに、長くて濃いまつ毛。男らしいシャープな輪郭は素直にうらやましいし、その上、俺がステップに上ってやっと目線が近づくくらいの長身だぞ?
これは女子が惚れ惚れするのもしかたないよなぁ――。
「……わ、わぁ!」
なんて見惚れていたら、まんまと足を踏み外すダサい俺。久我の腕に抱き留められ、ひっくり返りはしなかったけど。しっかり足を踏んでしまった。
「ごめん! 足踏んだぁ!」
と、振り向いたときだ。
――え……な、なに⁉
思わず肩がびくっと跳ねた。
久我の切れ長な瞳は、俺の首元を食い入るように見つめていたのだ。
それはもう、獲物を狙うハンターのような目つきで……。
なぜだかわからないけど、隠さないとまずい。そんな気がして、きゅっと襟元に手をやる。
「え……っと、あ、ありがと~……?」
しどろもどろになりながらお礼を言うけれど、久我は返事をしてくれないどころか、腰に回した腕を解いてくれる気配すらない。
ドクドクと逸る心臓。脳内でリピートされる、あの目つき。
どうして久我はあんな目で、俺の首元を……?
「……久我さぁ……なんか最近、俺のことよく見てね?」
気づいたときには、声になっていた。
だけどもう、それでいいと思った。
一日に百回も目が合うのも、首元を狙うようなあの目つきも、全然意味がわからないもん。もう聞くしかないじゃん。
ゆっくりと振り向くと、久我は一瞬目を見開いたあと、すぐにいつもの涼しい顔に戻った。
「……気づいてたんだ」
うなずそりゃあんだけ目が合えば気づくだろ――とは言えず、俺はただ、こくんと頷く。
「やっぱり、俺の背後になにか憑いてるの?」
「ついてるって?」
「幽霊とか」
「……ふっ……それは知らねーけど……」
こいつ、また鼻で笑ったな? いったい誰のせいでこうなったと思ってるんだ、ちょっとむかつく。
「だ、だって! 一日に百回も目ぇ合ってるんだぞ、気になるじゃん!」
「……え、数えてんの?」
「あ、やべ、言っちゃった!」
俺のバカめ。それを言ったら、断然俺のほうがやばい奴だよ。
やっと腕を離してくれた久我は、向かいの本棚に背を預けてまっすぐに俺……じゃなくて、やっぱり俺の首元を見つめている。
な、なんなんだ……ネクタイの結び方が気になるとか?
「……ほくろ」
「……ん?」
蚊の鳴くような声に、もう一度聞き返す。
「なんて?」
「……ほくろ……百瀬、ほくろあるだろ?」
「え、まあ、あるんじゃない?」
いきなりなにを言い出すのかと思えば。
大抵の人間にほくろはあるだろうし、俺にだってあると思う。けれどいざ聞かれると、自分の身体のどこにほくろがあるか、ぱっとは思いつかなかった。
「どこだろ、腕とか――」
「じゃなくて、鎖骨に」
「……さ、こつ?」
目が点になっていると、久我は自分の鎖骨あたりを、指でつんつん、と指して見せてくる。
いや、俺も鎖骨の場所はわかってるんだけどさ?
「えぇ……ほくろ……?」
あまりにも真剣な顔で訴えてくるので、しかたなく俺はネクタイをゆるめて、シャツの第二ボタンと第三ボタンを外す。
くい、と襟元を下げて自分で確認しようとするけど、いまいちよく見えない。
「見せて」
「ぅ、え?いいけど……」
まあ自分じゃよく見えなかったし、とシャツを下げたまま、顎を斜め上に持ち上げる。
「ある?」
視線だけを久我に戻すと、ぱちっと目が合ったその瞬間。
「…………あった」
いつもは静かなその瞳の奥に、ゆらりと熱が揺れる。こ、怖い……なんなんだよマジで……なんでそんな目で俺のほくろを……?
「は、はい! おしまーい!」
慌ててきゅっと首元を隠すと、久我は黙って一歩近づき、なぜか俺のシャツのボタンを留めようとしてくる。
「なに⁉ 自分でできる――」
「見せてくれてありがと」
「見せてくれてって、そんな大袈裟な……」
なぜか俺のほうが恐れ入っているうちに、結局久我は、ネクタイまで綺麗に整えてくれた。
たかがほくろを見せたくらいで、そこまでしてくれなくてもいいのに……。
「あのさ……もしかして、ほくろが気になって、ずっと俺のこと見てたの?」
「うん」
うん、って。そんなに迷いなく頷かれても、反応に困る。
「それなら普通に言ってくれればいいのに」
「……言ったら、見せてくれんの?」
「べつにいいよ。ほくろくらい、いくらでも――」
と言うと、俯き加減だった久我が顔を持ち上げ、至近距離で視線がぶつかる。
「い、いくらでも……」
痛いほどまっすぐな視線に、なんだかうまく言葉が出てこない。
なのに久我は、まるで逃がさないとでも言うように、じりじりと距離を詰めてくるんだ。
「いくらでも、なに? 百瀬」
「だ、だから、俺のでいいなら、言ってくれたら見せるから……」
うわ、なんだこれ。なんだかほくろが、じくじくと疼きだす。
無理無理。耐えられない。こんな目で一日中見られるのは、絶対に耐えられない……!
「ほくろは見せるから! だからもう、一日中視線送るのはやめれる……⁉」
久我の胸を押し返しながら、俺は必死に訴えた。なのに、こいつ。
「ふはっ……そっちをやめればいいんだ?」
「なっ、なんで笑うんだよ! 人がせっかく譲歩したのに!」
フェチズムは人それぞれいろいろあるだろうし、ほくろを見せるくらいはべつにいい。問題は、久我のあの目つきだ。あれに一日中見られるのは無理だ。
ならもういっそ、直接言ってもらったほうがいいと思っての提案だったのに。
笑われる筋合いないだろ、まったく……。
「ごめんごめん。やっぱ百瀬だなって思って」
「……はぁ~……?」
腑抜けた俺の声に、久我の目元が甘くゆるむ。
普段はクールで、あまり笑ったところも見たことがなかったけど……久我ってこんなふうに笑ったりするんだ。
「じゃあ、これからよろしくな、百瀬」
無造作にかき上げた前髪が、はらりと目元に影を落としたとき。
なぜか俺の心臓は、ひゅんっと縮み上がった。
――……あ、あれ? ほくろって、人に見せていいんだよな……⁉



