百瀬のほくろを俺だけに見せて


「ごめん……俺、嘘ついた」

 買い物なんて当然ないし、用事もないのに歩くには、駅ビルは少し遠いし。
 結局映画館に引き返してくると、寒いくらいの冷気が俺たちを出迎えてくれた。

「俺に気ぃ遣ってくれたんだろ、ごめんな」
「ぜーんぜん、違う……」

 そんなに俺は優しくないって、もう何回も言っているのにな。
 俺が久我の手を引っ張ってここまで連れてきたのは、久我のためなんかじゃない。俺がおもしろくなかった、ただそれだけだ。

「俺、そんなに優しくないって。普通に自己中なとこだってあるよ」
「百瀬は優しいよ、前にカラオケの前でも助けてもらったし」
「助けたって、そんな大袈裟な……」

 そういえば、あのときも久我は女の子に囲まれて、知らない人と話したくないって言ってたっけ。本当にちょっと目を離すと、すぐ囲まれるんだ。まぁ久我ってかっこいいし。気持ちはわかるけど。
 だけど……本当は久我って、ほくろに目がない、ちょっと変なとこもあるんだぞ。みんなはきっと知らないけどさ。

「なぁ、百瀬」
「ん、なに?」

 すると突然久我は、俺がまだ握り締めたままだった左手首を、くいっと動かした。逃げていくのかと思えば、その手は、するりと俺の指を絡めとっていく。

「ぅえ……えっ、な、なに――」
「百瀬って、意外と距離近いよな」
「え⁉ そ、そう……?」

 そんなの初めて言われた。どちらかといえば、久我のほうがそうじゃない? だってこんなふうに……さ?

「……少しだけ。見えないようにするから」

 映画館のロビーの端っこ。壁と久我の身体の間に、こっそり忍ばせた二人の手。
 久我は俺の小指をにぎにぎしながら、涼しい顔で俺を見下ろしている。

「そ、そんなに嫌だったの? あのとき」

 俺もなるべく普通の声色で問いたいのに。やっぱり少し、上ずった。

「……ん。やだった」
「やだったのかぁ……」

 さっき久我が言った通り、カラオケの前でも、学校の廊下でも、なにかと囲まれがちな久我に助け船を出したことは、何度かある。
 それでもこんなふうに、指をにぎにぎされたのなんて初めてだ。
 俺の指に縋りつきたくなるほど切羽詰まっていたとは、気づかなかった。

「ごめんな、俺があんなとこ連れて行ったせいで……」

 少し考えればわかることだった。
 ああいう流行の場所に人気者の久我を連れて行ったら、どうなるのか。
 それなのに久我は、あのカフェに迷うことなく並んでくれたんだ。
 ……きっと、俺が行きたがったから。

「ちげーわ、場所の話じゃなくて」
「えぇ?」

 じゃあなんの話だ。なにがやだったんだ?

「……ほんと、簡単に触らせすぎ」
「さ、触ってきてんの、そっちだろぉ……!」

 俺は、にぎにぎされている右手を一瞬振り払おうとして、すぐやめた。
 まっすぐな久我の眼差しが、それを許してくれないことがなんとなくわかったから。

「……もうちょっとしたら、あのカフェ戻ろうな」
「え! もういいよ!」
「いや、百瀬の行きたいところは、全部俺が連れて行きたい」

 すごく真剣な瞳で宣言されたけど、そうされるとこっちは、ちょっとバツが悪いというか……。

「あ……いや、俺は全然……その、なんていうか、すごく行きたかったわけでもなくて」

 もう俺は、正直に白状することにした。

「俺さぁ……元カノにフラれたとき、たまにはリードしてよって怒られたんだ。いつもこっちが決めなきゃいけなくて疲れたって、めっちゃ泣かせちゃったし。だから誰かと二人きりで出掛けるの、ちょっと気合い入れないとダメになっちゃって」

 俺はありとあらゆる場面で、得意の『なんでもいい』を繰り出してしまうから、一緒にいる人を困らせてしまうことも多い。
 大人数でいれば、誰かしらが決めてくれるから楽だけど。二人きりだと逃げ場がなくて。

「それで久我のこと困らせたくないから、昨日のうちにいろいろシミュレーションしてきたんだよ。この映画観て、席はここにして――」
「ポップコーンは塩味?」

 俺は苦笑いで頷いた。

「だからあのカフェもそう。映画のあとどうする?ってなったときに困るから、近場で人気なところを調べてただけなんだ」

 それなのに久我は、炎天下の中、迷いなく大行列に並んでくれた。知らない人に話しかけられても逃げずに、そこにいようとしてくれた。

「ごめんはマジで俺のほう。それにありがとうも、俺のほう」

 結局なにも予定通りにいかなかった。
 だけど久我はまだ、俺の隣にいてくれる。
 それがどれだけ俺の心を軽くしてくれているか、久我はきっとわかってないだろうな。

「……それは、結構心外」
「え」

 けれど、俺の心からの感謝は届かなかったらしい。
 久我は、むすっと唇を尖らせて俺を見下ろす。

「元カノと一緒にすんなよ。比べんな。俺は百瀬が嫌なことは嫌って言うの知ってるから、好きなようにするし」

 怒っているのかと思えば、今度はやわらかく微笑んで、こっそり繋いだ手をきつく握ってくる。

「だから百瀬も、好きなようにしててよ」

 ――好きなように……?

 声にならない声を、なんとか呑み込んだ。
 どうしよう。なんか、息が苦しい。

 好きなように、とか、自由に、とか、俺は結局ずっと苦手だ。なにがしたい?よりも、アレがしたい!と言ってもらえるほうが、俺は好き。だけど、気持ちを他人に預けているつもりはなかった。
 なんでも許すわけじゃないし、嫌なことは嫌とも言う。やりたいことがあるときは、結構譲らないタイプだ。
 だから俺は、この性格で損したなぁ、なんて思うことはなかったけど。
 それじゃダメなんだって、初めてできた大切な女の子に思い知らされて。

「……うん」

 そっか。久我は、俺が俺のままでいていいって、言ってくれるんだ。ずっとそうだよな。久我は俺のこと、ちゃんと見ててくれる。

「ありがと、久我」

 なんだか胸がいっぱいで、許されるなら抱き締めたいくらい。

 でも、なんかそれはしちゃいけないような気がして、俺は久我の手をそっと握り返した。