「くれぐれも散策は、他のお客さんの迷惑にならないように! いいか、この制服を着ているということは学校の看板を背負っているということであって、君たちが――……」
「……なげえな」
「言ってやるなって」
一言も学年主任の話なんて耳に入っていなさそうに、和田は大あくびをした。
今日は一泊二日の校外学習で、鎌倉に来ている。
午前中は大仏を見学したり、神社を参拝したりして、やっと今から自由行動だというのに。
先輩の顔に泥を塗ることのないように、とか、後輩に恥ずかしくないように、とか。謎のチーム感を熱く語られているけど、たぶんここにいる誰もが、先輩も後輩もどうでもいいし、とにかく腹減った、しか考えていないと思う。
「あーもう、早く終われよ~店並ぶって~」
焦れた阿久津が身体を揺らすと「こら、そこ!」とまた長話が延長する。
「焦んなって、お店いっぱいあるんだから」
「俺は絶対カレーパンが食いたいんだよ! 売り切れてたら一生恨む、あのハゲぇ」
「そういうこと言うなよ、俺たちも他人事じゃないだろ」
いや百瀬、咎めるのそこなの?
口悪いぞとか、見た目のこと言うなって話じゃなくて、百瀬的にハゲは他人事じゃないからダメらしい。
「ふっ……」
「あ、なに久我、今笑った?ハゲた俺のこと想像しただろ?」
「ちげーよ、ゆるいなぁって思って」
「なんだよ、またそれ~?」
やっぱり百瀬といると、空気がゆるい。誰かと一緒にいるのは疲れることのほうが多いけど、百瀬には隣にいて欲しいとすら思う。
なんていうか、空気清浄機みたいな。心のお守り的な。
「百瀬はなに食いたいの?」
「んー? クレープもおいしそうだったし、大仏さま焼きもかわいいし……あとお団子も鎌倉ってかんじでいいしなぁ。なんでもいいよ」
「でたよ、百瀬のなんでもいい病~」
「カレーパン忘れてるし~」
「あは、たしかに! あとカレーパンも追加な!」
にこにこ、にこにこ。かわいいな。ずっと見てられるな。
「……全部食いに行こうな」
「え、全部⁉ 全部は食い過ぎじゃない⁉」
「百瀬が食いたいもの、全部食おう」
なんて言うんだろうな、この感じ。
百瀬に不自由させたくない。我慢させたくない。たくさん食べさせたいし、たくさん笑って欲しい。すこやかでいて欲しいなと思う。
「久我、俺に甘すぎるよ」
「まあ……いつもお世話になってるから」
「あ、これ?」
そう言って百瀬は、自分の鎖骨を今ここで見せようとしてくる。
「まてまてまて」
俺は慌ててその手を押しとどめた。
六月に入り、制服は夏服になってネクタイの着用義務はなくなった。つまり百瀬の鎖骨は、ノーガード状態である。少し襟元を崩せば、あっけなく百瀬のほくろは大衆の面前に晒されてしまうのだ。
大変危ないと思うし、ネクタイを結ぶ口実も使えないし……夏服、まったく許せない。
「あはは、冗談~。まあいつでも言ってよ、見せやすくなったからさ」
「……危ないな……」
ダメだろ、百瀬。露出は控えろ。見せる相手は選べ。危なっかしくて本当に困る。
だからなんとなく目が離せないのかもしれない。
百瀬は頼まれたら、なんのためらいもなく自分の鎖骨を差し出すんだろう。相手が俺でも、誰でも、関係なく。
「――おい久我? 百瀬にめりこんでるの、気づいてる?」
「……あ、やべ」
気づくと俺は、歩きながらぴったり百瀬にくっついていた。肩と肩が触れ合うどころではない。百瀬の右肩は窮屈そうに内に入ってしまっている。
「悪い、百瀬! 言ってくれれば――」
「いや混んでるからさぁ。べつにいいよ、俺にぶつかる分には」
あっけらかんと百瀬は言って、逆にぐい、と俺の腕を引き寄せた。
「こっち歩く?」
俺が人混みに揉まれたのだと、純粋に心配してくれているらしい。
店側を歩くかと顔を見上げられたとき、「……はあぁぁ」と声にならない声が漏れていた。
百瀬の行動のひとつひとつが、いちいち俺の琴線に触れる。
どうしてこんなに広い心でいられるんだろう。そういう尊敬の気持ちと同時に、危ないなぁと身勝手な危機感が募る。
危ないな、百瀬。すぐ取って食われそう。だけどそうじゃないことも知ってる。そこがまた、俺の胸を疼かすんだ。
「う、うわぁ……!すごい、これうまそう!」
悶々としている俺の隣で、百瀬は目を輝かせながら、ショーケースを見つめていた。
透明の団子……いや、わらび餅らしい。女子とか、うちの兄貴とか、映え意識系に人気そうな見た目で、うまそう、とはまたちょっと違って俺には見えたけど。
「よし、並ぼう」
「待て待て、カレーパン!」
阿久津の希望なんてどうでもいい。百瀬がうまそうと目を輝かせたんだから、ここで止まるんだよ。
「並ぼ、百瀬」
「いや、あとでいいよ。阿久津が行きたがってるとこ超人気らしいから、先行っちゃお」
むう、とした俺とは対照的に、百瀬は笑顔で「しょっぱいのあとに甘いのほうがいいじゃん?」と続けるから、もう本当にお手上げだ。
カレーパンに、大仏さま焼き、クレープも食って、腹はパンパンだ。さすがに食い過ぎ……だけど。
「百瀬、食うの早……どの味が一番好きだった?」
四つすべて味の違う団子を、百瀬はあっという間に完食した。
きゅ、と口を結んで、代わりに頬が膨らんで。食べてるときの百瀬って、まるでリスみたいだ。
「ん? えー、全部おいしかったけど……久我は食べないの?」
「全部か。じゃあ、はい。全部あげる」
「……は⁉ なんで⁉」
一瞬考えてから、また「え?」と、正気を問う顔で見上げられた。
「久我ぁ。おまえ、いー加減にせーよ」
「そうだそうだ。百瀬はみんなの百瀬なんだぞ~」
阿久津と和田の声には反応せず、驚いて固まっている百瀬にもう一度、団子の串を差し出してみる。
「いや……久我のなんだから、久我が食べな?」
「なんか百瀬にあげたいんだよね」
「餌付けかぁ」
まさしくそれだ。餌付け。百瀬の頬がぷくっと膨らんだところ、もっと見たい。
「全然動じないじゃーん……」
困ったように眉を寄せた百瀬は、じゃあ、となにか思いついたらしい。じゃあ、じゃなくて、本当に全部あげたいんだけど、俺は。
「ひとつだけちょうだい? 桜のやつ」
「……全部あげるのに」
「いらないから~」
百瀬はそう言いながら、小さな口で、俺が持った串から桜味の団子をひとつ、抜き取った。
「………」
「……あれ⁉ 食べてよかったんだよね⁉ もしかして冗談――」
「や、ごめんごめん。時が止まってただけ……」
だってまさか、俺の手から食べるなんて思わなかったから。
「もー、どしたよ久我ぁ? なんか今日おかしくね?」
百瀬はいまさらそんな呑気なことを言って、やっぱり危機感が薄すぎる。
普通はほくろを見せろとせがんできた時点で、だいぶおかしい奴だし。一日百回も目が合ってた時点で、引くところだろ。
「なにをいまさら……」
呟くと百瀬は、けらけら笑いながら、俺の様子がおかしいのは暑さのせいだ、なんて。やっぱりあまりに呑気で、心配すぎる……。



