シシュフォスの相続人

episode 1


 2045年9月2日。イチロクフタマル。
 霧雨けむる伊丹飛行場に、僕を乗せた高麗陸軍のオスプレイ輸送機は降り立った。
 輸送機は兵隊や物資を積んで元気よくインチョン国際空港を飛び立ち、深い青色の波をたたえたトンヘをぬけ、中国地方の山々を横切った。やがて眼下には都会の街並みが開け、空港が見えてきた。
 正確に言うと、ここは<ITAMI Air Base>。米軍が接収した軍用飛行場だ。米軍がここを管理運営しており、連合国軍がそれを使わせてもらっている形に現在はなっている。敗戦国の日本国民が旅行で飛行機を利用することなど当分の間ないだろうから、それで今のところ問題はない。
 暦の上ではとっくに夏の盛りを越したとは言え、暑さは依然として厳しい。大阪に転属になって、上官に着任のあいさつがあるもんだから、僕はこのクソ暑いのに陸軍正服。ま、早い話が軍服の背広版だ。背広じたいが軍服由来だから、「軍服の背広版」という表現が適当かどうかよくわからないけれど。金モール入りの制帽、アーミー・グリーンの開襟型夏季ジャケットにネクタイといういでたち。米軍ではこれをClass-A Army Service Uniformというんだそうだ。米軍のコピーに等しい我が高麗陸軍でも、これを正服とは言わず、ふだんはクラスAと呼んでいる。そのほうが耳で聞くぶんには、紛らわしくなくてわかりやすいから。
 外ではオスプレイのプロペラが排気ガスと雨粒を盛んに宙に巻き上げている。僕は制帽が飛ばされないよう手で抑えながら、管制塔ターミナルに向かって滑走路を小走りに駆けていった。
 ふとターミナルのほうに目をやると、夏季勤務服に身を包んだ若い兵士が一人、傘をさしながらこっちに向かって走ってくるのが見えた。ベレー帽を被り、白の半袖開襟シャツにアーミー・グリーンのスラックスという、僕よりいくぶんは涼しげな装いだ。ちなみにこっちはClass-B ASUだから、呼び方は「クラスB」。
 彼はみるみる近づき、やがて僕の目の前で立ちどまった。
「……必・勝!」
 兵士は右手を挙げてそう叫ぶや、僕に向かって敬礼した。忠誠、団結、必勝……今となっては数少ない、大韓民国陸軍時代以来の伝統だ。階級章をみると彼は下士官。
「ヤン・ヨハン少尉。お迎えに上がりました。司令部までご案内いたします」
 下士官は直立不動の姿勢でそう言うと、携えてきたもう一本の傘を差し出し、入れ違えに僕の手からカーキ色のダッフル・バッグをもぎ取った。僕はありがたくその傘を頂戴し、彼に伴われていったのである。
 近くに停めてあったライトグレイのEVマイクロバスに入ってみれば、運転席のないガランとした車内。座席とモニター画面があるのみ。どことなくMade in Korea とはしつらえが違うそれは、見たところ日本軍から接収した兵員輸送車両のようだ。日本車の内装デザインは我が国産車とは印象が微妙に異なる。どうやらゲストは僕ひとり。バスは僕が乗り込むとすぐ動きだした。
 バスは空港を出るとすぐ横のハイウェイに吸い込まれ、占領軍車両優先レーンに乗っかった。そして天井の赤青ライトが点灯し回りはじめると、周囲の車は一斉に端によって我々に道を譲りだす。これはハイウエイの完全自動運転が実現した頃から見られるようになった光景だ。バスはそうして一般車両を脇へ脇へと追い払いつつ、徐々にスピードを上げ、阪神高速十一号池田線をスルスルとひた走った。
 空港周辺は倉庫や工場のような建物が建ち並ぶ、殺風景でガランとした工業地域。マイクロバスはそこを走り抜けると間もなく住居地域にさしかかった。走行中視界に入るものといえばトラックに乗用車、バス、道路、また道路、両脇の防音壁。あとはどこまでも続くどんよりとした空の色……まったくもってハイウエイの風景などいずこも似たりよったりだ。
 退屈のあまり、僕は天井の車載マイクに向かいネット・ラジオをリクエストした。
「ウンニョ、K-POPチャンネルを頼む」
 するとまろやかな、えも言われぬ美しい女性の声が車載スピーカーから響いた。高麗軍セントラルAI〈ウンニョ〉の声だ。    
― ピッ……KBRラジオ、〈I love K-POP〉を選局します…… 
 音声案内の後、輸送車のチープなスピーカーからは西暦2000年代のK-POPラップ・ナンバーが流れだした。それはまるで1950年代のジャズのレコードか、AMラジオのようなこもった音で。この輸送車のメーカー、製造コスト削減とは言えケチりすぎだろう。
 変な話、その時の僕には、そんな安っぽい音響が何故だか妙に心地よかった。おかげで僕は心身ともリラックスし、しばしのあいだ車窓の風景と音楽を楽しめたのである。
 やがて出迎えの下士官がおもむろに口を開いた。
「あのう……少尉殿」
「ん?」
「ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「もちろんだ」
 下士官の面影にはまだ、あどけなさが残る。志願兵で昇進が早かったのかも。僕とそう年齢が変わらないからと、親近感を持ったのかもしれない。僕はウンニョに向かって音楽を止めろ、と命じた。
「どうした?」
「はい、私にはどうしても解せないところがあるのです」
「言ってよし」
「はい、日本がアメリカに一発かまされたのは核開発と、武力による領土の原状変更だったと思うのですが、わが国だって核兵器はありますし、他国の領土を侵略した国は日本だけではないと思うのです。だのになぜ、日本だけが罰せられるのですか?」
 僕は返答するのが少々おっくうになった。シンプルなわりに明快な答えがないから。
「まあ、成り行きってやつかなあ」
「はぁ……」
 下士官は納得していないようだ。少し不親切だと思われたかも知れない。
「君が疑問に思うのはもっともだよ。僕だって同じ思いだから」
 共感を示されて、下士官の表情が少し明るくなった。
「まあ、核兵器に関して言えば、わが国の核兵器は北の将軍さまが持っていたものを我々が引き継いで管理している、という表向きの理由があるが、日本にはそもそも核はなかった。それだけの違いさ。独島と北方領土の侵略について言えば、日本はなめられたんだな、軍事的に」
「はあ、しかし少々強引な気がします。無理やりこじつけて難癖つけたみたいな……」
「君の疑問は世界中の人が持っているものだよ。まあ、タイミングも悪かったなあ。アメリカの大統領選挙があったし、その顔に泥を塗ったみたいな感じになったから。おかげで景気もよくなったし、史上初の女性大統領として箔がついたしね。要するに大した理由などないよ」
「その程度のことでたくさん人が死んで、国家が踏みにじられるなんて、あんまりですね」
「まあ、そんな話は人類の歴史上、いくらでもある話さ。日本にだって隙はあった。いい気になって<一人前の国>だの<誇り>だの<矜持>だのと、イキがる連中が国の中枢を握ったから。アメリカという虎を尾を踏んでしまったわけさ」
「万事、アメリカの機嫌次第、ということですか?」
「ほぼ、それに尽きると言っていい」
「つまらないなあ。これだけの犠牲があったのだから、ちゃんとしたそれなりの理由が欲しいですね」
 下士官は微笑んで言った。
「少尉殿、日本はいいですよ。女はカワイイし食いもんはウマい。任務だって楽勝です。ようこそ日本へ」
 バスはその後淀川を越え、オフィス・ビルが建ち並ぶ大阪中心部に入った。

 大阪の街は効率化され多機能化された大都市だ。それがどこかの国の首都であったとしても不思議ではないほどに。見渡す限りの広大なコンクリート・ジャングルのあちらこちら、大中小様々な形状の高層ビルがニョキニョキと、あたかもバオバブの大木のようにそびえ立っている。その下には何車線もある広い道路が整備されていて、それが縦横無尽にどこまでも果てしなく伸び、その上を高架式の環状道路が天蓋のようにふさいでいる。コンクリートの森は幾つかの運河で分け隔てられ、その島々を数多くの橋がつなぐ。その様はまるで街全体が大きな汚水の河に浮かんでいるような、そんな錯覚すら引きおこすほどだ。

 あたかも一独立国家の構成員……大阪の民衆はある種の大国意識で結びつき、首都東京をライバル視している、と言われる。それはこういった広大な空間に巨大インフラや資産を保有している、という自負心からかもしれない。とはいえ大東京とは異なり、大阪の空は広く感じる。巨大摩天楼が東京ほどには密集してはいないからだ。その数と規模において大阪の建物は東京のそれに及ばない。そして今や大阪の街は、連合国軍の精密爆撃で来上がった廃墟の跡が街のあちらこちらに散らばっている。モザイク状に、あるいはまるで絨毯にあいた穴のように。それは何だか計画的で大規模土地開発事業のようにも見える。

 ほどなく、我が兵員輸送車両は大阪府庁にほど近い超高層オフィスビルに到着した。空港からはほんの2〜30分ほどの行程だった。玄関脇には〈General Headquarters Korean Army Occupation Force〉との安普請の看板がたっている。高麗共和国占領軍総司令部。略してGHQ/KAOF。

45階建てのこのビルはもともと、IT系巨大企業<HARD CRANK>大阪支社があったところだ。当該建物も占領軍が接収した。その規模と立地において、我が高麗共和国占領軍総司令部たるにふさわしい建物だったからである。空港にせよオフィス・ビルにせよ、占領軍が使用する施設およそ全て、表向きは日本政府が借り上げたうえで占領軍に提供する形を取る。しかしその実体は連合国軍最高司令官やその取り巻きの単なる我がママ、思いつきの押しつけでしかない。敗戦国の日本には占領軍からの要求を拒否する自由などあって無きがごとしなのだ。NOと言うならYESと言わせるまでのこと。むろん占領軍はその賃料、補償費用その他一切を負担することはない。降伏文書に従い、請求書の宛先はすべて日本政府である。

 バスはビル正面入り口の車寄せに停車し、僕は広々としたエントランスからロビーに入った。そこは天井の高い、開けた空間。素材の大理石とガラスが醸し出す、清涼ではりつめた空気に満ちていた。左手を見ると無人の受付カウンターがあり、背後の壁には大型モニターが掲げられていて、その画面上をネオンのような円形オーディオ・スペクトラムが漂っている。本来そこにはビル所有者であるHARD CRANK社のロゴがあるはずなのだが、モニターがそれを上から覆い隠している格好だ。
 僕は受付カウンターに歩み寄り、モニター画面に向かってこう告げた。
「ウンニョ。第29歩兵連隊第12中隊、ヤン・ヨハン。着任手続きを」
 するとまた、あの美しい女の声が響いた。
― アニョンハセヨ、ヤン少尉。ご苦労様です……
― 生体認証をします。頭を動かさず、しばらくそのままじっとしていてください……
 AIが何かを話すたびモニターの音声波形がキラキラとゆらめいて、ちょっと幻想的だ。AIの音声は音響技術により僕の耳の周辺でしか聞こえないようにスピーカー設定がなされている。だから僕とAIとのやりとりが周囲の人におおっぴらに公開されるようなことはない。
― 認証完了。第29歩兵連隊第4大隊第12中隊、ヤン・ヨハン少尉。
― これより24階・General Staff Section.1 、総務部人事課まで出頭願います。
ー エレベーター・ホールは正面玄関から向かって左奥にあります……
 音声案内と共にモニター画面には小さなウインドウが開き、現在位置と館内見取り図が表示された。僕はAIの指示通りエレベーター・ホールに進み、数ある行列の中から比較的人数の少ないのを選んでエレベーターに乗り込んだ。

 この建物には2つの総司令部が同居する。連合国軍総司令部(GHQ)大阪ブランチと、連合国軍を構成する高麗共和国占領軍の総司令部だ。連合国軍のGHQは高麗国軍の建物を間借りしている格好だが、その実体は高麗共和国軍であり、米軍の連絡将校が常時詰めているに過ぎない。そして僕は共和国軍から連合国軍に転属させられた形なっているが、実際の活動は高麗共和国軍が行う。

 エレベーターには既に先客が数人いて、そのうちの一人はシックな紺色のスーツに身を包んだ、かなりイケてる女だった。女と僕はその時思わず目が合った。
 ロングヘアを大胆に後ろで束ねた、大人びたシニョン……
 真っ白な肌にエキゾチックな切れ長の眼……
 これが僕とスナとの初めての出会いだった。スナの名は、ネック・ストラップのIDカードに「ソ・スナ」とあったのを目敏くチェックした。もちろん、そのカードが乗っかっているオッパイが結構でかいということも。IDカードによると彼女の所属はCIS/Special Staff Section(幕僚部・民間諜報局)。米軍が主体の連合国軍内部では英語が公用語で英語表記が基本である。この部局のミッションは日本の治安維持についての政策立案と、日本政府が総司令部の指示を順守しているかどうかを調査すること。軍服でないところを見るとたぶん彼女は民間人要員、いかにも頭が切れそうで気位も高そうだからリサーチャー、調査専門官か何かだろう……とりとめもなく僕はそんなことを考えていた。
 やがてエレベーターの扉は開き、の看板がある窓口が目の前に現れた。僕は受付カウンターに歩みより、そこにいたアジア系の女性スタッフに高麗語で話しかけた。
「第29歩兵連隊第12中隊所属、ヤン・ヨハン少尉であります。本日付けをもって参謀第2部・翻訳通訳部に出向を命ぜられました」
 するとPC作業中の女性職員が一人、顔を上げた。
「……認識番号を」
「1910-0829-45-815W」
 僕が告げたのはアメリカの社会保障番号に相当する国民登録番号だ。現在ではこれと軍隊の認識番号が共通なのである。
 女性はキーボードで何かを打ち込み、モニター画面と僕の顔を見比べた後、極めて事務的にこう告げた。
「OK、手続き完了です」
 彼女はそう言うと静かに立ち上がり、背後のファイル・キャビネットに並べられたクリア・ファイルを指で繰りはじめた。そしてその中から一つを選んでICカードを一枚取り出し、僕に手渡した。
「こちらへどうぞ」
 僕はオフィスに招き入れられ、居並ぶデスクの谷間をどんどん進んで奥の一室に伴われた。そこはフロアとはパーテーションで区切られただけの簡易な空間だ。
 女性はノックもせず部屋のドアを勝手に開け、誰かに来客を告げた。中では部屋の主らしき人物が、デスク上のモニター画面を一心不乱にチェックしている最中だった。手には紅茶か何かが入ったカップを優雅に持ち、株かFX取引のチャートのようなものを食い入るように見つめている。
「お! ちくしょう、下げて始まりやがったか」
 主は人事課長のチェ中佐。その風貌は軍人というより銀行マンだ。待たされることそれからしばし、ふいに課長が僕たちに視線を向けた。
「なんだ、また野郎か。あれほど女をよこせと言ったのに……ったく連隊本部のアホどもめ。まあいい、とにかく仕事は山積み、猫の手も借りたいぐらいだからな」
 課長はそうボヤきつつティー・カップを脇に置いた。そして僕からICカードを受け取ると、それをリーダーに通して投げ返した。ようやく彼が挨拶をくれたのはその後のことである。
「ようこそ、地獄の一丁目へ……」
 熱い歓迎の言葉もそこそこに、課長は女性に向かってパチンと指をならすと、いいからもう出て行け、とでも言わんばかりに手を宙で払った。
 僕は手招きする女性ともう一度エレベーターに乗り、今度は25階にあるGeneral Staff Section.2(参謀第二部・通称G2)の窓口に案内された。そしてそこでセキュリティ・チェック済みの連合国軍正規モバイルPCを一台支給された後、G2翻訳通訳部の一室にデスクをあてがわれ、翌日以降ここで勤務することと相なったのである。

 バッグの所持品をデスク引き出しに整理していると一人の男性がやって来て、開かれたままのドアをノックした。