「えー! 陽太、身長162㎝!? 6年のときは150㎝無かったじゃん!」
「伸びたんだよ。すごい膝痛かったし。てかまだ伸びるかも」
「ええ〜! もう伸びんなよ! 俺の身長越されたら困る!」
後ろでそんな会話が聞こえてきて、身体測定の結果用紙を二つに折る。
気にしていないとでも言うように左手に持ち替え、そのまま手を下に下げる。その瞬間、手から紙が抜き取られる。力なんて入れていなかったため、あっという間に奪われてしまった。
「へー。158㎝」
「あっ」
「四月から1㎝?」
顔がどんどん熱を帯びていく。これでも膝は痛かったんだ。自分でももう少し伸びたと思っていたのに。
紙を勢いよく奪い返す。右手の中でグシャグシャになった用紙は、中の数値を歪ませる。
「おれはね、6㎝伸びた」
前へ向き直り、グシャグシャになった紙を開く。
「もう追い越しちゃったね」
シワを伸ばそうと紙を撫でていると、後ろから手を重ねられる。
「あはは。おれのほうが、手ェ大きいじゃん」
かわいい口元を歪ませて、見下すような表情をする。
かわいい顔のまま俺よりも身長が高くなった。アンバランスだ。ようちゃんは、背が低いほうがお似合いだ。
俺の右足と、陽太の左足を紐で縛る。立ち上がると陽太が俺の肩に腕を回した。頭一つ分高い遮蔽物が隣にあるせいで、俺はすっぽりと影に隠れてしまう。
「そっちも準備できたー?」
神宮寺と高尾が、紐で結ばれて一つになった方の足を挙げて見せた。俺は陽太に目線を送って合図する。
一、二、一、二。まるで螺子巻き式のロボットのように、ぎこちない動作を見せる。陽太は右腕を伸ばしてバランスを取っている。まるで、初めて一輪車に乗る子どものような、怖がりながらも真剣に向き合う表情だ。
「ようちゃんさ、そんな怖がらなくてもいいよ。一って言ったら自由なほうの足出して、二って言ったら縛ってあるほうの足出せばいいんだよ」
「……わかってる」
「転びそうになったら俺のほうに倒れてきなよ。俺は体幹強いから倒れないし」
陽太は眉間に皺を寄せた後、無言で頷いた。
「ちょっ! どいて! どいてどいてー!」
「神宮寺お前引っ張んなって!」
高尾と神宮寺が全力疾走でこちらへ向かってきた。どうやら、全力で走っていたら止まるタイミングを掴めなくなってしまったらしい。俺と陽太の前でブレーキを掛けたかと思うと、神宮寺が大回りで旋回して逆方向へと走っていった。その技術があれば止まることだってできるだろうに。
「あいつら馬鹿だな」
堪えきれずに笑う。
「俺達も頑張るか」
陽太の背中を叩くと、肩に置かれた手に力が入っていくのを感じた。再び掛け声をかけて歩き出す。
太陽の光がジリジリと地面を照らし、熱気が跳ね返る。普段外に出ておらず、体育の授業も真面目に参加していない陽太は、顔を真っ赤にして滝のように汗を流していた。
「うわ。ようちゃん休んだ方がいいよ」
一、二、と掛け声を止めて足を止める。しかし、陽太はタイミングを掴めず転倒してしまった。
「あっ!」
ドサッと砂埃が舞い、砂に混じった小石が擦れる音がした。
陽太が起き上がると、その膝には擦り傷ができていた。傷からは血が流れていて、太ももを伝って地面に染みを作る。
「洗いに行こう」
陽太の手を取って、手洗い場へ連れて行った。傷を流した後に、体育館裏の日陰に避難する。
真っ白な肌が滲んだ血と同じくらい赤い。熱中症になっていないか心配なので、ステンレスの水筒を首に当て、タオルで扇いでやる。
「あっちー。え、染谷君大丈夫?」
神宮寺がTシャツをパタパタとさせながら歩いてきた。
「とりあえず傷口流したから。ちょっと休んだら保健室行こうかなって。ようちゃん、歩ける?」
「歩けない」
拗ねた子どものように陽太が返事をする。神宮寺に「嘘つけ」と小声で突っ込まれるが、陽太はツーンとそっぽを向いた。
俺達が小学4年生になった頃、陽太はよく転んでいた。
俺が、陽太をいじめるようになった頃だ。
「えみり、明太君より、陽太君のほうが好きになっちゃったからー」
小学4年生の頃、好きだったえみりちゃんに振られた。しかも、俺より陽太が好きという理由で。
それが頭に来て、初めは軽い気持ちで陽太を小突くなどした。気持ちがスッキリしたし、困惑する陽太を見るのは楽しかった。そこからは、後ろから脅かしたり、物を盗ってみたり、足を引っ掛けてみたり。足を引っかけるのが一番面白かった。陽太はどんくさいから、何回でも引っかかるのだ。
「ねえ、めいくん。陽太ね、最近学校でよく痣を作って来るんだけど、何か知らない?」
おばさんに一度、そう聞かれたことがあった。
「あー……。ようちゃん、よく転んでるから」
嘘は言っていない。だって、引っかかる陽太が悪いのだから。
おばさんの前ではバレないように、今まで通り仲が良くて面倒見の良い幼馴染を演じていた。おばさんは陽太が同年代の子となじめないことを嫌がっているから、おばさんに告げ口しないことも分かっていた。だから、今は陽太から復讐されているのだ。
「ようちゃん……ごめん」
過去の俺の過ちを食いしばりながら、言葉を零す。
「……今更謝っても、意味ないよ」
陽太はそっぽを向いたまま、言葉を返した。
「だって、めいくんはおれがいなくたって、平気なんだから」
声が震えていた。
陽太は、徐に立ち上がって、フラフラとその場を去った。追いかけようとしたが、良くない気がして留まる。
「明太君さ、染谷君と仲直り?したの?」
「え? わからない。したの……かな。そもそも、喧嘩なんて、してない気がするけど」
「そう言われればそうか。染谷君と喧嘩したのは俺の方かも」
「神宮寺は、確かに」
陽太と喧嘩なんて、随分していない。いや、一度もしたことがないのかもしれない。
「俺とようちゃんが喧嘩なんてしたら、いじめになるだろ」
自分の掌を見つめる。ぎゅっと握った拳に、神宮寺が自分の拳を合わせた。
「そんなことないだろ。だって、俺が明太君にやられたら、余裕で返り討ちにできるもん」
そう言って笑った神宮寺の拳は、俺より一回り大きかった。
まだ太陽が真上にある午後3時。リレーの選抜メンバーがホールに招集された。
「じゃあアンカーは、一番速いやつでいいかな」
3年の先輩が提案した。
この学校の商業科は一学年に2クラスずつあり、1クラス1人が選抜されるので、合計6人の選抜メンバーとなる。スタメンは4人なのであとの2人は補欠だ。順当に一番速い者がアンカーになる。
「あの、一番速い人が第一走者のほうが、スタートダッシュ決められて良いと思うのですが」
控えめに手を挙げて意見を述べる。俺はクラスで「アンカーを勝ち取る」と言ってしまったのだ。姑息ではあるが、この提案をしなければ俺に勝ち目はない。なぜなら
「は? クソめい。何言ってんだよ。アンカーは一番速くて、一番目立つ俺に決まってんだろ」
伊勢島がいるからだ。
「一番目立つかはわからないだろ」
「お前よりは目立つ」
「は?」
「は?」
バチバチと火花を散らす。そんな俺達を見て、先輩は
「飯田君の意見も分かるけど、伊勢島君は去年もアンカーやってたし、順当に行くのが一番いいと思う。それこそ、スタートダッシュを決めるなら、二番目に速い飯田君でも十分勝算はあるよ」
と真っ当な意見を述べた。
「はい……」
先輩は俺のことも持ち上げてはくれたが、伊勢島には勝てないのだと肩を落とした。
ここは順当にアンカーが伊勢島。と決まるはずだったのだが。伊勢島は俺が1ミリでも褒められたことが気に食わないらしく、元々吊っていた目をさらに吊り上げて
「いや! ちゃんと、一番速いやつがアンカーやろうぜ。100メートルの記録じゃなくて、200メートル。めいに勝算がないこと、わからせてやるよ」
と異議を呈した。
先輩と後輩は目を点にして、伊勢島を見た。
「えぇっと、それは、自由参加かな」
伊勢島が先輩の方へ振り向き
「はい!」
と元気よく返事をした。先輩と後輩はホッと胸をなでおろした。
「……俺は、受けて立つ」
ぐっと拳を握る。伊勢島は片方の口角を吊り上げて、俺を見下ろした。
「勝負は明日。放課後に南グラウンド」
伊勢島はそう言ってその場を去っていった。
日が傾き始めた午後5時。大きな黒いドアを前にして頭を悩ませていた。
勝負に乗ってしまったが、日々激しいトレーニングをしていない俺にとっては負け戦だ。なぜ受けてしまったのだろうか。
「何してるの」
ガチャ、と扉の開く音がして、中から白いTシャツとハーフパンツを着た陽太が姿を現した。
「あ、ようちゃん。二人三脚の練習をしようと思って」
陽太は「うげ」と口をへの字にして扉を閉めようとするので、急いで制止した。
「なんでそんなにやる気あるの」
「優勝するって言っちゃったから!」
「はあ!?」
陽太から、聞いたことのない音量の声が出て、思わず手を離してしまう。
「あ」
と思ったのも手遅れに、扉は閉り、丸い電子錠がぐるりと回った。
数秒待ってみたが、何も変化はないので帰ろうと背を向ける。
「ジーッ」と後ろで電子錠が回る音が聞こえると、すぐに扉の開く音がして陽太が出てきた。手に持った紙パックのりんごジュースを手渡し、染谷家の庭へ入っていく。
「着いてこい」ということなのか。俺は陽太の後に続いて庭へ入った。
「なんでそんな無謀なこと言ったの」
「え? あー、なんか、悔しくて」
「何が? めいくん、負けず嫌いは相変わらずだね」
「相変わらずって」
陽太は縁側に座り、紙パックにストローを挿し込んだ。陽太の好きな野菜ジュースだ。
陽太の色素の薄い髪は、落ちていく太陽の光に照らされて、キラキラと光っている。
「おれにごめんって言ったの、初めてだったね」
陽太は柔らかい表情を浮かべている。かいた汗がじわっとシャツに滲んで気持ちが悪い。
「な……そんなこと、ないだろ」
「……さすがに過言だったかも。でもさあ、めいくん。昔は、おれのこと引っかけて転ばせても謝んなかったよね」
「あ……れは……」
言葉が、喉につっかえる。
「いいよ。おれもわざと引っかかってたし」
「え?」
赤く染まった夕日が陽太に被さって、影を落とした。
陽太は無言で俺に近づき、足元に膝をつく。
「めいくんはさ、変わらないね」
左足に紐が巻かれていく。落ちていくはずの日の光が、「まだだぞ」と言うようにジリジリと皮膚を刺す。飽和した熱が俺達を包んで離さない。
「変わっ……たよ」
絞るように声を出した。
陽太は立ち上がって手を差し出した。手を取ると、すっぽりと包まれてしまう。俺の手よりも、第一関節分は大きい手。
「変わったよ……ようちゃんよりは、ものすごく」
上から肩を組まれ、陽太との距離が近づく。身長も、頭一つ分は抜かされてしまった。それでも。
「じゃあさ、めいくんの中では、おれはいつまでいじめられっ子なの?」
太陽はすっかり沈んで、辺りは暗くなっていた。センサーで点灯する庭のライトは、足元から離れた位置を照らしていて、まるで役に立たない。おぼつかない足取りで歩を進めていると、陽太の結びが甘かったのか、紐が外れてしまった。
「もう暗いね。終わりにしよう」
陽太が紐を巻き取って、玄関まで歩いていく。
「……うん」
俺は道路の反対側にある家へと向かっていった。「ジジッ」という音がして、真上にあった街灯が点灯し、スポットライトのように道を照らした。今度は向かい側で「ジーッ」と電子錠の開く音がして、間もなくガチャッという音と共に扉が開かれた。
「……」
俺は大きく息を吸って振り返った。
「ようちゃん! ありがとう! 練習、付き合ってくれて!」
大きな声が、夕飯時の静かな住宅街に反響する。陽太はビクッと肩を鳴らし、目を丸くして振り返った。
陽太の頭上のセンサーが動きに反応して、照明が自動で灯る。少しして、陽太が笑って何かを言っていたのだが、距離が距離なので全く聞き取ることができなかった。しかし、照明に照らされた陽太は柔らかい表情をしていたので、悪いことは言っていないのだろうな、と安堵して家に帰った。
突き刺すような日の光を、白色の遮光カーテンが包み込む午後1時。昼食を終え、微睡む数分は至福以外の何物でもない。のに。
「おい、クソめい! やっぱり5限目の体育で勝負な! 早く着替えて準備運動しろよ!」
伊勢島がズカズカと教室に乗り込んで、休む俺を無理やり引きずり出すのだった。
「なんっで体育の時間なんだよ!」
伊勢島にされるがままに体操服に着替えさせられ、準備運動をしている。本来であれば敵同士であるため、こんなふうに敵に塩を送る真似はしなくていいはずなのだが。
「馬ッ鹿お前! 公平な審判が簡単に用意できる体育の時間を活用した方が、効率が良いだろ!? だから馬鹿は嫌なんだよな。発想が浅い!」
伊勢島は馬鹿なので、「平等に戦った方がイイダロー!?」と馬鹿の戯言を言っていた。馬鹿は発想が浅いので、敵を出し抜こうという考えは持ち得ないのである。
「お前唾飛ばすな。汚い」
「ウンコ飛ばした奴が言うなよ!」
両者睨み合う。
敵意むき出しで睨み合ったまま準備運動を終え、グラウンドのトラックへ入る。直線の中央に引かれた線に位置につく。体育の担当教師が「まずは出席確認しなきゃなんだけど」と出席簿で頭を軽く叩くので、仕方なくトラックの中に集まった。
名前を呼ばれて出席確認されている間もお互い睨み続け、そろそろ眉間の筋肉が根を上げてきた。
「……一旦やめね?」
「やめよう」
お互い限界だったのか、一時休戦の運びになった。
筋肉を休ませるよう無表情になった伊勢島は、辺りをきょろきょろと見回す。
「今日、陽太っていないの?」
「あー、午前中はいたんだけど」
「ふーん」
伊勢島は何かを考えるかのように黙り込んだ。いつになく真剣な表情の伊勢島を見て、ごくりと生唾を飲み込む。
「あ、明太君いた! 勝負いつやんの?」
神宮寺が高尾と肩を組みながら登場した。しかも二人の片足は紐で縛られている。
「早くない?」
「そうなんだよ! こいつまじで、ずっと俺に肩組んでくるんだよ! 飯田君からもなんか言ってやってよ!」
高尾が嘆いた。神宮寺はきょとんとした顔で高尾を見つめている。
「もっと熱くなれよ!!」
「うざ。まじで。なんでこいつ誘ったんだろう」
「はは。俺はこの後200メートル走る予定。高尾、頑張れよ」
ポンポンと肩を叩くと、「シャーッ」と猫が威嚇するように手を跳ね除けられた。そして、神宮寺に無理矢理に肩を引っ張られて、阿吽の呼吸で全力疾走をさせられていた。
「……仲良いんだ」
「あはは」と笑う俺を横に、伊勢島がボソリと呟いた。
「え? ああ、あの二人?」
「いや、めいと、あいつら」
「あー、うん。最近、仲良くなった」
「……へー」
伊勢島が興味がなさそうな返事をして、トラックの外へ歩いて行った。
「は? 興味ないなら聞くなよ」
俺は苛立ちを募らせて、伊勢島の後についた。
俺たちは再び、トラックの中央に立った。スタートの線を前にして位置につく。教師の「位置について」の合図で線のすぐ前へ。「よーい」の合図で右足を後ろに下げて、スタンディングスタートのポーズを取った。
熱を含んだ風が砂埃を立ち上げる。まるで「真昼の決闘」だ。笛の音が聞こえるまでの間が、永遠に感じる。静寂がグラウンドを支配した頃、「ピッ」と短く笛の音が響いた。
両者一斉にスタートし、グラウンドのコースに沿って走り始めた。地面に踵から着地し、つま先で砂を蹴る。砂埃は宙に舞い、体はそれを置き去りにする。スタートダッシュが得意な伊勢島は、序盤で一気に差をつけ、俺に背中を見せた。しかし、伊勢島は第2コースを走っているため、カーブで一気に距離を縮める。お互い隣で息遣いを感じながら、目の前に迫るゴールへ向かって一心不乱に駆け抜けた。
ダンッ。ゴールの線を強く踏み抜いた。「ピッ」「ピッ」と計測係の生徒が、ストップウォッチを二度押した。
二人は力を抜いてそのまま直線を軽く走る。「どちらが勝ったんだ」と勝負に興味津々だった生徒たちが集まって来る。囲まれた計測係は、ストップウォッチを持った手を真上に挙げて
「結果!」
と叫んだ。
息を切らしながらその場に立ち止まる。耳を澄ませて待ち構えたその結果は。
「伊勢島君、21秒60!」
ゴクリと喉を鳴らす。伊勢島がじっと俺を見た。
「飯田君、21秒90!」
0.3秒差だった。負けたことを実感して、ぐにゃりと視界が歪む。
悔しい。砂の上に倒れ込んで、地面を殴った。伊勢島は、安心したのか、脱力して地面に寝転ぶ。
「クソォッ! 勝ったと思ったのに!」
悔しさを紛らわすように大声で叫んだ。
「あぶねー! 俺まじで追いつかれるかと思った!」
伊勢島は楽しそうに笑う。寝転がったまま伊勢島の方へ顔を向けると、いたずらに笑う伊勢島と目が合った。
「……なんだよ」
「……はは、ははは! まじで、小学生に戻ったみてー」
伊勢島がケタケタと笑うので、釣られて笑ってしまった。本当に、あの時に戻ったみたいだ。悪友であり、ライバルだったあの頃に。
バッという音がして、伊勢島が立ち上がったかと思うと、俺の上に影ができた。差し伸べられた手をじっと見ていると、伊勢島が恥ずかしそうに「早く起きろよ」と俺を引っ張り上げた。
体についた砂埃を払っている俺に、再び手が差し出された。
「握手! お互い真剣にやったんだから、認めあおーぜ」
真剣な顔でそう言うので、俺は力強くその手を握り返した。同じ大きさの、因縁の手だ。
しばらくして、伊勢島が「あのさ」と何か含みのある表情で話し始めた。
「なんだよ」
「あの……さ……。めいは、おれのこと、馬鹿だって思ってる?」
「何を当たり前な事聞いてるんだよ」
「はあ!? って、いや、そうじゃなくてさ!」
伊勢島が柄にもなく悩んだ表情をするので、思わず不安になる。
「……なんだよ」
「……いや、俺が馬鹿なのはわかってんだけど。……めいは、昔、俺のこと本当に馬鹿にしてたのかなって」
伊勢島が泣きそうな顔で俯く。
「……俺は、伊勢島のこと、馬鹿にしたことないよ」
伊勢島がパッと顔を上げてこちらを見るので、真剣な眼差しで目を合わせた。
「お前は、運動ができるし、面白いし、良い奴だろ。今回だって、リレーのアンカー決めるのも真剣勝負に持ち込んでくれたし。準備運動も、一人じゃなくてわざわざ俺を誘ってくれた。良いライバルで、親友だっただろ。俺ら」
伊勢島が、鼻を赤くして俺の顔を見つめる。そして、口を開いた後、俯いた。
「あのさ……あのさあ……ごめん」
ぐっと何かを堪えるように出てきた謝罪の言葉は、伊勢島の小粒の涙と共に、地面に吸い込まれた。
「伸びたんだよ。すごい膝痛かったし。てかまだ伸びるかも」
「ええ〜! もう伸びんなよ! 俺の身長越されたら困る!」
後ろでそんな会話が聞こえてきて、身体測定の結果用紙を二つに折る。
気にしていないとでも言うように左手に持ち替え、そのまま手を下に下げる。その瞬間、手から紙が抜き取られる。力なんて入れていなかったため、あっという間に奪われてしまった。
「へー。158㎝」
「あっ」
「四月から1㎝?」
顔がどんどん熱を帯びていく。これでも膝は痛かったんだ。自分でももう少し伸びたと思っていたのに。
紙を勢いよく奪い返す。右手の中でグシャグシャになった用紙は、中の数値を歪ませる。
「おれはね、6㎝伸びた」
前へ向き直り、グシャグシャになった紙を開く。
「もう追い越しちゃったね」
シワを伸ばそうと紙を撫でていると、後ろから手を重ねられる。
「あはは。おれのほうが、手ェ大きいじゃん」
かわいい口元を歪ませて、見下すような表情をする。
かわいい顔のまま俺よりも身長が高くなった。アンバランスだ。ようちゃんは、背が低いほうがお似合いだ。
俺の右足と、陽太の左足を紐で縛る。立ち上がると陽太が俺の肩に腕を回した。頭一つ分高い遮蔽物が隣にあるせいで、俺はすっぽりと影に隠れてしまう。
「そっちも準備できたー?」
神宮寺と高尾が、紐で結ばれて一つになった方の足を挙げて見せた。俺は陽太に目線を送って合図する。
一、二、一、二。まるで螺子巻き式のロボットのように、ぎこちない動作を見せる。陽太は右腕を伸ばしてバランスを取っている。まるで、初めて一輪車に乗る子どものような、怖がりながらも真剣に向き合う表情だ。
「ようちゃんさ、そんな怖がらなくてもいいよ。一って言ったら自由なほうの足出して、二って言ったら縛ってあるほうの足出せばいいんだよ」
「……わかってる」
「転びそうになったら俺のほうに倒れてきなよ。俺は体幹強いから倒れないし」
陽太は眉間に皺を寄せた後、無言で頷いた。
「ちょっ! どいて! どいてどいてー!」
「神宮寺お前引っ張んなって!」
高尾と神宮寺が全力疾走でこちらへ向かってきた。どうやら、全力で走っていたら止まるタイミングを掴めなくなってしまったらしい。俺と陽太の前でブレーキを掛けたかと思うと、神宮寺が大回りで旋回して逆方向へと走っていった。その技術があれば止まることだってできるだろうに。
「あいつら馬鹿だな」
堪えきれずに笑う。
「俺達も頑張るか」
陽太の背中を叩くと、肩に置かれた手に力が入っていくのを感じた。再び掛け声をかけて歩き出す。
太陽の光がジリジリと地面を照らし、熱気が跳ね返る。普段外に出ておらず、体育の授業も真面目に参加していない陽太は、顔を真っ赤にして滝のように汗を流していた。
「うわ。ようちゃん休んだ方がいいよ」
一、二、と掛け声を止めて足を止める。しかし、陽太はタイミングを掴めず転倒してしまった。
「あっ!」
ドサッと砂埃が舞い、砂に混じった小石が擦れる音がした。
陽太が起き上がると、その膝には擦り傷ができていた。傷からは血が流れていて、太ももを伝って地面に染みを作る。
「洗いに行こう」
陽太の手を取って、手洗い場へ連れて行った。傷を流した後に、体育館裏の日陰に避難する。
真っ白な肌が滲んだ血と同じくらい赤い。熱中症になっていないか心配なので、ステンレスの水筒を首に当て、タオルで扇いでやる。
「あっちー。え、染谷君大丈夫?」
神宮寺がTシャツをパタパタとさせながら歩いてきた。
「とりあえず傷口流したから。ちょっと休んだら保健室行こうかなって。ようちゃん、歩ける?」
「歩けない」
拗ねた子どものように陽太が返事をする。神宮寺に「嘘つけ」と小声で突っ込まれるが、陽太はツーンとそっぽを向いた。
俺達が小学4年生になった頃、陽太はよく転んでいた。
俺が、陽太をいじめるようになった頃だ。
「えみり、明太君より、陽太君のほうが好きになっちゃったからー」
小学4年生の頃、好きだったえみりちゃんに振られた。しかも、俺より陽太が好きという理由で。
それが頭に来て、初めは軽い気持ちで陽太を小突くなどした。気持ちがスッキリしたし、困惑する陽太を見るのは楽しかった。そこからは、後ろから脅かしたり、物を盗ってみたり、足を引っ掛けてみたり。足を引っかけるのが一番面白かった。陽太はどんくさいから、何回でも引っかかるのだ。
「ねえ、めいくん。陽太ね、最近学校でよく痣を作って来るんだけど、何か知らない?」
おばさんに一度、そう聞かれたことがあった。
「あー……。ようちゃん、よく転んでるから」
嘘は言っていない。だって、引っかかる陽太が悪いのだから。
おばさんの前ではバレないように、今まで通り仲が良くて面倒見の良い幼馴染を演じていた。おばさんは陽太が同年代の子となじめないことを嫌がっているから、おばさんに告げ口しないことも分かっていた。だから、今は陽太から復讐されているのだ。
「ようちゃん……ごめん」
過去の俺の過ちを食いしばりながら、言葉を零す。
「……今更謝っても、意味ないよ」
陽太はそっぽを向いたまま、言葉を返した。
「だって、めいくんはおれがいなくたって、平気なんだから」
声が震えていた。
陽太は、徐に立ち上がって、フラフラとその場を去った。追いかけようとしたが、良くない気がして留まる。
「明太君さ、染谷君と仲直り?したの?」
「え? わからない。したの……かな。そもそも、喧嘩なんて、してない気がするけど」
「そう言われればそうか。染谷君と喧嘩したのは俺の方かも」
「神宮寺は、確かに」
陽太と喧嘩なんて、随分していない。いや、一度もしたことがないのかもしれない。
「俺とようちゃんが喧嘩なんてしたら、いじめになるだろ」
自分の掌を見つめる。ぎゅっと握った拳に、神宮寺が自分の拳を合わせた。
「そんなことないだろ。だって、俺が明太君にやられたら、余裕で返り討ちにできるもん」
そう言って笑った神宮寺の拳は、俺より一回り大きかった。
まだ太陽が真上にある午後3時。リレーの選抜メンバーがホールに招集された。
「じゃあアンカーは、一番速いやつでいいかな」
3年の先輩が提案した。
この学校の商業科は一学年に2クラスずつあり、1クラス1人が選抜されるので、合計6人の選抜メンバーとなる。スタメンは4人なのであとの2人は補欠だ。順当に一番速い者がアンカーになる。
「あの、一番速い人が第一走者のほうが、スタートダッシュ決められて良いと思うのですが」
控えめに手を挙げて意見を述べる。俺はクラスで「アンカーを勝ち取る」と言ってしまったのだ。姑息ではあるが、この提案をしなければ俺に勝ち目はない。なぜなら
「は? クソめい。何言ってんだよ。アンカーは一番速くて、一番目立つ俺に決まってんだろ」
伊勢島がいるからだ。
「一番目立つかはわからないだろ」
「お前よりは目立つ」
「は?」
「は?」
バチバチと火花を散らす。そんな俺達を見て、先輩は
「飯田君の意見も分かるけど、伊勢島君は去年もアンカーやってたし、順当に行くのが一番いいと思う。それこそ、スタートダッシュを決めるなら、二番目に速い飯田君でも十分勝算はあるよ」
と真っ当な意見を述べた。
「はい……」
先輩は俺のことも持ち上げてはくれたが、伊勢島には勝てないのだと肩を落とした。
ここは順当にアンカーが伊勢島。と決まるはずだったのだが。伊勢島は俺が1ミリでも褒められたことが気に食わないらしく、元々吊っていた目をさらに吊り上げて
「いや! ちゃんと、一番速いやつがアンカーやろうぜ。100メートルの記録じゃなくて、200メートル。めいに勝算がないこと、わからせてやるよ」
と異議を呈した。
先輩と後輩は目を点にして、伊勢島を見た。
「えぇっと、それは、自由参加かな」
伊勢島が先輩の方へ振り向き
「はい!」
と元気よく返事をした。先輩と後輩はホッと胸をなでおろした。
「……俺は、受けて立つ」
ぐっと拳を握る。伊勢島は片方の口角を吊り上げて、俺を見下ろした。
「勝負は明日。放課後に南グラウンド」
伊勢島はそう言ってその場を去っていった。
日が傾き始めた午後5時。大きな黒いドアを前にして頭を悩ませていた。
勝負に乗ってしまったが、日々激しいトレーニングをしていない俺にとっては負け戦だ。なぜ受けてしまったのだろうか。
「何してるの」
ガチャ、と扉の開く音がして、中から白いTシャツとハーフパンツを着た陽太が姿を現した。
「あ、ようちゃん。二人三脚の練習をしようと思って」
陽太は「うげ」と口をへの字にして扉を閉めようとするので、急いで制止した。
「なんでそんなにやる気あるの」
「優勝するって言っちゃったから!」
「はあ!?」
陽太から、聞いたことのない音量の声が出て、思わず手を離してしまう。
「あ」
と思ったのも手遅れに、扉は閉り、丸い電子錠がぐるりと回った。
数秒待ってみたが、何も変化はないので帰ろうと背を向ける。
「ジーッ」と後ろで電子錠が回る音が聞こえると、すぐに扉の開く音がして陽太が出てきた。手に持った紙パックのりんごジュースを手渡し、染谷家の庭へ入っていく。
「着いてこい」ということなのか。俺は陽太の後に続いて庭へ入った。
「なんでそんな無謀なこと言ったの」
「え? あー、なんか、悔しくて」
「何が? めいくん、負けず嫌いは相変わらずだね」
「相変わらずって」
陽太は縁側に座り、紙パックにストローを挿し込んだ。陽太の好きな野菜ジュースだ。
陽太の色素の薄い髪は、落ちていく太陽の光に照らされて、キラキラと光っている。
「おれにごめんって言ったの、初めてだったね」
陽太は柔らかい表情を浮かべている。かいた汗がじわっとシャツに滲んで気持ちが悪い。
「な……そんなこと、ないだろ」
「……さすがに過言だったかも。でもさあ、めいくん。昔は、おれのこと引っかけて転ばせても謝んなかったよね」
「あ……れは……」
言葉が、喉につっかえる。
「いいよ。おれもわざと引っかかってたし」
「え?」
赤く染まった夕日が陽太に被さって、影を落とした。
陽太は無言で俺に近づき、足元に膝をつく。
「めいくんはさ、変わらないね」
左足に紐が巻かれていく。落ちていくはずの日の光が、「まだだぞ」と言うようにジリジリと皮膚を刺す。飽和した熱が俺達を包んで離さない。
「変わっ……たよ」
絞るように声を出した。
陽太は立ち上がって手を差し出した。手を取ると、すっぽりと包まれてしまう。俺の手よりも、第一関節分は大きい手。
「変わったよ……ようちゃんよりは、ものすごく」
上から肩を組まれ、陽太との距離が近づく。身長も、頭一つ分は抜かされてしまった。それでも。
「じゃあさ、めいくんの中では、おれはいつまでいじめられっ子なの?」
太陽はすっかり沈んで、辺りは暗くなっていた。センサーで点灯する庭のライトは、足元から離れた位置を照らしていて、まるで役に立たない。おぼつかない足取りで歩を進めていると、陽太の結びが甘かったのか、紐が外れてしまった。
「もう暗いね。終わりにしよう」
陽太が紐を巻き取って、玄関まで歩いていく。
「……うん」
俺は道路の反対側にある家へと向かっていった。「ジジッ」という音がして、真上にあった街灯が点灯し、スポットライトのように道を照らした。今度は向かい側で「ジーッ」と電子錠の開く音がして、間もなくガチャッという音と共に扉が開かれた。
「……」
俺は大きく息を吸って振り返った。
「ようちゃん! ありがとう! 練習、付き合ってくれて!」
大きな声が、夕飯時の静かな住宅街に反響する。陽太はビクッと肩を鳴らし、目を丸くして振り返った。
陽太の頭上のセンサーが動きに反応して、照明が自動で灯る。少しして、陽太が笑って何かを言っていたのだが、距離が距離なので全く聞き取ることができなかった。しかし、照明に照らされた陽太は柔らかい表情をしていたので、悪いことは言っていないのだろうな、と安堵して家に帰った。
突き刺すような日の光を、白色の遮光カーテンが包み込む午後1時。昼食を終え、微睡む数分は至福以外の何物でもない。のに。
「おい、クソめい! やっぱり5限目の体育で勝負な! 早く着替えて準備運動しろよ!」
伊勢島がズカズカと教室に乗り込んで、休む俺を無理やり引きずり出すのだった。
「なんっで体育の時間なんだよ!」
伊勢島にされるがままに体操服に着替えさせられ、準備運動をしている。本来であれば敵同士であるため、こんなふうに敵に塩を送る真似はしなくていいはずなのだが。
「馬ッ鹿お前! 公平な審判が簡単に用意できる体育の時間を活用した方が、効率が良いだろ!? だから馬鹿は嫌なんだよな。発想が浅い!」
伊勢島は馬鹿なので、「平等に戦った方がイイダロー!?」と馬鹿の戯言を言っていた。馬鹿は発想が浅いので、敵を出し抜こうという考えは持ち得ないのである。
「お前唾飛ばすな。汚い」
「ウンコ飛ばした奴が言うなよ!」
両者睨み合う。
敵意むき出しで睨み合ったまま準備運動を終え、グラウンドのトラックへ入る。直線の中央に引かれた線に位置につく。体育の担当教師が「まずは出席確認しなきゃなんだけど」と出席簿で頭を軽く叩くので、仕方なくトラックの中に集まった。
名前を呼ばれて出席確認されている間もお互い睨み続け、そろそろ眉間の筋肉が根を上げてきた。
「……一旦やめね?」
「やめよう」
お互い限界だったのか、一時休戦の運びになった。
筋肉を休ませるよう無表情になった伊勢島は、辺りをきょろきょろと見回す。
「今日、陽太っていないの?」
「あー、午前中はいたんだけど」
「ふーん」
伊勢島は何かを考えるかのように黙り込んだ。いつになく真剣な表情の伊勢島を見て、ごくりと生唾を飲み込む。
「あ、明太君いた! 勝負いつやんの?」
神宮寺が高尾と肩を組みながら登場した。しかも二人の片足は紐で縛られている。
「早くない?」
「そうなんだよ! こいつまじで、ずっと俺に肩組んでくるんだよ! 飯田君からもなんか言ってやってよ!」
高尾が嘆いた。神宮寺はきょとんとした顔で高尾を見つめている。
「もっと熱くなれよ!!」
「うざ。まじで。なんでこいつ誘ったんだろう」
「はは。俺はこの後200メートル走る予定。高尾、頑張れよ」
ポンポンと肩を叩くと、「シャーッ」と猫が威嚇するように手を跳ね除けられた。そして、神宮寺に無理矢理に肩を引っ張られて、阿吽の呼吸で全力疾走をさせられていた。
「……仲良いんだ」
「あはは」と笑う俺を横に、伊勢島がボソリと呟いた。
「え? ああ、あの二人?」
「いや、めいと、あいつら」
「あー、うん。最近、仲良くなった」
「……へー」
伊勢島が興味がなさそうな返事をして、トラックの外へ歩いて行った。
「は? 興味ないなら聞くなよ」
俺は苛立ちを募らせて、伊勢島の後についた。
俺たちは再び、トラックの中央に立った。スタートの線を前にして位置につく。教師の「位置について」の合図で線のすぐ前へ。「よーい」の合図で右足を後ろに下げて、スタンディングスタートのポーズを取った。
熱を含んだ風が砂埃を立ち上げる。まるで「真昼の決闘」だ。笛の音が聞こえるまでの間が、永遠に感じる。静寂がグラウンドを支配した頃、「ピッ」と短く笛の音が響いた。
両者一斉にスタートし、グラウンドのコースに沿って走り始めた。地面に踵から着地し、つま先で砂を蹴る。砂埃は宙に舞い、体はそれを置き去りにする。スタートダッシュが得意な伊勢島は、序盤で一気に差をつけ、俺に背中を見せた。しかし、伊勢島は第2コースを走っているため、カーブで一気に距離を縮める。お互い隣で息遣いを感じながら、目の前に迫るゴールへ向かって一心不乱に駆け抜けた。
ダンッ。ゴールの線を強く踏み抜いた。「ピッ」「ピッ」と計測係の生徒が、ストップウォッチを二度押した。
二人は力を抜いてそのまま直線を軽く走る。「どちらが勝ったんだ」と勝負に興味津々だった生徒たちが集まって来る。囲まれた計測係は、ストップウォッチを持った手を真上に挙げて
「結果!」
と叫んだ。
息を切らしながらその場に立ち止まる。耳を澄ませて待ち構えたその結果は。
「伊勢島君、21秒60!」
ゴクリと喉を鳴らす。伊勢島がじっと俺を見た。
「飯田君、21秒90!」
0.3秒差だった。負けたことを実感して、ぐにゃりと視界が歪む。
悔しい。砂の上に倒れ込んで、地面を殴った。伊勢島は、安心したのか、脱力して地面に寝転ぶ。
「クソォッ! 勝ったと思ったのに!」
悔しさを紛らわすように大声で叫んだ。
「あぶねー! 俺まじで追いつかれるかと思った!」
伊勢島は楽しそうに笑う。寝転がったまま伊勢島の方へ顔を向けると、いたずらに笑う伊勢島と目が合った。
「……なんだよ」
「……はは、ははは! まじで、小学生に戻ったみてー」
伊勢島がケタケタと笑うので、釣られて笑ってしまった。本当に、あの時に戻ったみたいだ。悪友であり、ライバルだったあの頃に。
バッという音がして、伊勢島が立ち上がったかと思うと、俺の上に影ができた。差し伸べられた手をじっと見ていると、伊勢島が恥ずかしそうに「早く起きろよ」と俺を引っ張り上げた。
体についた砂埃を払っている俺に、再び手が差し出された。
「握手! お互い真剣にやったんだから、認めあおーぜ」
真剣な顔でそう言うので、俺は力強くその手を握り返した。同じ大きさの、因縁の手だ。
しばらくして、伊勢島が「あのさ」と何か含みのある表情で話し始めた。
「なんだよ」
「あの……さ……。めいは、おれのこと、馬鹿だって思ってる?」
「何を当たり前な事聞いてるんだよ」
「はあ!? って、いや、そうじゃなくてさ!」
伊勢島が柄にもなく悩んだ表情をするので、思わず不安になる。
「……なんだよ」
「……いや、俺が馬鹿なのはわかってんだけど。……めいは、昔、俺のこと本当に馬鹿にしてたのかなって」
伊勢島が泣きそうな顔で俯く。
「……俺は、伊勢島のこと、馬鹿にしたことないよ」
伊勢島がパッと顔を上げてこちらを見るので、真剣な眼差しで目を合わせた。
「お前は、運動ができるし、面白いし、良い奴だろ。今回だって、リレーのアンカー決めるのも真剣勝負に持ち込んでくれたし。準備運動も、一人じゃなくてわざわざ俺を誘ってくれた。良いライバルで、親友だっただろ。俺ら」
伊勢島が、鼻を赤くして俺の顔を見つめる。そして、口を開いた後、俯いた。
「あのさ……あのさあ……ごめん」
ぐっと何かを堪えるように出てきた謝罪の言葉は、伊勢島の小粒の涙と共に、地面に吸い込まれた。
