「明太、どう? 学校は楽しい?」
「成長期だから」と、買われた大きめのサイズの学ランに着られていた頃、母親にそう聞かれた。
「…まだわかんないよ。中学入ったばっかりだし」
「ほかの小学校からもいろんな子来るんでしょう? 友達はできた?」
「…隣の席の子とは、いい感じだよ」
嘘をついた。隣の席は名簿の関係で伊勢島であるため、いい感じなわけがないのだ。
「そう。部活は、もう仮入部とか、始まっているんじゃない?」
「クラブとか入ってた人はもう練習に参加してるみたい」
「明太も、サッカーチーム入ってたんだし、サッカー部入ったら?」
「なんで」
「なんでってそんなの…」
『いつまでもうじうじして、いじめられてるのはみじめだから?』
俺はただ下を向き、頭の中で言葉を返す。母さんは何も悪くないのに、こんな風に、嫌なことを言ってやりたかった。
小学校の最後の2年間は、母さんに迷惑をかけた。色んな所で頭を下げさせて、仲良くしていたママ友からものけ者にされて、悪口を言われていた。俺のせいで。
俺の口から、「いじめられてる」なんて言ったことはない。でも母さんは気づいている。俺がいじめられていると。
「あ、ほら、ようちゃんは同じクラスじゃない! ようちゃんは何部に入るって?」
思い出したように手を叩き、顔を明るくさせる。
「…聞いてない」
『ようちゃん』。俺をいじめる、元凶の『ようちゃん』。母さんは、俺が学校でいじめられていることに気づいている。でも、『ようちゃん』にいじめられているとは気づいていない。
俺は苦しくて、胸をギュッと握りしめて俯く。母さんが眉を下げて俺の顔を覗き込む。
「…ようちゃんと、喧嘩でもしたの?」
「してない」
してない。喧嘩はしてないんだ。鼻の奥がツンと痛くなり、俺は口から息を吸い込んだ。
ピンポーン
チャイムの音が響く。母親が返事をして、ドアを開けに行った。
「めいくん、おはよう」
玄関に向かうと、母親がドアを開けた先に、学ランを着こなした男が立っていた。
まだ中学生になったばかりなのに、こなれていて、同じ年齢で、この前まで自分より小さかったとは思えない。
「めいくん、一緒に学校行こう」
やわらかい笑顔を俺に向け、手を差し出す。輪郭のぼやけた太陽の光が、その笑顔を照らして少し眩しい。
さっきまで痛かった鼻の奥が「誤作動だった」とでも言うように空気を通し、ズルズルと音を立てて鼻水を吸い込んだ。
「…うん」
『ようちゃん』の手をギュッと強く握り返す。もう春風は吹き去ったはずなのに青々と茂った木々を揺らすほどの風が吹きすさぶ。砂埃が舞い、瞼の裏側に入り込む。俺は、強く握っていた手を離した。
四限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。購買へ駆けていくもの、友達と集まり机をつけるもの。俺はというと
「神宮寺君、友達が待ってるよ」
神宮寺に通せんぼされていた。
「神宮寺君、みんなが出られないから」
いつもの場所へ行こうとしていたのだが、神宮寺に教室のドアを塞がれているため移動しようにもできないのである。逃げようものなら地の果てでも追いかけてきそうな勢いで付きまとわれるので、説得という手段をとることにした。
「あ、はい。どうぞ~」
神宮寺は、後ろに人がつまっていることに気付いたのか、ドアを譲る。
出ていく人に紛れて抜け出そうとするが、再び塞がれる。
「あ~あ。明太君のせいで人が通れないな~」
「お前のせいだよ」
「あ~あ。明太君がおとなしく席に戻ってくれないから、俺も昼飯食えないな~」
神宮寺が下唇を突き出し、ひどく抑揚をつけて喋る。
「それは自業自得だろ」
俺がタックルをしようとすると、腰を低く保ち、受け止める姿勢を作る。
「明太君も昼飯食えないよ」
「授業中に食うわ。そしたら」
「授業中の飯テロは人権なくすよ」
「すでにないから平気」
「基本的人権を尊重してるんだぞ。日本は」
「じゃあ奪うなよ」
「明太君が一緒に飯食ってくれたら奪わない」
「いやだっつってんだろ」
思わずため息を吐く。ここまで話が通じない人間は初めてだ。
かれこれ10分はこうしている。貴重な昼休みが削れていく。このままでは埒が明かないので、あきらめて自席に戻った。
「お! やっとその気になってくれた?」
「神宮寺君があまりにもうざいから」
「失礼な」
席に戻ると、神宮寺が前の席から椅子を取って向かい合う形に座る。
「明太君、最近どう?」
「話題ないなら飯食おうとか言わないほうがよかったんじゃない」
「世間話とか受け付けないタイプ? 社会でやっていけないよ」
無理やり俺の領域に入ってきたくせに、暴言を吐く。神宮寺はいいやつだと思っていたが違うのかもしれない。
「神宮寺君はどうなの。友達100人はできたんじゃない?」
俺が愛想なく喋っても、話題を振ったことが嬉しかったようで、満面の笑みを浮かべ
「100人は多いよ! 30人くらいはできたかな」
と元気よく答える。30人も十分多いと思うけど。
「すごいね」
「明太君がこの学校では友達一号だけどね」
「は?」
いつ俺たちが友達に…?
よく思い返してみると、神宮寺が転校してきた初日にそんなことを言われたような気がする。もう遠い昔の記憶だ。
「いつの話だよ。ノーカンだろ」
「たった2か月前の話だろ。うちのじじいすら二か月前のこと覚えてるよ」
「俺が神宮寺君のおじいさんよりおじいさんって言いたいの」
「大じじい」
「そんなあだ名はじめてだわ」
「ウンコマンのほうが中々無いけどね」
「…」
口に運ぼうと、箸で掴んだ唐揚げを落とす。
謀られたのか?あまりにも誘導がうまくて気づけなかった。
「話したくないならいいんだけどちょっと気になって」
これだから嫌だったんだ。一緒に昼飯を食べるなんて。
「困ってるなら頼ってほしいっていうか…。まあ俺は何も知らないんだけど」
神宮寺は不自然に思っているはずだ。なにかと突っかかってくる陽太のこと。俺と陽太の関係のこと。
「だから…なんていうか」
箸をケースに戻して、雑に弁当箱を包んで立ち去ろうとした。
「俺はさ! 明太くんと仲良くなりたいだけなんだよね!」
神宮寺が一際声を張る。立ち上がったまま固まる俺の目を、まっすぐな目が見つめる。
「……仲良くなっても何も無いと思うけど」
すとん、と自分の席に座り直して悪態をついた。
「それが友達ってもんだろ」
神宮寺はただのいいやつだった。
「……変だね。神宮寺君」
「そう? 普通だろ」
俺は鼻の奥が痛くて俯く。気づいたら机に水滴が落ちていたので、ばれないように弁当の包みに顔をうずめて誤魔化した。
「明太君の弁当そんないい匂いすんの?」
「空気読めないね。神宮寺」
「俺ほどスマートな男いないよ」
「そうですか」
顔も合わせずに悪態をつく俺に神宮寺は爽やかな声で返す。視界が暗い分、聴力が働いて言葉や音が鮮明に耳に入るんだ。
「めいくんごめんね。今日こそ行きたかったのに」
「ごべんねぇ」と大きなドアの隙間からぐちゃぐちゃに泣きはらした顔が覗く。いつもふわふわの髪の毛が寝ぐせで余計ふわふわになって、俺は「いいけど」といいながら髪の毛をかき回した。
「めいくんと一緒にあそびたかったぁ」
ようちゃんは俺に抱き着こうとするがランドセルが邪魔で腕が回りきらない。鼻水と涙で俺の服を濡らす形になって、俺はようちゃんを引き離そうと肩をつかんでそっと押す。
「いいじゃんか。レクくらい」
今日は月一のレクリエーションがある日で、ドッジボールをやることになっているのである。
ようちゃんは運動神経が悪いし、ノロマなのでこういうのは苦手だと思っていたが、ドッジボールに限って避けるのがクラス一上手かった。俺が褒めるといつも嬉しそうにしていて、レクがドッジボールに決まったことを伝えると「絶対行く!」と意気込んでいた。
「ドッジだもん」
「休み時間とかできるじゃん」
「できない」
「入れてーって言うんだよ」
「できない」
泣きはらした目をさらに細くして、頬を膨らませる。その姿を見ると胸のあたりがくすぐったく感じて思わず笑った。
俺は右手に持っていた、家の前で引き抜いた猫じゃらしでようちゃんの鼻を擽る。
「んふっ。ふふ。めいくんやめて…ふふふ」
ようちゃんが鼻を手で覆って目を細める。
「明日は学校行くから迎え来てね」
「うん」
ハッと思い出したように顔を上げた。目の前にいる神宮寺が驚いて目を丸めているのが視界に入る。
「明太君?」
陽太はいつから来ていないんだろう。右斜め前の空席を見つめた。机の中には授業やHRで配られた配布物が雑に詰め込まれていて、いくつか飛び出している。
「染谷君だっけ? なんかずっといないね」
神宮寺が俺の視線を追い、俺の心を見透かしたようなことを言う。
「俺が明太君とのことに口出したからかな……どうしよ…転校してすぐいじめしたやつみたいになってるよな…」
「関係ないよ。陽太は元から休みがちだから」
顔を青くする神宮寺を横目に素っ気なく答えた。
「……あー、俺の野菜ジュースあげよっか? なんか、明太君俺との食事楽しめなかったみたいだから」
「いらないよ。野菜ジュース嫌いだし」
神宮寺が申し訳なさそうに差し出してきた色とりどりの野菜が描かれた紙パックのジュースを手で優しく押し返す。
「え! ごめん」
「……野菜ジュースが嫌いなのは確かだけど、神宮寺と飯食うの楽しかったから」
「え」
「いらないよ。ありがとう」
面と向かって言うのは恥ずかしくて、手を交差させながら言葉にする。
「……よかった! 俺もまじ楽しかったからさ、また一緒に食おーね」
神宮寺は三コマ漫画のように表情を変化させ、満面の笑みで答えた。
「今度はいちごミルクとかにしろよ」
「うわ。絶対に面白い話持ってきてやるからな」
「やめてよ…っ」
成長しても変わらないふわふわの髪が濡れ、オレンジ色の液体が色素の薄い陽太の髪を染め、教室の床にしたたり落ちる。
陽太は眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり、涙目で俺を睨んだ。俺は構わずに、紙のパックを握りつぶす。さっきよりも勢いよく液体が飛び出し、陽太の顔を濡らしていく。
自分よりも背が高くて、力も強くて、友達もいる陽太が抵抗しないのはなぜなのだろうか。
「夢か」
手からすり抜けていく空の紙パックの感覚を追いながら、自分が夢の世界にいることを自覚する。
こんなこと、したくないのに陽太の頭を押さえつけようとする手が制止できない。なぜ俺は、こんなことをしているんだ?なぜ俺はここにいる?陽太はどうして抵抗しないんだ?
右手が濡れた髪に届いた瞬間、抵抗しようとする陽太の必死な表情が目に入る。
「陽太」
陽太を押さえつける手に、一層力が入った。机に押し付けられ、睨みつけるだけでロクな抵抗をしない陽太を見つめる。
「ようちゃんのくせに、調子に乗るのが悪いんだろ」
積年の怒りをぶつけるように、髪の毛を引っ張り上げ、体を押す。押された陽太はバランスを崩し、椅子と共にガシャンと大きな音を立てて倒れた。
「おい、めい! やりすぎじゃね?」
突然背後から伊勢島の声がした。驚いて勢いよく振り向くと、自分の目線より30㎝ほど下に伊勢島の頭があった。伊勢島はハラハラとした表情で陽太を見つめる。
「いいんだよ。こいつが悪いんだから」
「よくねーよ! 確かに陽太は悪いけどさ! ゲンドってもんがあるだろ!」
小さい伊勢島が陽太の前に行き、両手を大きく広げ、陽太を庇うような仕草をする。
なんでお前がそっち側なんだ。
「俺しかいないって言ったくせに」
拳を強く握りしめる。
「ようちゃんのくせに――――…!」
顔を上げると、陽太と伊勢島はいなくなっていて、二人がいたはずの場所には神宮寺が立っていた。
「神…宮寺……」
唇が渇いて、思うように言葉が出せない。神宮寺は悲しそうな顔をして俺を見つめる。
「友達にさ、そんなこと言うなよ」
「ちが…! 神宮寺に言ったんじゃなくて……!」
否定しようと声を出すと、後ろから服が摘ままれたような感覚がする。
振り向くと、ようちゃんが不安そうな顔で俺の服を引っ張っていた。
「めいくん。おれ、あのひと怖い」
ようちゃんは神宮寺を指さしながらそう言った。俺の腰あたりにある頭を押し付け、隠れようとする。
「ほんとにようちゃんは―――――」
ピピピピピピ……。
頭の付近でバイブレーションを繰り返すスマホを手に取り、「アラーム停止」の表記をタップした。いつものように階段を降り、いつものように洗顔する。ぼやけた頭と目を起こすように冷水を顔に押し付け、タオルで水分をふき取る。鏡には、にやけた顔をした醜い男が映し出されていた。
「成長期だから」と、買われた大きめのサイズの学ランに着られていた頃、母親にそう聞かれた。
「…まだわかんないよ。中学入ったばっかりだし」
「ほかの小学校からもいろんな子来るんでしょう? 友達はできた?」
「…隣の席の子とは、いい感じだよ」
嘘をついた。隣の席は名簿の関係で伊勢島であるため、いい感じなわけがないのだ。
「そう。部活は、もう仮入部とか、始まっているんじゃない?」
「クラブとか入ってた人はもう練習に参加してるみたい」
「明太も、サッカーチーム入ってたんだし、サッカー部入ったら?」
「なんで」
「なんでってそんなの…」
『いつまでもうじうじして、いじめられてるのはみじめだから?』
俺はただ下を向き、頭の中で言葉を返す。母さんは何も悪くないのに、こんな風に、嫌なことを言ってやりたかった。
小学校の最後の2年間は、母さんに迷惑をかけた。色んな所で頭を下げさせて、仲良くしていたママ友からものけ者にされて、悪口を言われていた。俺のせいで。
俺の口から、「いじめられてる」なんて言ったことはない。でも母さんは気づいている。俺がいじめられていると。
「あ、ほら、ようちゃんは同じクラスじゃない! ようちゃんは何部に入るって?」
思い出したように手を叩き、顔を明るくさせる。
「…聞いてない」
『ようちゃん』。俺をいじめる、元凶の『ようちゃん』。母さんは、俺が学校でいじめられていることに気づいている。でも、『ようちゃん』にいじめられているとは気づいていない。
俺は苦しくて、胸をギュッと握りしめて俯く。母さんが眉を下げて俺の顔を覗き込む。
「…ようちゃんと、喧嘩でもしたの?」
「してない」
してない。喧嘩はしてないんだ。鼻の奥がツンと痛くなり、俺は口から息を吸い込んだ。
ピンポーン
チャイムの音が響く。母親が返事をして、ドアを開けに行った。
「めいくん、おはよう」
玄関に向かうと、母親がドアを開けた先に、学ランを着こなした男が立っていた。
まだ中学生になったばかりなのに、こなれていて、同じ年齢で、この前まで自分より小さかったとは思えない。
「めいくん、一緒に学校行こう」
やわらかい笑顔を俺に向け、手を差し出す。輪郭のぼやけた太陽の光が、その笑顔を照らして少し眩しい。
さっきまで痛かった鼻の奥が「誤作動だった」とでも言うように空気を通し、ズルズルと音を立てて鼻水を吸い込んだ。
「…うん」
『ようちゃん』の手をギュッと強く握り返す。もう春風は吹き去ったはずなのに青々と茂った木々を揺らすほどの風が吹きすさぶ。砂埃が舞い、瞼の裏側に入り込む。俺は、強く握っていた手を離した。
四限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。購買へ駆けていくもの、友達と集まり机をつけるもの。俺はというと
「神宮寺君、友達が待ってるよ」
神宮寺に通せんぼされていた。
「神宮寺君、みんなが出られないから」
いつもの場所へ行こうとしていたのだが、神宮寺に教室のドアを塞がれているため移動しようにもできないのである。逃げようものなら地の果てでも追いかけてきそうな勢いで付きまとわれるので、説得という手段をとることにした。
「あ、はい。どうぞ~」
神宮寺は、後ろに人がつまっていることに気付いたのか、ドアを譲る。
出ていく人に紛れて抜け出そうとするが、再び塞がれる。
「あ~あ。明太君のせいで人が通れないな~」
「お前のせいだよ」
「あ~あ。明太君がおとなしく席に戻ってくれないから、俺も昼飯食えないな~」
神宮寺が下唇を突き出し、ひどく抑揚をつけて喋る。
「それは自業自得だろ」
俺がタックルをしようとすると、腰を低く保ち、受け止める姿勢を作る。
「明太君も昼飯食えないよ」
「授業中に食うわ。そしたら」
「授業中の飯テロは人権なくすよ」
「すでにないから平気」
「基本的人権を尊重してるんだぞ。日本は」
「じゃあ奪うなよ」
「明太君が一緒に飯食ってくれたら奪わない」
「いやだっつってんだろ」
思わずため息を吐く。ここまで話が通じない人間は初めてだ。
かれこれ10分はこうしている。貴重な昼休みが削れていく。このままでは埒が明かないので、あきらめて自席に戻った。
「お! やっとその気になってくれた?」
「神宮寺君があまりにもうざいから」
「失礼な」
席に戻ると、神宮寺が前の席から椅子を取って向かい合う形に座る。
「明太君、最近どう?」
「話題ないなら飯食おうとか言わないほうがよかったんじゃない」
「世間話とか受け付けないタイプ? 社会でやっていけないよ」
無理やり俺の領域に入ってきたくせに、暴言を吐く。神宮寺はいいやつだと思っていたが違うのかもしれない。
「神宮寺君はどうなの。友達100人はできたんじゃない?」
俺が愛想なく喋っても、話題を振ったことが嬉しかったようで、満面の笑みを浮かべ
「100人は多いよ! 30人くらいはできたかな」
と元気よく答える。30人も十分多いと思うけど。
「すごいね」
「明太君がこの学校では友達一号だけどね」
「は?」
いつ俺たちが友達に…?
よく思い返してみると、神宮寺が転校してきた初日にそんなことを言われたような気がする。もう遠い昔の記憶だ。
「いつの話だよ。ノーカンだろ」
「たった2か月前の話だろ。うちのじじいすら二か月前のこと覚えてるよ」
「俺が神宮寺君のおじいさんよりおじいさんって言いたいの」
「大じじい」
「そんなあだ名はじめてだわ」
「ウンコマンのほうが中々無いけどね」
「…」
口に運ぼうと、箸で掴んだ唐揚げを落とす。
謀られたのか?あまりにも誘導がうまくて気づけなかった。
「話したくないならいいんだけどちょっと気になって」
これだから嫌だったんだ。一緒に昼飯を食べるなんて。
「困ってるなら頼ってほしいっていうか…。まあ俺は何も知らないんだけど」
神宮寺は不自然に思っているはずだ。なにかと突っかかってくる陽太のこと。俺と陽太の関係のこと。
「だから…なんていうか」
箸をケースに戻して、雑に弁当箱を包んで立ち去ろうとした。
「俺はさ! 明太くんと仲良くなりたいだけなんだよね!」
神宮寺が一際声を張る。立ち上がったまま固まる俺の目を、まっすぐな目が見つめる。
「……仲良くなっても何も無いと思うけど」
すとん、と自分の席に座り直して悪態をついた。
「それが友達ってもんだろ」
神宮寺はただのいいやつだった。
「……変だね。神宮寺君」
「そう? 普通だろ」
俺は鼻の奥が痛くて俯く。気づいたら机に水滴が落ちていたので、ばれないように弁当の包みに顔をうずめて誤魔化した。
「明太君の弁当そんないい匂いすんの?」
「空気読めないね。神宮寺」
「俺ほどスマートな男いないよ」
「そうですか」
顔も合わせずに悪態をつく俺に神宮寺は爽やかな声で返す。視界が暗い分、聴力が働いて言葉や音が鮮明に耳に入るんだ。
「めいくんごめんね。今日こそ行きたかったのに」
「ごべんねぇ」と大きなドアの隙間からぐちゃぐちゃに泣きはらした顔が覗く。いつもふわふわの髪の毛が寝ぐせで余計ふわふわになって、俺は「いいけど」といいながら髪の毛をかき回した。
「めいくんと一緒にあそびたかったぁ」
ようちゃんは俺に抱き着こうとするがランドセルが邪魔で腕が回りきらない。鼻水と涙で俺の服を濡らす形になって、俺はようちゃんを引き離そうと肩をつかんでそっと押す。
「いいじゃんか。レクくらい」
今日は月一のレクリエーションがある日で、ドッジボールをやることになっているのである。
ようちゃんは運動神経が悪いし、ノロマなのでこういうのは苦手だと思っていたが、ドッジボールに限って避けるのがクラス一上手かった。俺が褒めるといつも嬉しそうにしていて、レクがドッジボールに決まったことを伝えると「絶対行く!」と意気込んでいた。
「ドッジだもん」
「休み時間とかできるじゃん」
「できない」
「入れてーって言うんだよ」
「できない」
泣きはらした目をさらに細くして、頬を膨らませる。その姿を見ると胸のあたりがくすぐったく感じて思わず笑った。
俺は右手に持っていた、家の前で引き抜いた猫じゃらしでようちゃんの鼻を擽る。
「んふっ。ふふ。めいくんやめて…ふふふ」
ようちゃんが鼻を手で覆って目を細める。
「明日は学校行くから迎え来てね」
「うん」
ハッと思い出したように顔を上げた。目の前にいる神宮寺が驚いて目を丸めているのが視界に入る。
「明太君?」
陽太はいつから来ていないんだろう。右斜め前の空席を見つめた。机の中には授業やHRで配られた配布物が雑に詰め込まれていて、いくつか飛び出している。
「染谷君だっけ? なんかずっといないね」
神宮寺が俺の視線を追い、俺の心を見透かしたようなことを言う。
「俺が明太君とのことに口出したからかな……どうしよ…転校してすぐいじめしたやつみたいになってるよな…」
「関係ないよ。陽太は元から休みがちだから」
顔を青くする神宮寺を横目に素っ気なく答えた。
「……あー、俺の野菜ジュースあげよっか? なんか、明太君俺との食事楽しめなかったみたいだから」
「いらないよ。野菜ジュース嫌いだし」
神宮寺が申し訳なさそうに差し出してきた色とりどりの野菜が描かれた紙パックのジュースを手で優しく押し返す。
「え! ごめん」
「……野菜ジュースが嫌いなのは確かだけど、神宮寺と飯食うの楽しかったから」
「え」
「いらないよ。ありがとう」
面と向かって言うのは恥ずかしくて、手を交差させながら言葉にする。
「……よかった! 俺もまじ楽しかったからさ、また一緒に食おーね」
神宮寺は三コマ漫画のように表情を変化させ、満面の笑みで答えた。
「今度はいちごミルクとかにしろよ」
「うわ。絶対に面白い話持ってきてやるからな」
「やめてよ…っ」
成長しても変わらないふわふわの髪が濡れ、オレンジ色の液体が色素の薄い陽太の髪を染め、教室の床にしたたり落ちる。
陽太は眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり、涙目で俺を睨んだ。俺は構わずに、紙のパックを握りつぶす。さっきよりも勢いよく液体が飛び出し、陽太の顔を濡らしていく。
自分よりも背が高くて、力も強くて、友達もいる陽太が抵抗しないのはなぜなのだろうか。
「夢か」
手からすり抜けていく空の紙パックの感覚を追いながら、自分が夢の世界にいることを自覚する。
こんなこと、したくないのに陽太の頭を押さえつけようとする手が制止できない。なぜ俺は、こんなことをしているんだ?なぜ俺はここにいる?陽太はどうして抵抗しないんだ?
右手が濡れた髪に届いた瞬間、抵抗しようとする陽太の必死な表情が目に入る。
「陽太」
陽太を押さえつける手に、一層力が入った。机に押し付けられ、睨みつけるだけでロクな抵抗をしない陽太を見つめる。
「ようちゃんのくせに、調子に乗るのが悪いんだろ」
積年の怒りをぶつけるように、髪の毛を引っ張り上げ、体を押す。押された陽太はバランスを崩し、椅子と共にガシャンと大きな音を立てて倒れた。
「おい、めい! やりすぎじゃね?」
突然背後から伊勢島の声がした。驚いて勢いよく振り向くと、自分の目線より30㎝ほど下に伊勢島の頭があった。伊勢島はハラハラとした表情で陽太を見つめる。
「いいんだよ。こいつが悪いんだから」
「よくねーよ! 確かに陽太は悪いけどさ! ゲンドってもんがあるだろ!」
小さい伊勢島が陽太の前に行き、両手を大きく広げ、陽太を庇うような仕草をする。
なんでお前がそっち側なんだ。
「俺しかいないって言ったくせに」
拳を強く握りしめる。
「ようちゃんのくせに――――…!」
顔を上げると、陽太と伊勢島はいなくなっていて、二人がいたはずの場所には神宮寺が立っていた。
「神…宮寺……」
唇が渇いて、思うように言葉が出せない。神宮寺は悲しそうな顔をして俺を見つめる。
「友達にさ、そんなこと言うなよ」
「ちが…! 神宮寺に言ったんじゃなくて……!」
否定しようと声を出すと、後ろから服が摘ままれたような感覚がする。
振り向くと、ようちゃんが不安そうな顔で俺の服を引っ張っていた。
「めいくん。おれ、あのひと怖い」
ようちゃんは神宮寺を指さしながらそう言った。俺の腰あたりにある頭を押し付け、隠れようとする。
「ほんとにようちゃんは―――――」
ピピピピピピ……。
頭の付近でバイブレーションを繰り返すスマホを手に取り、「アラーム停止」の表記をタップした。いつものように階段を降り、いつものように洗顔する。ぼやけた頭と目を起こすように冷水を顔に押し付け、タオルで水分をふき取る。鏡には、にやけた顔をした醜い男が映し出されていた。
