キスから始まる恋心

 授業が終わった帰り道、外に出ると寒風が肌を刺すようになってきた。制服から出ている肌の部分が寒い。何かで身体を温めたいところだ。早く帰って家でココアでも飲もう。

 わたしは足早に校舎を後にして、通用門のほうへ行く。生徒が必ず行き帰りで通る大きな門だ。どうやらこの学校のシンボルらしい。シンボルに相応しい大きさで、どっしりと構えている様は美しささえ感じられる。

 その校門の下で、瀧本くんが門に寄りかかって立っていた。誰かを待っているようだ。この寒い中、門の下で待たなくても良いだろうに。図書館とか教室とか、屋内で待ち合わせするほうが良いのではないだろうか。

 瀧本くんもわたしに気づき、片手を挙げて挨拶する。もはや見慣れた光景だった。

「よ。遅かったな」

「瀧本くん、誰かと待ち合わせ?」

「詩織を待ってたんだよ。付き合ってくれないか」

「は? え?」

 なに、その改まった告白は。なんでそんなにさらっと言ってしまうの。いきなりそんなことを言われて、わたしの心臓がどくんどくんと大きな音を立てて動き始める。

「駅前に行きてえ店があるんだよ。ただ男だけだと正直行きづらくてな、女の力を借りたい」

「あ、ああ、そういうこと? なんだ、紛らわしい」

「あ? 何が紛らわしいんだよ」

「いいの、こっちの話。駅前でしょ、いいよ」

「さすが。代わりに奢ってやるよ、付き合わせてるんだしな」

 そのお店は食べるところのようだ。帰りの買い食いというやつだろう。なんだかカップルみたいに思えてしまって、わたしは熱くなった頬を風に当てて冷やす。余計なことは考えない。ただの友人との買い食いだ。男女二人だからって、何もおかしなことはない。

 わたしと瀧本くんは駅前に向かって歩き出す。最近気づいたことだけれど、瀧本くんはわたしと歩く時は少し遅くしてくれている。わたしに配慮しているのだろう。瀧本くんは見た目とは違って、こういう気遣いができる男なのだ。ファンクラブができるくらい女子に人気が出るのも最近は理解できている。そりゃあ、こういう彼氏が欲しいと思ってもおかしくない。

「ああ寒かった。お前、遅くなるならそう言えよ」

「待ってるなら待ってるって言ってよ。図書館とかで待ってればよかったのに」

「いつお前が帰るか知らなかったんだから仕方ねえだろ。日中も会わなかったし」

「あ、そっか、瀧本くん、わたしの連絡先知らないんだ」

 今まで連絡先を知らなくてもなんとなく成り立っていたから、わたしたちはまだ連絡先を交換していなかった。日中にだいたい一度は会うから、そこで待ち合わせの約束もできていたのだ。どうしてそんなに会うのかも不思議だけれど、今日みたいに一度も会わない日のほうが珍しかった。

 わたしは自分のスマートフォンを取り出す。瀧本くんも状況を理解したのか、ポケットからスマートフォンを出した。お互いの連絡先を交換する。

「今日みたいに外で待つんだったら連絡して。風邪ひくよ」

「ひかねえよ。この数年間ずっと体調崩してねえんだから、丈夫なんだよ」

「そう言ってると崩すんだから。インフルエンザとか罹ったらどうするの?」

「罹らねえって。まあ、これでもう門で待つ必要もなくなったけどな」

「よくこんな寒い中待ってたよね。わたしが先に帰ってたらどうするつもりだったの?」

「俺のほうが早く終わったのは知ってたからな。門で待ってりゃ会えると思ったんだ」

 そこまでしてそのお店に行きたいのだろうか。瀧本くんが行きたがる、男子だけだと入りづらいお店とはいったいどのようなところなのだろう。女子ばかりのお店ということだろうか。瀧本くんのイメージとは大きく異なるのだけれど。

 目の前を大学生のカップルが歩いていく。女性が男性の腕に抱きつきながら、二人で密着して歩いている。二人の仲の良さが後ろからでも感じられて、ほんわかとした気持ちになる。ああいう関係には憧れてしまう。

 あれは、温かいのだろうか。人の体温を感じられるだろうから、きっと温かいのだろう。冬だからこそできることでもある。夏だったら暑くてあんなことはしていられない。

 わたしは瀧本くんをちらりと見た。スラックスのポケットに手を突っ込みながら、寒そうに肩を縮めて歩いている。ブレザーの下に着こんでいないのだろうか。

「なんだよ」

 瀧本くんがわたしの視線に気づく。わたしは小さく首を振った。

「別に。寒そうだなあと思っただけ」

「前の女みたいにくっついて温めてあげようか、とか言えねえの?」

「ば、馬鹿じゃないの? そんなことするわけないでしょ」

「そりゃ残念。あれいいよな、絶対寒くねえだろ」

 瀧本くんは羨ましそうだった。意外だ。ああいうべたべたするのは苦手だと思っていた。

「瀧本くん、ああいう彼女が欲しいの? べったり系?」

「冬はああいうほうがいいだろ。俺、寒いの苦手なんだよ」

「その割にはマフラーとかしてないね?」

「持ってねえからな。毎年買おうと思って、買わずに終わってる」

「そうなんだ。買ってあげようか?」

「マジ? いいじゃん、詩織からのプレゼント。変な柄のやつとかにすんなよ」

「しないよ。わたしのセンスが疑われるでしょ。どうせわたしから貰ったって言うだろうし」

 わたしは忘れないようにスマートフォンのメモに残す。そこでふと気づいた。

 えっ、いつあげるんだろう。クリスマス? ちょっと遅すぎない? 男友達にクリスマスプレゼントってどうなの。クリスマスにも、バレンタインデーの義理チョコみたいな文化はあるのだろうか。クリスマスじゃない、何でもない時期にプレゼント? それも変だ。というか、よく考えてみたらわたしが瀧本くんにマフラーを買ってあげるってどういうこと? わたしは、いったい何を言っているの?

 しかし今更撤回するわけにもいかない。これは、この話が薄れないうちに買って渡してしまわないと。時間が経つほどにわたしが恥ずかしくなってしまう。何でもない、ただの友情のプレゼントだ。彼女がやるようなことじゃない。違う。これは、違う。

 瀧本くんはわたしの焦りには気づかず、そのまま話を続ける。

「俺さ、毛はだめなんだよ。首が痒くなっちまう」

「意外と肌弱いんだね。地肌にセーター着ても大丈夫そうなのに」

「うるせえよ。繊細なんだよ、俺は。だから、マフラーは毛じゃないやつにしてくれ」

「はいはい、わかりました。アクリルがいいかな、温かいだろうし」

 わたしはスマートフォンのメモに追記する。自然と候補が絞られそうで安堵する。

「え、お前マジで買ってくれんの? 冗談じゃねえの?」

「うん。いいよ」

 内心の動揺を悟られないように、さらりと返す。むしろ瀧本くんが目に見えて動揺していた。瀧本くんがわたしから目を逸らすなんて珍しい。わたしは笑ってしまう。

「何笑ってんだよ」

「だって、急にそっち向くから。プレゼントされるの恥ずかしいの?」

「別に。詩織こそ、急にプレゼントだなんてどうしたんだよ。ついに俺に惚れたか?」

「惚れてない。前にいろいろ助けてもらったから、そのお礼」

 それが言い訳に過ぎないことは自分がいちばんよくわかっていた。わたし自身も、どうして瀧本くんにマフラーを贈ろうと思ったのか、理解できていなかった。でも、それを無視してでも、瀧本くんにマフラーを渡したい気持ちがあったのだ。

 住宅街を抜けて大通りに出る。駅前はもうすぐだ。わたしたちと同じ制服を着た学生だけでなく、違う高校の生徒の姿も見受けられる。大きな駅だから、駅前は多くの学生が集まる場所だ。その分、学生に向けた店も多く存在している。買い食いにはもってこいの場所だった。

 駅前まで来るとその賑わいが大きくなる。高校生だけでなく大学生の姿もある。みんな、授業が終わって疲れた体を癒しに来ているのだろう。ただショッピングをするだけでも楽しいところだ。わたしも悠夏と何度も来たことがある。

「瀧本くんの目当てのお店はどこなの?」

「駅前の喫茶店なんだよ。いつ行っても女子だらけで、男一人で入れる場所じゃねえ」

「そうなんだ。何か有名なものでもあるのかな」

「パンケーキがすげえ美味いらしい。どんな感じなんだろうな」

 およそ瀧本くんのイメージとはかけ離れた単語が出てきた。パンケーキ。瀧本くんが。

「瀧本くん、甘いもの好きなの?」

「ああ。誰に言っても笑われるんだが、コーヒーはブラックじゃ飲めない」

 わたしは思わず、ふっ、と笑ってしまった。瀧本くんがわたしをじろりと睨む。

「だいたいそういう反応なんだよ。苦くて飲めねえんだから、仕方ねえだろうが。詩織こそ、コーヒー飲めるのか?」

「飲めるよ。ブラックで」

「んだよ、その勝ち誇ったような顔。ブラックで飲めるからって調子乗んなよ」

 瀧本くんの可愛い一面を発見した気分だ。むしろ甘いコーヒーのほうが苦手そうなのに、逆だとは。ブラックを苦そうに飲む瀧本くんが想像できない。

 喫茶店に着くと、中は確かに女子ばかりだった。見る限り、男性の姿は店員しかいない。全体的に落ち着いた内装で、席はそれなりに埋まっていた。高校生だけでなく、一般の女性も多く来店しているようだ。時間的に、仕事が早く終わってきたというところだろうか。

 店員がわたしたちを二人掛けのテーブル席に案内した。二人掛けなのに、座席は横並びになっている。窓から外が良く見えるように、座席が窓に向かって置かれていた。向かい合って座るものだと思っていた私は、思わぬ配置に面食らった。

 これ、たぶんカップルシートじゃん? 店員さん、勘違いしてるじゃん、きっと。

 しかし瀧本くんは気にする様子もなく座ってしまう。わたしが気にしすぎているようにも思えてきて、わたしもやむなくその隣に座った。瀧本くんはもうメニューを開いている。その目は少年のように輝いていた。どれだけパンケーキが楽しみなんだ。

「すげえな。聞いてはいたが生クリームが多い」

 メニューの写真では生クリームがパンケーキの上で山のようになっていた。生クリームの美味しさに自信があります、と書かれている。それがこの店の売りなのだろう。

「詩織、どうする? 約束通り奢るから好きなやつ頼めよ」

「うぅん、そうだね。初めての人におすすめのやつにしようかな」

 初来店の人におすすめのパンケーキは、生クリームが少し減らされているらしい。いきなり莫大な量の生クリームが来ても困るから、これくらいにしておくほうが良いだろう。

「そうか。飲み物は?」

「コーヒーで」

「お前、実は俺に喧嘩売ってるだろ?」

 瀧本くんは笑いながら、店員を呼んで注文していく。瀧本くんはスタンダードタイプにしたようだ。飲み物はカフェオレ。本当に全然イメージと違う。

 店員が去っていくと、瀧本くんはわたしに笑いかけた。

「ようやくここのパンケーキが食える。詩織がいてよかった」

「別にさ、わたしじゃなくても他の女の子と行けばよかったじゃん。いっぱいいるでしょ」

「こういう店、どうせなら狙ってる女と来たいだろ」

「ま、また、そういうこと言う。そういうのさ、ほいほい言わないでよね」

「なんでだよ。詩織は言わないと気づかないタイプだろ」

「言わなくていいの。もう、瀧本くんの気持ちはわかったから」

 わたしは紅潮した頬を隠すように、瀧本くんから顔を背けて窓の外を見る。

 瀧本くんの気持ちはわかっている。わからないのは、わたしの気持ちだ。最近はおかしいのだ。恋しているはずがないのに、瀧本くんの顔が、声が、頭に浮かんでくる。会えなかった今日は、ああ会えなかったな、と思ってしまう。いったいわたしはどうしてしまったのだろう。

 瀧本くんはわたしの手に自分の手を重ねてくる。わたしよりも大きな、ごつごつした手。その温もりが嫌でも存在を感じさせる。わたしは視線を向けて抗議する。

「やめてよ。友達にこういうことしないでしょ?」

「詩織だから。ここカップルシートだし、いいだろ」

「気づいてたなら先に言ってよ。わたしたちカップルじゃないですって、店員さんに言えばよかったじゃん」

「俺は詩織と座りたかった。なんだ、気づいてないと思ってたのに」

 瀧本くんはしれっと言った。わたしはそんなに鈍い女じゃない。

「こんなに席近かったら気づくよ。ああもう、なんか、全部瀧本くんの作戦だったんでしょ」

「偶然だよ。まあ、この店だとカップルに思われるだろうなとは思ってたけどな」

「それ、偶然じゃないから。狙ってるから」

 わたしが睨むと、瀧本くんは優しく笑った。そんな顔をされたら許してしまいそうになる。それもきっと、瀧本くんには見透かされているのだ。わたしが嫌がっているのは口だけだと思われているのかもしれない。わたしは、重ねられたこの手を振り払えないから。

 瀧本くんは周りの様子をぐるりと見渡してから、わたしの瞳を覗き込んでくる。綺麗な黒瞳に自分が映っているのがわかると、わたしは瀧本くんを見つめてしまう。どうしてか、こうなるといつも目を逸らすことができないのだ。

 瀧本くんが不敵な笑みを浮かべる。仕方ないな、とその顔が物語っている。

 だめだ。早く目を逸らさなきゃ。こんな、じっと見ていたらいけない。わたしから求めているわけじゃない。けれど、わたしの身体は言うことを聞かない。石化してしまったかのように、瀧本くんの瞳を見たまま固まっている。

 瀧本くんがそっと顔を近づけてくる。だめ。ここ、お店だよ。周りに誰もいないならまだしも、みんな見てるよ。そんなに堂々としてしまうの?

 わたしの唇に届いたのは、瀧本くんの人差し指だった。その瞬間、わたしは何かから解放されて、身体が動くようになる。

「また後でな。キスされると思っただろ?」

 瀧本くんは悪戯っぽい笑顔でわたしをからかう。わたしは耳まで真っ赤になるのを感じた。

「お、思ってない。思ってないから」

「へえ。そう。焦らさないでキスしてほしかったか?」

「馬鹿。ここ、お店なんだからさ、そういうの自重しようよ。恥ずかしいでしょ」

「店じゃなかったらよかった?」

 わたしは瀧本くんの肩を叩いた。瀧本くんは笑っていた。

 絶対にキスされると思った。抗いようがなかった。来るとわかっていてもわたしの身体が動かなかったのだから、受け入れるしかなかった。そう、受け入れるしか、なかったのだ。

 どうして? どうして、わたしは瀧本くんのキスを受け入れてしまうの? どうして、わたしは瀧本くんだと拒まないの? 拒もうとさえ思わないの?

 わからない。わたしはいったい、瀧本くんのことをどう思っているの?

 店員が飲み物を先に運んでくる。瀧本くんは律儀にお礼を言って、わたしの近くにミルクと砂糖を置いてくれる。

「あ、いいよ、ブラックで」

 苦みを利用して、のぼせた頭を覚ましたかった。アイスコーヒーにすれば良かった。そうしたら冷感も手にすることができたのに。

「お前、絶対俺に喧嘩売ってるだろ? 俺が飲めねえからって」

「売ってない。ブラックの気分なの。苦いのが飲みたいの」

 瀧本くんを無視してコーヒーを口に含む。強めの苦みが舌から脳を刺激する。

 落ち着こう。カップルシートとか余計なことをされたから、変に意識してしまっているだけ。カップルに見えるようにしないといけない、深層意識でそう思ってしまっているのかもしれない。だから、キスされるとわかっていても動けなかったのだ。そうだ。

 コーヒーを啜りながら、頭に浮かんできた考えを心の底に押し込む。

 もしかして、わたしは瀧本くんに惚れてしまったのではないだろうか?