キスから始まる恋心

 授業の合間の休み時間は貴重だ。次の授業が始まるまでの休憩や気分転換のために使うのが一般的だろう。友人と喋ったり、教室の外の空気を吸いに行ったり、トイレに行ったり、その使い方は様々だ。まだ午前の最初のほうだから、あまり気分は晴れない。まだまだ先は長い。

 かく言うわたしは、いったん外に出て新鮮な空気を吸ってきた帰りだった。外の空気を吸わないとやっていられない気分だったのだ。

 朝来たら、わたしの机の中に手紙が入っていた。女の子の字だった。

『瀧本くんのことが好きなら三田くんに近づかないでください』

 それだけだ。わたしは頭を抱えたくなった。この前の彼女とは違い、今回は本当にどこの誰からの手紙なのかわからない。女の子、三田くんのファンクラブの子なのは間違いないのだろうけれど、学年すら不明だ。わたしの机の場所を知っているということは、同じクラスの子なのだろうか。それは正直、信じたくない。別のクラスの子がわたしの机に仕掛けていったのだと思いたい。

 この手紙にはいろいろと訂正したいことがある。まずわたしから三田くんに近づいたことはない。瀧本くんの時と同じで、向こうから話しかけてくるのだ。どうしてみんなわたしから寄っていっていると誤解しているのだろうか。わたしは男なら誰でも話しかけに行くような女子だと思われているのだろうか。

 あと、瀧本くんのことが好きというのも引っかかる。友達ではあるけれど、そういう関係ではない。それとも、傍目から見れば、わたしは瀧本くんのことが好きであるように見えるのだろうか。わたしが気づいていないだけで、恋する乙女の目をしているのだろうか。

 馬鹿げている。そんなのは勘違いだ。確かに一緒にいる時間は長いような気がするけれど、それだけで好きだ恋だと騒いでほしくない。ただ、他の子よりちょっと仲が良いだけではないか。わたしたちのキスの現場を見られたのであれば、言い訳はできないかもしれないけれど、あれだって好きでしたわけじゃない。わたしからしたわけでもない。

 わたしは知らないうちに多くの女子から反感を買っているような気がしてきた。特に嫌われるようなことをした覚えもないのに、モテる男子と話しているだけでこんなにも嫌われるものなのか。いっそ、女子高に進学するほうが良かったのではないかとさえ思ってしまう。

 手紙で伝えてくるあたり、内気な子なのかもしれない。この前の彼女のように、直接言われるよりは良い。直接的に攻撃されたら、わたしはまた傷を負ってしまうだろう。

 そうしたら、瀧本くんがまた慰めてくれるのだろうか。

 ふわりと浮かんできた彼の顔を払い落とす。違う違う、何を考えているのだ。わたしはそんなことを求めていない。瀧本くんは下心があってわたしに近づいているのだ。わたしを惚れさせようとして、弱っているところに近づいてきたのだ。きっと。本当に、彼はただ優しいだけだとか、思ってはいけない。思ってはいけないのだ。

 悶々とした気持ちを抱えながら教室に戻る。この手紙のことはまだ悠夏にも言っていない。悠夏に言ったら怒りそうだけれど、わたしの中だけに留めておくのは嫌だ。せめて、悠夏とは共有したい。わたしの苛立ちをわかってもらいたい。

 自分の教室の近くまで来ると、今いちばん会いたくない人に会った。

「ああ、二場さん。おはよう」

「三田くん、おはよう」

 わたしは努めて笑顔を保った。どうして三田くんがここにいるのだ。わたしの教室の誰かに用事でもあったのだろうか。三田くんは男子にも女子にも好かれているから、誰かに呼ばれてここにいてもおかしくはない。でも、今このタイミングで会わなくてもいいでしょ。

 わたしの頭の中はあの手紙でいっぱいだった。手紙で文句を言われた直後に、まさか堂々と三田くんと話すわけにもいかない。瀧本くんの時は、あれは、不可抗力だった。今は人の目も多いし、もしかしたら手紙の主がわたしを見ている可能性もある。

 挨拶だけで済ませようと思ったら、三田くんは爽やかな笑顔で話しかけてきた。

「二場さん、最近瀧本と仲良いんだね?」

「え?」

 軽く流すことのできない話題に、わたしは足を止めてしまう。瀧本くんとまったく関わりがなさそうな三田くんからその言葉が出てくるなんて思いもしなかった。

「よく一緒にいるなと思って」

「そ、そう、かな? そんなこともないと思うけど」

 自分でも嘘だと思った。瀧本くんに最初にキスされてから、わたしと瀧本くんの距離は急速に縮まっていることを実感している。お昼は悠夏がいるから一緒には食べないものの、もし悠夏がいなかったとして、瀧本くんに誘われたらついていくだろう。帰りだって、最近は瀧本くんと偶然会えば一緒に帰ってしまっている。自分でも心境の変化に驚いているが、瀧本くんは居心地が良いのだ。すぐキスするところだけどうにか直してほしいけれど、それ以外に不満はない。間違いなく良い友人だ。男子の中でいちばん仲が良いかもしれない。

「ちょっと、噂になってるよ。瀧本の彼女は真面目そうな子だって」

「そうなの? それ、わたしのこと?」

「じゃないかなと思って。知らなかった? 並木(なみき)さんなら知ってるんじゃないかな」

 三田くんはどこか遠慮がちに悠夏の名前を出した。

 そんな噂はまったく知らなかった。悠夏なら他のクラスにも顔も広いし、知っているかもしれない。どうしてわたしに教えてくれなかったのだろう。悠夏なら真っ先にわたしに教えてくれそうなのに。

 そんな噂が出るくらい、わたしと瀧本くんは一緒にいるのか。自覚がないわけではない。そういえば、この前の彼女に出会ってから瀧本くんと一緒にいる時間も増えた気がする。それが噂の原因なのだろうか。瀧本くんは何も気にせずわたしに話しかけてくるから、わたしも流されて瀧本くんと一緒に過ごしてしまっていた。

「実際、どうなの? 二人は付き合っているの?」

 三田くんから質問されて、わたしは頬が赤く染まるのを感じた。

「付き合ってないよ。ただの顔見知りだよ」

 そう、付き合っていない。キスはもう三回もしたけれど、付き合っていない。そんなことを言って信じてくれるのは悠夏くらいだ。わたしだって他の人が同じ立場だったら付き合っていると思うことだろう。だいたい、付き合っていないのにキスするなんて不純だ。

 わたしが否定しても、三田くんはあまり信じていないようだった。

「二場さん、瀧本と一緒に帰ってるでしょう?」

「え? ああ、うん、帰り道で会ったらね」

 どうして三田くんがそこまで知っているのだろう。そこまで噂に含まれているのだろうか。瀧本くんは目立つから、人目を引いてしまうのかもしれない。

「瀧本と家が近いの?」

「さあ? どうなんだろうね。わたし、瀧本くんの家は知らない」

「そうなんだ。瀧本は家まで送ってくれるの?」

「ううん。分かれ道があって、そこでいつもお別れ」

 わたしは咄嗟に嘘をついてしまった。まさか、マンションのエントランスまで一緒に帰っているとは言えない。瀧本くんはその後学校に帰っていることも、わたしは知っている。だから、すごく厳密に言えば一緒に帰っていないのだ。瀧本くんがわたしを家まで送っているだけ。

「じゃあ、瀧本はその後学校に帰ってきてるのか」

「え? そうなの?」

「うん。瀧本、結構夜遅くまで学校にいるんだよ。部活終わりに図書館から出てくるところを見たことがある」

 ああ、いつも図書館にいるのか。図書館は八時くらいまで開いているはずだ。瀧本くんは図書館で何をしているのだろうか。本を読む姿は似合わない。勉強する姿はもっと似合わない。

「あのさ、二場さん、あまり瀧本には近づかないほうがいいんじゃないかな」

 三田くんは心配そうな口調でわたしにそっと告げた。わたしが首を傾げると、三田くんはますます不安そうな表情になる。

「あまり良い噂も聞かないし、実際に素行だってあまり良くないだろう。裏で煙草を吸っているって噂もあるくらいだから」

「ああ、そうなんだ」

 噂は所詮噂だ。瀧本くんが煙草を吸わないことは知っている。おそらく、瀧本くんの見た目から湧いて出てきた噂なのだろう。

「でも、優しいけどね。見た目は怖いけど、中身はちゃんとしてるよ」

 わたしは半ば反射的にそう言い返していた。何も知らない人に瀧本くんを馬鹿にされているような気がして、腹が立った。瀧本くんがそんな人ではないことは、わたしがよく知っている。見た目と噂だけで彼を評価しないでほしかった。

「ありがと、三田くん。心配してくれて。でも瀧本くんは悪い人じゃないよ」

「二場さん、でもさ」

「じゃあね。もう授業始まっちゃうから。またね」

 わたしは強引に会話を切った。怒っていると思われても構わなかった。三田くんは瀧本くんの何を知っているというのだ。わたしを心配してくれるのはありがたいけれど、別に心配してもらうようなことではない。瀧本くんは優しい人なのだから。

 教室に戻ってくる。まだ授業が始まるまで数分ある。わたしはずんずん歩いていって、スマートフォンを弄っていた悠夏の前の席に座った。悠夏が顔を上げる。

「何怒ってんの、詩織」

「ちょっと、いろいろあって」

「なぁに? 瀧本くんが他の女といちゃいちゃしてた?」

「してない。瀧本くんは関係ないでしょ。他の女でもさっさと引っかければいいよ」

「瀧本くんと喧嘩したの? 珍しいねぇ」

 悠夏はにやにやしながらわたしを見ている。どうして瀧本くんが関わっていると思われているのだろうか。心外だ。

「違うよ。今日はまだ会ってないし」

「そ。で、何怒ってんの? 瀧本くん関連じゃないのに怒ることあるの?」

 三田くんが瀧本くんのことを悪く言った。そう言おうとして、わたしはふと気づいた。そんなに怒ることだろうか。友人が友人を悪く言っただけだ。たまたま性格が合わないだけで、三田くんに悪気はなかっただろう。瀧本くんが悪く言われただけで、わたしがこんなにも苛立っているのもよくわからない。

 悠夏はわたしを見ている。わたしはその可愛らしい栗色の瞳から目を逸らした。

「朝来たら変な手紙が入ってたの。三田くんに近づかないでくださいって」

「えぇ? 三田くん? 瀧本くんじゃなくて?」

「うん。わたしそんなに近づいた記憶もないんだけど、なんなのと思って」

「瀧本くんに近づくな、だったらわかるけどねぇ。なんで三田くんなんだろうね?」

 この前の彼女のことは、悠夏には話していない。悠夏なら相手を特定して直接文句を言いに行きそうだからだ。泥沼にはまるような気がして、それはそれで怖かった。

「わかんない。しかもさっき会っちゃった」

「やばいじゃん、怒られるよ? 詩織って目立つんだからさぁ」

「え? わたし、目立つ?」

「目立つよ。詩織、可愛いもん。可愛い子が自分の王子様の隣にいたら、なんだあいつって思われても仕方ないでしょー。醜い嫉妬だよ」

 悠夏はため息混じりにそう言った。可愛いって、悠夏のほうが可愛いじゃないか。

「しかも、その女は瀧本くんとなかなかの噂になってるんだよ? お前どっち派だよって思ったんじゃないの」

「それ。その噂、今三田くんから聞いたんだけど、どういうこと?」

「あたしが知ってるのは、瀧本くんがついに女子に落とされたって噂。瀧本くんは清楚系の可愛い真面目な子が好きだったんだねって」

「悠夏、どこまで知ってる? どこまで噂になってる?」

「うぅん、二人で一緒に帰ってるとか、朝も一緒に来てるとか。あ、大丈夫、もうキスしてるっていうのは知られてないっぽいよ」

 わたしは悠夏の口を塞ごうかと思った。誰に聞かれているかもわからないのに、どうしてそんなに平然とキスしたことを言ってしまうのか。

「でもさぁ、仕方なくない? 有名税みたいなもんでしょ。イケメンと可愛い子がいっつも一緒にいたら噂にしたくなるよ。しかも最近の詩織はますます可愛くなってるし。ああ、恋を知ったんだなって思われてもおかしくない」

「別に、瀧本くんのこと好きになったわけじゃないけど」

「そ。まぁ、それならそれでいいけど、周りはそう思ってないってこと。瀧本くんも散々からかわれてるみたいだしね」

 瀧本くんが友達にからかわれている姿が目に浮かぶ。あの男子集団は容赦しないだろう。瀧本くんが何と答えているのかは気になった。瀧本くんが変な答えをしたから、こんな噂になっているのではないだろうか。

 みんな、放っておいてくれたら良いのに。わたしと瀧本くんはそんな関係じゃない。ただの仲の良い友人なのだから、噂されるようなことは何もない。わたしは肩を落とした。

「詩織も大変だねぇ。あたし、可愛い子に生まれなくてほんとによかったぁ」

「悠夏だって可愛いでしょ」

「詩織みたいに男にモテないから。ほんと、モテる女は大変だねぇ」

「嬉しくないよ。わたし、もっとひっそりと生きたい」

「無理でしょ。ひっそりと生きたいならまず瀧本くんと縁切らないと。たぶん、先生たちも詩織のこと覚え始めてるよ。よく瀧本くんと一緒にいる子だって」

 そんな覚えられ方は嫌だ。絶対悪い意味で覚えられているじゃないか。

「ま、頑張って。あたし、詩織のこと応援してる。話聞くくらいならいつでもどうぞ」

「ありがと。悠夏がいてくれてほんとによかった」

 そこでチャイムが鳴った。休み時間は終わりだ。これからまた長い授業が始まる。

 わたしは悠夏に手を振って自分の席に戻る。悠夏に話したおかげで少しは気持ちが晴れた。できるだけ三田くんとは話さないようにしよう。手紙の第二弾が届いても嫌だ。

 それにしても、瀧本くんとのことが噂になっているとは思わなかった。瀧本くんが悪い意味で有名だからいけないのだ。後で会ったら文句を言ってやろう。瀧本くんだってこの噂のことは知っているはずだ。散々からかわれているらしいし。

 わたしは頭を切り替えて次の授業に集中しようとする。けれど、頭に浮かんでくるのは瀧本くんの声だけだった。