振り向いて、マイラバー

「よかったじゃん、倉」

 それから数日が経った頃、廊下で窓の外を眺めて黄昏ていた俺に、カイが俺に声をかけてきた。

「最近の京弥、おまえにベッタリよ。俺の作戦が功を奏して嬉しいよ」
「よかったよな……」
「暗っ。全然嬉しそうじゃなくね? どうしたよ」

 きっと俺は今げんなりした顔をしているに違いない。
 カイの言う通りだ。京弥は相変わらず、なにかと俺に絡んでくる。
 何かにつけて俺のもとに駆けつけては、周囲に見せつけるように俺に近づいたり、やたらとベタベタと俺に触れてくる。
 
 最初こそ嬉しかったはずなのに、最近の俺は京弥にそういうことをされるたびに、胸がざわつくようになっていた。
 あの日鏡で見た自分の姿ばかりが頭をよぎって、集中できない。
 
「なに渋い顔してんだよ。おまえ、『京弥の彼女になりたい』ってずっと言ってただろ。念願の彼女ポジにいるように見えるけど?」
「あー……うん、そうだ。そうだよな……」

 あんなに女子に憧れていたはずなのに、憧れのポジションにつくことができたはずなのに。
 今の俺は、ちっとも嬉しくもなんともなかった。
 むしろ惨めになるだけだ。変な作戦を立てて、カイと張り合わせて、そうまでしないと京弥に追いかけてもらえない自分に嫌気が差す。
 カイからの祝福の声を右から左に流しながら、俺は小さくため息をこぼした。



「倉。持つよ、それ」

 放課後になり廊下を歩いていると、後ろから声が聞こえた。振り向くと、京弥が立っていた。
 俺の両腕の中にはクラス全員分のノートが積まれている。

「いや、いいよ。一人で持てるから」

 別にこれぐらい、重くもなんともない。だから即座に断ったのに、京弥は横から腕を伸ばしてきて、俺のノートをかっさらっていった。

「強がんなくていいよ」
「強がってるわけじゃないし。軽いだろ?」
「うん、めっちゃ軽い」
「だから言ったじゃん」

 俺が笑うと、京弥もつられて笑った。

「どこまで届けるの?」
「数学準備室だって」
「どこそれ?」
「よな、俺も最初そうなって、ヤマセンに『どこだっけ』って聞いたらめっちゃ怒られた」
「やば、怒るのは違うだろ。影薄いの気にしてるんじゃない?」
「俺もそう思う」

 京弥の隣を歩きながら、普段通りの京弥でいることに俺は密かにほっとした。
 やっぱり、この距離感が心地いい。
 京弥がちゃんと「俺」を見てくれている感じがするから。

「おつかれー、任務完了」

 数学準備室にノートを運び終えて、俺は京弥に向き直る。「ありがとな」と笑いかけると、京弥はぽんと俺の頭の上に手を置いた。

「倉も、俺に任せてくれてありがとう」

 壊れ物を扱うみたいな優しさで、京弥が俺の頭を撫でる。
 言っておくが、今まで頭を撫でられたことなんかない。そりゃ、ふざけてやられたことはあったかもしれないけど。
 湿っぽい教室の中が、途端に甘い雰囲気に変わる。
 細められた目は優しくて、彼女にもこんな風に触れたんだろうかって思ったら、ずきっと胸が痛んだ。

 ──よかったじゃん、倉。
 ──なに渋い顔してんだよ。おまえ、『京弥の彼女になりたい』ってずっと言ってただろ。念願の彼女ポジにいるように見えるけど?

 カイの言葉が頭をよぎる。

「……っ、あのさぁ」

 俺はかっとなって、京弥の手を振り払った。ぱしんっと乾いた音が廊下に響く。

「そうやって彼女にするみたいに接するの、やめてくんない。よく見て、俺、男だよ」
「……知ってるけど」

 当然ですけど、みたいな顔をする京弥にカチンときた。
 絶対にわかってない。だってわかっていたら、俺相手に京弥がこんなことするはずがない。

「じゃあなに、俺のこと彼女の代わりにでもしてる!? 俺は男だからそんなにそっと触んなくても壊れないし、水ぐらい一人で飲めるし、重いもの一人で運べるし、頭撫でられたってころっと堕ちたりしねーの!」

 俺が喚くと、京弥はわずかに目を見張った。その顔を見た瞬間に、唇が震えそうになる。

 ずっと女子が羨ましかった。
 京弥の隣に当たり前みたいな顔をして存在できる女子が、愛でられる対象の女子が羨ましくて仕方がなかった。

 だけど実際に自分がその立場になって、はっきりとわかった。
 俺は京弥の『彼女』に成り代わりたかったわけじゃない。
 幼馴染で親友の俺のまま、京弥に好きになってもらいたかっただけだ。

「……もう認めるよ。俺の一番はきょーやだよ。俺がこの先誰と付き合おうが、京弥が誰と付き合おうが、それは一生変わんないと思う」

 何も言わない京弥に痺れを切らして、俺は言葉を続けた。
 小さく息を吐いて、無理やり笑顔を作ってみせる。

「だから安心してよ。もうムキになんなくていいから。無理に彼女扱いする必要ないから、もうやめてほしい。前みたいに、普通に接してよ」

 すでに俺の一番になっていると知れば、きっと京弥は俺を追いかけることを諦めるだろう。
 それは少しだけ寂しいけど、こうするしかない。
 京弥がとっかひっかえしている彼女のような刹那的な存在になるつもりはない。

 京弥の隣にいられれば、それでいい。
 『幼馴染』で『親友』っていう肩書きで隣をキープして、くだらないことで笑い合って、何気ない時間を一緒に過ごして、京弥に彼女ができたら「またかよ」なんて呆れながら祝福して──

「な?」

 ──本当にそれでいいのか?
 そうじゃない、と心が叫ぶのに蓋をして、俺は笑顔を貼り付けたまま黙り込む京弥の顔を覗き込んだ。

「……違うよ」

 しばらくしてから京弥から、小さな声が返ってきた。

「倉、何か勘違いしてるだろ」
「勘違い……?」
「俺、別に彼女扱いしてるわけじゃない。彼女にこんなこと、したことないし」

 京弥が呆れたように眉を下げる。俺は「えっ」と情けない声を漏らしながら、その顔を見上げていた。

「そっと触ってんのは多分、嫌がられないように慎重になってるからだし、水飲ませたのも構いたかったからってのと、周りに俺の倉だって見せつけたかっただけだし……今こうやって手伝ってんのは、一緒にいたいっていう口実だし」

 次々と発せられる言葉が、俺の脳を焼き焦がしていく。
 意味を認識した途端に、曇っていたはずの心が、一気に晴れていくような感覚になった。
 それと同時に、激しく心臓が打ちつけ始める。

「頭撫でんのは、堕ちてほしいとかじゃなくて……気持ちのやり場がなくて自制が効かないだけ。倉のためじゃなくて、俺のため」
「きょーやのため……?」
「好きだから撫でたくなんの。こんなこと彼女に思ったことないし、彼女にしたこともないよ」
「……あーね。好きって、幼馴染としてっていうあれね」

 びっくりした。一瞬、本気で捉えてしまうところだった。
 だけどそんな俺の油断は、すぐに覆されることになる。

「今の、一応告白のつもりなんですけど」

 京弥はほんのり頬を赤くしながら、拗ねたような顔をしながら言った。
 そんな顔を見たらもう冗談だなんて思えなくて、つられたように顔を赤くなっていく。
 返す言葉が見つからない。今起きていることが全部夢みたいで、思考がまったく追いついてくれなかった。

「か、カイに取られたくなくてムキになってるんじゃ……?」

 俺が必死に声を絞り出すと、京弥は「はぁー……」と息を吐いた後に、困ったように首の後ろに手を当てた。

「やっぱそう思ってるよな。勘違いされてるだろうなと思ってた」
「勘違いって……だってきょーや、俺がカイと付き合ってるって知ってから様子おかしいし……」
「付き合ってないんだろ。カイのこと問い詰めてとっくに聞いたよ。そのうえで俺は、倉が好きって気づいたからアプローチしてただけなんだけど」

 ……なんだって?
 衝撃の事実に、開いた口が塞がらない。
 カイのやつ、俺にはそんなこと少しも教えてくれなかったくせに、いつのまに?
 ってことは、全部俺の勘違いだったってこと……?
 京弥が俺を執拗に構うのも、気味が悪いぐらい優しくしてくるのも、全部、俺のことが好きだったから?

「な、なんで俺なん……? きょーや、ずっと女子が好きだったくせに」

 混乱しながら吐き出した言葉は、わかりやすく震えていた。
 俺に視線を戻した京弥は、なぜか片手で顔を覆い始める。

「そうやって困ってる顔とか、超かわいいの自覚ある?」
「は……? か、カワイイ……?」
「うわ、キョトン顔もえぐい。あー……ガチで胸痛い」

 京弥のリアクションは明らかに普段とは違った。胸を押さえて苦しそうに悶えている。
 俺は普通に言葉を返しただけなのに。
 ドキドキより先に、困惑が俺に襲いかかった。

「大丈夫か、眼科行った方がいいんじゃね」
「今の流れで、なんで眼科?」
「だって俺のことがかわいく見えるとか、視力ガタ落ちしてるに違いないだろっ。ちょっと前までマーモット呼ばわりしてた男だぞ!?」
「……違う、あれも別に悪い意味じゃなくて、撫でまわしたくなるようなかわいさがあるねっていう意味で、褒めてたつもりだったんだけど」
「~~っ、そんなんわかるかっ!」

 俺が叫ぶと、京弥は楽しそうに声をあげて笑った。

「倉を見てると、なんていうか……俺の手の中で囲いたくなっちゃうんだよね。だから無意識に甘やかしちゃうのかも」
「……?」
「好きって気づいてから、周りの女子とか一切目に入んないぐらい倉のことだけがめちゃくちゃかわいく見えるんだよ」

 京弥の言葉のひとつひとつが、俺の心を掻き回していく。
 生きてきた中でこんなに「かわいい」って言われたことない。だって普通は女子に使う言葉じゃん。

 そう思うのに、京弥に好きだと言われた直後だからだろうか。今までの俺だったら捻くれて上手に受け取れなかったであろうその言葉が、嬉しく感じてしまう。
 熱くなった頬を冷やすように、自分の手を頬に当ててみたけど、指先はもっと熱かった。

「俺がずっと彼女に振られてた理由、なんで倉に言わなかったかわかる?」
「言いづらかったんじゃなかったっけ……?」
「あんなの言い訳に決まってるだろ」

 京弥は俺の方に距離を詰めると、腰を屈めて正面から俺を見つめた。

「……彼女ができるたびに毎回、無意識に倉と比べてたんだ。倉だったらもっといい反応するのにな、とか、倉はこういうの嫌いだったよな、とか。基準が全部倉になってて、倉以上を求めすぎたせいで、『じゃあその倉って人と付き合えば』って振られてたの」
「……っ」
「こんなダサいこと、本人に言えるわけなくない? カイには爆笑されたけどさ……」

 俺は信じられないような気持ちで、ぱくぱくと口を動かしながら、京弥を見つめていた。

「誰と付き合っても倉のことが頭から離れなかった。……好きだから大切にしたいって思うのは、迷惑?」

 京弥が縋るように俺の顔を覗き込む。
 俺はごくりと唾を飲み込む。くしゃっと顔が歪んだ。

「迷惑なわけないだろ……。俺も、京弥のことずっと好きだもん」

 まさかこの想いを本人に向かって口にできる日が来るなんて夢にも思わなかった。
 堪え切れずに床を蹴り上げて、勢いよくその身体に抱き着くと、京弥はいとも簡単に俺を抱きとめた。

 ぎゅっときつく背中に腕を回されて、どうしてかわからないけど泣きたくなる。こんな風に強く抱き締められたのは初めてだった。

「……きょーや?」

 何も言わずに俺の肩に顔を埋める京弥を不思議に思って、俺は声をかけた。

「……久しぶりに倉の方からくっつかれて、死にそう。心臓が……」
「顔、あっか……」
「うるさいな、倉だって赤いくせに」

 こんなに余裕のない京弥を見たのは、初めてかもしれない。くっついている胸からは、京弥の鼓動が伝わってくる。
 俺のに負けず劣らず速く打ちつけるそれに、ふっと頬が緩んだ。

「……倉」
「ん?」

 名前を呼ばれるのと同時に、身体が少し離れた。顔を上げると、京弥の影が俺の視界を覆う。
 唇に触れた京弥の唇は、びっくりするぐらい熱かった。

「……前も思ったけど、柔らか」
「っ、感想いらない」
「あー……もう、かわいい。もう一回していい? するね」
「まだ許可してな……、んっ……」

 言葉を呑み込むように、再び唇を塞がれる。
 俺はぎゅっと目を閉じて、京弥の背中に手を回して、必死に彼を受け入れた。
 唇が離れると、視線が交わる。なんだかくすぐったい気持ちになって、意味もなく視線を彷徨わせていると、頭上でふっと京弥が笑うのがわかった。

「俺のこと好きってわかったら、倉のこともっと愛しく思えてきた」
「今更かぁ。言っとくけど、俺のがずっと前から京弥のこと好きだったんだから」
「いつから?」
「中三の修学旅行のとき」
「えー結構前だ、詳しく教えてそれ」
「やだ、言わない」

 俺が言うと、京弥から「ええ」と不満そうな声が漏れた。
 いつか語る日が来るかな。
 だけど「教えて」とねだってくる京弥がかわいいから、今はまだ内緒にしておこう。