「今日もカイん家行くの?」
そんなことが二週間続いた頃、下駄箱で靴を履き替えていると、京弥に声をかけられた。
「うん。なんで?」
「俺も行っていい?」
京弥からの誘いは魅力的すぎて、俺は危うく被せ気味に頷いてしまうところだった。
何せ、もうしばらく京弥とまともに二人きりで会話できていないのだ。
昼休みになると京弥は彼女と昼飯に消えるからいないし、他の時間で会えたって俺はカイにくっついていないといけないし……。
俺だって本当は京弥と遊びたい。だけどここで京弥の誘いに飛びついてしまえば、この二週間の俺の苦労が水の泡だ。
「えっ、あー……ちょい二人でやりたいことあるんだよね、ごめん」
心を鬼にして断ると、京弥は何を思ったのか腰を屈めて、俺の顔にずいっと顔を寄せてきた。
「……っ、なに?」
「なんかあやしい」
「えっ!? な、なんもあやしくないよ」
色んな意味で心臓が口から飛び出そうになった。
……え、やばい。もしかして変な作戦立ててんのがバレた!?
京弥は俺の表情から何かを読み取ろうとしているのか、難しい顔をして俺の顔を凝視してくる。
ばくばくと激しく心臓を揺らしていると、やがて京弥は神妙な面持ちで口を開いた。
「もしかして、カイと付き合ってたりする?」
「…………は?」
予想外の言葉が降ってきて、俺はアホみたいな声をあげることしかできなかった。
なんて? 俺とカイが、付き合ってる? ……んなわけなくない?
「否定しないってことは、そうなんだ」
「あっ、えっ」
「だから俺を家に呼びたくないわけね、理解。おかしいと思ってたんだよな、ずっと二人でこそこそ話してるし」
あまりにもありえない話に絶句している俺の様子を、肯定と捉えたらしい。
京弥は一人でブツブツと喋り出したかと思えば、呆れたように深いため息をついた。
なんか盛大に誤解されてる。どうしよう、俺が好きなのは京弥だけなのに。
訂正しようと思ったけど、ふと俺の頭の中に好奇心が湧き上がった。
……もし俺がカイと付き合ってるって言ったら、京弥はどんな反応をするんだろう。
「でも意外。なんでカイなの?」
「なんでって……あいついいヤツだし……?」
別に嘘だって後でいくらでも訂正できるだろうし、とりあえずここは乗っかってみるか……。
俺がカイと付き合っている体で答えると、京弥の眉がわずかにぴくりと動いた。
「……まぁそれはわかる」
「だろ?」
「でもどっちかっていうと、倉が好きになるなら俺じゃない? 幼馴染だし、ずっと一緒にいたわけだし」
もう何度目かわからない絶句。俺は目をガン開きにしたまま、いよいよ言葉を失ってしまった。
……いや、おまえそれ、どの口が言ってんだよ!
俺が、おまえを、どんな想いでっ!
俺の気持ちに応える気なんかこれっぽっちもないくせにっ!
頭の中でもう一人の俺が発狂している。俺は今すぐにでも叫び出したくなるのを、爪が食い込むほど強く拳を握ってなんとか堪えた。
「ってか俺、結構倉に好かれてる自信あったんだけどな。……そっか、カイなんだ」
京弥は眉を下げながらそう言って薄く笑った。
その表情はどこか寂しそうにも見える。気のせいかもしれないけど……。
「おい倉〜行こうぜ〜」
「あーうん、今行く」
校舎の外からカイに呼びかけられて、俺はようやく声を出すことができた。
ちらっと京弥を見ると、なんともいえない表情をしていた。困ったような、拗ねているような顔。
「じゃあな、きょーや」
「……ん、また明日」
今、何を考えてるんだろう。成り行きで京弥を騙してしまった俺はとっても心苦しくて居た堪れない。
だけどあんな反応をされたら、カイと付き合っていることを訂正する気にはなれなかった。
あんな残酷なことを言う京弥は、ちょっとは傷つけばいいなんて思ってしまったんだ。
後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、俺は京弥を置いてカイのもとに向かった。
*
「夕飯作っておいたから、温めて食べてね」
「あーい」
「戸締りちゃんとするのよ。あんたぼーっとしてるから、帰ってくるとよく鍵開いてるし……」
「わぁーったから! もう時間ないから行くねー」
まだ小言を言いたそうな母親を振り切って、俺は勢いよく玄関の扉を開けた。
俺の通う高校は、自宅の最寄り駅から電車に揺られて十分ほどの所にある。
いつも朝の支度はギリギリになってしまうので、一人で慌てて走っていくのが日常なんだけど──
「……え?」
玄関から外に足を踏み出した俺は、家の外壁に誰かが寄りかかっていることに気がついた。
「おはよ、倉」
「きょーや?」
思いがけない登場に、嬉しさよりも驚きの方が強かった。
京弥は俺の姿を認めると、もたれかかっていた身体をゆっくりと起こして、ひらりと片手を上げた。
どうして京弥が、俺の家に……?
幼馴染だから昔はよく家を行き来していたこともあったけど、高校に入ってからは外で遊ぶことが多くなって、家に呼ぶことはめっきりなくなっていた。
登下校だってそうだ。わざわざ待ち合わせて一緒に行くことなんかなかったのに……。
「どしたの、なんかあった?」
「たまには一緒に行きたいなって思って。だめ?」
「い、いいけど……」
意外な言葉にどきっとしてしまった。
どういう風の吹き回しだろう。だけど、京弥からこんな風に来てくれるなんて珍しすぎて、正直喜ばずにはいられない。
「ごめん。きょーやが来てるなんて思わなくて、結構ギリになっちゃった」
「いいよ。俺、足の速さには自信あるし」
「じゃあ競争しようぜ。先に改札抜けた方が勝ちー。どう?」
「おっけ」
顔を見合わせるなり、俺達は同時に駆け出した。
自信があると言っていた通り、京弥は俺よりも一足早く駅に着き、改札を潜り抜けた。
クッソ……! 絶対俺より足が長い分ハンデがあんだろ……!
数秒遅れて俺も改札を抜け、一緒にホームまで階段を駆け下りる。
ギリギリ目当ての電車に滑り込めたのはいいものの、いつもより人でごった返している車内に驚いた。
「他の電車が人身事故で止まってて、みんなこっちに流れてきてるらしいよ」
「マジかぁー……しばらくこのままかよ……」
電車のドアが閉まると、車内の空気がさらに薄くなったような気がした。四方八方から身体を押されて、すし詰め状態だ。
「倉、こっち」
げんなりとしてため息をつくと、不意に京弥がそう言って俺の腕を引いた。くるりと位置を入れ替えられ、俺はガラスのドアに背中を付ける。
顔を上げると、京弥が俺の目の前に覆い被さるようにして立っていた。
「ごめん。狭いから、少しの間許して」
「……うん、おっけー。つかさんきゅー」
気まずそうに視線を逸らす京弥に対して、俺はヘラヘラと笑ってみせた。
……いや、何もおっけーじゃない。近い。近すぎるだろ。
俺の顔の横に両手を突いた京弥。その腕の中に囲い込まれた俺。顔を上げたらすぐそこには京弥の顔。
意識した途端に暴れ狂い始める心臓、マジで一回収まってほしい。
鼻息荒くなってないかな、俺……。脇汗やばいかも。あーもう、こんなことなら走ってくるんじゃなかった……。
「なに考えてんの」
俯いてぐるぐると考え込んでいると、頭上からどこか不機嫌そうな声が降ってきた。
「カイのこと思い出してる?」
「え? カイ?」
言われている意味がわからない。不思議に思って顔を上げると、やっぱり京弥はむっとした顔をしていた。
「あいつにもこうやってされてんの? カイも身長高いもんな、倉のことすっぽり覆っちゃいそう」
「いやー……? あいつと電車乗る機会そんなないし……」
「隠さなくていいのに。言っとくけど、これは倉のこと守ってるだけだから。浮気とかじゃないから、気にしなくていいよ」
「あーうん、ありがと……」
なんか、会話が噛み合わないな……。多分原因は俺っていうより、京弥の方にあるはずだ。
今こいつの頭の中で、いったいどんな思考が巡っているんだ……?
「っ、うわ……っ!」
どこか気まずい空気に耐えかねて視線をうろうろと彷徨わせていると、電車が急カーブに差しかかり、ぐらっと身体が大きく揺れた。
倒れるかと一瞬思ったが、京弥の片手がさっと俺の腰を支えてくれて、俺はなんとか転ばずに済んだ。
「さんきゅー。助かった」
「まだカーブあるよな? 俺に掴まってていいよ」
「……おー。じゃあ、お邪魔します」
作戦を完璧に遂行するためには、きっとこういう場面でも断るべきなんだろう。
だけどもう二週間も京弥に触れられていないところに、こんなご褒美が降ってくるなんて。
少し触れるぐらいなら、許されるよな……?
いつもの俺ならば、こういう場面で遠慮することなく、堂々と正面から京弥に抱き着くところだ。
だけど今日は抱き着きたい衝動をぐっと堪えて、ちょん、と服の裾を掴むだけにとどめた。
京弥の一部に触れていると思うと、それだけでも嬉しい。……今の俺の思考って、かなりキモいかも。
「……本当に、抱き着いてこないんだ」
にやけそうになる頬を必死に堪えていると、頭上で京弥がぽつりと呟いた。
「前まではベタベタくっついてきてたのに、最近めっきりなくなったよね。それって、あいつへの配慮?」
訝しげな表情で顔を近づけられて、俺は悲鳴をあげてしまいそうになった。
近いって! 鼻が! 鼻が触れそうになってるから!
「そんなに好きなんだ?」
はくはくと口を開閉する俺の前で、京弥はますます眉間のしわを深めていく。
なんか今日の京弥、おかしくない?
さっきからずっと、カイの話しかしてないような……?
「……あれ」
あることを閃いて、俺は思わず声を漏らした。
「なに?」
「……えっ、あのさきょーや」
「だから何だよ。今俺が質問してるんだけど?」
「おまえもしかして、カイに嫉妬してんの……?」
平静を取り繕うことなんて、もうできそうになかった。期待を滲ませる俺の声を聞いて、京弥の目がじわじわと見開かれていく。
さっきから京弥はずっと、俺とカイの話ばかりだ。それも不機嫌そうな様子で、何度も俺の気持ちを確かめようとしてくる。
これは決まりだろう。京弥はヤキモチを妬いている。
カイの言う通りだ。俺のことを意識してくれたんだ……!
「……違う」
「照れんなって。そうだよなぁ、急に俺がくっついてこなくなって、京弥も気持ちが追いつかな──」
「そういうんじゃないから」
意気揚々と言葉を続けようとする俺の口を、京弥が片手で覆って遮った。
「倉が俺以外を一番にしてると思うと、なんか腹立つだけ」
「……?」
「飼ってる犬が俺より友達に懐いてたらなんかムカつくだろ。それと一緒」
苦々しい顔をして言い放つ京弥の姿を、俺はぽかんとした顔をして見つめていた。
俺が言葉を失っているうちに、電車が学校の最寄り駅に到着する。
京弥の後をついて電車を降りて、俺達は無言のまま学校へと続く道を歩き出した。
……いや、待って? なに? 俺が、犬?
マーモットの次は犬って、俺って京弥にとって何なわけ?
せっかく意識してくれたのかと思ったのに、喜び損かよ。
京弥は嫉妬をしてくれたわけではなくて、自分の所有物(俺)がカイに取られたみたいで嫌なだけだったんだ。
「きょーやは俺以外を一番にしてるくせに……」
そうとわかれば段々と怒りが込み上げて、通学路を歩く背中に俺は恨み言を連ねた。
「……でも倉の一番は、俺じゃないとイヤ」
俺の声が聞こえたらしい京弥は振り向くと、気まずそうな顔をしてそんなことを言いやがった。
さすがにカチンときてしまって、ずんずんと大股で京弥に近寄った俺は、背伸びをしてその顔を睨みつける。
「ワガママすぎ。俺はきょーやのペットじゃない」
「そんなことはわかってるよ。わかってるけど、ずっと倉の一番は俺っぽかったから」
「そこまでわかってるうえでそういうこと言ってくるとか、尚更タチ悪いよおまえ」
「……」
「……? おい、きいてんの」
急に黙り込んだ京弥を不審に思い、俺は首を傾げる。
京弥はじっと俺の顔を凝視していたが、やがて不自然な様子でふいっと顔を背けた。
「今の顔、結構きた」
「は?」
「倉ってこんなかわいかったっけ」
「はい?」
「……違う。待って、忘れて」
珍しく動揺しているらしい。その証拠に、京弥の耳がほんのり赤くなっている。
聞き間違いじゃなければ、今「かわいい」って言われなかった?
俺のこと、だよな?
常にない京弥の様子に面食らってその様子を眺めていると、京弥はわざとらしく大きな咳払いをした。
その視線が再び俺に向けられる。
「てか、さっき聞こえちゃったんだけど、今日の夜って、倉のお母さんいないの?」
「あーうん、夜勤だから」
「一人だと危ないだろ。泊まりに行っていい?」
「…………えっ」
京弥の茶色の瞳が、じっと俺を見据えている。
そこにはさっきまでの動揺は一切感じられなかった。
いつになく真剣な瞳に、どんな言葉を返せばいいか戸惑ってしまう。
「……じゃあ、シャワーと夕飯済ませたら行くから。そういうことで」
俺が何も言わないのを肯定と捉えたのだろうか。
京弥は早口でそう続けてから、俺に背を向けてさっさと先を歩き出した。
断るべきだった。多分、いや絶対。
作戦がどうとか以前に、泊まりなんて絶対に、色んな意味で俺の心臓が持たない。
だけどあんな顔されたら、俺が京弥の誘いを断れるわけないってこと、京弥はわかっててやってんのかな。
そんなことが二週間続いた頃、下駄箱で靴を履き替えていると、京弥に声をかけられた。
「うん。なんで?」
「俺も行っていい?」
京弥からの誘いは魅力的すぎて、俺は危うく被せ気味に頷いてしまうところだった。
何せ、もうしばらく京弥とまともに二人きりで会話できていないのだ。
昼休みになると京弥は彼女と昼飯に消えるからいないし、他の時間で会えたって俺はカイにくっついていないといけないし……。
俺だって本当は京弥と遊びたい。だけどここで京弥の誘いに飛びついてしまえば、この二週間の俺の苦労が水の泡だ。
「えっ、あー……ちょい二人でやりたいことあるんだよね、ごめん」
心を鬼にして断ると、京弥は何を思ったのか腰を屈めて、俺の顔にずいっと顔を寄せてきた。
「……っ、なに?」
「なんかあやしい」
「えっ!? な、なんもあやしくないよ」
色んな意味で心臓が口から飛び出そうになった。
……え、やばい。もしかして変な作戦立ててんのがバレた!?
京弥は俺の表情から何かを読み取ろうとしているのか、難しい顔をして俺の顔を凝視してくる。
ばくばくと激しく心臓を揺らしていると、やがて京弥は神妙な面持ちで口を開いた。
「もしかして、カイと付き合ってたりする?」
「…………は?」
予想外の言葉が降ってきて、俺はアホみたいな声をあげることしかできなかった。
なんて? 俺とカイが、付き合ってる? ……んなわけなくない?
「否定しないってことは、そうなんだ」
「あっ、えっ」
「だから俺を家に呼びたくないわけね、理解。おかしいと思ってたんだよな、ずっと二人でこそこそ話してるし」
あまりにもありえない話に絶句している俺の様子を、肯定と捉えたらしい。
京弥は一人でブツブツと喋り出したかと思えば、呆れたように深いため息をついた。
なんか盛大に誤解されてる。どうしよう、俺が好きなのは京弥だけなのに。
訂正しようと思ったけど、ふと俺の頭の中に好奇心が湧き上がった。
……もし俺がカイと付き合ってるって言ったら、京弥はどんな反応をするんだろう。
「でも意外。なんでカイなの?」
「なんでって……あいついいヤツだし……?」
別に嘘だって後でいくらでも訂正できるだろうし、とりあえずここは乗っかってみるか……。
俺がカイと付き合っている体で答えると、京弥の眉がわずかにぴくりと動いた。
「……まぁそれはわかる」
「だろ?」
「でもどっちかっていうと、倉が好きになるなら俺じゃない? 幼馴染だし、ずっと一緒にいたわけだし」
もう何度目かわからない絶句。俺は目をガン開きにしたまま、いよいよ言葉を失ってしまった。
……いや、おまえそれ、どの口が言ってんだよ!
俺が、おまえを、どんな想いでっ!
俺の気持ちに応える気なんかこれっぽっちもないくせにっ!
頭の中でもう一人の俺が発狂している。俺は今すぐにでも叫び出したくなるのを、爪が食い込むほど強く拳を握ってなんとか堪えた。
「ってか俺、結構倉に好かれてる自信あったんだけどな。……そっか、カイなんだ」
京弥は眉を下げながらそう言って薄く笑った。
その表情はどこか寂しそうにも見える。気のせいかもしれないけど……。
「おい倉〜行こうぜ〜」
「あーうん、今行く」
校舎の外からカイに呼びかけられて、俺はようやく声を出すことができた。
ちらっと京弥を見ると、なんともいえない表情をしていた。困ったような、拗ねているような顔。
「じゃあな、きょーや」
「……ん、また明日」
今、何を考えてるんだろう。成り行きで京弥を騙してしまった俺はとっても心苦しくて居た堪れない。
だけどあんな反応をされたら、カイと付き合っていることを訂正する気にはなれなかった。
あんな残酷なことを言う京弥は、ちょっとは傷つけばいいなんて思ってしまったんだ。
後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、俺は京弥を置いてカイのもとに向かった。
*
「夕飯作っておいたから、温めて食べてね」
「あーい」
「戸締りちゃんとするのよ。あんたぼーっとしてるから、帰ってくるとよく鍵開いてるし……」
「わぁーったから! もう時間ないから行くねー」
まだ小言を言いたそうな母親を振り切って、俺は勢いよく玄関の扉を開けた。
俺の通う高校は、自宅の最寄り駅から電車に揺られて十分ほどの所にある。
いつも朝の支度はギリギリになってしまうので、一人で慌てて走っていくのが日常なんだけど──
「……え?」
玄関から外に足を踏み出した俺は、家の外壁に誰かが寄りかかっていることに気がついた。
「おはよ、倉」
「きょーや?」
思いがけない登場に、嬉しさよりも驚きの方が強かった。
京弥は俺の姿を認めると、もたれかかっていた身体をゆっくりと起こして、ひらりと片手を上げた。
どうして京弥が、俺の家に……?
幼馴染だから昔はよく家を行き来していたこともあったけど、高校に入ってからは外で遊ぶことが多くなって、家に呼ぶことはめっきりなくなっていた。
登下校だってそうだ。わざわざ待ち合わせて一緒に行くことなんかなかったのに……。
「どしたの、なんかあった?」
「たまには一緒に行きたいなって思って。だめ?」
「い、いいけど……」
意外な言葉にどきっとしてしまった。
どういう風の吹き回しだろう。だけど、京弥からこんな風に来てくれるなんて珍しすぎて、正直喜ばずにはいられない。
「ごめん。きょーやが来てるなんて思わなくて、結構ギリになっちゃった」
「いいよ。俺、足の速さには自信あるし」
「じゃあ競争しようぜ。先に改札抜けた方が勝ちー。どう?」
「おっけ」
顔を見合わせるなり、俺達は同時に駆け出した。
自信があると言っていた通り、京弥は俺よりも一足早く駅に着き、改札を潜り抜けた。
クッソ……! 絶対俺より足が長い分ハンデがあんだろ……!
数秒遅れて俺も改札を抜け、一緒にホームまで階段を駆け下りる。
ギリギリ目当ての電車に滑り込めたのはいいものの、いつもより人でごった返している車内に驚いた。
「他の電車が人身事故で止まってて、みんなこっちに流れてきてるらしいよ」
「マジかぁー……しばらくこのままかよ……」
電車のドアが閉まると、車内の空気がさらに薄くなったような気がした。四方八方から身体を押されて、すし詰め状態だ。
「倉、こっち」
げんなりとしてため息をつくと、不意に京弥がそう言って俺の腕を引いた。くるりと位置を入れ替えられ、俺はガラスのドアに背中を付ける。
顔を上げると、京弥が俺の目の前に覆い被さるようにして立っていた。
「ごめん。狭いから、少しの間許して」
「……うん、おっけー。つかさんきゅー」
気まずそうに視線を逸らす京弥に対して、俺はヘラヘラと笑ってみせた。
……いや、何もおっけーじゃない。近い。近すぎるだろ。
俺の顔の横に両手を突いた京弥。その腕の中に囲い込まれた俺。顔を上げたらすぐそこには京弥の顔。
意識した途端に暴れ狂い始める心臓、マジで一回収まってほしい。
鼻息荒くなってないかな、俺……。脇汗やばいかも。あーもう、こんなことなら走ってくるんじゃなかった……。
「なに考えてんの」
俯いてぐるぐると考え込んでいると、頭上からどこか不機嫌そうな声が降ってきた。
「カイのこと思い出してる?」
「え? カイ?」
言われている意味がわからない。不思議に思って顔を上げると、やっぱり京弥はむっとした顔をしていた。
「あいつにもこうやってされてんの? カイも身長高いもんな、倉のことすっぽり覆っちゃいそう」
「いやー……? あいつと電車乗る機会そんなないし……」
「隠さなくていいのに。言っとくけど、これは倉のこと守ってるだけだから。浮気とかじゃないから、気にしなくていいよ」
「あーうん、ありがと……」
なんか、会話が噛み合わないな……。多分原因は俺っていうより、京弥の方にあるはずだ。
今こいつの頭の中で、いったいどんな思考が巡っているんだ……?
「っ、うわ……っ!」
どこか気まずい空気に耐えかねて視線をうろうろと彷徨わせていると、電車が急カーブに差しかかり、ぐらっと身体が大きく揺れた。
倒れるかと一瞬思ったが、京弥の片手がさっと俺の腰を支えてくれて、俺はなんとか転ばずに済んだ。
「さんきゅー。助かった」
「まだカーブあるよな? 俺に掴まってていいよ」
「……おー。じゃあ、お邪魔します」
作戦を完璧に遂行するためには、きっとこういう場面でも断るべきなんだろう。
だけどもう二週間も京弥に触れられていないところに、こんなご褒美が降ってくるなんて。
少し触れるぐらいなら、許されるよな……?
いつもの俺ならば、こういう場面で遠慮することなく、堂々と正面から京弥に抱き着くところだ。
だけど今日は抱き着きたい衝動をぐっと堪えて、ちょん、と服の裾を掴むだけにとどめた。
京弥の一部に触れていると思うと、それだけでも嬉しい。……今の俺の思考って、かなりキモいかも。
「……本当に、抱き着いてこないんだ」
にやけそうになる頬を必死に堪えていると、頭上で京弥がぽつりと呟いた。
「前まではベタベタくっついてきてたのに、最近めっきりなくなったよね。それって、あいつへの配慮?」
訝しげな表情で顔を近づけられて、俺は悲鳴をあげてしまいそうになった。
近いって! 鼻が! 鼻が触れそうになってるから!
「そんなに好きなんだ?」
はくはくと口を開閉する俺の前で、京弥はますます眉間のしわを深めていく。
なんか今日の京弥、おかしくない?
さっきからずっと、カイの話しかしてないような……?
「……あれ」
あることを閃いて、俺は思わず声を漏らした。
「なに?」
「……えっ、あのさきょーや」
「だから何だよ。今俺が質問してるんだけど?」
「おまえもしかして、カイに嫉妬してんの……?」
平静を取り繕うことなんて、もうできそうになかった。期待を滲ませる俺の声を聞いて、京弥の目がじわじわと見開かれていく。
さっきから京弥はずっと、俺とカイの話ばかりだ。それも不機嫌そうな様子で、何度も俺の気持ちを確かめようとしてくる。
これは決まりだろう。京弥はヤキモチを妬いている。
カイの言う通りだ。俺のことを意識してくれたんだ……!
「……違う」
「照れんなって。そうだよなぁ、急に俺がくっついてこなくなって、京弥も気持ちが追いつかな──」
「そういうんじゃないから」
意気揚々と言葉を続けようとする俺の口を、京弥が片手で覆って遮った。
「倉が俺以外を一番にしてると思うと、なんか腹立つだけ」
「……?」
「飼ってる犬が俺より友達に懐いてたらなんかムカつくだろ。それと一緒」
苦々しい顔をして言い放つ京弥の姿を、俺はぽかんとした顔をして見つめていた。
俺が言葉を失っているうちに、電車が学校の最寄り駅に到着する。
京弥の後をついて電車を降りて、俺達は無言のまま学校へと続く道を歩き出した。
……いや、待って? なに? 俺が、犬?
マーモットの次は犬って、俺って京弥にとって何なわけ?
せっかく意識してくれたのかと思ったのに、喜び損かよ。
京弥は嫉妬をしてくれたわけではなくて、自分の所有物(俺)がカイに取られたみたいで嫌なだけだったんだ。
「きょーやは俺以外を一番にしてるくせに……」
そうとわかれば段々と怒りが込み上げて、通学路を歩く背中に俺は恨み言を連ねた。
「……でも倉の一番は、俺じゃないとイヤ」
俺の声が聞こえたらしい京弥は振り向くと、気まずそうな顔をしてそんなことを言いやがった。
さすがにカチンときてしまって、ずんずんと大股で京弥に近寄った俺は、背伸びをしてその顔を睨みつける。
「ワガママすぎ。俺はきょーやのペットじゃない」
「そんなことはわかってるよ。わかってるけど、ずっと倉の一番は俺っぽかったから」
「そこまでわかってるうえでそういうこと言ってくるとか、尚更タチ悪いよおまえ」
「……」
「……? おい、きいてんの」
急に黙り込んだ京弥を不審に思い、俺は首を傾げる。
京弥はじっと俺の顔を凝視していたが、やがて不自然な様子でふいっと顔を背けた。
「今の顔、結構きた」
「は?」
「倉ってこんなかわいかったっけ」
「はい?」
「……違う。待って、忘れて」
珍しく動揺しているらしい。その証拠に、京弥の耳がほんのり赤くなっている。
聞き間違いじゃなければ、今「かわいい」って言われなかった?
俺のこと、だよな?
常にない京弥の様子に面食らってその様子を眺めていると、京弥はわざとらしく大きな咳払いをした。
その視線が再び俺に向けられる。
「てか、さっき聞こえちゃったんだけど、今日の夜って、倉のお母さんいないの?」
「あーうん、夜勤だから」
「一人だと危ないだろ。泊まりに行っていい?」
「…………えっ」
京弥の茶色の瞳が、じっと俺を見据えている。
そこにはさっきまでの動揺は一切感じられなかった。
いつになく真剣な瞳に、どんな言葉を返せばいいか戸惑ってしまう。
「……じゃあ、シャワーと夕飯済ませたら行くから。そういうことで」
俺が何も言わないのを肯定と捉えたのだろうか。
京弥は早口でそう続けてから、俺に背を向けてさっさと先を歩き出した。
断るべきだった。多分、いや絶対。
作戦がどうとか以前に、泊まりなんて絶対に、色んな意味で俺の心臓が持たない。
だけどあんな顔されたら、俺が京弥の誘いを断れるわけないってこと、京弥はわかっててやってんのかな。


