振り向いて、マイラバー

 女子はいいよなぁ。線が細くて背が低いから、あいつの隣に並ぶと「小さくて可愛い」を演出できる。
 バニラみたいに甘い香水を付けても似合っちゃうだろ。俺が付けたって、「ジュースこぼした?」って怪訝な顔をされるだけだ。
 それでももちろん、男に生まれてよかったと思うことだってちゃんとある。
 例えば──

「──きょーや、聞いて。身長伸びてた~」

 廊下の先にその後ろ姿を見つけた俺は、迷うことなくその背中に向かって飛びついた。京弥(きょうや)は特に動じることもなく、軽く腰を屈めて、コアラみたいに背中にしがみつく俺を軽々と受け止める。
 おんぶを受け入れてもらえたことで、俺の胸に優越感が広がった。

 ──男に生まれたメリット。それは、モテる同性の幼馴染にこうして多少過剰に触れても、誰にも何も(とが)められないこと。

 女子には警戒されずに済むし、傍から見ればじゃれ合っているようにしか見えないはずだ。
 なにより、京弥本人もこうして「いつものことね」といった風に軽く流してくれる。

「よかったね。毎日牛乳飲んでる甲斐あったじゃん」
「すげーっしょ。あと一センチで百七十台突入だから!」
「……おー、すごいすごい、おめでとう」
「うん、えげつない棒読みをありがとう」

 俺が刺々しく言葉を返すと、京弥は楽しそうに声を出して笑った。後ろからだと、俺の好きなくしゃっとした笑顔が見えないのが少し悔しい。

 一度も染めたことのない爽やかな黒髪が、俺の目の前でさらりと靡く。セルフカラーで染めまくって傷んできた俺の茶色の毛髪と大違いだ。

「いや、そりゃ百八十超えてるおまえからしたら小さく感じると思うけどね? これでも俺も年々成長してきてんの。幼馴染のおまえならわかるでしょ?」
「うーん、まあ、そうだね。ちなみに何センチ伸びたの?」
「四ミリ!」
「わかんねーよ」

 京弥は笑い混じりにツッコミを入れながら、太腿の裏に挟み込んでいる手をぐいっと持ち上げ直す。そうすることでさらに密着して、京弥の背中に俺の胸がぴったりとくっついた。
 やばい、これだと俺の心臓の音、丸聞こえかも。

「俺におんぶされてるうちはチビだよ、(くら)は」

 六十キロを超える俺を軽々と持ち上げ直した京弥が、なんてことないみたいな様子でそんなことを言う。
 馬鹿にされているはずなのに、ぎゅんと胸が鳴って呼吸が苦しくなりそうだった。

 倉掛廉斗(くらかけれんと)、高校二年生。この俺が十六年間も連れ添った幼馴染に男らしさを感じてメロついているなんて、口が裂けても本人にだけは言えやしない。

 きょーやこと村永(むらなが)京弥とは母親同士が仲が良く、幼い頃から一緒に遊ぶことが多かった。
 だから俺は、京弥の好きなものも苦手なものも何でも知っている。これまでに京弥が好きになった女子や歴代の彼女の顔も名前も、それはもう全部。
 そのはずだったんだけど──

「ねえきょーや、シャンプー変えた?」

 京弥の髪からほんのりと香る甘い香りに違和感を覚え、俺は何気ない感じを装って尋ねてみた。

「変えてないよ」
「えーでもなんかイチゴみたいな匂いするけど」
「さっきまで彼女といたからじゃない?」

 ……ほらやっぱり。なんとなく胸騒ぎがしたんだ。
 あっさりと種明かしをされてしまえば、俺の心に一瞬にして黒い雲が立ち込める。

「最近別れたって言ってなかった?」
「それとは別の子。一昨日告られたんだよね」
「あーそうなんだ……相変わらずモテんねー」

 何も気にしてない風を装うのにも、もう慣れた。いい幼馴染のふりをするのは得意だ。伊達に数年間も片想いを拗らせているわけじゃない。
 最近の京弥は、以前よりも俺に女関係を話してくれなくなった。中学のときはもっと赤裸々に教えてくれてたのに。

 だから俺はこうして、京弥から女の気配を感じ取るたびに、腹の底で嫉妬が渦巻いて仕方なくなる。
 モテるくせに何故か京弥は彼女と長続きしなくて、ころころ彼女変わってるし……。

「うわ、なにすんの」

 ムカついた俺は、その髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜてやった。驚いた声を上げる京弥に、「リア充うぜー」と適当な理由をつけて誤魔化す。
 こんなくさい匂いはとっとと消えて、俺の匂いで上書きできたらいいのに。

「きょーやはさぁ、ぶっちゃけ、フリーのときに告られたら誰でもいいわけ?」
「いや誰でもよくはないよ、さすがに。人を節操なしみたいに言うのやめて?」
「そういう割には全然断らないじゃん。付き合う基準って何?」
「えー……なんだろ、顔? あと愛嬌ある子とか」

 顔って……。こいつ、ちょっと素直すぎない?
 でも愛嬌だったら俺だって負けてない。男っていう時点ですでにスタート地点には立てていないけど。京弥の恋愛対象、女だし。

「じゃあ俺は? 俺の顔、どう?」

 俺は京弥の背中から飛び降りて、正面に回り込んだ。
 ずいっと顔を寄せると、きょとんとした様子の京弥の顔が視界いっぱいに映る。

「それは話違ってくるじゃん? 女の子と倉を一色単にはできないよ」
「いいから! 深く考えずに! 純粋に俺の顔ってどう思う⁉︎」
「えー……」

 黙って立っているだけで女子が寄ってくるほど、整った顔立ちをしている京弥とは違って、俺の顔は至って平凡だ。
 だけどほら、ずっと一緒にいると可愛く見えてくるとかよく言うじゃん。だからもしかしたら、ワンチャンあるかも。

 そんな期待をひそかに抱きながら、京弥の答えを待った。京弥は難しい顔をしてまじまじと俺の顔を凝視した後に、何かを閃いたような顔をして「ああ」と声を漏らす。

「なんか、あれだ。あのー……マーモット?」

 そして続けられた言葉は、俺を絶句させるのには充分だった。



〈マーモット 画像〉
 検索履歴にそんなもんが残る虚しさといったらない。
 昼休みの教室の片隅で、俺はつまらない気持ちになりながら、スマホでマーモットの画像を眺めていた。

「はぁー……女子と張り合うどころか、俺って人間以下なのかよ……」

 京弥に一瞬でも期待した俺が馬鹿だった。
 あいつが俺を「可愛い」なんて思うはずがないなんてこと、わかってたはずなのに……。
 あのときの俺は冷静じゃなかった。だって、髪から香水の匂いがするって、よっぽど近くにいたか触れ合わないと無理じゃね?
 そう思ったらもう、むしゃくしゃして頭に血が昇ってしまったんだ。

「あー……ガチで一日分笑った。ネタの提供ありがとなぁ」
「うるさいな、好きでネタにしてるんじゃねーの! 俺今傷心してるからぁ……」
「かわいいじゃんマーモット。これから倉じゃなくてマモって呼んでやるよ」
「それもう俺の要素どこにもないじゃん!」

 俺が机に突っ伏して喚くと、カイは再びひいひい言いながら引き笑いをし始めた。
 相変わらず耳障りな笑い声だ……。俺は机の下でその膝を蹴ってやった。
 
 小篠快生(こしのかいせい)ことカイは俺のクラスメイトだ。赤みがかった茶髪と焦げた肌が特徴的な、京弥とは真逆のタイプのイケメン。
 俺達は校内では基本的に、京弥を加えた三人でいつも行動している。

「てか京弥は?」
「彼女とメシ」
「はー、ご愁傷様です」
「マジ黙れ」
「八つ当たり勘弁」

 ぎろっとカイを睨みつけるが、鼻で笑いながら「かわいそうに」とでも言いたげな視線を返されるだけだった。
 そりゃ八つ当たりもしたくなるだろう。好きな人が俺を放置して彼女とメシ食ってんだぞ。

 いつもは京弥がいるはずの席が空っぽになっているのが寂しくてしょうがない。
 俺がこうしている間にも、京弥は彼女が作った弁当でも食っているのだろうか。あーんとかされてるよな多分。
 いいよなぁ、女子は。やっぱりそんなことばっかり考えちゃうな。

「あーあ……俺も京弥の『彼女』になりたい人生だった……」

 京弥の髪から香ったあのイチゴの匂いを思い出して、深いため息が漏れ出た。
 そんな俺の視界の端で、スナック菓子をひとつつまみ上げたカイが、俺の方を向くのが見える。

「もう試しに好きって告っちゃえば? 意外と向こうも意識し始めて、いい方に転がるかもしんないじゃん」
「十六年かけて築き上げて来た幼馴染としての深い信頼と絆にヒビが入ったらどうすんだよ……」
「でもそうやってうじうじしてる間にも、村永は彼女とイチャイチャ仲を深めてんのよ? ぽっと出の女に幼馴染のおまえの優先順位あっという間に抜かれてくの、虚しくね?」
「うー……それはそうだけどさぁ……」

 痛いところを突かれた俺は、ぐっと言葉を詰まらせ黙り込んだ。
 現状を維持するなら、俺は幼馴染というおいしいポジションのまま京弥の隣にいることができる。
 だけどこのままだと、恋人になることは一生できないだろう。

 じゃあ例えば、告白なんかしてみようものなら、どうなる?
 男の俺が京弥に告って、振られて、京弥に気を遣わせて、俺も気まずくなって、二人の距離は離れ、自然消滅。

 そんな事態になったら、今度こそ生きていけない気がする。
 嫌だけど、本当にマジでガチで嫌だけど、それなら幼馴染として、彼女がいる京弥を受け入れて過ごす方がよっぽどいい。

「なあ、幼馴染として気まずくもならず、関係の進展が見込める一つの提案があるんだけど、聞く?」

 俺が机と一体化していると、何の脈絡もなくカイがそんなことを言い出した。

「……えっ! なんだよそれ、聞くに決まってんじゃん」
「おまえにとってはかなりバッド案件かも。少しの間我慢してもらうことになるけど、平気?」
「いいって、なんでもするから! 早く言えって!」

 いつになく神妙な面持ちのカイに一瞬不安がよぎったが、聞くだけなら損はないだろう。
 思わず身を乗り出した俺の前で、カイはわざとらしくゆっくりと腕を組み、不気味に口角を上げた。



「……二人、そんな仲良かったっけ?」

 俺は今、ここ数日で一番の苦痛を味わっている。
 教室を移動するために廊下に出た俺の目の前には、最愛の京弥がいる。いつもなら「実験だるいんだけどー」とかなんとか言って、俺は京弥の胸に飛びついているところだ。

 それなのに、一切触れられないなんて……!

 俺が心の中で悔しさを喚き散らしていることなんか知らない京弥は、不思議そうな顔をして俺達を交互に見比べている。
 ──そう、俺がカイの腕に自分の腕を絡ませている様子を。

「え? あー、まぁね。最近よくこいつの家遊びに行くんだよね、そんで結構がっつり仲良くなったっていうか」

 そう言うなり、俺はカイの方にさらに身を寄せて、その肩にわざとらしく頭を乗せた。
 うげえ、気持ち悪い。何が楽しくて京弥以外の人間にこんなことしなきゃなんないんだよ……。
 だけどこれも「作戦」のため。俺は吐き気が催しそうになるのをなんとか堪えて、京弥に向かって笑顔を作った。

 ──おまえらいっつもベタベタくっついてるだろ。ある日突然それをやめんの。で、村永にしてたのと丸っきり同じことを、今度は俺にする。
 ──は? ……そんなの、きょーやになんか影響あんの?
 ──まあ見てな。じわじわ自覚させてやっからさ。

 カイが立てた作戦はシンプルだった。とにかく京弥から距離を置くこと。以上。
 「押してダメなら引いてみる」みたいなことわざが世の中には存在するから、カイが言いたいのはそういうことなんだろう。

 確かにずっと俺は京弥に対して一方的に押せ押せ状態だったから、一度試してみる価値はあるのかもと思って、カイの提案を受け入れた。
 何もしなかったらどうせ、京弥はこの先も俺のことなんかちっとも意識してくれないだろうし。

「へー、倉とカイがねえ。二人で家で何してんの?」
「……オールでゲームとか?」
「何で疑問形?」
「あ、いや、色々ありすぎていちいち覚えてないからさ」

 しどろもどろで答える俺を見て、京弥の眉間にしわが寄った。
 やばい、早速怪しまれている。
 そりゃそうだ。最近知り合ったんならまだしも、一年間もずっとふざけ合ってるだけの関係性だったのに、急にこの距離感はキモいに違いない。

「京弥、どうした? なんか変な顔してっけど」

 取り繕えなくなってきた俺を庇うように、カイが京弥に声をかけた。
 京弥の視線が俺からカイに移り、俺はこっそりと胸を撫で下ろす。

「いや、いつも移動のたびに倉にくっつかれてたから、一人で歩いてんのなんか違和感あるなってだけ」
「っふは、そっかそっか。今までご苦労だったな。今後は俺がこいつの面倒見てやるからさ」

 カイはそう言うと、俺の腰に腕を回して引き寄せた。思わず「ひいっ」と悲鳴が漏れてしまいそうになって、はっとして口を噤む。
 京弥の視線は確かに俺の腰に回されたカイの腕に向けられていた。

「……おー、任せたわ」

 だけど京弥は特に何かを指摘することなく、そう言って小さく頷く。
 任せんなよ……。俺は今すぐにでも振り払って京弥のところに行きたいんですけど……。
 がっくりと肩を落としたくなるのを堪えて、移動先の教室に三人で向かった。

 「作戦」はその日限りでは終わらなかった。カイ曰く、「こういうのは継続すんのが大事」ってことらしい。授業の合間の休み時間も、帰り道も、いつもなら京弥にベタベタするはずの場面を無視して、カイにくっつきにいく。

 それは俺にとってものすごく忍耐を必要とする行為だったけど、これを乗り越えたら京弥が俺を意識してくれるというカイの言葉を信じて、俺はひたすら「京弥禁止令」を遵守した。