歌い手王子の恋愛事情

「…で、なんで逃げたわけ?」


逃走防止のためか、がっちり二の腕を掴まれたまま、ごもっともな尋問が始まった。

観念した俺は、隣の汗だくの男をまともに見られないまま、地面を見つめながら足元の砂を蹴る。

「……理由もわかんないのにここまで追いかけてくるのすごいよね」
「そりゃ追いかけるだろ、待ち合わせしてたやつが目の前で逃げだすんだぞ」

「……」

反論しようもありません。

「…で?なんで?」

「……」

ザッザッと俺が砂を蹴る音だけが響く。


こういう時のチカは容赦ない。
俺の稚拙な嘘なんか多分すぐに見破るだろうし、だからといって俺の本音を全部伝えたら、きっととても戸惑うだろう。


俺はもう、恋愛とかそういうカテゴリでこの男が好きなのだと自覚したけれど、それがとてもマイノリティなことで、みんなに隠さなきゃいけないことで、たった二年だけどこいつと築いてきた信頼関係を根底から崩すものなのだとわかっている。


考えていたらじわっと涙が浮かんできて、俺はますます顔を上げられなくなった。


少し考えるような沈黙の後、「…その袋、何入ってんの?」
と唐突に問われるのに、膝の上に載せていたビニール袋の存在を思い出した。

「……大福…。チカ、好きだから、おみやげ…」

ぐすっと鼻を鳴らしながら答えると、ぶはっと笑い声が聞こえた。

「そっか、ありがとな。…腹減ってるけど、今大福食えなさそうだから後で食お」

確かに、喉がカラカラで今は大福は無理そうだ。


俺の好きな笑い方で屈託なく笑うチカを見ていたら、蕩けるように微笑まれて、もうなんかほんとに俺にだけこんなふうに笑ってくれるんだったらいいのにと思った。





二十分後、俺たちは店名も読めない古ぼけた暖簾のかかった中華料理屋で、並んでラーメンを食べていた。

俺もチカも、ラーメンを食べる時はラーメンに集中しなければならないという信念を掲げているので、無言で麺を啜り続ける。

他に誰もお客さんはいなくて、まだ一声も聞いていない怖そうな顔の店主が作るラーメンは、意外にも絶品だった。


「…すごい美味しかった…」

スープまで飲み干して、ごちそうさまでした、と箸を置くと、隣で餃子と炒飯もぺろりと完食して同じく手を合わせていたチカが、「まじで美味い。また来たいけど、ここどこだかわかんねえから来れるかな」と屈託なく笑っている。



大福しか持っていなかった俺たちは、とりあえず空腹を満たすべく見知らぬ住宅街を歩いてすぐ、この町中華をみつけた。

中も見えない磨りガラスの開戸の古ぼけた店は入るのに少し勇気が必要だったが、「ここにしよう」とチカがずかずか入っていってしまうので、否を唱える暇もなかった。

結果、とても美味しくて大満足の食事になった。そして腹が膨れると、現金にも少しだけ悲壮感が薄れる。

根拠もなく、なんとかなりそうな気がした。



だって、相手はチカだ。怖いはずがないんだから。