歌い手王子の恋愛事情

自宅ではなく事務所で収録した帰り道は、大抵深夜になる。そして、自宅が近いわけでもないのに、こいつがいつも俺を送ってから自分ちに帰るという二度手間を踏んでいて、女の子じゃないんだからいいよと何度言ってものらりくらりかわされて結局この流れになるのも、お馴染みの夜だ。

ぴょこぴょこぴょこ、漫画みたいに上に向かって跳ねたチカの寝癖が、その歩調に合わせてリズム良くバウンドするのを眺めて、はああ、とため息を吐く。
襟を抜くようにラフに羽織った水色と茶色のチェックのオーバーシャツが、川に反射した街の灯りに照らされて、悔しいけどめちゃくちゃ似合っていた。

チカは、顔出ししないのマジでもったいない!!とリアルライブで見たファンの子たちが囁き合うくらい、美形だ。背も高いし、モデルみたいに小顔で手足がすらりと長くて、とにかく全てのパーツが完璧なバランスで並んでいる。一緒にいてスカウトされることなんて日常茶飯事。
そして、そういうハイスペックな男にありがちな、嫌味な雰囲気や傲慢さが全く滲まないのが、こいつのすごいところだと思っている。クル兄曰く、『クラスの女子みんな好きにさせるくせに自覚ない小学生男子』なんだそうだ。
そしてそれは、画面上でファンの子を前にした"キャトショコのチカ"だけじゃなくて、リアルな千萱恒星でもーー相手が俺であっても、無自覚にかっこいいから、ほんと…ほんと、腹立つ。

「ばーか、チカのばーーーか!!明日靴下の親指のとこ穴空いちゃえばいいんだ」
こんな綺麗な夜景をバックに、なんかのドラマの撮影に使われたとかいう橋を渡りながら叫ぶ台詞でもないけど、もう言わないと収まらないこのふつふつをどうにかしたくて大きな背中にぶつける。
あまりに理不尽な突然の攻撃に、ぶはっと吹き出しながら、今日も一部の隙もなくかっこいい顔が振り向く。
「どんな呪いだよそれ」
でもそれ地味に嫌だな、履いてから気づいたら、代えるのめんどくせえしなーそのまま行くかもなー、なんて笑いながら靴下の穴について語っている。
女の子たちが、耳から溶ける、とうっとりする低音イケボがまったくの無駄遣いだ。

「……チカ、この後、どうするつもり…?」
俺もチカも現在大学二年生だ、早いやつはもう就活を始めてるし、来年度には大半が黒髪リクルートスーツの無個性の兵士みたいになって将来の道を開拓し始めるだろう。
俺の呟きは思惑通り届かなかったみたいで、え?と聞き返されるのに、なんでもない、と首を横に振る。

俺はいつもこうだ。
チカに聞きたいことがいっぱいあるのに、話ししたいことなんてもっとあるのに、大事なことほど何にも言葉にできない。

動画の中のアバターの俺なら、チカになんでも言えるのにな。
大好きチカ!一生一緒にいてねっ、て。

その日は本当はゲームの約束なんてしてなかったし、遅い時間だから、いつもならきちんと俺をアパートに送り届けたらチカはまっすぐ帰ってしまう。
けれど、俺はその夜、彼の先ほどの言葉を言質にとって、ゲームしてくって言ったじゃん、と駄々をこねた。
なんだかんだ俺に甘いチカは、仕方ないな、とわがままを受け入れてくれた。