歌い手王子の恋愛事情

確認オッケーでーす、お疲れ様でしたー!!、元気なスタッフの声に、張り詰めていた空気が一瞬で霧散する。それを肌で感じてようやく、綾谷瑞季(あやたにみずき)はふうっと思い切り胸の中の息を吐き出した。
お疲れ様でしたー!と、ヘッドフォンを外して負けないくらい元気な声でぺこっと頭を下げながらスタッフへ感謝の気持ちを示し、同時に収録を終えたメンバーの顔を順番に見やる。

ケイちゃんは…相変わらずニコニコだけど、ちょっと疲れてるかなあ。昨日より更にクマがひどくなってる。
クル兄はいつも通りか。あ、ヤニが足りなさそうな顔してる。
チカは、と振り向こうとして、その本人にむぎゅっと鼻の頭を摘まれた。
「ふがっ」
「瑞季、ほら帰っぞ。この後新作のゲームするっつってたじゃん」
じゃあ、ふたりともお疲れー、なんて軽ーい挨拶を残して、瑞季のシャツの襟を引っ張って大股で歩く相方を止める術なく、ずるずる引きずられるままスタジオを後にする。
遠くから、「ミズちゃん、チカちゃんお疲れ様、また明日ねえ」とほわっと和むケイトの声が聞こえてくる。
「チカ、…ちょっと、チカ!!ケイちゃんなんか疲れてたよ!俺たちゲームしてる場合じゃなくない!?俺もなんか手伝いたいよ!」
ばっと身体を振り切り正面に回って噛みつく瑞季に、チカこと千萱恒星(ちかやこうせい)は、はあああ、と本日最大の呆れたような溜め息を吐いた。
「俺や瑞希がここ残ってスタッフさんとかケイトの手伝いって、何か役に立つと思ってんの?クル兄ならともかく、俺らはケイトに気遣わせるだけでしょ」
優しいリーダーは、大学に通いながら活動する瑞季とチカに、裏方の仕事は一切させない。いつも通りファンのみんなの前に立ってくれればそれでいいんだよ、とニコニコ言われてしまう。
チカの冷静で的確な指摘に、ぐうの音も出ない。
いま瑞季にできることは、歌うことだけだ。
……わかった。渋々納得して、鞄とってくる、と控室兼事務所に向かう。


動画配信サイトやSNSで、いわゆる“歌い手”として活動するグループ、quatre chocolats(キャトルショコラ)、通称キャトショコ。
リアルライブ以外では一切顔を出さず、基本的にはV体と呼ばれる2D、3Dのヴァーチャルアバターを使って、歌の配信を主とした動画配信を行うグループである。週に一回全員での配信があり、それ以外の日はメンバー個人やペアで日替わりで動画を出すことにしている。

瑞季は現役大学生ながらそのメンバーのひとりだ。
ほんわかリーダーのケイトとオラオラ系イケメン担当のクルに、歌うま王子のチカと、高音元気キャラ担当のミズキ。
以上四人がメンバーで、活動を始めてまだまだ二年目に突入したところだが、必死でやっているうちにいつのまにかファンも増え、オリジナル曲もヒットし、大企業とのコラボなんかも増えた。でもまだその知名度はあくまでこの界隈限定のものだ。
勿論、同ジャンルには、頻繁にメディアに登場するような知名度桁違いのグループも存在する。四人とも現状で満足するようなつもりは少しもないし、キャトショコのために力を貸してくれるスタッフや関係者、そして何よりファンのためにも、もっともっと上を目指している。

事務所のオーディションで集まったメンバーだが、ファンも言ってくれるとおり、仲はかなり良いと思う。
配信や日常動画では、基本的にはゲームしたり企画をこなしたりしながら、チカとミズキがきゃいきゃい…否、ぎゃーぎゃー喧嘩するのを、クルがうっせえおまえら!と喧嘩に加わり、それをケイトが、みんなかわいいねえとにこにこ見守る、というお決まり芸がある。(時々ガチギレしたケイトに全員で怒られてしょげるパターンもある)
視聴者が日常動画に求めるものは、メンバーがきゃいきゃい楽しそうな様子らしい。ファンの子達はみんな熱心に動画を隅から隅まで見てくれるので、メンバーの不仲は不思議なことにどれだけ取り繕っても画面の向こうに滲み出てしまうから、そこは大事にしている。
そしてもうひとつーー“てえてえ”とファンが呼ぶ、メンバー間の関係性だ。
歌い手グループの視聴者層は、大部分が中高生〜二、三十代の若い女性だ。彼女たちは、メンバー同士が特に親密な様子を見せるのをとても好む。それは勿論ブランディングのひとつの柱として、公式に、ケイトとクル、チカとミズキがペアとして決められている。
ペアは、一緒に歌ったり、ふたりで動画を出したりと、なにかとニコイチで扱われることが多い。
だから瑞季はチカとふたりで過ごす時間がとても長いのだけれどーー最近は、それが少し苦しくなってきていることをこっそりと悩んでいた。

絶対、絶対、誰にも知られるわけにはいかない。
まさか、本気で、欲望込みの恋愛という意味で、チカのことを好きなんじゃないかと疑ってるなんてーー。