佐倉奏は、自分のクラスである二年五組に足を踏み入れた。瞬間、白いシャツが目に入り、そのまま硬い胸板に体が突っ込んでしまった。
「ぶっ!」
ぶつかった反動で奏の小柄な体が後ろに傾く。
「わわっ……」
そのまま倒れるかと思わず目を瞑ったが、奏の小さな後頭部が大きな手の中にすっぽりと包まれた。
「大丈夫か?」
そっと目を開けると、メガネの男に見下ろされていた。寝癖で跳ねまくった黒髪に表情が窺い知ることのできない瓶底メガネ。
(モサオか)
ぶつかった相手はクラスメイトのモサオこと、笹尾だ。見た目がモサッとしているため、付いた渾名がまんま『モサオ』だった。
「いや、俺も前見てなかった。悪い、笹尾」
そう言って奏は軽く手を挙げた。笹尾はこちらを一瞥し、無表情なままメガネのブリッジを人差し指で押し上げている。
(嫌いってわけじゃないけど、なんか苦手……あのメガネで顔の表情分かんないし、デカイから妙に威圧感あるし)
きっとそう思っているのは自分だけではないはずだ。あまり誰かといるのを見たことがなく、人に対して壁を作っているように思えた。
笹尾はそのまま廊下へ出ていき、自分は教室の中に入った。
(体型は結構好きなんだけどな)
笹尾の広い背中を無意識にじっと眺めた。
「なにやってんの、奏」
クラスメイトの立花と川瀬が見ていたのか、笑っている。
「見てた?」
「バッチリ見てたよ。モサオ、身長高いよなー。うらやま!」
「180センチくらいありそう。奏と頭一つ違うんじゃない?お父さんと子供やん」
「うるさいなー!」
そう言って奏はぷっくりと頬を膨らませた。
自分の性癖に気付いたのは割と早く、小学校五年の時だ。隣の席の男の子を好きになり、その後も男しか好きになることはなかった。
小柄な体に、亜麻色の髪。外国の子供のようにクリクリとした天然パーマで、美少女並みの容姿をしている。奏の横に並ぶことを、女子は嫌がっているようだった。
そんな見た目であるが故に疑われることもあったが、そのたび頑なに否定した。とにかくゲイであることを隠し、高校生活は平穏に過ごし卒業するのが目標だった。
その日、数学の小テストの答案用紙が返ってくると、奏は自分自身の点数に愕然とし血の気が引いた。二十点満点で四点。
「ふっ……」
ふと後ろから、鼻で笑われたような吐息が聞こえた。反射的に振り返ると後ろの席の笹尾が頬杖をついていた。表情は相変わらず瓶底メガネで窺うことは出来ない。
頬を膨らませ、顔を真っ赤にしながら、
「さ、笹尾おまえ……今、笑っただろ……」
「気のせいだよ」
笹尾が答える。ロボットのように口だけが動いて見えたが、片方の頬に小さくえくぼが浮かんだ。
机に置いてある、笹尾の答案用紙が目に入る。奏はその点数に大きな目を更に大きくさせた。
(ま、満点……?!)
「佐倉、放課後職員室な」
数学担当であり担任の伊藤は、怪しく目を光らせており、ギクリと肩を揺らした。
放課後になり渋々、奏は職員室に向かった。先程の数学の小テストの点数のことだと安易に予想がつく。
「分かってるよな?この調子だと、夏休みなくなるぞ」
「やだ!」
「だろ?そこで先生は考えた」
「?」
「失礼します」
後ろから低音の美声が聞こえ、振り返ると笹尾だった。しっかりと張った声を出した笹尾の声は意外にも美声だった。
そして伊藤から告げられた言葉に二人は言葉を失う。それは、笹尾から数学を教えてもらえ、というものだった。
笹尾にとってなんのメリットもないことを引き受けるとは思えない。現に今の笹尾は明らかに面倒臭いというオーラを隠そうともせず、隣で大きくため息を吐いている。
「この前のお願い聞いてやるからさ、な?笹尾?」
その言葉に笹尾の瓶底メガネが怪しく光ったように見えた。
人差し指でメガネのブリッジを押し上げ、
「分かりました。伊藤先生、約束守って下さいね」
「先生は嘘はつきません。じゃ、よろしくな」
二人は職員室を出ると無言で歩き始めた。
「今日は……」
ぼそりと笹尾の声がもれた。
「何?」
「今日は用事があって無理だから、明日からで」
「あー、そう。わかった」
普段から絡みがない笹尾に対し奏は上手く言葉が出てこず、学校を出るまでほぼ会話はゼロだった。
(絡みにくいヤツ!)
こんな雰囲気で笹尾と二人きりで勉強など上手く行くとは到底思えず、不安だけが募った。
次の日の放課後から笹尾との勉強会が行われた。
「で?何が分からないの?」
そう笹尾に質問されたが、正直全てが分からない。
「分からないことが……分からない?」
奏は素直に答えると、ハーっとあからさまにため息をつかれた。
「そんなため息つかなくても……」
自分でもバカだという自覚はある。笹尾のため息に自分のバカさを改めて自覚し、涙が出そうになる。
「あ、いや……じゃあ、まずこれ解いていこうか」
相変わらず表情が読めず、口数も少ない。その沈黙に奏は耐えられそうになかった。
「何か話してよ」
「……話してたら集中できないだろ」
笹尾の声が苛ついているように聞こえ、奏の肩がビクリと揺れた。
「俺がバカ過ぎて苛ついてる?」
恐る恐る顔を上げ笹尾を見ると、笹尾は少し口をポカンと開け、奏の言葉に呆けているようだった。
「いや、違う。どう教えたら分かり易く伝わるか考えてた」
「そう、なんだ……」
(怒ってるかと思った)
なんとか目の前の問題を理解しようと問題をじっと見つめたが、一向に答えなど出てはこない。
「これ……」
笹尾のシャーペンを持つ右手が不意に動いた。ゴツゴツとした大きい手に、シャーペンを持つ長い指が滑らかに動く。
「ここを、これに代入してみて……」
ポツリポツリともれる笹尾の低めの声は心地よく、奏の耳にすんなりと入ってくる。
(モサオのくせに、いい声してる)
何となく気恥ずかしくなり、目の前の数式に集中した。
「で、きた……」
自分でも驚いた。今まで全くできる気もしなかった数学の問題が解けた。
思わず勢い良く顔を上げ笹尾を見る。奏の心臓が大きく鳴った。笹尾の瓶底メガネの奥の瞳が、一瞬笑っているように見えたのだ。
「やればできるじゃん」
ふわりと大きな手が奏の頭に乗ると、更に心臓の鼓動が速まっていく。
「この式を覚えておくといいよ」
次の瞬間には笹尾の手の感触がなくなり、いつもの無表情な笹尾に戻っていた。
(笹尾って結構、いい奴?)
心臓の鼓動の速さは一向に治らず、笹尾に勘付かれてしまいそうで、顔を上げることができない。
「う、うん……」
奏は机にある笹尾の大きな手をじっと見つめた。
笹尾との勉強会は、月曜日と木曜日の週に二回、期末テストが始まるまでの一ヶ月間行われる。
「奏さ、モサオに勉強教わってんの?」
同じクラスの酒井に言われ、奏は思わず身を硬くした。
「うん、伊藤先生に言われて……」
「モサオと勉強って、マジウケる」
「でも、あいつ頭いいから」
「キモくねえの?」
林も揶揄うように奏の顔を覗き込む。
「手取り足取り教えてもらったら?」
そう言って、林と酒井は下品な笑い声を上げた。
奏はいたたまれなくなり、その場を去ろうと踵を返すと目の前に笹尾が立っていた。
「笹尾……」
「あ、モサオくん。こいつ可愛い顔してるからって、手出しちゃダメだぞ」
林が笹尾をからかうように言うが、笹尾は林を無視して自分の席に座った。
「ちっ! シカトかよ! モサオのくせに」
(あいつ、キモくなんてないのに……結構いい奴だと思うんだけどな)
奏は二人の悪態に心底腹が立っていた。だが、何も言えない自分にもっと腹が立った。
予鈴のチャイムが鳴り、奏は自分の席に座りノートの端を少し破ると、『ゴメン』そう一言書いて笹尾に渡した。しばらくすると、背中を突かれ笹尾からも紙切れを渡された。
『気にしてない』
頭がいい割にはその字は思ったより下手で、奏は少し笑った。
放課後──
奏と笹尾は誰もいない教室で向かい合っていた。
「笹尾、今日ごめんな」
ノートに目線を落としたまま奏は口を開いた。
「何が?」
「酒井と林にあんなこと言われてるのに俺、何も言えなかった」
「気にしてないって言ったよ」
奏は大きく首を振ると、
「何も言えない自分に凄く腹が立った……」
ノートに意味もなく奏はグルグルと円を書いた。
「あいつらさ、一年の時同じクラスの奴を不登校に追い込んだことがあったんだ。そいつ、ちょっとオタクな感じではあったんだけどさ、別に害がある奴でもないのに、キモいだの汚ねえだの言ってさ、とうとう学校来なくなっちゃって……近くで俺は見てることしかできなかった……何か言って、今度は自分がターゲットになるのが怖かったんだ」
言葉にしたことによって自分の格好の悪さを改めて実感し、自己嫌悪に陥る。
「でも、おまえは一緒になって言ったりはしなかったんだろ?」
「うん……だって、よく知りもしない奴の悪口なんて言えないよ」
「おまえは優しいな。俺のことをちゃんと笹尾って呼んでくれるし、おまえがいい奴だってことは分かってるよ」
笹尾の手が奏の頭に触れ、ドキリと大きく心臓が鳴った。
笹尾を知らない時は、表情が分からず絡みにくく怖いとすら思っていた。物覚えの悪い奏に対して、怒ったり苛ついたりすることもなく、気長に奏の答えを待ってくれる。説明も分かり易く、丁寧に教えてくれた。確かに口数も少なく愛想も良いとは言えないが、ただ不器用なだけで優しい所があることを知った。
モサいはずの笹尾が、かっこよく見えてくるから不思議だ。奏の中で、笹尾は気になる存在になっていった。
「ぶっ!」
ぶつかった反動で奏の小柄な体が後ろに傾く。
「わわっ……」
そのまま倒れるかと思わず目を瞑ったが、奏の小さな後頭部が大きな手の中にすっぽりと包まれた。
「大丈夫か?」
そっと目を開けると、メガネの男に見下ろされていた。寝癖で跳ねまくった黒髪に表情が窺い知ることのできない瓶底メガネ。
(モサオか)
ぶつかった相手はクラスメイトのモサオこと、笹尾だ。見た目がモサッとしているため、付いた渾名がまんま『モサオ』だった。
「いや、俺も前見てなかった。悪い、笹尾」
そう言って奏は軽く手を挙げた。笹尾はこちらを一瞥し、無表情なままメガネのブリッジを人差し指で押し上げている。
(嫌いってわけじゃないけど、なんか苦手……あのメガネで顔の表情分かんないし、デカイから妙に威圧感あるし)
きっとそう思っているのは自分だけではないはずだ。あまり誰かといるのを見たことがなく、人に対して壁を作っているように思えた。
笹尾はそのまま廊下へ出ていき、自分は教室の中に入った。
(体型は結構好きなんだけどな)
笹尾の広い背中を無意識にじっと眺めた。
「なにやってんの、奏」
クラスメイトの立花と川瀬が見ていたのか、笑っている。
「見てた?」
「バッチリ見てたよ。モサオ、身長高いよなー。うらやま!」
「180センチくらいありそう。奏と頭一つ違うんじゃない?お父さんと子供やん」
「うるさいなー!」
そう言って奏はぷっくりと頬を膨らませた。
自分の性癖に気付いたのは割と早く、小学校五年の時だ。隣の席の男の子を好きになり、その後も男しか好きになることはなかった。
小柄な体に、亜麻色の髪。外国の子供のようにクリクリとした天然パーマで、美少女並みの容姿をしている。奏の横に並ぶことを、女子は嫌がっているようだった。
そんな見た目であるが故に疑われることもあったが、そのたび頑なに否定した。とにかくゲイであることを隠し、高校生活は平穏に過ごし卒業するのが目標だった。
その日、数学の小テストの答案用紙が返ってくると、奏は自分自身の点数に愕然とし血の気が引いた。二十点満点で四点。
「ふっ……」
ふと後ろから、鼻で笑われたような吐息が聞こえた。反射的に振り返ると後ろの席の笹尾が頬杖をついていた。表情は相変わらず瓶底メガネで窺うことは出来ない。
頬を膨らませ、顔を真っ赤にしながら、
「さ、笹尾おまえ……今、笑っただろ……」
「気のせいだよ」
笹尾が答える。ロボットのように口だけが動いて見えたが、片方の頬に小さくえくぼが浮かんだ。
机に置いてある、笹尾の答案用紙が目に入る。奏はその点数に大きな目を更に大きくさせた。
(ま、満点……?!)
「佐倉、放課後職員室な」
数学担当であり担任の伊藤は、怪しく目を光らせており、ギクリと肩を揺らした。
放課後になり渋々、奏は職員室に向かった。先程の数学の小テストの点数のことだと安易に予想がつく。
「分かってるよな?この調子だと、夏休みなくなるぞ」
「やだ!」
「だろ?そこで先生は考えた」
「?」
「失礼します」
後ろから低音の美声が聞こえ、振り返ると笹尾だった。しっかりと張った声を出した笹尾の声は意外にも美声だった。
そして伊藤から告げられた言葉に二人は言葉を失う。それは、笹尾から数学を教えてもらえ、というものだった。
笹尾にとってなんのメリットもないことを引き受けるとは思えない。現に今の笹尾は明らかに面倒臭いというオーラを隠そうともせず、隣で大きくため息を吐いている。
「この前のお願い聞いてやるからさ、な?笹尾?」
その言葉に笹尾の瓶底メガネが怪しく光ったように見えた。
人差し指でメガネのブリッジを押し上げ、
「分かりました。伊藤先生、約束守って下さいね」
「先生は嘘はつきません。じゃ、よろしくな」
二人は職員室を出ると無言で歩き始めた。
「今日は……」
ぼそりと笹尾の声がもれた。
「何?」
「今日は用事があって無理だから、明日からで」
「あー、そう。わかった」
普段から絡みがない笹尾に対し奏は上手く言葉が出てこず、学校を出るまでほぼ会話はゼロだった。
(絡みにくいヤツ!)
こんな雰囲気で笹尾と二人きりで勉強など上手く行くとは到底思えず、不安だけが募った。
次の日の放課後から笹尾との勉強会が行われた。
「で?何が分からないの?」
そう笹尾に質問されたが、正直全てが分からない。
「分からないことが……分からない?」
奏は素直に答えると、ハーっとあからさまにため息をつかれた。
「そんなため息つかなくても……」
自分でもバカだという自覚はある。笹尾のため息に自分のバカさを改めて自覚し、涙が出そうになる。
「あ、いや……じゃあ、まずこれ解いていこうか」
相変わらず表情が読めず、口数も少ない。その沈黙に奏は耐えられそうになかった。
「何か話してよ」
「……話してたら集中できないだろ」
笹尾の声が苛ついているように聞こえ、奏の肩がビクリと揺れた。
「俺がバカ過ぎて苛ついてる?」
恐る恐る顔を上げ笹尾を見ると、笹尾は少し口をポカンと開け、奏の言葉に呆けているようだった。
「いや、違う。どう教えたら分かり易く伝わるか考えてた」
「そう、なんだ……」
(怒ってるかと思った)
なんとか目の前の問題を理解しようと問題をじっと見つめたが、一向に答えなど出てはこない。
「これ……」
笹尾のシャーペンを持つ右手が不意に動いた。ゴツゴツとした大きい手に、シャーペンを持つ長い指が滑らかに動く。
「ここを、これに代入してみて……」
ポツリポツリともれる笹尾の低めの声は心地よく、奏の耳にすんなりと入ってくる。
(モサオのくせに、いい声してる)
何となく気恥ずかしくなり、目の前の数式に集中した。
「で、きた……」
自分でも驚いた。今まで全くできる気もしなかった数学の問題が解けた。
思わず勢い良く顔を上げ笹尾を見る。奏の心臓が大きく鳴った。笹尾の瓶底メガネの奥の瞳が、一瞬笑っているように見えたのだ。
「やればできるじゃん」
ふわりと大きな手が奏の頭に乗ると、更に心臓の鼓動が速まっていく。
「この式を覚えておくといいよ」
次の瞬間には笹尾の手の感触がなくなり、いつもの無表情な笹尾に戻っていた。
(笹尾って結構、いい奴?)
心臓の鼓動の速さは一向に治らず、笹尾に勘付かれてしまいそうで、顔を上げることができない。
「う、うん……」
奏は机にある笹尾の大きな手をじっと見つめた。
笹尾との勉強会は、月曜日と木曜日の週に二回、期末テストが始まるまでの一ヶ月間行われる。
「奏さ、モサオに勉強教わってんの?」
同じクラスの酒井に言われ、奏は思わず身を硬くした。
「うん、伊藤先生に言われて……」
「モサオと勉強って、マジウケる」
「でも、あいつ頭いいから」
「キモくねえの?」
林も揶揄うように奏の顔を覗き込む。
「手取り足取り教えてもらったら?」
そう言って、林と酒井は下品な笑い声を上げた。
奏はいたたまれなくなり、その場を去ろうと踵を返すと目の前に笹尾が立っていた。
「笹尾……」
「あ、モサオくん。こいつ可愛い顔してるからって、手出しちゃダメだぞ」
林が笹尾をからかうように言うが、笹尾は林を無視して自分の席に座った。
「ちっ! シカトかよ! モサオのくせに」
(あいつ、キモくなんてないのに……結構いい奴だと思うんだけどな)
奏は二人の悪態に心底腹が立っていた。だが、何も言えない自分にもっと腹が立った。
予鈴のチャイムが鳴り、奏は自分の席に座りノートの端を少し破ると、『ゴメン』そう一言書いて笹尾に渡した。しばらくすると、背中を突かれ笹尾からも紙切れを渡された。
『気にしてない』
頭がいい割にはその字は思ったより下手で、奏は少し笑った。
放課後──
奏と笹尾は誰もいない教室で向かい合っていた。
「笹尾、今日ごめんな」
ノートに目線を落としたまま奏は口を開いた。
「何が?」
「酒井と林にあんなこと言われてるのに俺、何も言えなかった」
「気にしてないって言ったよ」
奏は大きく首を振ると、
「何も言えない自分に凄く腹が立った……」
ノートに意味もなく奏はグルグルと円を書いた。
「あいつらさ、一年の時同じクラスの奴を不登校に追い込んだことがあったんだ。そいつ、ちょっとオタクな感じではあったんだけどさ、別に害がある奴でもないのに、キモいだの汚ねえだの言ってさ、とうとう学校来なくなっちゃって……近くで俺は見てることしかできなかった……何か言って、今度は自分がターゲットになるのが怖かったんだ」
言葉にしたことによって自分の格好の悪さを改めて実感し、自己嫌悪に陥る。
「でも、おまえは一緒になって言ったりはしなかったんだろ?」
「うん……だって、よく知りもしない奴の悪口なんて言えないよ」
「おまえは優しいな。俺のことをちゃんと笹尾って呼んでくれるし、おまえがいい奴だってことは分かってるよ」
笹尾の手が奏の頭に触れ、ドキリと大きく心臓が鳴った。
笹尾を知らない時は、表情が分からず絡みにくく怖いとすら思っていた。物覚えの悪い奏に対して、怒ったり苛ついたりすることもなく、気長に奏の答えを待ってくれる。説明も分かり易く、丁寧に教えてくれた。確かに口数も少なく愛想も良いとは言えないが、ただ不器用なだけで優しい所があることを知った。
モサいはずの笹尾が、かっこよく見えてくるから不思議だ。奏の中で、笹尾は気になる存在になっていった。

