かわいいって言うな

 学校では伊吹と要は相変わらず特に喋ることはない。
 伊吹は「かわいい」と事あるごとに言われ、いじられる。無視されるよりはマシだが伊吹は毎回怒る。学祭の準備が進んでいき、貸衣装のサイズをチェックする名目でスリーサイズを測られ、ついでに「ウィッグ被ろうよ」とか「メイクはどーする?」などと伊吹の意見を無視した会話が周囲で楽しげにされている。
 伊吹が人形のように女子に遊ばれていてうんざりしかけたところに、ふともう耳に馴染んでしまった声が降ってきた。
「おい。伊吹疲れてんだろ。あんまり遊んでんじゃねぇぞ」
 伊吹の後ろから声をかけてきたのは要だった。
 初めて学校で声をかけられた。正しくは要が声をかけた先は伊吹を囲んでいた女子だが。
「武藤」
「お前も言えよ。うんざりしてんの顔に出てんだよ」
 女子が散っていき、伊吹が振り返り見上げると要はおもむろに溜息をついた。伊吹はそんなに顔に出てただろうかとどきりとする。
「あー……バレてた?」
「バレバレ」
 要は伊吹の頭にぽんと手を置く。それだけなのに。
「え? なに。伊吹、武藤に懐かれてんじゃん! いつの間に?」
 それを目ざとく見つけた健吾がやたらと騒ぐ。「そう言うんじゃないって」と伊吹は頭に乗せられた要の手を外しながら言った。
「懐かれてるか?」
「いや、懐いた覚えはねえ」
 確認のように伊吹が要を見上げると、要は短い返事をして席に戻っていった。教室での要は、相変わらず目つきが悪く表情を変えない。
「ほらな?」
 伊吹は健吾に向かって言ったが、何かが引っかかった。伊吹の脳裏になぜかハスキー犬が思い浮かんだがなぜなのかわからない。
 別に学校で他人のふりをしているという約束をしている訳ではない。要の喋り方は普段と同じだった。ただ、笑わなかっただけ。関係を隠しているわけではないが、説明すると長くなる。そして帰結する先はただの友人。説明のコストに対して開示するものの価値が見合わない。
 それでも伊吹は何か納得できない違和感を覚えていた。

 夜にいつも通りにいったん着替えを済ませて伊吹は要のバイト先に行った。
「らっしゃいませー!」
 戸を開けるといつも通りに威勢のいい声が来る。ぱち、と要と目が合い、伊吹は開いている席に腰を下ろした。
「注文は?」
「いつもの」
 短い会話を交わすと要は笑って「お前、いつもそれな」と言う。
「豚骨醤油一丁ー!」とオーダーを通し、てきぱきと要は厨房の方へ向かっていく。伊吹の知っているいつもの要だ。昼間、学校で見た姿の方が違うように思える。
 ラーメンが来るまでの間、伊吹はスマホをいじって今日の約束の相手と時間の最終調整をする。相手は伊吹の四つ上。学生ではなく仕事をしている人だった。
 仕事帰りの社会人と高校生の伊吹。SNSの繋がりで特に年齢は出していない。伊吹の目的はあくまでも恋人探しでやましいことなど考えていない。そもそも伊吹はなりたいイメージはあるが、誰と会ってもしっくりこない。しまいには「かわいい」と言われ、伊吹が怒って終わる。そんなことをもう何度も繰り返していた。
「お待ちー」
 要の声がして伊吹は画面から顔を上げた。目の前に豚骨醤油ラーメンのどんぶりが置かれる。チャーシューの横にいつものように煮卵が乗っている。
「どーした伊吹。今日大人しいじゃん」
「そんなことねーよ」
 軽口で返して伊吹は割り箸に手を伸ばした。要は「そ?」と言って仕事に戻っていく。
 学校にいる時よりも夜の方が羽が伸ばせる気がする。夜の方が隠し事が少ない。伊吹には学校の外の方が息がしやすい。ふと、要もそうなのだろうかと伊吹はラーメンを啜りながら考えた。
「伊吹。今日も後で来る?」
「ん。行く」
 ラーメンを食べ終え、会計をしている時に要が訊いてきた。伊吹は当然のように頷いて返事した。