かわいいって言うな

 チャイムが鳴り、ホームルームの時間が終わる。がたがたとそれぞれに帰宅の準備を始める者、部活へむかう者、当番の掃除へと向かう者たちが動き出す。伊吹は突っ伏していた頭を上げて後ろの方の席の要をちらりと見た。部活には入っていないはず。伊吹と同じ帰宅部のはずだった。
 机の横に掛けてある鞄に手をかけ、さっさと帰ろうとしている。伊吹は鞄をひったくって席を立つと教室の出口で要に追いついた。どうしようか一瞬迷った挙句、伊吹は教室の戸口のところを足で塞いで要を止めた。
「……何、神谷」
 止めるにしてももっとほかの方法があったのにと伊吹が思ったのは体が動いてしまった後だった。
「昨日の、借り、返そうと思って」
 ぶっきらぼうに伊吹が言うと、要は少し考えたような顔をした。相変わらず目つきは悪い。考えている風だとさらに凶悪にも見える。
 ──こいつ、忘れてんのかよ。
 伊吹が苛立ちを感じた頃に、要がようやく思い当たったらしく「ああ」と言ってきた。
「別にあんなんで気にすんなよ。貸しだとも思ってねーし」
「それじゃ俺の気が済まねーんだよ」
「お前、案外めんどくさいな」
 遮られた教室の出口を伊吹の足を跨いで出ていこうとした要はぼそりと言った。めんどくさい。その一言は伊吹の癪に障った。
「うるせえな! 俺は借り作ったままなのが嫌なだけだよ」
「なんでそうなるんだよ……。じゃーさ、いつでもいいからバイト先にラーメン食いに来いよ。昨日のゲーセンの近く。大勝軒って店」
「……おう」
 それで一応伊吹の用は済んだ。戸口を塞いでいた足を下ろすと、要はひらりと手を振って教室を出ていく。それから伊吹は思い出したように首を傾げた。
 要はバイト先だと言っていたが、校則ではバイトは禁止だ。
「……あいつ校則違反じゃん」
 伊吹はぼそりと呟いてから、それくらいの違反をしている者は少なくないと思いなおす。そうでないと伊吹に一つ貸しを作ったことになる。恐らく要は伊吹が教師に校則違反を告げ口しないと判断して言ったのだろう。
 伊吹は鞄を肩に掛けなおしながらポケットのスマホを取り出す。昨日の繁華街のゲームセンターの近く。ラーメン屋。大勝軒。検索するとすぐに場所はわかった。そこが要のバイト先。いつでもいいからラーメンを食いに来いと言っていた。
 今日はない。さすがに昨日の今日で伊吹は次の約束を取り付けていない。そうなると次に誰かと会う約束を取り付けた後か、もしくは夕食代わりに要のバイト先までラーメンを食べに行くかだ。
 そこまで考えて伊吹はスマホを鞄にしまった。
 別に今日でなくてもいい話だ。そのうち。近くで用事があったら。ただ、借りっぱなしは嫌だから行くのは決定事項。それだけ。