かわいいって言うな

「あの、さ。武藤。どこ行くの」
「あ? お前、あのまま全校の晒しモノになってもよかったんか? ぜってー嫌ってツラしてたけど」
 廊下をすたすたと歩きながら要が返事してくる。──確かに。あのまま教室にいれば学祭は始まっていて、伊吹は問答無用で模擬店に出されていた。『かわいい』と『誰?』はセットで学校中の噂になるだろう。そんなことは嫌だ。
「……でも」
 だからと言って、逃げ場があるとは伊吹は思っていなかった。しかし、その言葉は要には届かなかったらしい。目つきが悪いままの横顔。だけど、学祭の衣装の執事服のせいで強面には見えるが、普段よりも雰囲気が柔らかい。似合わないのではなく、似合ってしまっているから普段隠れている顔の良さが漏れている。
「いいから」
 短く答えになっていないことを言って、要は伊吹の手を引く。大股の歩幅が少し緩んだ。けれど、廊下での視線が伊吹には痛い。執事服を着た要と女装してメイド服の伊吹。目立たないはずがなかった。「え? 誰?」「あんな恰好良い人とかわいい子いたっけ」などと小声で話している様子が伊吹の耳に入ってくる。階段を上って四階。ようやく生徒が少なくなった。四階は特別教室が集まっている階で、学祭の喧騒とは程遠い。
 まだ手を掴まれたまま、伊吹はぼんやりと廊下を歩いていた。行きついた先は美術準備室。
「え。鍵は?」
「ここ、管理ずさんだからいつも開いてる」
 短い会話をして伊吹は要の後について美術準備室に入った。
「授業ダルいときとか、ここ、使ってる」
 要はぼそりと言った。つまり、要しか知らない場所。
 授業や部活で使っているキャンバスの山。テレピン油の独特の匂い。隙間に積み上げられた石膏像。
 午前中の明るい日差しが窓から差し込んでくる。埃っぽい美術準備室の空気に光がわずかに屈折した。ものの多い小部屋の隅に要が座り込み、伊吹の手がそのまま引っ張られ、つられるようにして伊吹は要の隣に座った。階下から賑やかな声が遠く聞こえる。
「これってさ、サボり?」
 伊吹は要に訊く。学校で相手を作るつもりはなかったのに。
「まー……そうなるなー」
 要はくすりと笑った。ずるい、と伊吹は思う。そんな恰好で笑われると、クラスの女子と同じ反応をしそうになる。『怖いイケメン執事に叱られたい』。伊吹は顔で相手を選ぶつもりはない。しかし、クラスの女子よりは要のことを知っているという自負はある。──要に言うと、何も知っていないと言われるかもしれない。伊吹も、要にたくさんのことを隠してきた。今までの伊吹が知っている要が要の全てだとは思わない。
 だけど──目つきが悪いとはいえ、執事服を着て笑う要はただの顔がいい男子生徒にしか伊吹には見えなかった。