かわいいって言うな

 学祭の日。空は高く、天気が良かった。伊吹の気分とは真逆だ。
 登校すると、伊吹は問答無用でクラスメイトの女子に貸衣装のメイド服を押し付けられ着替えを強要された。僅かな情けがかけられるとしたら、手ずから着替えさせられなかったことくらいだろうか。
 袖の上部分が膨らんだ黒に白襟のワンピースにフリルのエプロン。
 教室の中で伊吹に逃げ場はない。仕方なく着替えをして出ると、椅子に座らされ数人の女子に囲まれた。ウィッグを被せられ、顔を拭かれた後、メイクを施されていく。完全におもちゃ扱いで女子たちは楽しそうにきゃっきゃしている。伊吹は何を言っても無駄とばかりに無言でいた。
 教室ではメイド服と執事服に着替えたクラスメイトが半分、残りは裏方担当だ。当然、伊吹一人が女装メイド姿でほかの男子は制服か執事服かのどちらかだ。
「やっぱり伊吹かわいいよー! メイクしなくても全然いけるけど、どうせなら最高にかわいくしたいもんね!」
「ウィッグはやっぱ正解だったねー。もうこれ伊吹だってわかんないよ。かわいい。完璧な美少女ー」
「ねえ、ネイルもしちゃわない? せっかくここまでかわいいんだし」
 口々に伊吹を囲んでる女子たちは伊吹に『かわいい』を押し付けてくる。ひとつかわいいが出るたびに伊吹の機嫌は悪くなる。うんざりして『かわいい』の飽和攻撃に胸焼けがしてくる。
「伊吹かわいいからメイクしちゃうのもったいないんだけど、絶対に美少女に仕上げるから!」
 丁寧に地肌を整えられ、ベース、ファンデーション、コンシーラーと重ねられ、瞼にアイシャドウとアイライン、それからたっぷりまつげにマスカラを塗られ、唇につやつやのグロスを乗せられて仕上げられた。
「ほらっ! できたよ、伊吹。鏡見るー?」
 着せ替え人形のようにおとなしくしていた伊吹はそう言われて瞼を上げた。押し付けられた鏡を手に映った顔を見ると、自分のことながら引くほどかわいかった。少なくともクラスの女子の誰よりもかわいい。伊吹はげんなりして鏡を女子に返した。
「ねー、みんな見てー! 伊吹めっちゃかわいくなったよー」
 伊吹のウィッグをいじっていた女子が大声をあげ、クラスの視線が伊吹に集まった。クラス中の『かわいい』が一斉に伊吹に向かって発せられる。
「なんだ、随分騒がしいな」
 更衣室に着替えに行っていた要がクラスのどよめきに驚きながら入ってきて、一瞬で状況を理解したらしかった。はぁ、と要が溜息をついたのが伊吹からも見えた。
 要の一言にクラスの視線の半分は移った。こそこそと「やっぱ、怖いイケメン執事完璧だよねー。叱られたーい」などと女子が小声で言っている。
 要は執事服に着替えている。その姿のまま、大股で伊吹に近付いてきたかと思うとそばの女子を押しのけ、伊吹の腕を掴んだ。
「行くぞ」
「は?」
 伊吹が驚いているのも気にした様子なく、要は伊吹の手を引っ張っていく。伊吹は待ってとは言わなかった。ただ、これから学祭なのに、と思いながら要についていった。
 要の執事服の袖が足りていない。中に着た長袖のTシャツの袖が黒いジャケットの下から覗いていた。
 相当遅れて伊吹は連れ出されたのだと気付く。メイド服を着せられ、ウィッグを被せられ、しっかりメイクされて完璧に美少女に仕立てられた姿で人前になど出たくなかった。『かわいい』はもう聞き飽きた。一生分、もう聞いた。