今日も今日とて、ぐずついている。
真昼だというのに夜かと錯覚しかける曇天から降りしきる雨が、校舎の窓ガラスを繰り返しぱつぱつと打つ。ひとつの小さな雨粒がやがてとなりの雨粒とつながり、大きなしずくとなってはそこを伝っていた。
「あーまーねー!」
号令に合わせて着席してまもなく、廊下側から馴染み深い声が窓辺にいる俺の耳にまで駆け込んできた。
六月のはじめに席替えをしてから、来週で一ヶ月になろうとしている。義務的に前から送られてくる配布物を回すときにしか関わりのない、後ろの席に座る谷尾が「きたきた、中藤の彼氏」なんてせせら笑うのをいつもどおり聞き捨てて、机に広げていた教材とノートを淡々と片付けていく。机の横のフックに引っかけていたコンビニ袋の持ち手を掴んだところで。
「周!」
今朝の通学路で何度と聞いた呼び声が真上からする。顎を上げて見やると、そこにはやっぱり拓真がいた。
「大事件だ」
授業の合間の昼休み。となりのとなりのそのまたとなりの教室から、わざわざここまでやってきた拓真はさも深刻げな顔をしてて、座ったままの俺に自身のスマホを突きつけてくる、けど。
「お前、学校じゃあスマホ」
「堅いこと言わずに見ろ」
さらに俺の顔面すれすれにまで近づけられたスマホ。鼻骨を砕かれかねない勢いに、とっさに手のひらでガードして、俺は根負け。しょうがなしにそのまま掴んで受け取った。先に机に置いていたコンビニ袋の横に並べて、言われたとおりに画面を覗き込む。
上部の端っこにひび割れの入ったガラスフィルム。つい最近、拓真から頼まれて新しいのに貼り替えてやったばかりな気がする。
「今年は岳、こっち来れないってさ」
昼飯にと買ったメロンパンとカレーパン、それからミネラルウォーター。俺はコンビニ袋から迷わずメロンパンを選び取って、包装を破りながら。
「へぇ」
「反応うっす」
片手に持ち直したメロンパンを「いただきます」とひとくち齧って、改めてスマホの画面を見ていると「波多くん、よかったらここ座って」と俺の前の席の塚本さん。すかさず「私の席、使って」と俺の右手の席の浦部さん。後ろの席の谷尾は他の同級生たちとステレオタイプな会話でげらげら笑い合ってて、左手の窓ガラスには絶えず雨粒が打ち付けている。
拓真のスマホに映し出されていたのはメッセージアプリの個人チャット画面だった。机に寝かせた状態でひび割れを避けつつ、人差し指の腹で下方向へなぞっていく。そうして少しだけチャット履歴を遡ったところから今度は上方向へ、ゆっくり。順調に目を通していたら唐突な一文がそこに紛れ込んでいて、メロンパンを噛む口と指が止まる。
『岳に会えねぇなんて、って。俺のとなりで周が泣いてんぞ』
これは拓真から岳へのメッセージだ。
何度も何度も噛んで、味が薄まってしまった欠片を喉の奥へと流し込んで、俺は口を開く。
「なにこのやりとり。俺、お前のとなりで泣いたことねぇけど」
「お前が俺のとなりで泣くか泣かないかじゃなく、お前が俺の最終兵器なんだよ」
「なんだそれ」
ここからあとの拓真が送ってるメッセージ、ことごとく既読スルーされてんな。最後に送ったのは……五分前、か。これにも既読だけがついている。
黙々とメロンパンを食べ進めていると。
「毎年、必ず来てたのになぁ」
拗ねた声をたどって俺は視線を上げる。人気者の波多拓真は、どうやら塚本さんの席を選んだようだ。
俺の正面で窓に背を向けていじけている拓真に、なんの気なしにカレーパンを差し出すと「え! まじ? うれぴ」なんて、単純なやつ。
嬉々としてカレーパンに齧り付く拓真から再び視線をスマホの画面へ。
なんとなく。
入力欄に『あ』とだけ打ってそのまま送ってみたら、ときを待たずに既読がついた。
メロンパンを飲み込んで、俺は小さく息を吸う。さすがに食べてばっかじゃあ喉、渇くな。
「彼女でもできたんじゃねぇの?」
「んあ? んぐ、なに? 高校デビューで?」
岳は今、誰かと一緒に過ごしてて、画面を開きっぱなしでよそ見をしているのか。
それとも静かに、ただただ画面を眺めているのか。
拓真へ目をやらずにスマホを返せば案の定「ちょっと周ちゃん、なに勝手に俺になりすまして送っちゃってんの」と言われて「送るならもっと他に言葉あるだろ〜」とまで続けて言われたけど、逆になにがあるんだよ。
俺は堪らずミネラルウォーターを飲んだ。
ほの甘い口んなかがさっぱりして喉が潤い、自然に「ふぅ」とため息がこぼれる。
「あいつ、顔いいし。あんま喋んねぇけど、なんだかんだで面倒見よくって優しいし」
「周」
ペットボトルの飲み口に蓋を被せて回していたら妙に引き締まった声に呼ばれた。まばたきをひとつしてから視線を投げれば、まじまじと俺を見つめてくる。
呆気にとられるほどに、拓真の唇がカレーパンの油まみれになっていた。
「めっちゃ岳のこと好きじゃん」
……。
「は?」
「お!」
自身の手のなかにあるスマホに向かって瞠目した拓真が、急に椅子から立ち上がった。片手で椅子の背もたれを握って持ち上げると、狭いスペースのあちこちにぶつけながら動かして、俺と対面になって座り直す。
そして、拓真はまた俺にスマホを寄越してきた。ここで突き返したって、さっきみたいに押し戻されるとわかっている以上、おとなしく手のひらを差し出す他なく、渡されたスマホにすんなりと俺は目を落とす。
俺が送った『あ』の斜めすぐ下。
いつのまにか『あ、ってなんだよ』って返信。
そろっと拓真を見ると、俺の席の机に両腕を重ね組んでて、つやつやの唇をにんまりさせている。
「俺じゃなく周が勝手に送った、って。岳に伝えてやろっか?」
俺は制服のズボンからおもむろにポケットティッシュを出した。それをスマホと一緒に、拓真へ。
「伝えなくてよろしい。あと口、拭け」
「ちぇ、つまんね」
「なにがだよ」
「へいへい」
かったるそうにぐにゃりと姿勢を崩した拓真。それでも、慣れた手つきでスマホを小気味よく連打していて、ほどなく「ん」と画面を再度見せてくる。
入力欄には『なんでもございませーん』の一文のみ。どこにも俺の名前は……入ってない、よな。よし、認めた俺が送信マークをタップする。
「ねぇねぇ、波多くん。これ、食べる?」
いきなり右から割り込んできた声をたどって視線を流せば、浦部さんが席に座ったまま、拓真へと腕をめいっぱい伸ばしていた。その手にはスティックタイプのスナック菓子が入ったカップ。
机に伏せつつ、ようやくティッシュで唇を拭きはじめていた拓真が、たちまち跳ね起きて「まじ? くれんの? いっただきい」ってすっかり上機嫌。浦部さんが「ぜんぶは駄目だよ」って肩を揺らして笑い返すのを見届けて、俺はふたりから視線を外した。
机に寝かせて置いてあるスマホを眺めながら、残り三口分程度になったメロンパンに歯を立てようとしたところで。
「中藤くんも、いる?」
口からメロンパンを遠ざけて振り向いたら、のっけから浦部さんと目が合った。間違いなく俺へと差し出されている、スナック菓子入りのカップを一瞥して、まばたきをひとつ。
思わず「いいの?」って訊いたら、浦部さんはにこやかに。
「なんか、ふたりの会話聞いてたら、あげたくなっちゃった」
はやくとってと言わんばかりに左右に小刻みに振られて催促される。どこかいたずらな含みを持たせる理由に引っかかりを覚えながら、当たり障りなく俺は浦部さんに「ありがとう」と告げて、貰ったそれをさっそくいただいた。
メロンパンとはまったく違う。硬めの歯触りと塩味。たったの一本でも、砕くたびほろほろと細かく口んなかに残り続ける感じが、なんというか、やけに現実的だった。
雨音は途切れることなく鼓膜を震わせる。
新たに既読がつけられたメッセージには、昼休みいっぱい、返信はこなかった。
真昼だというのに夜かと錯覚しかける曇天から降りしきる雨が、校舎の窓ガラスを繰り返しぱつぱつと打つ。ひとつの小さな雨粒がやがてとなりの雨粒とつながり、大きなしずくとなってはそこを伝っていた。
「あーまーねー!」
号令に合わせて着席してまもなく、廊下側から馴染み深い声が窓辺にいる俺の耳にまで駆け込んできた。
六月のはじめに席替えをしてから、来週で一ヶ月になろうとしている。義務的に前から送られてくる配布物を回すときにしか関わりのない、後ろの席に座る谷尾が「きたきた、中藤の彼氏」なんてせせら笑うのをいつもどおり聞き捨てて、机に広げていた教材とノートを淡々と片付けていく。机の横のフックに引っかけていたコンビニ袋の持ち手を掴んだところで。
「周!」
今朝の通学路で何度と聞いた呼び声が真上からする。顎を上げて見やると、そこにはやっぱり拓真がいた。
「大事件だ」
授業の合間の昼休み。となりのとなりのそのまたとなりの教室から、わざわざここまでやってきた拓真はさも深刻げな顔をしてて、座ったままの俺に自身のスマホを突きつけてくる、けど。
「お前、学校じゃあスマホ」
「堅いこと言わずに見ろ」
さらに俺の顔面すれすれにまで近づけられたスマホ。鼻骨を砕かれかねない勢いに、とっさに手のひらでガードして、俺は根負け。しょうがなしにそのまま掴んで受け取った。先に机に置いていたコンビニ袋の横に並べて、言われたとおりに画面を覗き込む。
上部の端っこにひび割れの入ったガラスフィルム。つい最近、拓真から頼まれて新しいのに貼り替えてやったばかりな気がする。
「今年は岳、こっち来れないってさ」
昼飯にと買ったメロンパンとカレーパン、それからミネラルウォーター。俺はコンビニ袋から迷わずメロンパンを選び取って、包装を破りながら。
「へぇ」
「反応うっす」
片手に持ち直したメロンパンを「いただきます」とひとくち齧って、改めてスマホの画面を見ていると「波多くん、よかったらここ座って」と俺の前の席の塚本さん。すかさず「私の席、使って」と俺の右手の席の浦部さん。後ろの席の谷尾は他の同級生たちとステレオタイプな会話でげらげら笑い合ってて、左手の窓ガラスには絶えず雨粒が打ち付けている。
拓真のスマホに映し出されていたのはメッセージアプリの個人チャット画面だった。机に寝かせた状態でひび割れを避けつつ、人差し指の腹で下方向へなぞっていく。そうして少しだけチャット履歴を遡ったところから今度は上方向へ、ゆっくり。順調に目を通していたら唐突な一文がそこに紛れ込んでいて、メロンパンを噛む口と指が止まる。
『岳に会えねぇなんて、って。俺のとなりで周が泣いてんぞ』
これは拓真から岳へのメッセージだ。
何度も何度も噛んで、味が薄まってしまった欠片を喉の奥へと流し込んで、俺は口を開く。
「なにこのやりとり。俺、お前のとなりで泣いたことねぇけど」
「お前が俺のとなりで泣くか泣かないかじゃなく、お前が俺の最終兵器なんだよ」
「なんだそれ」
ここからあとの拓真が送ってるメッセージ、ことごとく既読スルーされてんな。最後に送ったのは……五分前、か。これにも既読だけがついている。
黙々とメロンパンを食べ進めていると。
「毎年、必ず来てたのになぁ」
拗ねた声をたどって俺は視線を上げる。人気者の波多拓真は、どうやら塚本さんの席を選んだようだ。
俺の正面で窓に背を向けていじけている拓真に、なんの気なしにカレーパンを差し出すと「え! まじ? うれぴ」なんて、単純なやつ。
嬉々としてカレーパンに齧り付く拓真から再び視線をスマホの画面へ。
なんとなく。
入力欄に『あ』とだけ打ってそのまま送ってみたら、ときを待たずに既読がついた。
メロンパンを飲み込んで、俺は小さく息を吸う。さすがに食べてばっかじゃあ喉、渇くな。
「彼女でもできたんじゃねぇの?」
「んあ? んぐ、なに? 高校デビューで?」
岳は今、誰かと一緒に過ごしてて、画面を開きっぱなしでよそ見をしているのか。
それとも静かに、ただただ画面を眺めているのか。
拓真へ目をやらずにスマホを返せば案の定「ちょっと周ちゃん、なに勝手に俺になりすまして送っちゃってんの」と言われて「送るならもっと他に言葉あるだろ〜」とまで続けて言われたけど、逆になにがあるんだよ。
俺は堪らずミネラルウォーターを飲んだ。
ほの甘い口んなかがさっぱりして喉が潤い、自然に「ふぅ」とため息がこぼれる。
「あいつ、顔いいし。あんま喋んねぇけど、なんだかんだで面倒見よくって優しいし」
「周」
ペットボトルの飲み口に蓋を被せて回していたら妙に引き締まった声に呼ばれた。まばたきをひとつしてから視線を投げれば、まじまじと俺を見つめてくる。
呆気にとられるほどに、拓真の唇がカレーパンの油まみれになっていた。
「めっちゃ岳のこと好きじゃん」
……。
「は?」
「お!」
自身の手のなかにあるスマホに向かって瞠目した拓真が、急に椅子から立ち上がった。片手で椅子の背もたれを握って持ち上げると、狭いスペースのあちこちにぶつけながら動かして、俺と対面になって座り直す。
そして、拓真はまた俺にスマホを寄越してきた。ここで突き返したって、さっきみたいに押し戻されるとわかっている以上、おとなしく手のひらを差し出す他なく、渡されたスマホにすんなりと俺は目を落とす。
俺が送った『あ』の斜めすぐ下。
いつのまにか『あ、ってなんだよ』って返信。
そろっと拓真を見ると、俺の席の机に両腕を重ね組んでて、つやつやの唇をにんまりさせている。
「俺じゃなく周が勝手に送った、って。岳に伝えてやろっか?」
俺は制服のズボンからおもむろにポケットティッシュを出した。それをスマホと一緒に、拓真へ。
「伝えなくてよろしい。あと口、拭け」
「ちぇ、つまんね」
「なにがだよ」
「へいへい」
かったるそうにぐにゃりと姿勢を崩した拓真。それでも、慣れた手つきでスマホを小気味よく連打していて、ほどなく「ん」と画面を再度見せてくる。
入力欄には『なんでもございませーん』の一文のみ。どこにも俺の名前は……入ってない、よな。よし、認めた俺が送信マークをタップする。
「ねぇねぇ、波多くん。これ、食べる?」
いきなり右から割り込んできた声をたどって視線を流せば、浦部さんが席に座ったまま、拓真へと腕をめいっぱい伸ばしていた。その手にはスティックタイプのスナック菓子が入ったカップ。
机に伏せつつ、ようやくティッシュで唇を拭きはじめていた拓真が、たちまち跳ね起きて「まじ? くれんの? いっただきい」ってすっかり上機嫌。浦部さんが「ぜんぶは駄目だよ」って肩を揺らして笑い返すのを見届けて、俺はふたりから視線を外した。
机に寝かせて置いてあるスマホを眺めながら、残り三口分程度になったメロンパンに歯を立てようとしたところで。
「中藤くんも、いる?」
口からメロンパンを遠ざけて振り向いたら、のっけから浦部さんと目が合った。間違いなく俺へと差し出されている、スナック菓子入りのカップを一瞥して、まばたきをひとつ。
思わず「いいの?」って訊いたら、浦部さんはにこやかに。
「なんか、ふたりの会話聞いてたら、あげたくなっちゃった」
はやくとってと言わんばかりに左右に小刻みに振られて催促される。どこかいたずらな含みを持たせる理由に引っかかりを覚えながら、当たり障りなく俺は浦部さんに「ありがとう」と告げて、貰ったそれをさっそくいただいた。
メロンパンとはまったく違う。硬めの歯触りと塩味。たったの一本でも、砕くたびほろほろと細かく口んなかに残り続ける感じが、なんというか、やけに現実的だった。
雨音は途切れることなく鼓膜を震わせる。
新たに既読がつけられたメッセージには、昼休みいっぱい、返信はこなかった。

