ゼラニウムが結んだ恋

「これ……」
「好きって言ってたから。本当は生花にしたかったけど、この病院は禁止なんだと。そういうのって、病院によって違うんだな」
 南原が、肩をすくめる。どうやら彼の実家の病院ではOKらしい。
「あ、ありがとう……。この方がいいよ! ずっと保存できるし。……南原、僕、大事にするね?」
 嬉しすぎて、どうにかなりそうだ。南原が、見舞いに来てくれた。しかも、自分の好きな花を覚えていて、持って来てくれた……。
 抑えようとしても、勝手に顔が赤くなってしまう。南原は、そんな百合人をじっと見つめていたが、やがて言いにくそうに口を開いた。
「あのさ、花岡。……その、福井には会ったか?」
 なぜ唐突に福井の話題を持ち出すのだろう、と百合人はきょとんとした。
「ううん。あいつ、見舞いに来なかったもん」
「そうじゃなくて。今日、病院内で会ったりしなかったかな~って。……ほら、同じとこに入院することになったわけだし」
「は? 入院? まさか福井って、ここに入院したの?」
 百合人は、口をあんぐりと開けた。
「どうしてまた?」
 南原は、ますます複雑そうな表情を浮かべた。
「骨折したからだよ。……折ったのは、俺だ」
「折ったって……、え……?」
 さっぱり訳がわからない。すると南原は、ぼそぼそと話し始めた。
「今日の柔道の時間、福井と組んだんだよ。体格差があるのはわかってたから、最初は加減してた。そうしたらあいつ、本気でかかってこいよって言い出して。俺も、元々あいつにムカついてたから、だんだんムキになってきて……。それで思いきり投げたら、そんなことに。救急車を呼ぶ騒ぎになってさ、先生にはずいぶん怒られたよ」
「はあ……。それで福井、ここに入院したんだ」
 午前中の救急車はそれだったのか、と百合人は驚いた。
「でも、どうして福井にムカついてたの?」
「――それは」
 南原は、なぜかちょっと赤くなった。
 「だって、花岡を傷つけたから……。挑発されたからだけじゃなく、心のどっかで、復讐してやりたいって思ってたんだと思う」
 南原は、急に真剣な顔になると、百合人のベッドの端に腰かけた。至近距離で見つめられ、百合人は動悸が激しくなるのを感じた。
「だけどさ、後悔した。福井を骨折させたからじゃない。そのせいで、結果的にお前と同じ病院に入院させることになったから……。それがきっかけで、お前と福井が親しくなったりしたらどうしようって……。でもあいつ、まだこの部屋には来てないんだよな?」
「来てないって。来るわけないだろ。福井は、僕を嫌ってるんだから」
 南原の話は今ひとつ理解できないが、取りあえず百合人はそう答えた。すると南原は、目をつり上げた。
「花岡、もっと警戒しろよ。お前、鈍すぎるぞ? 福井は、ガキなんだよ。ああいう態度を取るのは、お前に構ってほしいから。気づかねえ?」
 百合人は、唖然とした。
「構ってほしい……?」
「ああ。なかなか見舞いに来なかったのも、顔を合わせづらかったからだよ。……って俺、馬鹿か。何、恋敵のフォローしちゃってんだ」
 百合人は、今度こそ耳を疑った。
 ――聞き違いか? 今、恋敵って……。
「花岡」
 南原が、ずいと近づく。
「俺は、お前が好きだ」
  ――嘘だろ。
 かあっと、体全体が熱くなる。まるで、体中の血が沸騰しているようだった。
「な、南原……」
 かろうじてそう口にすれば、南原は急にうろたえ始めた。
「あ! 悪い。どさくさに紛れて告白しちゃって……。でも俺、前からお前のことが……。気持ち悪い、よな? 男にこんなこと言われても」
 南原が、気まずそうに立ち上がる。百合人は、思わず引き留めていた。
「待って!」
 南原が、こちらへ向き直る。百合人は、決意を固めた。正直、彼が自分を好きだなんて、まだ信じられない。でもこれは、千載一遇のチャンスだ……。
 百合人は目を伏せて、小さくつぶやいた。
「気持ち悪いなんて、思わない。……実は僕、男が好きなんだ。それで、その……。僕も南原のこと、ずっと好きだった」
 南原が、息をのむのがわかった。
「……本当に?」
 百合人は、こくりとうなずいた。恥ずかしすぎて、目を合わせられない。
「花岡……」
 南原が、再びベッドに腰かける。先ほどよりも距離が近い気がして、百合人はドキリとした。
「花岡、こっち向いて」
 その言葉に、おそるおそる顔を上げれば、南原もまた赤い顔をしていた。
「すげえ嬉しい。てかその顔、可愛すぎ……」
 そっと、顔が近づいてくる。展開の速さに、百合人はぎょっとした。
 ――でも、いっか。好きな相手なんだし……。
 これがファーストキスか、などと乙女チックな感慨に浸りながら、目を閉じる。唇に、南原の吐息がかかった。ゆっくりと、唇が重なる。温かい感触が、心地良かった。
 ――何かもう、死んでもいいくらい幸せ……。
 だが、次の瞬間。唇は、パッと離れた。南原が、そそくさと立ち上がる。
「長居すると、疲れるだろうからさっ。俺、そろそろ帰るな。じゃ!」
 そのまま南原は、ぴゅーっと病室を出て行った。百合人は、呆然とした。
 ――どうしちゃったんだろう……。
 告白し、キスまでしてくれたのに。急な変化の理由が、百合人にはわからなかった。
 ――口が臭かったとか? 唇がカサついてたとか?
 それくらいなら、まだ挽回もできそうなのだけど。まさか、男とキスしたことで幻滅したのだろうか。いくら口では好きと言ってくれていても、実際にキスしてみて、何か違うと思ったのかもしれない。
――それならまだ、クラスメートのままの方が良かった……。
 百合人は、南原がくれたゼラニウムのプリザーブドフラワーをぎゅっと抱きしめた。ふと見れば、赤い花びらが濡れていた。百合人自身がこぼした涙だった。